路地裏の少年達 Ⅰ
「……これ変じゃないか?」
「そんな事ありません! 似合ってますよお兄様」
ノキアとの模擬戦から一夜明けてのこと、朝というには遅く昼と言うには早い時間。
貴族特有の豪奢な服を着て、気恥ずかしそうにシャロンへ抗議の視線を向ける緋色。
兄の困ったような視線を受け止めながら、シャロンはにこにこと日輪を彷彿とさせる笑みで、褒め称えていた。
「そうか……」
そんなに力強く断言されては、言いたいことがあっても言うことが出来ない。
まぁよい、もともと服には頓着しない質だ。
結構派手な気はするが本気で似合っていると口にする妹のためにも、これ以上の不満は心の中で零すとしよう。
緋色は頬を掻き、改めて自身の格好を見直す。
派手なフリルの付いた如何にもな貴族服では無く、どちらかと言えば紳士服に近い装い。
白いシャツの上に青を基調としたコート、下はシンプルな紺色のズボンを穿き、首にはオーレリア家の家紋である、剣を携え旗を掲げた聖女が印されたループタイを付けている。
緋色からすれば、派手な事この上ないが、これでもまだマシなものを選んだ方つもりだ。
少なくとも、一番最初に着せられそうになった大量のフリルが付いた、最早ドレスと言ってもいいド派手な服よりはいい。
「お父様が使っていた服が、まだ残っていてよかったです。全て処分せずに正解でした」
一瞬。
本の僅かな間だけ、緋色を見つめるシャロンの瞳に哀愁が宿った気がした。
瞬きした次には、いつもの明るいシャロンに戻っていたが、間違いなく今シャロンは緋色を誰かと重ねていた。
(……父親、だろうな……)
確証に至る証拠はないが、確信にも似た直感が働く。
緋色の奥に見据えた父親の影。
聞けば、物心ついて間もない頃に両親を亡くしたのだから、父親の服を着た緋色に父を幻視してしまうのは無理のない事なのだろう。
シャロンからは既に憂いの色は消えていたが、ただなんとなく目の前の妹を直視出来なくて、緋色は空気を変えるため少し声を張って話題を振った。
「で、これから何を買いに行くんだったけか?」
「お兄様の寝具や家具等と、お洋服などの必需品です」
今日はまる一日を使い、緋色の生活に必要となるものを買う予定だった。
この国、と言うよりはこの世界に来てまだ右も左も分からない緋色一人では不安なため、シャロンとノキアの二人が街を案内しつつお供することになっていた。
「服とかはともかく、ベッドとかは今のでいいんだけどな。ぐっすり寝れりゃどれも同じだろ」
「ダメですよぉー。ちゃんと肌にあったのをお使いにならないと、今は大丈夫でも後々体に響く事になりますから」
人差し指を立て、幼い子に教える教師と言った面持ちで言葉を紡ぐ。
だが、緋色の方が身長は大きいため、見上げる形となってしまう。
そんなシャロンが可愛くて、つい頭を撫でてしまった。
しまった、と遅まきに思うがシャロンは嫌がらず、寧ろ嬉しそうに笑っているのを見て、もう少しだけ撫で続ける。
陽の光を閉じ込めたかのような輝く金髪は、一度も引っかかる事無くサラサラと緋色の手を流していく。
枝毛も無ければ傷んだ様子もない髪は、遠目からでも美しいと分かるほど。
ちゃんと丁寧に手入れをしている証拠だった。
頭にある手を髪に沿って優しく流していると、トントンと
緋色が砂金の頭から手を離すと、「あっ」と口惜しい顔をされた。
「失礼します。ヒイロ様、シャロン様、馬車の用意が整いました」
扉を叩き出てきたのは、一人馬車の手配をしてくれていたノキア。
ちょうど緋色の準備も済んだところ、タイミング的にはいい頃合だ。
「じゃあ行くか」
「はい!」
まだまだ屋敷の構造を把握出来ていない緋色は、ノキアを先頭に彼女のあとを追いながら、シャロンと三人で馬車へ向かった。
*
「むー、ダメですね。どれにしようか迷っちゃいます」
東商業地区に位置する、他の建物と比べて一回り大きな店構えをした、有名な服屋。
“ミレニアの天衣服”、と言えばアルスティアでは知らない者がいない程、大手のファッションブランド。
