路地裏の少年達 IV

 

「使用人がやけに少ないな」


 出された茶を飲みながら、ウィブルレイの部屋に行くまでに思ったことを呟いた。

 トリスの家は敷地面積が大きく、比例して屋敷自体の大きも馬鹿にならない。

 下手をすれば、子爵階級の貴族が持つ屋敷より大きい。

 ともすれば炊事洗濯等の雑務をこなす為に、屋敷の広さに見合った使用人が何十人居ても不思議では無く、むしろ居なければ違和感を感じてしまう。

 だが、部屋を案内されている時にすれ違った使用人の数は一人二人。

 緋色が見た合計では十人にも満たない数であった。

 まさか、そんな少数で屋敷を回している訳などないだろう。

 出来なくもないが、屋敷がデカいのでそれでは一人一人に掛かる負担が尋常なものでは無いはずだ。

 故に気になった緋色は話題提供の意味も含め、一言切り出した。


「はは、やっぱり違和感を感じますか」

「ああ……」


 緋色の言葉に、苦虫を潰したような引き攣った笑みをウィブルレイは浮かべる。

 それだけで、なにか事情があるだと分かる程度には、緋色の洞察力は優れていた。


「……実はお恥ずかしながら、俺らトリス家は失業中でして、金がないんです。ですから、使用人を雇う事も出来ません」


 顔に陰りが落ちる。

 商売が全てである商人にとって、商いのすべを失う事は、路頭に迷うだけに留まらず人生を大きく左右する出来事だ。

 さらに屋敷の構えから分かる通り、トリス家は大商人と言っても差し支えない。

 それがある日を境に職業を失ってしまった。

 今日の食い扶持に困るのならまだマシだ。

 最悪の場合はトリス家そのものが没落しかねない。

 そんな状況下では、僅かな金を消費する事は避けたいのだ。


「なるほどな、大体察した。だが疑問なんだが、トリス家は相当な大物商人と見えるぞ。なんだって失業を?」


 人は失敗をする生き物だ。

 貴族であろうと商人であろうとそれは変わらない。

 商会をここまで大きくしてきたトリス家当主も、相当な失敗を重ねてきた事だろう。

 だからこそ、緋色には解せない。

 失敗を積み重ね、果てに成功を掴み商会をここまで大きくしてきたトリス家の主人が、いきなり家の存続が危うくなる程の失敗をするのか?


「それは……」


 言葉に出してから、緋色は失敗したと顔を顰めた。

 緋色からすれば、単純な疑問をぶつけたに過ぎないが、相手からすればいなやな話を強要されているように思えてしまう。

 そもそも他人の家庭事情を根掘り葉掘り深く聞くこと自体、失礼なのだ。

 勿論貴族としては叱責ものの行為である。

 ここに姉さんが居なくてよかったと安堵し、二度と同じ失敗をしないように自分に言い聞かせた。


「悪い。嫌な事を聞いたな」

「いえ、そういう訳ではないです。ただ……」

「……?」


 言葉を濁らせ、ウィブルレイは緋色の顔を伺っている。

 どうしたのか、と疑問を浮かべながらウィブルレイの顔をじっと見返していると、意を決し口を開き始めた。


「そうですね、話しましょう。……でもその前に、ヒイロ様はウチがどう言った商売をしていたかご存知ですか?」

「悪いが、知らない」

「そうですか。えっと、一口で済ますと、奴隷商でした」


 ピクリ、と僅かに眉がつり上がった。

 奴隷と聞いて良いイメージが湧かなかったからだ。

 緋色がまず想像したのは、人権を奪われ非道徳的で圧政され、家畜と同等に扱われる人々だった。

 緋色の顔が悪い方向に変わっていくのを感じたウィブルレイは、すぐさま訂正を入れる。


「奴隷制の無い他国の人達によく勘違いされがちですが、奴隷と言っても使用人と変わりありませんよ」

「ほう、そうなのか?」

「ええ。奴隷を買った以上、衣食住の提供は当たり前で、虐待や殺傷などの非人道的行いをすれば法で罰せられます。最悪の場合死罪などもありますから」


 アルスティア皇国における奴隷とは、嘗て地球に存在したローマ帝国のそれと異なり、過酷な労働や人権の剥奪などは無い。

 ウィブルレイの申した通り、屋敷で働くメイドや執事と似たような位置におり、違う点は使用人として使われる事の他、戦闘や商売と言った幅広い範囲での労働を任されるという所だろう。

