第4話 青年・真之③
夕焼けで空が赤く染まるころ。真之は自宅マンションへと帰ってきた。
「先輩には本当にお世話になったな」
芹那とは中心街の駅のホームで別れた。今日付き合ってくれたせめてもの礼として、昼食を奢っている。優しい先輩との仲を今後も大事にしよう、と改めて心に誓った。
彼女のおかげで、紺へのプレゼントは無事に購入できた。後はこれを義母に渡すだけなのだが、どんな言葉を添えるべきか。変に気障なセリフが脳内に浮かんできて、すぐに打ち消す。そんな言葉を口にしたところで、紺に笑われるだけであろう。
「ただいま」
自宅の玄関の扉を開け、中に入る。
すると、飼い主の帰りを待ちわびた子犬のように、紺が二本の尻尾を激しく振りながら廊下を走ってきた。
「おかえり、真之っ!」
「お、おう。ただいま」
光の弾けるような満面の笑み。いつもに比べてさらに圧が凄い。思わず真之は一歩引いてしまった。明らかに機嫌が良いようだが、何か嬉しい出来事でもあったのだろうか。
「ささ、夕飯はできておるぞ。ほれほれ」
「分かったから、そう急かすな」
紺に背中を押されながら、真之は廊下から居間へと入っていった。
真之と紺はテーブルで互いに向かい合い、席に腰掛ける。
「いただきます」
「うむっ、いただきます」
手を合わせながら、真之はテーブルの上に並べられた夕食のメニューを見渡す。
伊勢海老のフライ。牛肉のステーキ。タラバガニのカニしゃぶ……。
どれも、普段からはとても考えられないほどの豪華なおかずだ。おまけに茶碗によそられているのは、いつもの白米ではなく、よりにもよって赤飯。
(……なんだ、この不気味なまでの浮かれようは)
真之は冷静さに努め、考えを巡らす。
今日は何かの記念日だっただろうか? 二人の初めての出会いの日? 誕生日? どれも違う。何があったら、ここまで紺を調子に乗らせるのか。
「ほれ、真之。何を遠慮しておる」
「あ、ああ」
義母に促され、真之はまず味噌汁に口をつける。
(紺がこの状態では、プレゼントを渡すことはできそうにないな)
夕食を終えて落ち着いてからにすべきか。
そう思いかけたところで――
「のう、真之よ。デートはオスがメスをリードせねばならぬぞ」
突然、危険球の助言(?)をぶつけられ、真之は思わず味噌汁を噴き出しそうになった。激しく咳き込み、目の前の紺に真意を確かめる。
「……何を急に言い出すんだ」
「それに、お主ももう一八歳。外泊を自由にしても良い歳じゃ。婚前旅行というのもアリじゃろうて」
まるで真之の話を聞いていない。紺は完全に妄想という名の橋を渡っていた。
「結婚式は和式にするのか、洋式にするのか、どちらじゃ? 近頃では式を挙げぬ若者も増えておると聞くが、一生残る記念じゃぞ」
「何を勘違いしているのか知らないが、俺は――」
「孫の顔も早く見たいのう。男子か、女子か。どちらも可愛いじゃろうなあ」
完全に思考のネジがぶっ飛んでいる。このまま紺を放っておけば、どんどん話が飛躍していくであろう。
そこで、真之は一つの予想を導き出す。
「……まさかとは思うが、紺。今日の昼間、俺を尾行していたのか?」
「ぬぬぬぬぬっ!?」
真之が試しに探りを入れると、紺はカニしゃぶをテーブルの上に落とした。大きく仰け反り、美しいソプラノの声を裏返らせる。
「そ、そそそそそ、そんなわけがなかろう。ワシは今日一日、家で家事をしておったからの」
あまりに露骨な動揺だ。真之はさらに追い込みにかかかる。
「そうなんだな?」
「う、うう……」
視線を必死に逸らそうとする紺の顔を、思い切り睨みつけた。まるで犯人を尋問する刑事のような図である。
そのまま威圧すること、二〇秒。
追い詰められた紺が先に折れた。
「……うむ」
「いつから見ていた?」
「お主と道内の嬢が、アクセサリーショップへと入っていくのを、たまたま見かけただけじゃ。ほ、ホントじゃぞ?」
「それだけで、あそこまで妄想を暴走させたのか」
しょんぼりと身を縮こませる紺に対し、真之は重い頭痛を覚えた。
「言っておくが、俺と先輩はそういう関係じゃない。あんたも知っているはずだろう」
「な、ならばどうしてあの店に入ったのじゃ?」
ここで説明を断れば、紺がいつ再び妄想で突っ走るか分からない。
真之は深く溜め息を吐くと、席を立った。自室へ『あれ』を取りに行き、すぐにキッチンに戻ってくる。
そうして、手の平サイズの小箱を紺に差し出した。
「これを買うために、先輩に付き合っていただいたんだ」
「……開けても、良いのかえ?」
恐る恐る小箱を手に取った紺に、真之は頷いてみせた。
紺が蓋を開ける――すると、中から姿を現したのは、金色に彩られたイヤリングだった。
「これ、は?」
「いつもあんたには世話になっているからな。その御礼ってわけでもないが、まあ感謝を込めて買ったんだ」
照れくさくなった真之は、頭を掻きながら歯切れ悪く説明する。
紺は、息子の顔と小箱に何度も視線を往復させた。よほど意表を突かれたのだろう、瞬きの回数も多い。
「つけても、良いのかや?」
「そのためのアクセサリーだろう」
真之に確認を取ってから、紺は「人間の方の」両耳にイヤリングを装着した。強い輝きを持った耳飾りには、宝石が散りばめられている。それらが凛とした光を放ち、紺の陶磁のような白い肌によく映えた。
紺が自室から手鏡を取ってきて、様々な角度から耳の装飾を観察する。
「に、似合っておるか?」
「ああ」
真之が(彼の凶相にしては)穏やかに微笑み、頷き返す。
不意に、紺の両眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。それも一粒や二粒ではなく、次々と湧き出ていく。紺は細指で目を何度もこする。
「ど、どうした」
「うぅ……息子にこのような贈り物をもらえるとは。ワシは、なんという果報者じゃ」
「そんな、オーバーな」
その後は、泣きじゃくる紺を宥めるだけで、一時間以上もかかった。真之はハンカチを彼女に手渡し、背中を無骨な手でさすってやる。
(これだけ喜んでもらえたのなら、給料の半分を使った甲斐があったか)
一ヶ月後。
「なあ、紺」
「何じゃ?」
真之は少しげんなりした声で、義母に話しかける。
彼の眼前にいる紺は、鼻歌交じりで洗濯物を畳んでいた。彼女の人間の方の両耳には、真之が贈ったイヤリングがつけられている。
「そのイヤリング、毎日はつけなくてもいいだろう」
「大丈夫じゃ、妖気でコーティングしたからの。傷がつくことはない」
「そういう問題じゃなくてだな……」
紺がプレゼントに感激してくれたのは、真之としても嬉しい。
とはいえ、この義母は入浴時や就寝時を除けば、いつも装着しているのだ。さすがに少々行き過ぎているのではないか、と真之が考えるのは無理もない。
「~っ♪」
よほど気に入ったのだろう。紺は耳飾りを誇るように、瑞々しい長髪をかきあげた。
(プレゼント 了)
『その日、僕は妖狐に拾われた』 たんぺん 白河悠馬 @sirakawayuma
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