姑獲鳥の娘

 下宿先の大家が言うには、明日暇な文士を連れてきて欲しいとのこと。そこで、あろうことか白羽の矢が立ってしまったのがこの文士烏丸なのである。なぜだ、おれはそんなに暇そうに見えるのか。この文士烏丸の文句など、大家にとどきやしない。そりゃあそうだ、大家は既に下宿を去った後。いくら喚こうが、文句を届けるならば電話をするしかないのである。

 しかしこの文士烏丸、しょうもない文句を電話口でまくしたてるような男ではない。この下宿に住む文士どもの中では飛び抜けて冷静たるこのおれが、子供のような真似などするわけなかろう!

 それはともかく、一日とはやたら早く過ぎるものらしい。目が覚めたら下宿の茶の間、おれを含めた文士どもの周囲には杯と猪口、それから酒瓶がごろごろと転がっている。やたら頭が痛むのだが、原因はこの酒盛りの痕跡に関係していることなのだろうか?

 しかし昨日の出来事を思い出すのはやめておくことにしよう。この文士烏丸、自ら恥を蒸し返して苛立つような愚か者ではない。



 さて、ここで話は変わる。

 この文士烏丸、これより円タクに乗ろうとしているところである。下宿先の大家と一緒にだ。余談だが円タクの運賃は大家が出すことになっている……よし、相乗りは許容しよう。この文士烏丸は心が広いのだ。

 行き先はどこだと大家に問うたのは円タクが出発して間もなくだ。この文士烏丸、知らぬのだから聞くのは当たり前だろうと大家に言ってやったのだ。

 電話で言ったはずだと大家は言うが、しばらくしてその言葉を撤回してきた。そういえば伝えてなかった、などと。


 この文士烏丸たちの行き先は、下宿より離れた場所にある一軒家である……らしい。なんでもそこは伯爵家の娘を閉じ込めているのだという。病のため……ではないそうだ。だとしたら理由はなんだ、と大家を問い詰めたが、奴は「会えばわかる」との一点張りでまともな答えをかえしやしない! なんなのだ! 会うからにはこのおれにも知る権利はあるだろう!


 まあ、そのようなことを思っている間に、この文士烏丸たちは目的地へ着いていたらしい。

 一軒家……とは聞いていたものの、このおれの目には蔵にしか見えない建造物がそこにある。あの下宿でもまだ豪華だぞ、と漏らした声はどうやら大家に届いてしまったらしい。しまった。案の定あの大家、翌月の家賃上げるぞなどと脅してくるではないか!

 この文士烏丸は、その横暴に文句を言う男なのだ。しかし大家はあろうことかこの文句を無視して蔵の扉をあけおった。待たせてしまっているのだから早く入るように、などとぬかしつつ。

 ……しかたあるまい。この文士烏丸は、自重を知る男なのだ。


 蔵の中は、一見して普通の屋敷であった。なんとまあ酔狂なことをする華族がいたものだ! そもそも蔵ではなくて普通の屋敷だと大家が釘をさしてくるのだが、このおれには外見が蔵にしか見えなかったのだから致し方あるまい。

 長い廊下をまっすぐ進んでいくうちに、大家の言う目的地にようやくたどり着いた。


 赤い提灯で中を飾った座敷牢、その中心に若い娘が一人。両目を白い布で覆われ、薄手の着物だけを身にまとった姿でそこに座している。彼女はこちらの気配に気づいたのか、小鳥のさえずりのような声を上げた。


 ――あら、あなたがたがあの方の言っていらしたお客様ですか?



 大家によれば、このおれがここでするのはこの娘の話を聞くこと……だそうだ。一体どういうことだと問い詰めれば、大家は首をすくめてこんなことを言いだす。

 なんでもこの娘は、二年ほど前より自らをあやかしの娘だと言いはじめ、早く本当の家に帰りたいと繰り返しはじめたのだそうだ。この蔵の持ち主であり、父親である伯爵は娘は気が触れたのだと半狂乱となったらしい。そして、娘の目を潰し、この蔵に閉じ込めたという。