 あとは雇われているのではなく、あくまでも奴隷として買われている為、彼等の衣食住は主人が提供しなければならない。

 一見してメリットしかないようにも思えるが、デメリットも勿論存在する。

 例えば、幾ら働こうが給料は出なかったり、主人の命令には絶対服従であり逆らう事が出来ない。

 時にはそれを利用して、死ぬまで働かせ続ける悪どい者もいるが、そんな時こそ彼等を法が守る。

 加えて奴隷を買うと、虐待等が行われていないかを確認する視察官が定期的に見に来るのだ。

 一重に奴隷と言っても、実態は緋色の想像とは異なるものだった。


「まあ、そういうわけで。ウチは奴隷商としてそれなりに大成したんですが……。三年前です、アルスティアで奴隷制が廃止にされました」

「なるほど、だから没落して言ったと」

「はい」


 トリス家が天から地へ落ちた理由、それは突然の奴隷制の廃止だった。

 商売の失敗でなく、そもそも取り扱う商品が、奴隷商人という職業がいきなり失われたのだ。

 一夜にして大商人から無職へと変わり果ててしまい、当時は大いに混乱したことだろう。


「でもなんで、俺の顔を伺っていた?」


 トリス家が落ちた理由は分かった。

 だが、緋色の顔色を見ていた理由は分からない。

 まるで言うべきか否か迷っている様子だった、もしかしたらオーレリア家が関わっているのかもしれない。


「えっと、その……奴隷制を廃止にしたのがエスティア様なので……」

「ああ……なるほど」


 オーレリア家の貴紋章を身に付けている緋色の前では、確かに言い辛いことだろう。

 近年においての奴隷の必要性と、やはりいくら法によって守られているとはいえ、虐待行為や倫理観を無視した主人が完全に居なくなる訳では無いという理由から、エスティアはこの国における奴隷制を廃止にした。

 奴隷制度だけではない、エスティアは他にもこの国における法を現アルスティア王と共同で、大幅な改正を行った。

 それにより商人や何人もの貴族がダメージを受け、没落や失業をして言った。

 トリス家もまた、法の改正により失業した家の一つである。

 自身の身内がした行いで、苦汁をなめる思いで生活しているトリス家に、どういう顔をすればいいのかわからずただ顰めた。


「ああでも、恨んではいませんよ」


 どういう事か、語るウィブルレイの顔には暗い感情は無い。


「父が職を失った後、三年という期間だけ生活費をオーレリア家が援助してくれていますから」

「オーレリア家が?」

「はい」


 法の改正後、エスティアはいくつもの失業者が出ると見込んで、後暗い経歴を持たない者にのみ三年間の援助金を送る契約をしていた。

 この三年の期間は、新たな職に就く期限でもあり、期間のあいだに失業者達は新たな職へ進み立ち直っている。

 だが唯一トリス家は商人をやめず、新たな商売方法を見つける為に奔走している身であった。


「話は分かった。それで、トリス家はどう言った商売をするつもりだ?」

「ふっふっふ、聞いてくださいよ。それがね──」


 援助金打ち切りの期限は今年の冬まで、刻一刻と迫る時間に今後はどうするのか、何となく聞いてみると、まってましたと言わんばかりに得意気に胸を張って、口を開き始める。

 ウィブルレイの話を聞き終え、緋色は確かにそれなら、と彼の言葉に納得した。


「人材派遣か」


 ウィブルレイの言った新たな商売の形。

 それは、女中や庭師として屋敷に残った元奴隷達を、依頼を受けて貸し出すと言ったものだった。

 人材派遣と呼ばれるこの商法は、地球に居た頃も様々な会社が行っていた商法だ。

 こと人の扱いに慣れている元奴隷商人ならば、成功する事間違いなしだろう。


「だけどジルボの奴ら、何処で嗅ぎつけたか知らないが、うちの商売の邪魔をしようと企んでるらしいんで、安心は出来ないんですけどね」


 はは、とウィブルレイは軽く笑う。


「あ、そうだ! 俺もヒイロ様に質問があるんですが……」


 手をポンと叩き、特徴的なつり目を緋色に向ける。


「なんだ?」

「ヒイロ様って、オーレリア家の貴紋章を持ってますが、どんな繋がりがあるんですか?」


 ああ、と質問の内容に納得をした。

 オーレリア家の家族構成は、長女が一人に次女が一人、両親は他界している状態だ。

 その情報はほかの貴族だけでなく、周囲の情報に敏感な商人ならば誰でも知っている。

 長男が居ないはずのオーレリア家に、基本身内にだけ持つことが許される貴紋章を緋色が持っていれば、疑問も抱くのは当然と言えた。


「弟だ。エスティア・オーレリアは俺の姉だ」

「お、弟? 弟って……ええ!? 」

「そんなに驚く事か? 貴紋章を持っている時点で何となく分かってただろ」

「いえ、てっきり親戚なのかなぁぐらいにしか……。で、でもそう言えばオーレリア家には長男が居ないはずじゃ……」


 当たり前の返し、だがエスティアはこんな事もあろうかと、緋色に取っておきの言い訳を用意していた。


「家庭の事情だ」

「……そう、ですか」


 一言そう言われてしまえば、もう質問する事は出来ない。

 複雑な貴族事情に、下手に突っ込んで痛い目にあいたくないという、父から受け継いだ商人としての直感が働いたのだ。

 ウィブルレイの様子を見て、今度何かあった時はこれを乱用しようと緋色は心に決めた。


「じゃあ、俺はそろそろ帰る」

「はい。今日はありがとうございました」

「ああ、また何かあったらオーレリア家を訪ねてこいよ」

「そんな恐れ多い。お気持ちだけで十分です」


 ウィブルレイはヤンチャな見た目とは裏腹に、礼儀正しく身分の差を理解し一歩引いた物腰で対応していた。

 会話の内容も商人らしく、相手を飽きさせない実に楽しいものだ。

 短時間ではあるが、暇な時間でも出来れば、また遊びに行こうと思える程には緋色とウィブルレイは仲が縮んだ。

 時刻も夕暮れ、しばし雑談を交わしたあと、互いに笑い合いソファから立ち上がって、帰ろうとした時……。


「大変ですレイ様! お父上が──!」


 血相を変えて、一人の女中が部屋に飛び込んできた。

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