過去を忘れる方法

 グランドパルマ島からワックスマンブーバー本店のあるアイゼンクローネ市にプライベートジェットで移動する。空港の専用ターミナルには百万ドル入りのケースが九つ運び込まれており、ゴーリェが持ち運んだケースと一緒に積み込んだ。本店の受付で、営業部長を呼び出す。応接室で待っていると、いかにも体育会系といった筋肉質の大男が入ってきた。我々を見た営業部長に一瞬奇妙な表情が浮かんだ。


 「お、お待ちしておりました、シュバーン様。この度は口座開設ありがとうございます」


 営業部長の額には大粒の汗が噴き出している。声も微妙に震えているようだ。

 

 「こちらこそ、宜しくお願いします」

 

 ゲブリュルが事務的に返答した。


 「マルドゥック支店の、バルバ=ゴーリェくんだね。君に口座開設の手続きをお願いするよ。この端末を使ってくれ」


 そう言い残すと、営業部長は逃げるように応接室を出ていった。再び、ゴーリェとゲブリュルの二人きりとなり、少しの間沈黙が続いた。


 「口座開設に必要な項目は、このデータカードに入ってるわ。私は店頭で入金手続きをしてくるから、開設手続きを済ませておいて」


 こうなったらやるしかない。口座開設用の端末にデータカードをセットし法人の属性を入力していく。法人名や所在地、代表者の名前など入力するデータは多岐に渡る。リスクと判断される言葉が入力されると、アラームが鳴り面倒な事になる。

 予想通り、会社所在地がグランドパルマ島であることで、最初のアラームが鳴った。ゴーリェが、コンプライアンス部門への言い訳を考えていると、アラームが消えた。取締役による決裁が行われたのだ。決裁者の名は、グリーンウィル・ジョン・オクトーバーとある。何処かで聞いた名前だとゴーリェは思った。続いて事実確認を求めるアラームが鳴った。ゴーリェはしばらく端末を見つめていたが、やがて問題なしと入力した。


 『口座開設が正常に終了しました』


 端末に表示されたメッセージを確認してゴーリェは安堵のため息を吐き出した。失敗したら、あの女に何て言われるかわかったもんじゃない。


 応接室のドアがノックされ、ゲブリュルが入ってきた。


 「入金が終わったわ。さあ、あなたの出番よ」


 「どうしろって言うんだよ?」


 「すぐに換金できて、値動きの少ない商品を買って欲しいの、あなたのお勧めはなに?」


 てっきり次も指示されると思っていたゴーリェは、瞬きをしてみせた。


 「俺が決めていいのかよ。口座の開設まで話がついてたし、アラームで引っ掛かりそうだったのが、決裁で通っちまうしな」


 「事前の根回しは当然よ。それにグランドパルマ島のペーパーカンパニーなんて大手の企業だって使ってるし、EDDでも問題なかったんでしょ。金融商品は、あなたの得意分野。さあ頑張って!」

 

 少しこそばゆいような感じを覚えたが、ゴーリェは頷いた。


 「株式は、換金性は高いが値動きが激しい。価格が安定していて、換金性が高い国債の方がいいと思う」

 

 「わかった、国債を買って」

 

 ゴーリェは、端末を操作して国債の買い注文を発注した。取引が成立し一千万ドルは国債に姿を変えた。

 

 「ありがとう。これで終了ね。マルドゥック市へ戻るわよ」

 

 「その前に一つ聞きたいことがあるんだ」

 

 立ち上がろうとしたゲブリュルは再び腰を下ろした。

 

 「口座開設の手続き中に気になるアラームが鳴ったんだ、そのアラームによると君は――」

  

  青く透き通った瞳が、ゴーリェを捉えた。グランドパルマ島のオフィスで見せた憂いを帯びた瞳とは違う、力強い視線にゴーリェは心が鷲掴みされるのを感じた。


 「あの時――あなたは言ったでしょ。過去を忘れる方法を教えて欲しいって。私も、私もね――」


 ゲブリュルが最後まで言い終わらないうちに、応接室のドアが荒々しく開けられた。大柄な男がのっそりと踏み込んでくる。入ってきたのは、巨大で筋肉質の男――営業部長だった。肩で息をしている営業部長の手には小型の拳銃が握られているのが見えた。


 「お前はっ! 死んだはずだ! 消えろぉ」


 反応する暇もなく、二発の銃声が鳴り響き、ゲブリュルの体が撥ね飛ばされる。


 「やめろ!」


 ゴーリェは、営業部長に体ごと突っ込んでいく。二つの体は、もつれ合い壁に激突し床に放り出された。激突の痛みがゴーリェのあちこちを襲う。それでも、起き上がろうとする営業部長の拳銃を奪おうともう一度飛びかかった。待ち構えていたかのようにゴーリェの顔面に肘を打ち込む営業部長。


 「ぐふっ!」 


 鼻から血を吹きだし崩れ落ちたゴーリェに銃口が向けられる。血走った目が狂った光を放ち、ゴーリェを見下ろしている。不思議と恐怖は感じなかった。ゲブリュルはまだ生きているだろうか? 確認している時間はない。もう少しあいつと仕事をしたかった。そうすればきっと――、ゴーリェに向けられた拳銃の引き金が引かれようとしたその時、背後から銃声が鳴り響いた。営業部長の足の肉を銃弾がえぐりとり、人形のようにぶっ倒れる。

