路地裏の少年達 Ⅴ

「親父!」


 焦った様子で、ウィブルレイの耳に入った情報は、彼の親。

 つまり、トリス家現当主カルノール・トリスが事故によって重症を負い、意識が不明の状態で発見されたとの凶報だった。

 報せを受けたことによって、動揺を隠せないウィブルレイを正気に戻し、彼と共に緋色はカルノールが運ばれた病室に至急向かった。


「……親父」


 漂白された白い室内の中心で、ベッドの上に中年の男が横たわっている。

 体の至る所に包帯を巻かれ、生気を感じさせない白い顔で死んだように眠っている。

 一目で重症だ、と分かってしまう程度にはカルノールの容態はとても良いものでは無い。

 眠る父親の傍らで、ウィブルレイは胸中に浮かび上がる喪失感と不甲斐なさから、肉に食い込んでしまうほど拳を握り締めている。

 医者によれば、あとすこし発見が遅れればカルノールは帰らぬ人となっていたのだ。

 死人同然に深く眠る父親を見た時、ウィブルレイは安堵よりもまた家族を失うのではないかという、底知れない恐怖に襲われた。


「……あいつらだ」


 ウィブルレイの口から漏れでた言葉には、醜い憎悪と敵意が含まれていた。


「これはノルマント商会の仕業に違いねぇ!」

「ノルマント?」


  緋色の耳を掠めた単語に、疑問符を浮かべると、振り返らずに嫌悪から両拳を握り締めたまま、ウィブルレイは口を動かす。


「……昔からウチを目の敵にする、商売敵です」


 奴隷商の世界において、名を轟かせる二つの商会がある。

 それがトリス商会とノルマント商会の二大派閥だ。

 一代で誰も知らぬものは居ない大商会へと成り上がり富を築いた、稀代の商人カルノールのトリス商会。

 対してノルマント商会は、何代も続く奴隷商世界の古参だ。

 昔からその道において引けを取る事を知らなかったノルマント商会は、急に現れ自身を食らう勢いで成長をするトリス商会はまさに目の上のたんこぶであり、邪魔な存在であった。


「あいつら、親父の営業許可証を奪う為に事故を装ったんだ!」


 奴隷界に名高きノルマント商会も、トリス商会同様に法の改正と取締で職を失った商人の一族だ。

 そして汚職や不正を繰り返していた事が、エスティアの情報捜査で白日の元に晒され。

 援助金を受けられないだけでなく、このアルスティア皇国で二度と商売が出来ないように、ブラックリストに載せられてしまった。

 ならば、とそんなノルマント商会の当主はある事を考えていた。

 アルスティアで商売が出来ぬのなら、別の国へ行けばいいと。


「落ち着けウィブルレイ。答えを出すには早すぎるんじゃねぇか。まだそのノルマント商会とやらが犯人だと決まった訳じゃないだろう?」

「でもそれ以外に考えられない! タイミングが良すぎる上に、何より営業許可証が消えてるんですよ!?」


 今日はカルノールが、新しい個人事業を立ち上げその許可証を授与される日。

 その許可証を奪い取って、高飛びすれば別の国で直ぐに商売を始められると考えたノルマント商会が、今回の事件を起こしたのだと、ウィブルレイはそう決め付けるように語調を強く荒らげる。


