CQ

 その日、私は夢を見た。

 夢の中の私は煙草を吸いながら何かに死ねと思っていて、いつものようにたまこがふらりとやって来るのだ。

 彼女は「先輩、また死ねーみたいな顔してますよ」と言ってにやりと笑い、その笑顔を見て、私はたまこの姿かたちが人間であることに気付いた。私もまた同じように口角を上げ、「仕事サボってどっか行こっか」と、たまこを連れ出した。

 その日のたまこはネイビーブルーのトレンチコートを着ていたから、背景にするなら山の風景が映えると思った。だから中央線から青梅線へと電車を乗り継いで奥多摩まで出向いた。

 十二月の奥多摩は笑えるほど寒くて、私たちは誰もいない駅前のロータリーで足踏みをしながら泥水みたいな缶コーヒーを飲んだ。

「ねえ、CQは何になるの?」と魚のたまこが訊ね、私は考える。私の理想の形は何だろう。私はどういう姿で試験を受けるのだろうか。犬、猫、シロクマ、オーロラ、魚、鳥、色々な自分を思い浮かべた。山々の間に浮かぶ太陽は真っ白に冷たく輝いていて、私は江ノ島の熱い温泉に入りたいと思った。

「考えたんだけど、わかんなくてさ」

 私は口を開く。鉛のように重い口を開く。

「関係ないし恥ずかしいことを言うんだが、私は好きに理由をつけたくなかったんだ。理由のない好きがよかった。それが一番きれいな愛情の形だって、そういう風に世の中が言うからさ」

 人間の形をしたたまこが頷く。

「……けど、私はそんなに潔い奴じゃなかったよ」


 たまこと江ノ島丼を食べた時、私は彼女のことが「まぁ、好き」だった。

 たまこが魚になった時、私は彼女のことが「まぁ、好き」だった。

 サンシャイン60の展望台で遠い高層ビルを見ていた時も、誰かがオーロラになった時も、先輩がシロクマになった時も、私はたまこのことが「まぁ、好き」だった。

 何故なら、その先を考えなかったからだ。その理由を探さなかったからだ。私が何故たまこのことを好きでいるのか、その理由をちゃんと言葉にしなかったからだ。君が君のままでいてくれるだけでいいなんていう安いJ-POPの歌詞みたいな恋愛観を本気で信じて思考停止していたからだ。

「私は多分、誰かにそこにいてほしいんだ。手の届くところに。群れていたいわけじゃない。ただ私以外の誰かがいるっていう安心がほしい」

 だから私はオーロラにはなれないし、オーロラになった人の気持ちなんてさっぱりわからない。あるかどうかもわからない、触れられもしない人の形を想像できない。

「それは当たり前のことかもしれないけど、今はそんな当たり前が続くかどうかすらわからない。昨日まで人の形をしていた人が今日にはオーロラになってしまうような世界で、自分以外の誰かが確かに実在してるって証明は私にとってすごく大事なものなんだよ」

 一息。

「だから思うんだ。私もそこにいようとするべきなんだ。たまこがそこにいるのと同じように」

 魚のたまこが目の前にいて、人間の私には魚の表情の機微なんて何一つわからないのだけれど、彼女は少しだけ安心しているように見えた。

 だから、私は彼女の目を見て、はっきりとこう言った。


「たまこ、私は鳥にはならないよ」



 目を覚ました時、私はすぐに試験対策を受けたのだということを悟った。試験対策と言うくらいだからもっと事務的でカタい手続きのようなものがあるのではないかと思っていたのに受けてみれば最初から最後まで抜き打ちテストみたいなもので覚悟も予習もあったものではなく、起き抜けの頭でただただ死ねと思った。

 それから、私はすぐたまこに電話をかけ、今から家に行くとだけ伝えた。


 十二月の下旬、くもり空が眩しい朝のことだ。

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CQ 水瀬 @halcana

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