公爵家の隠し子 VI
「──ラグナロク」
『おう!』
緋色の呼び声と共に、緋色を中心として赤黒い魔力が暴風を起こしながら彼を包み込む。
ノキアは、皮膚にピリピリと突き刺さる魔力を感じながら、人知れず冷や汗を流す。
緋色から放出される魔力は、明らかに人の持つ物とは一線を画していた。
それはまるで、御伽噺や伝説に出てくる龍の魔力のように、感じずとも見ているだけで心が砕かれそうになる、まさに強者の気質を孕んだ圧。
圧を受けノキアが冷や汗だけで済んでいるのは、まだ魔力という物を緋色が深く理解しておらず、上手く扱えていないからであり。
もしそれを理解し克服したなら、ノキアは……否。ほぼ全ての人間が魔力によって人体に何ならかの異常をきたすだろう。
最悪の場合によっては、魔力に当てられただけで死ぬかもれない。
幼少の頃ノキアは、一度だけ神器の所有者を目にする機会があったが、やはり『
「それが、ヒイロ様の……」
赤黒く鋭利で、空を駆けるための赫々たる両翼は、威風を放つ。
腰から生える尾は長く太く、先端が三叉に別れ一つの天然の凶器と化している。
鎧と呼ぶにはスレンダーで、機動力を重視した造りになっているが、見かけ以上に神器の防御力というのは固い。
胸部には紅い宝玉が埋まっている。
「……じゃあ、始めるか」
手を開け閉めし感覚を確かめた後、緋色はノキアを見据えた。
目の前のノキアは、あらかじめ鎧のような物を着込んでいる。
性別が女性なのを考慮してか、見た目はバトルドレス風だ。
(あれが劣化版神器、“
直前にエスティアから聞かされた、神器霊装を真似て作られたと言う神話の兵器の劣化版。
神器は八割近くが解析出来ていないため、劣化とは言っているが、その実は見た目だけ似ている最早別の兵器だ。性能は神器の一割にも満たない。
その試作品をノキアが使用した上で、今回緋色の相手をする事となる。
「お兄様ぁー! 頑張ってくださーい!」
はつらつとした声を張り上げて、シャロンは声援を送る。
緋色の耳にシャロンの声は入っていたが、目の前の相手に集中するため、言葉を返すことはしなかった。
訪れる一瞬の静寂。吹き抜けるそよ風の音が、大きく感じる。
「──始めなさい」
エスティアの合図と共に、一気に緋色はノキアとの距離を詰めた。
「っ!」
轟! という音と共に、いつの間にか懐に潜り込んだ緋色から放たれる一撃。
それを咄嗟の、半ば反射的にと言ってもいい判断で体を仰け反らせ避け、バックステップで距離を取る。
紙一重の回避。避けるタイミングがコンマ一秒でもズレていたら、間違いなく今の一発だけでダウンしていた。
今のを避けられたのは、長年培ってきた特務部隊の兵士としての感覚故だ。
ノキアはメイドとしてエスティアに雇われる以前は、国の特殊機関に身を置き、戦を常としていた。
今回緋色の相手を務めることになったのも、そういった経緯と経験が豊富だからであり、ノキアの実力は折り紙付きだった。
(速さは私の動体視力でも捉えられない。……けど、気配を察知できる。力は未知数ですが、恐らく重い。なら──)
ノキアが双剣を構え直すと、再び緋色が距離を詰める。
先程の動作よりも少し速いが、見えずとも感じる気配を頼りに、緋色の動きを予測。
緋色はそのまま背後を取り、腕を振り抜き腹部を狙う。
(貰った!)
