路地裏の少年達 Ⅱ
東商業地区に敷かれた太く長い、アルスティアの中心広場に繋がる大通り。
路肩には色とりどりの店があり、飲食店から雑貨屋などのありふれた物から、武器や鍛冶屋などの前時代的な店まで。
そして店同様に様々な人種が行き交う、アルスティアでも盛んな場所の一つであり、外からの観光客にも人気のある通りがここだ。
「疲れましたねお兄様」
「そうだな。……俺の場合は、お前を止めることにだが……」
疲れきり白いテーブル突っ伏し、息を吐き出す。
緋色の顔を見れば、何処と無く窶れているように見える。
あの後ミレニアの中で、緋色は何度もシャロンと粘り強く話し合い、数十着買おうとしていた服の山を十着近くに抑えることに成功した。
相当な気力を使い果たして尚、比較的にも多い量の服を買う事となったが、もうそんな事は気にしない。
問題はそこではなく、服を買った後だった。
何とか服を買いミレニアを出た後も店を転々としていたが、シャロンが行く先々で非常識な量、もしくは値段の品を買おうとしたのだ。
貴族にとっては当たり前であっても、緋色からすれば異常であり。
毎回毎回こんな庶民的矮小心臓ハートに悪いものばかり買われてはたまらない、と緋色は危惧し。
シャロンの買い物の仕方に横から口を出し、緋色が必要とする水準のまで品の値段や量を落として、シャロンを説得し妥協させた。あとはその繰り返しだ。
精も根も尽き果て当然と言えよう。
「お兄様は何にしますか?」
ん? と顔を上げてみれば、緋色とノキアの座るテーブルの横にウェイターらしき女性が立っている。
三人は現在、通りに面している小洒落た喫茶店で一息ついてた。
シャロンと緋色はテラス席で過ぎ行く人の流れを待ていた。
ノキアは緋色の傍らに立ち、疲労困憊を見せる緋色を団扇で扇いでいる。
因みに買い込んだ荷物は馬車に置いて、手に持てない大きな荷物は直接オーレリア邸に輸送してもらっている。
「ありがとう。……読めない」
シャロンに渡されたメニューを開くが、記された字を読む事が出来なかった。
ラグナロクの力によって、異世界の言葉を日本語として認識出来るようにはなったが、文字までは変換されない。
緋色からすれば、見開きのページに中二病心をくすぐる古代文字に似た物が羅列されているだけ。
辛うじて、横にあるアラビア数字に近しい文字が、料理の値段なのだと分かる程度。
メニューを開いたまま固まりジッと睨んでいると、側に控えていたノキアが身を乗り出して説明を始めた。
「失礼致します。ヒイロ様、こちらがランチのセットとなっているようです。お疲れの様でしたらこちらがよろしいかと」
「じゃあそれで頼む」
当てずっぽうで頼んだり、適当にオススメを頼んで変な物が出てきてしまうよりは、字も読めて緋色にあった料理を選んでくれるノキアに任せた方がいいだろう。
シャロンは既に注文し終えていたようで、緋色が注文をするとウェイターはすぐに店の奥に行ってしまった。
ノキアはメイドが仕えている者と一緒に食事をするのは論外との事で、何も頼まずその場に控えている。
「そう言えば、お兄様は来年度にエルフィア魔術学院に入学なさるとお聞きましたが?」
「らしいな」
「惜しいですね……。来年でなく、二年後ならお兄様と同学年になれましたのに」
実に口惜しそうに呟くシャロンは現在十四歳であり、エルフィア魔術学院の姉妹校の中等部二年生だ。
エスティアの意向から、高等部に上がる際はエルフィア魔術学院に入る事が決まっており、緋色の予定があと一年ズレていれば彼女とは同学年となっていた。
妹と同学年の兄……。
双子や年子であるならばまだしも、それ以外の外聞だと悪い風にしか聞こえない。
まるで何年も留年しているようではないか。
そこまで考えて、頭を横に振る。
(そもそも、十八で高校一年をもう一度やることになるんだ。その時点で外聞も何もねぇか)
十八歳の高校生という、他人が聞けば一癖も二癖もありそうな、決してお近付きにはなりたくない人種の人間になってしまうのだ。
我ながら難儀かもしれない、と先の不安に憂いた。
因みに年齢の話でいうならば、エスティアは十九歳であり、まだ二十歳に到達していない。
大人びた言動と態度、そして美麗な外見から上に見られがちだが、まだ十代なのだ。
彼女が元帥になったのは、弱冠十二の時。
その当時はあまりに異例な最年少元帥の誕生に、アルスティア以外の国も騒ぎ立てた程だ。
「はぁ、この一年は忙しくなりそうだな……」
一年間。
この数字は、緋色がエルフィアに入学するにあたって、貴族として身に付けなくてはいけない最低限の基礎教育と作法を覚える期間だ。
本来なら成長と共に長い月日をかけて、徐々に身につけるべきものを、緋色は僅か一年という短いスパンで覚えなくてはいけない。
相当に大変なものになる事は、緋色でも理解出来てしまい、疲れの色が孕んだ溜息が漏れた。
「シャロン様だ!」
ふと、横から幼い声が聞こえた。