次の瞬間には、ゲブリュルの細身の体が、倒れた男を抑え込んでいた。

 

 「お前には逮捕状が出ている。連邦法に基づいて拘束させてもらう」

 

 ゲブリュルはそう言うと、拘束用ワイヤーで営業部長の体を固定し、口に猿ぐつわを押し込んだ。営業部長は不格好に体をくねらせ、鼻から息を吹きだし何かを訴えようとするが無駄な抵抗だった。

 

 「大丈夫? 起き上がれる?」

 

 ハンカチでゴーリェの血を拭うと、傷を見てくれる。さっきとは違い、瞳に優しい光が灯っている。ゲブリュルの服には胸と腹に銃撃による穴が開いていた。穴からは、赤い血ではなく透明な油のような液体が漏れ出している。はだけた首筋に見覚えのある記号と数字が刻印してあるのをゴーリェは見つけてしまった。ゴーリェの視線に気付いたゲブリュルは、はっと息をのむと指で刻印を触れた。

 

 「あはは、見つかっちゃったね。そうだよ、これは認識番号だよ。ご想像の通り私はアンドロイドなの」

 

 ゴーリェが口を開こうとした時、今度は警官と救急隊が他の社員とともに入室してきた。

ゴーリェは、応急処置のあと担架に乗せられて運ばれていく。ゲブリュルは逮捕した営業部長を警官と一緒に連行するため、ふたりはここで別れることになった。ゲブリュルは、運ばれていくゴーリェに走り寄ってきた。


 「ありがとう。楽しかったわ」

 

 そう言うとゲブリュルは、ゴーリェの額にキスをした。顔が真っ赤になったゴーリェを残して青い目の女は行ってしまった。そして、その後ゲブリュルと会うことはなかった。

 

 二週間後、再びシェルに呼び出されたゴーリェはオフィスでシェルと向かい合って座っていた。

 

 「危ない目に合わせてしまって申しわけなかった。言い訳になるが、まさか社内で襲ってくるとは思わなくてね」

 

 「いえ、全く事情が呑み込めなくて、良かったら教えて頂けますか?」

 

 「もちろんだ。今日はそのために呼んだんだからね。あの男は……、ワックスマンブーバーの営業部長は、俺が世話になっているオクトーバー社が送り込んだ男なんだが会社の金を横領していてね。しかもグランドパルマ島のペーパーカンパニーを使って海外に資金を送り、証拠を隠滅しようとしていた。われわれもなかなか証拠がつかめなくってね、そこで君の力を借りたってわけだ」

 

 シェルは楽し気な笑みを浮かべている。

 

 「君とゲブリュルに、あの男が使っていると思われる手口をそっくりまねしてもらって現金を運んでもらい、最後にあいつの目の前で入金してもらった。案の定あいつは自分の手口がばれていると思い動揺してしっぽを出した」

 

 「あの、ゲブリュルはいったい?」

 

 「ああ、あの娘か。あの娘はね、営業部長の犯罪の被害者だよ。ワックスマンブーバーの本店内で一人だけ営業部長の横領に気付いたのがゲブリュルだ。ゲブリュルはすぐに警察には通報せず、営業部長に横領をやめるよう説得しに行った。たが、逆に口封じのため殺されてしまった。正確には、瀕死の重傷を負った彼女を我々が最新のアンドロイド化技術で蘇生させたのだがね。蘇ったゲブリュルは、委任事件担当官として自分の殺害未遂と横領事件を捜査することになった」

 

 ゴーリェは、ペーパーカンパニーの口座開設のときに鳴ったアラームのことを思い出していた。あの時、代表者であるゲブリュルについて、殺人事件に巻き込まれて死亡した人物として確認するよう求められたのだった。

 

 「わかりました。ただ、私である必要がないですね。エプティノスさんならもっと優秀な部下がいるのでは?」

 

 「ある人物に頼まれてね。その人物は君とゲブリュルが作った会社の出資者だ。君もよく知っているその人物は、私の友人でもあってね、君に世の中の仕組みを教えてくれと頼まれたんだよ」

 

 そう言うとシェルは、一枚の紙をゴーリェに手渡した。ゲブリュル&ゴーリェLLCの会社概要であるその紙には、新しい代表社員として、ゴーリェの父親の名前が記載されていた。ゲブリュル&ゴーリェの『ゴーリェ』はバルバ=ゴーリェではなく、父親の名前だったのだ。

 

 「だからって、事業の話は嘘なんかじゃない。君には俺の資産を増やすために働いてもらうよ。さあ、このオフィスを出たら全て忘れるんだ。目の前の仕事に集中しろ」

 

 オフィスを出て、受付の前を通るとこの間とは違う受付嬢が座っている。ゴーリェに気付いた受付嬢は、「ゴーリェ様、忘れ物ですよ」と言って折りたたんだメモを手渡した。受付嬢の青い瞳がいたずらっぽく光った。ビルを出てメモを開いてみる。

 

 『私も過去を忘れることができたよ。またいつか一緒に仕事が出来る日を楽しみにしてる。それまで頑張ってね。ゲブリュル』

 

 目頭が熱くなるのを感じながら、ゴーリェは歩きだした。

 

 (完)

 



 

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過去を忘れる方法 おあしす @Oasis80

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