「クソ! やっぱり俺が付いて行ってれば……」

「そう卑下するなよ。起きた事をいつまでも悔やんだって仕方ない」

「そう、ですね……」


 俯くウィブルレイに励ますように言葉を投げかけるが、差し込んだ影が顔から消える事はない。

 父の傍について、動く気配がないウィブルレイを気にかけつつも、室内にあった時計を見てみれば七時を回っていた。

 いい加減帰らなければ、先に帰ったシャロン達が心配を始める頃合だろう。

 最後に一言だけ伝えようと、肩を叩こうと腕を伸ばしたが、悲痛に苛まれるウィブルレイの顔を見て、何も言わずに黙って病室から退室した。


 *


 家に着くと、緋色の遅い帰りに心配になっていたシャロンが目に涙を浮かばせ泣き付いてくるという出来事があったものの、何とか落ち着かせ事なきを得た。

 エスティアは執務があるというので、帰ってからは姿を見ていない。

 部屋にこもって、書類を捌いていることだろう。

 特にこれといって家ですることの無い緋色は、現在浴室にて湯船に身を沈めていた。


『気になるのか?』


 ガラス張りになった壁の向こうに見える月を眺めていると、首に掛けた指輪から声が語りかけてくる。

 ラグナロクが言っているのは、ウィブルレイの事だろう。

 一言「ああ」と短く答え、大理石の天井を見上げた。


「一度、頂点から身を落として、漸く商売に復帰出来るって時に親は意識不明なったんだ。ウィブルレイの奴は相当に滅入ってるだろうよ。気にするなって方が難しい」


 弟を助け、礼に招かれた屋敷でそれなりに親しくなったウィブルレイ。

 友人……と呼ぶには少し馴れ馴れしいかもしれないが、それでもたまたま助けた他人という間柄以上には、親しくなった相手だ。

 ましてや病室での昏い顔を見てしまっては、放って置けない。


『なら、どうするんだ?』


 問いかけるラグナロクに、愚問とばかりにすぐ答えた。


「幸いにも俺には力がある。敵を寄せ付けないだけの、頼りになる相棒がな。なら危険を承知で色々と調べてみるさ」

『ふ、そうか』


 緋色の言葉を嬉しく思い、ラグナロクの声音は僅かに弾む。

 しかし、『だが』とラグナロクは付け加えた。


相棒バディ、今の君は貴族だということを忘れるな。それを理解した上で、行動に出ると言うなら、一つ一つ慎重になる必要があるぞ』

「……! そうか、そうだったな。分かった……」


 貴族である以上、下手な動きはエスティア達に多大な迷惑をかける事になる。

 それは今回に限った話ではなく、オーレリアの長男となった今では、緋色は行動一つ言動一つに注意しなければならない。

 何もプライベートまでそうしろという訳ではないが、行動を起こす前に自身の立場というもの、今一度理解する必要があるのだ。

 ラグナロクに言われ、自然と身が引き締まった。


「さしあたって、一番事情に詳しそうな姉さんにでも聞いてみるか」


 もはや浴場と言ってもいいぐらいの、広い浴室に声が響き渡る。

 綺麗な湯に浸かり、今はとにかく今日一日の疲れを癒すことにしよう。

 バシャッと、頭まで湯に沈め全身で温もりを受け止る。

 前世の秘湯も斯くやとばかりに、とても素晴らしい風呂を出たのは、数十分後の逆上せる一歩手前だった。


「トリス商会?」


 風呂から出て、新調したばかりのラフな部屋着に着替え、エスティアの自室に行くと丁度仕事が終わった頃だった。


「貴方からその名前を聞くとは思わなかったわ。そう、何か一つありそうね」


 うっ、とやたら勘の鋭い姉に変な汗が流れる。

 警察に呼び止められた時、やましい事などないが変に緊張してしまうことがあるが、緋色の心境はまさにそれだった。

 エスティアの浮かべる笑みが、緋色を見据える瞳が、全てを見透かしたように感じる。

 だが、ここで目を逸らしたら負けだ。

 なにがとは言えないが、緋色の中では負けなのである。

 じっと、二人で互いを見つめ合っている時だ。

 ニコリ。エスティアが満面の笑みを浮かべ、緋色は嫌な予感がした。


「そう言えば、今日帰りが遅かったそうね。シャロン達には六時には帰ると言っていたそうだけど、もしかして私の弟は人との約束を簡単に破るような子なのかしらぁ? お姉ちゃん悲しいわ。これは教育が必要ですわね」