発生源に顔を向けてみれば、まだ小枝のように弱く幼い細腕を母に引かれる少女が、シャロンに向けて手を振っている。
親子で買い物だろうか、微笑ましい光景にシャロンは口元を緩め手を振り返した。
「知り合いか?」
「いえ。知りません」
緋色の問いに、否定で答える。
知り合いでもない人物に手を振っている、そのような不可思議な行為なのだ、答えは限られてくる。
「私達オーレリア家は何かと有名ですから」
やはりか、と案の定エスティアの時と同じだったようで納得する。
シャロンから苦笑い気味に紡がれた言葉には、確かな重みが感じられた。
しかし、エスティアも言っていたが、何故こうも『オーレリア』が有名なのか、肝心な部分を緋色は聞いていない。
この際だ、聞いてみようと声を出そうとした時──。
「お待たせ致しました!」
間の悪いことに、頼んだ料理が運ばれてきた。
テーブルに置かれる料理を前に、遮られた言葉をもう一度シャロンへ言おうとして……やめた。
鮮やかな料理へ目を輝かやかせていた妹に、顔を曇らせてしまうかもしれない質問をするのは、躊躇われた。
またいずれタイミングが合えば、その時にでも質問をすればいい。今は取り敢えず、食事だ。
緋色はナイフとフォークを手に取り、肉を主役とした昼食に手を付けた。
*
「近くで見ると、やはり違うな」
一人、ズボンのポケットに手を突っ込みながら、目の前に鎮座する壮麗な噴水を見上げる。
天使達から畏敬の眼差しを向けられ像。
右腕に黄金の
否──目の前の女神に相応しき都になるようにして、このアルスティアは形をより良いものへと造られてきた。
誇りと情愛、勝利と叡智を司る闘争に君臨する女神。
神名を
ここに来る前に、喫茶店でシャロンに教えて貰った知識だ。
喫茶店で食事を済ませた後、緋色はシャロンとノキアに無理を言って一人だけ帰らず広場へ来ていた。
『ウィクトリアか……。まさかあの巫山戯た女神が、首都の守護神として祀られているとはな。いやはや、時代を感じる』
食い入るように
指環から出る声は、雑多の人の声に掻き消され、正確に聞き取れるのは近くにいる緋色だけだった。
そんなラグナロクの口振りからして、アルスティアの守護神を知っていそうだ。
何となく興味が湧いた緋色は、聞いてみることにした。
「知ってるのか?」
『あぁ。私達が創られた、
「もしかして敵だったりしたか?」
『ははは! 面白いことを言うな
魔に属するもの全てもな、語るラグナロクは最後にそう足して締めくくった。
ある一人の魔法使いにより生み出された、ただ世界を殺すだけの兵器。
ただ彼らを作動させるのに、人と言う
『このウィクトリアはな、相棒。神とは名ばかりの我儘娘だったのさ。人はペット、世界は自分の庭、自分以外のすべては玩具だと、本気で思っていた高慢ちきな女だった』
何処か憂いた空気を変えるようにして、ウィクトリアの話に軌道を修正する。
特に言うべきこともない緋色は、女神像の細部に目を向けつつラグナロクの話に耳を傾けた。
『それが何の因果があったのやら、今では大陸有数の首都の守護女神と来た。私達との大戦の後に何があったか、彼女を知る私としては気になるものだ』
ラグナロクがこう言うからには、ウィクトリアとやらは今じゃ考えられないほど、いい神ではなかったのだろう。
ウィクトリアのように、神器を使い世界を滅ぼさんと起きた戦争──大戦を生き残った神が他にもいるかもしれない。
それを探して現代ではどういう扱いなのかを調べるのも、いい暇潰しにはなりそうだ。
「……一度はあってみてーもんだな」
勝利の女神像を最後に一瞥し呟いて、緋色はその場から歩き始めた。
ゆっくりとした足取りで、場を後にする彼の心中は、神霊への好奇心で満たされていた。
……見るものを見た後、帰る前に甘い物でも食べたくなった緋色は、道中露天に立ち寄った。
「うむ、中々に美味いな」
右手には先程の露店で買った、クレープに似た食べ物を持っている。
ホイップクリームとチョコソースをベースに、アイスと言った大量の甘味が包まれた生地を頬張りながら、家路に着く。
オーレリア邸まではまだ遠い、ゆっくりと手に持つ食べ物を味わいながら保を進めていると、視界の端にあるものが映った。
複数の屈強な男達が人目を気にしながら、二人の子供抱え裏路地へと入っていったのだ。
子供二人は必死に抵抗していた。
周りの人がそれに気が付かなったのは、子供に感づかれないように複数人で囲んでいたからであろう。
緋色の角度から、たまたま見えてしまったが。
「……はぁ」
明らかな面倒事の臭いに、眉間に皺を寄せ引きを吐き出した。
このまま無視することも出来るが、もしそれで子供に何かあっては寝覚めが悪い。
何より一度目に入っては、見て見ぬ振りも気分としていいものでは無い。
面倒臭いな、と愚痴りながら残ったクレープ急いで食べ切り、早足で路地裏へと飛び込んだ。
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