他国にも支店を幾つか持ち、そのパイプラインからこの国には無い様々な服も取り扱っている面白い店である。
ピンキリが集まる店でもあり、下は一般市民から上は貴族まで。
身の丈にあった服装を選べる、国民愛用の服屋に現在緋色達の姿はあった。
「……シャロン」
「こっちも似合いますし、こちらも捨て難いです」
「おーいシャロン」
「いえ、お兄様は黒が似合いますね。では、こちらに……」
「シャロン!」
「ひゃあ! は、はい。なんでしょうお兄様、目にお留まりになった服でもありましたか?」
二度の呼び掛けに気付かないシャロンに、語気を強めて三度呼びかけたところで、ようやくシャロンは兄の声に気付く。
「いやそうじゃなくてな。……それ、全部買うつもりか?」
引き攣った顔で指をさしたのは、荷台に出現した山──もとい、衣類のエベレスト。
堆く積まれたこれ全てが、緋色の服だ。
店に来て早々緋色は試着室に押し込まれ、シャロンの着せ替え人形と化していた。
緋色としては、服は愚か流行りのファッションなんてものには無頓着で興味など無く、えげつなくダサかったり酷いもの以外ならば別段服など何でもいいのだ。
と言うのも、緋色と言う青年の思考回路と行動理念は物臭の一言であり、興味の無いものには徹底して関心を持たない傾向にある。
衣食に関してが、その最たるものだろう。
服は言わずもがな、着ることが出来ればそれでよし。
食は腹に入って空腹を満たせればそれでよし。
勿論人である以上多少の選り好みはするが、自分から見て恥ずかしい格好でないなら、多少の文句はあっても着る事が出来る。
だからこそ服装に関してはシャロンに一任したが、まさか二時間近くも服を取っ替え引っ替えされるとは、誰が予想出来ただろうか。
しかも、試着した服を全て買うとは思わなかった。
流石貴族、根底の価値観が庶民で面倒くさがりの緋色とは大分違うようだ。
「はい、そうですけど?」
「ワァオ、なんと曇りなき眼」
純粋な瞳でコテンと首を傾げられる。
衣服に付けられたタグに目を向ければ、ゼロと思われる数字が大量に並んでいた。
金額を気にしないで買い物が出来る程度には、彼女は貴族なのだと、緋色は再認識した。
だがしかし、そんなに大量に買われても逆に困る。
一日に五回以上も服を着替えなければ、購入した時にこの衣類群は箪笥の奥で埃を被る事になってしまう。それは勿体無い。
ここは一般庶民代表として、緋色が言うべきだろう。
「シャロン。そんなに買っても俺は着ないし、無駄になるだけだ。何より金が勿体無いし、姉さんも怒るんじゃねぇか?」
「……なぜお姉様が?」
「姉さんが、と言うかオーレリア家が金を出すんじゃないのか?」
「ああ、なるほど。いえ今回は私のお小遣いで買う予定ですよ」
今なんといった?
札にゼロが大量に隣合う馬鹿げたあの山を、この娘は自分の小遣いで買うだと?
悠然と言い切るシャロンに、冗談を言った様子は見受けられない。
だとしたら余計に買わせる訳にはいかない。
いくらシャロンが自身の手持ちに余裕があろうと、一応は妹なのだ。
笑うことも出来ない金額を払わせることなど、緋色の男としての僅かなプライドが許さない。
兄としても、ここは一つ忠告せねば。そう決意を固め、口を開いた時──。
「お兄様が長い時を経て、漸く帰って来れたんです。私は覚えていないのですが、それでも妹として今まで頑張ってきたお兄様に、喜ぶか分かりませんが僅かばかりのプレゼントを送りたいんです」
プライドと決意が刹那で砕け散った。
時に純粋な心というのは、他者の心身を容易に打ち砕く。それが良いものであれ悪いものであれ。
兄を思いやりたいと、切に願う妹にどうして口出しなどできようか。
少なくとも緋色には無理そうだった。
「ア、ハイ」
シャロンを前に、もうどうにでもなれと、匙を投げる事しか緋色には出来なかったのだった。
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