 ――あの方は私が家へ帰るのを阻止したいのでしょう。


 娘が喋りだす。大家から一通りの事情を聞いてからのことだ。


 ――私は人の子ではないのです。

 ――人に拾われた……いいえ、さらわれてしまったあやかしの娘。

 ――私の本当の母親は、森の奥に暮らす鳥のあやかしでございました。

 ――人の子をさらう鳥のあやかし、それが私の母でございました。

 ――私も本当は、母のようにあやかしとして生きていたのでしょう。

 ――ですが、私はさらわれたのです。

 ――さらう対象であるはずの、人間に。


 このおれや大家の困惑など気にせず、彼女は続けるのだ。さながら、人の都合も考えず、日夜鳥が鳴くように。


 ――それを思い出したのが二年前のことでございます。

 ――忘れていた大切なものを思い出すだけで、世界は鮮明になるものなのですね。

 ――私は言いました。森に帰りたい、私は私が生まれたところに帰りたい。

 ――あの方は言いました。お前はうちの娘だ、うちで育った娘だ。


 ふと、視線を感じた。恐る恐るそれを追ってみれば、娘の白い布と目が合う。まるで、その向こうに両の目玉があるかのようだ。

 潰したという話が本当ならば、あの娘は今目玉を持ってはおらぬ。だが、確実にそこにある。それには光が宿っていると感じるのだ。あの布の向こうには、このおれを見つめる二つの球体が――。


 ――それから、私は二年ほどこの中です。

 ――そうだ、お客様。私は野鳥なのですよ。

 ――こんな狭いところじゃあ息苦しいのです。


 この籠の扉を開けてくださいまし。

 娘はたしかにそう言っていた。

 いや、厳密には言っているわけではないはずだ。

 それはおれの錯覚であるはずだ。

 だが、確かに、この娘が扉を開けて自分を解放してくれと言っているように思えてならないのだ。


 娘が白い布の向こう側にある目をこちらに向ける。影に遮られていて見えないはずだ。それなのに、それの宿す色が――はっきりと、見えた。樹海の色を映した球体がふたつ。硝子玉のように光りながらこちらをじぃと見ているのだ。吸い込まれる、引き込まれる。そうは思えど……なぜか、目を離すことが出来ぬのだ。


 娘が言う。小鳥の声が誘う。どうか開けてくださいまし。

 その向こう側に広がる樹海が誘う。私はここに帰りたいのです。


 ふと、隣で影が揺らいだ。なんだ、何が起きている。

 横を見やれば、なんと大家が白目を剥きながら、ゆっくりと歩みを進めているではないか!

 一体全体どういうことだ。大家の目の前で手を振ってみたが、奴はこのおれのこうどうに一切合切の反応を示さない。それどころか、確実になにか別のものを見ているようにも思えてくるのだ。

 ……いや、考え込んでいる場合ではなかろう。様子がおかしい人間をこのままほっとくわけにもいかぬ。それにこの文士烏丸、大家に死なれたら明日から宿無しになってしまうのだ。


「すまん、悪いがおれたちはここでおいとましよう」


 そう言って大家を後ろから羽交い締めにしてやる。抵抗……しないのがなんとも不気味だ。まるで故障したからくり人形のようだ。まあ、このまま引きずってこの蔵を出てしまえばなんとでもなるだろう。

 幸いなことに、ここに入る前に大家は何かあったときの連絡先について言及もしていたのだ。


 引きずっていく姿勢が悪いせいか、おれは蔵を出るまでずっと件の娘と目があったままであった。

 比喩ではない。

 たしかにこのおれはあの娘の目を見ていたのだ。


 深い深い新緑の、樹海の向こう。

 大きな黒い鳥が羽ばたく様子。

 それらを映した硝子玉を。


 ――ああ、あなたたちも私の望みを叶えてくださらないのですね。

 ――ならば私自身の手で、この望みを叶えましょう……。



 後日、新聞には事件記事が踊っていた。

 とある華族の私有地で、爵位持ちの男が惨殺されていたという記事だ。鳥についばまれたかのような傷が全身にあり、胸にぽっかりと大きな穴が空いている姿で発見されたらしい。

 すぐ近くには黒い鳥の羽が舞い散っていた。この近くに鳥の巣があるというわけでもないそうで、具体的な原因は警察の調べでも解明できなかったとのことだ。


 昨日の新聞では百貨店が開店したという良い知らせが一面記事だったというに。

 だがまあ、大家が順調に回復していることだけは良いことだろうか。この文士烏丸、宿無しにはならずに済む。


 そう、新聞の件だが……その貴族の私有地とやらの場所に覚えがあるのはおれの気のせいだろう。

 既視感を覚える蔵の写真がのっているが、おれはこの場所を知らぬ。

 そうだ、そうに違いない。

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烏丸怪談 萩尾みこり @miko04_ohagi

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