死角を狙い、回避不可の速度を持って放った拳。
緋色は確信をするが、しかしガキンッと鈍く鋭い音を奏で腕はノキアの脇に逸れる。
迫り来る黒腕の一撃をいなした剣を、そのまま滑らせカウンターへと転じる。
緋色は焦り片方の腕を使い防御しようとするが、空いた片方の剣で払い落とされてしまう。
胴から頭にかけてガラ空きとなり、このままでは確実に有効打が決まる。
マズいと感じた緋色は防御ではなく、尻尾を鞭のように撓らせ苦し紛れの攻撃を繰り出した。
迫る尾を視界に捉え、ノキアはカウンターを止め、双剣で尾の薙を防ぎ、後ろに飛んで衝撃を緩和させる。
「危なかったな……」
緋色は内心肝を冷やす。
性能の差ならば圧倒的に緋色に分がある。だからこそ、ゴリ押しだけですぐに決着がつくと思っていた。
だが緋色は、目の前で構えを取るノキアを見つめ、自身の思考が甘かったと考え直す。
「姉さんが選んだだけの事はあるってか」
誰に聞かせるでもなく、吐き出す。
『どうする
愉快の色が含まれた声音で、緋色に問いかける。
約八百年ぶりに漸く、戦闘らしい戦闘が出来て楽しいのだろう。
どうしたものか悩んでいると、緋色はある事を思い出す。
「ラグナロク。お前武器みたいなのあるか?」
迷宮でラグナロクを起動させたとき、脳内に聞こえた『武装も問題なく使用可能』と言う言葉を思い出したのだ。
『ある事にはあるが……。相棒は素人だろう?』
「は、それはどうかな」
『何?』
緋色の居た世界はある程度平和で、戦争などほとんど起きていないとラグナロクは聞いていた。
血筋としても武家ではない一般家庭で、武器など握る事は無かった。
諍いなど子供の喧嘩ぐらいしか無い国で、どうして武器が扱えると言うのか。
半信半疑になりながらも、“黒剣”を顕現させる。
「剣か……。うん、悪くない」
掌に感じる重量と質感。
夜の闇を閉じ込めたような漆黒と、脈を思わせる刻まれた深紅の紋様。
ラグナロクの持つ七つの武装の一つ、全てを断つ魔剣。
片手で魔剣を持ち構え、眼前の相手を見据えた。
(……っ!)
ノキアの背筋に悪寒が走る。
一変した緋色の雰囲気を感じ取り、無意識に一歩後退した。
先程とは違い、常に闘争に身を置いた獣の眼光に射抜かれた感覚。
同一人物とは思えない程の、緋色から発される威圧は、平和と言うぬるま湯に浸っていた青年とはとても言えない。それこそノキア以上の修羅場をくぐり抜けた、猛者のそれを緋色から感じ取ったのだ。
荒くなる呼吸を整え、ノキアは自身に気合を入れ直し奮い立たせ……──刹那。
「っ──く!」
横から受け流し切れない衝撃。
反応は出来たが威力を殺す事が出来ず、ガード越しに衝撃が伝わり、ビリビリと重く鈍い痛みが両腕に来る。
威力は尚消えることは無く、数メートルノックバックした所で止まった。
ノキアが踏ん張って耐えた故に地面には、抉れた溝が出来上り、尋常では無い力の差を思い知らされてしまう。
重い一撃に顔を顰め、次に対処出来るよう急いで体勢を直し視線を上げる。
そこには辛うじて視界に映る速さで、ノキアとの距離を詰めてくる緋色が見えた。
「ハァ!」
振り上げらる黒剣を撃ち落とす。
緋色は剣が弾かれた反動を利用して、斬撃を打ち出す。
一つ、二つ、三つと手数と激しさを増す剣戟は、両者の間に咲く火花となって現れ、耳を貫く甲高い音が二人の攻防の苛烈さを物語る。
「──っ」
乱舞。乱舞。乱舞。
手にした剣を縦横無尽に滑らせ、息をつかせる間もなく圧倒する。
次第に押されていくノキアの顔には、陰りが見え始めた。
緋色の勢いが、ノキアの守りを少しずつ上回ってきた事で、撃ち漏らした斬撃が魔力兵装に傷を作っていく。
このままではジリ貧だ、捌ききれないと瞬時に判断したノキアは、力を入れ双剣で再度緋色の一撃を弾いた。
それにより緋色は仰け反る形となり、僅かな隙が生まれ、間に後ろへ跳ぶ。
──が、それは間違いだった。
空中に身を投げたとき、左足に違和感を感じ視線を動かした。
「しまっ……!」
声を上げた頃にはもう遅い。
左足に巻きついた龍の尾が、ノキアを掴んで離さなさずがっしりと絡みつく。
空中に居てはどうする事も出来ない。
魔力兵装はオリジナルの神器霊装とは違い、宙での移動手段を持っていないのだ。
