路地裏の少年達 Ⅲ

「クソ! 返せよ!」


 薄暗い路地裏、幾らか清掃されていて汚くは無いものの、やはり表と比べると清潔感が皆無な暗い通り。

 そんな場所に無理矢理連れてこられた、二人の子供の内の一人が、下衆みた笑みを浮かべる男に怒鳴っている。

 男の手には青く光る腕輪が握られている。


「それはテメェらクズが触っていいもんじゃねえ!」


 齢にして十三の子供が、目を釣り上げ殴り掛かるが、男の取り巻きに押さえつけられてしまう。

 地に這い蹲らされようと、吠えることを止めず、一層強い口調で罵る。


「ははは! 散々威張り散らしてたトリス商会のお坊っちゃん様が、ざまぁねぇな!」

「グッ!?」

「兄さん!」


 押さえ付けられた少年の腹目掛け、男が勢い良く蹴りを入れた。

 内蔵を襲う衝撃と痛みに、嘔吐感が湧き上がるが、歯を食いしばり耐える。

 傍らにいたもう一人の少年が、兄の側に駆け寄ろうとすると、腕輪を持った男に再度蹴られた。

 見れば弟の姿は兄に比べ既にボロボロで、ここに連れ出される以前から彼等に暴力を振るわれていたのが分かる。

 兄と比べ体の強くない弟は、耐えることが出来ずに倒れた。


「健気だねぇ、自分より兄さんの心配か? 」


 ニタニタと笑い倒れ伏した弟を殴り、蹴り飛ばし、馬乗りになる。

 血が出でもお構いなく、男は止める気配が無い。

 周りの男達も娯楽のように楽しそうに笑い、間に入る事はせずに野次を飛ばしている。


「クライフ!? クソッ離せ、ジルボテメェ! クライフに手を出してんじゃねぇぞ!」


 男達の拘束から抜け出ようと、必死に身を捩り力一杯に暴れるが、子供と大人では力の差は歴然。

 未発達な体では、大人二人の腕を振り解く事は出来ない。

 ジルボと呼ばれた男がとどめの拳を振り上げ、下ろそうとした時、腕がクライフに届く事は無かった。


「子供相手にマジになってんなよ」


 聞き覚えのない声に、全員がそこに視線を向けた。

 ジルボの背後にいつの間にか立ち、振り上げられた腕を掴んでいる赤が混ざった黒髪の青年。

 服装からして貴族であろう青年は、美しい宝石の如き真紅の双眸で、ジルボを見下ろしている。

 厄介な所を貴族に見られ、ジルボは内心で舌打ちをした。


「これはこれは貴族サマ、このような薄汚い場所に何の御用で?」


 立ち上がって、おちゃらけた風に緋色へ問いかける。


「お前らが子供連れ去るのを目撃してな、急いで見に来たんだが……。まさか子供二人相手に、大人が三人がかりでプロレスかましてるとはな」

「ぷろ……? 何のことか分かりませんがね旦那。今俺らは仲良く遊んでた所なんですよ。だから、貴族の坊っちゃんは気にせず、お帰りになってくださいませんかねぇ」


 脅す様な空気を身にまとい、邪魔せずとっとと失せろ、と言外に伝えてくる。

 だが、緋色が声を出し問いかけるよりも先に、押さえ付けられた少年が声を張り上げ叫んだ。


「助けてくれ! なあ頼むよアンタ! 俺の事はいいから、せめて弟を助けてくれ!」


 声を震わせ、すぐ近くに転がっている血塗れのもう一人の少年を助けてくれと叫ぶ。

 それを見た緋色は、全てを察したかのように、分かったと一言呟いた。


「チッ、大人しく帰りゃあいいのによ。面倒を増やすんじゃねぇぇよ!」


 男が舌打ちをすると、いきなり緋色を狙い腕を振り抜いた。

 迫り来る腕は、武術の心得もなければ戦場で磨かれた戦士のものでもない、ただのゴロツキの一撃。

 これがゴロツキ同様一般人だったのならそれで十分なのだろうが、生憎とVRMMORPGゲームとはいえ緋色は戦場を知る人間だ。

 加えて神器の恩恵により身体性能は、人外の領域に達しているのだ。

 鋭敏な獣の一撃すら避けられる緋色に、男が放った拳など当たる訳もなく──。


「な……!? かはっ……」


 自身の一撃を躱されたジルボは、声を上げる間も無く、腹に重い拳打カウンターをくらい意識を飛ばした。

 崩れ落ちるジルボを見下ろしながら、右手首をコキコキとならす。


「て、てめぇ!」

「待て……!」


 仲間が呆気なく倒された憤りから、ろくな手入れもされていない髭を伸ばした男が、緋色に襲いかかろうとするが、それを止めたのは横にいる細身の男だった。