「ごめんなさい事情をお話しますので勘弁してください!」


 笑みに隠された迫力に負け、光の速さで白旗をあげる。

 エスティアの口から出た「教育」というのも、何がどういう教育なのか分からないし怖い。というか、絶対ロクなものではない。

 結局、目の前の姉は誤魔化せないと悟った緋色は、ゆっくりと一から今回の件を話し始めた。


「そう、カルノールがね……。事情は分かりましてよ。それで、ヒイロはどうしたいのかしら?」

「どうも何も、もしかしたら殺人事件なのかもしれないだろ。ウィブルレイの言ってる事が本当なら、ノルマント商会はかなりトリス商会を恨んでる筈だ」

「だから裏を探って欲しい、と」


 コクっと首を縦に降る。

 もしこれでウィブルレイの言う通りに、ノルマント商会が事故を装いカルノールを襲ったのなら、証拠を掴んでアルスティアの警備隊に突き出そうと考えていた。

 今日授与された営業許可証も、恐らくノルマント商会の手の内だ。

 それも何とかして、奪還出来れば御の字ではあるが、まだそこまでの算段が付いていない。


「無理でしてよ」


 エスティアから返ってきたのは、協力は不可という結論だった。

 分かっていたことではある。

 エスティアは軍人を束ねる元帥の座に居るだけでなく、オーレリア家の現当主でもあるのだ。

 おいそれと簡単に動く事は出来ない。

 彼女が動くとなれば、それだけで燃え広がるが如く情報が拡散されてしまい、大事になるのは避けられなくなる。

 仕方ないと割り切り、一言わかったとだけ告げて、部屋をあとにしようとした時。


「お待ちなさいな」

「……?」

「確かにオーレリア家の当主としてや元帥として動く事は無理よ。けれど、だからといって可愛い弟の頼みを無下にする姉が何処にいるというのかしら」

「えっと、つまり?」

「ふふ、安心なさいな。少しの手助けとして、ヒントとお供の一人くらいはあげますわ」


 凄みのある笑みではなく、純粋に弟を思いやる優しい微笑みで緋色を見ると、二人の会話の邪魔にならないよう外に待機していたエリスを呼ぶ。

 エスティアの言うことが余り理解出来ない緋色は、首を傾げとにかく待つことにした。


「クロエを此処に呼んでもらえるかしら」

「かしこまりました」


 軽くお辞儀をしたエリスが、再び部屋を出る。

 エスティアが豪華というよりかは、機能性を重視した椅子の背もたれに背中を預け、話しの続きを始める。

 凛とした透き通る声は、集中せずとも緋色の耳にスっと入り込んできた。


「さて、ヒントを与えましょうか」

「ああ」

「数週間程前、書類整理をしてた時にある事が気になって調べ物をしていたの」

「調べ物?」

「ええ。トリス商会とノルマント商会の二大商会の事よ」


 数週間前といえば、緋色がまだこちらに転移しておらず、日本の実家でニート真っ最中だった頃だ。

 トリス商会は援助金の期限が今年で打ち切りで、その書類を纏めていると、トリス商会の近況報告書に何やらノルマント商会が怪しい動きをしている事が書かれていた。

 その頃からエスティアはある異変を、二つの商会から感じていた。


「ヒイロはノルマント商会が今回の件を起こしたと、そう仰っているけれど。私の知るノルマント商会なら絶対にそんな事はしないわ」

「……その理由は?」


 断言する口振りに、眉をピクリと動かす。


「ノルマント商会の当主にあったことがありますの。ノイマン・ノルマント、彼は裏で色々と法に触れる行いをしてきたのだけれど、その実本人は物凄く臆病。故にこそ行動を起こす時は、結果が十割成功する時のみ」


 ノイマンという男は様々な不正を行っているが、人一倍臆病であり、計画を緻密に立て必ず自分にとっていい方に転がるという時以外動きを見せない。

 それにより、昔のエスティアはこの男を捕まえる事が出来ずに手をこまねいていた。

 だからこそ、この男一人のために奴隷制を廃し、アルスティアに居られぬ状況を作った

 元帥になりそれなりの時間を経た今ならば、捕まえようと思えば、それこそ軍や諸々を使い獄中に送る事は容易だったろう。

 しかし、近頃は緋色の事や神器霊装アストラル保有国となったことによって、書類作業等で回す手がなかった。


「そんな男がもし殺人を企てていたなら、今頃カルノールは生きていないでしょう。けれど、その実彼は生きている」

「姉さんは、別の誰かの仕業だと?」

「可能性の話でしてよ。トリス商会は評判もよく、恨みを持っているのはノルマント商会ぐらいなもの。行動を起こすとしたらノルマントと考えるのは妥当でしょうね」

「じゃあ……」

「けれど、ノルマントが起こすには今回の件は稚拙に過ぎますわ」


 いまいちエスティアの言うことに要領を得ない。

 仕掛けるとしたらノルマントだが、当主を知っているエスティアからすればその可能性は低い。

 緋色の頭は悪い方ではないが、軍人として指揮棒を振るい明確な頭脳を持つエスティアには遠く及ばない。

 自分が幾ら思考に耽けようとも分からないと判断した緋色は、結論を大人しく待った。


「考えられる事はそう多くなくってよ」

「犯人はノルマントとは別の何か?」

「ええ。もしくは裏でノルマントを操れる第三者くろまくがいる」


 示唆された可能性に、僅かに息を呑む。

 エスティアの言うことが当たっていたのなら、ノルマント商会という大組織を動かせるだけの力を持った誰かが居るということになる。

 それに関わるのは、予想以上に危険が伴う事だ。

 ひいては連鎖的にオーレリア家に被害が出るかもしれない。

 緋色はもしかしなくとも、面倒な事に首も突っ込んでしまったな、と顔を曇らせた。


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極星の神器霊装《アストラル》 桃原悠璃 @ryuu04

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