為す術もなく、ノキアは身を地へ叩き落とされた。
「がは──」
強制的に体内の空気を吐き出される。
痺れる激痛が全身を駆け巡り、数秒視界が霞む。
今にものたうち回りたい衝動を抑え、立ち上がろうとするが、それは叶わなかった。
上げた顔の僅か先に、剣の鋒がノキアを待ち構えていたからだ。
視線を剣の主に向けてみれば、勇猛なる龍の兜がこちらを見下ろしている。
伝説に聞く最強の幻獣そのままだ。龍を模しただけの事はある、と黒竜へノキアは瞳を向けながら内心で思った。
「俺の勝ち」
黒よりも暗い剣を、見上げるノキアに向けながら、淡々と口にする。
「そこまで」
透き通る銀の声が、試合の終了を告げた。
呼吸を整え突き出した剣を下ろし、貴族らしく紳士らしく、緋色はへたり込むノキアに手を差し伸べる。
未だ痛みが残る体を動かして、敬愛する主人の弟の手を取り立ち上がった。
体を動かせば電流のような痛みが節々に走り抜け、顔を歪めそうになるがそこはメイドの矜恃、如何なる時も冷静平常であれの言葉を心に、顔に出す真似はしない。
ノキアは体に付着した汚れを軽く払い、緋色も鎧を解除し近付いてくるエスティア達へと体を向ける。
「ある程度予想はしていたのだけれど、まさかヒイロにあのような剣術が出来るとは想定外でしてよ。つくづく貴方には驚かせられるわ」
フフフ、とそれは綺麗な笑みを浮かべる。
だが、勘違いしないでほしい。これは決して姉が弟を労う天使の笑ではなく、ある事を追求し説明を求める悪魔の微笑みだ。
ふふふでは無く、ふふふなのだ。
今エスティアの浮かべる笑みの意味を要約するなら、「剣術が扱えるとは聞いてなかった。どういう事か説明しろ」になる。
「……昔、そう言った環境に身を置いた事があるってだけだ。この剣術はその時覚えたものだよ」
どう答えたものか、説明するのが難しいと思いながらも、幾許か考えてはぐらかしつつ簡素に答えた。
緋色が言ったそう言った環境というのはVRMMORPGの事を指す。
俗に言う[フルダイブゲーム]の事だ。
五感を意識ごとゲームの世界へダイブさせ、まるで
中でも緋色は〈INFINITE《インフィニット》・FANTASIA《ファンタジア》〉。
通称IFOと言う、剣と魔法の王道オンラインゲームを長時間プレイしている。
加えて言えばただのプレイヤーでは無く、廃人に部類される側の人間であり、実力的に言えば
その筋のゲーマーに[autumn]というプレイヤーについて聞けば、必ずと言っていいほど知られているぐらい有名人でもある。
まあ、その人外じみた動きが再現できるのも、全て神器霊装の人体構築の恩恵があってのものと言うのを忘れてはいけない。
「そう。説明し難いことなら言わなくてよろしくてよ。無理にして聞こうとは思いません」
「……ありがとう」
義姉の気遣いに感謝をした。
これで詳しい説明を求められたなら、小一時間頭を捻らなければならない所だった。
『相棒。エスティア嬢では無いが、流石に私にも黙っていたのは頂けないな』
「……悪い。別に必ず伝えなきゃいけないことでもなかったからな」
緋色が言うように必要な情報かと聞かれれば、必要ではあるが早急に言うべき事でもない。
しかしだ、共に戦場を駆ける事になるかもしれない、かけがえのない
互いに何が出来て、何は出来ないかを知る事も大事である事に間違いはない。
確かにラグナロクはその手の質問をしなかったが、それでも緋色から言ってくれてもよかったのではないか。
ラグナロクは、口下手気味な相棒に少し思うところがあった。
「お疲れ様ですお兄様!」
陽光を思わせる暖かい笑顔で緋色を労うのは、エスティアとは真逆の笑みのシャロン。
つい先日義妹となり、何かと兄の世話を焼きたがる可愛い妹だ。
ポカポカと暖かい微笑みの彼女を見ているだけで、緋色は疲労全てが吹き飛ぶ思いだった。
(こんなに兄思いな妹が他に居るだろうか。いやない!)
自身のハンカチで緋色の汗を健気に拭う姿に、愛情が溢れて仕方が無い。
ありがとう、と言って頭を撫でると「えへへ」と照れた顔をするシャロン。
緋色が重度のシスコンと化すのは、まだ遠くない先の話であった。
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