 肩を掴まれて動きを止められた髭の男は、しかし仲間の言葉を振り払おうとする。


「待てと言っているだろ!」

「んだよ! アア!?」

「アイツに手を出すのは不味い、あれを見ろ!」


 必死の形相で細身の男が顎で指したのは、緋色の胸元にあるループタイだった。

 ループタイにはオーレリア家を示す、剣を携え旗を掲げた聖女が刻印されている。

 貴族の家紋が記された物を身につけているという事は、その者が家紋の記された貴族と深く関わりのある者だという証だ。

 それは貴紋章と呼ばれ。

 基本的には血縁関係のある身内に持たせるものであり、自分はその家の貴族の者であると証明する、所謂身分証に近しい役割を持つ。

 故にオーレリア家の貴紋章を持つ緋色と敵対する事は、即ち公爵貴族のオーレリア家と敵対すると同義なのだ。

 アルスティアでも王族などを抜けば、右に出る者なき権力を持つオーレリア家と事を構えれば、どうなるかなど言わずとも知れたことだろう。

 緋色のループタイを視界に入れた途端、髭の男の顔色がみるみるうちに真っ青なものに変わっていく。


「……まだ、やるか?」


 目を細め、男達を睨みつける緋色。

 彼の目は、これ以上続けるなら容赦はしない、と言葉を表さず物語っていた。


「い、いえ。その、俺らはただコイツらと遊んでただけです。貴族の旦那が心配をするほどの事じゃねぇでさぁ」


 目に見えて敵愾心がへし折れた細身の男は、へつらうように言葉を紡ぐ。

 髭の男は誰を相手にしていたかを理解し、とうとう顔は土気色になってしまった。

 一瞬にして男達を無力化したオーレリア家の力に、緋色は流石だな、と改めて自身の家がどれ程の影響力や力を持つか再認識させられた。


「で、では俺らはここら辺で……」


 男達が気絶した仲間の肩を持って連れ去り、この場から見えなくなったあと、緋色は急いで傷だらけの少年達に駆け寄った。


 *


 商業地区の外れ、その辺りは商業地区と比べると疎らにしか店はなく、人の活気も少ない。

 かと言って人が居ない訳でもなく、適度に穏やかで物静かな場所であり、ポツポツと小さな建物が並び合っていた。

 だが奥へ進むと、質素な空間に不釣り合いな大きな洋館がドンと居を構えている。

 嘗てある路線で大成し、その道において知らぬ物が居なかったトリス商会の屋敷であった。


「ありがとうございます。ヒイロ様」


 金髪の若い少年が、緋色に礼儀正しく頭を下げる。

 彼はウィブルレイ・トリス、男達に押さえつけられ、弟のクライフ・トリスを目の前で嬲られ続けていたトリス家の長男だ。

 あの後、緋色の協力を経てクライフを屋敷まで背負い、急いで応急処置を施し医者に容態を見せていた。


「ああ。なんてことはない。それより、弟はどうだ?」

「出来ることはしました、今は部屋で寝てます」

「そうか……」


 命に別状が無いのは見て取れたが、緋色が運び込んだ時には相当な量の血が流れていた。

 怪我も酷く、足も折れている状態であり、急いで医者を呼んだ。

 そして診断が終わったのはつい今しがた。

 部屋から出てきたウィブルレイの様子を見れば、一応は大丈夫そうだ。

 緋色はホッと安堵する。


「ヒイロ様、俺の部屋に来てください。大したものは出せませんが、お礼にお茶の一つでも出させてください」

「いや、そこまでしなくていい。見て見ぬふりが出来なかっただけの話だ」

「それでも弟共々助けられた事に変わりはありませんし、ヒイロ様はこれを取り返してくれましたからね」


 そう言って、青く光る宝石が嵌められた腕輪を大事そうに握り締めた。

 ウィブルレイにとって、手に持つ腕輪はとても大事なものなのだろう。

 斯く言う緋色も祖父の形見である、勇ましい剣と雄々しい龍の掘られた結晶の首飾りは何物にも変え難い大事な物だ。

 ちらっと、服に隠れた首飾りを視界に入れ。

 ウィブルレイの腕輪もそれと同じなのだと、緋色は何となく理解した。


「それに何もせずに恩人を返してしまうと、トリス家の恥だと叱られちまいます」

「……そこまで言うなら、お茶をご馳走になるよ」


 礼を断る方が失礼に値すると判断した緋色は、黒髪を揺らし首を縦に振った。

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