最終話 エピローグ(2)
「元気そうで安心したわ」
世界が黄昏の色に染まる、逢魔が時。
駐在所の奥座敷で、窓を全開にして水平線に沈む夕焼け空を眺めていた
突然の名探偵登場に、俺はさして驚きもしない。
なんとなく俺は、近いうちに綺晶が来る予感がしていたのだ。
「いらっしゃい、綺晶。汚いところだけど遠慮無く入ってくれ」
「遠慮無くお邪魔するわ」
一応俺は拘留されている身だが、そんな事実など無視するように綺晶は鍵を開けて入室する。
鍵を開け放したまま、彼女は持っていたトートバッグを「どすん」と床に置いた。
「退屈だろうと思って、私のコレクションを持ってきてあげたわ」
「これは……金田一耕助シリーズ?」
トートバッグをのぞき込むと、中にはおどろおどろしいタイトルの文庫本が二十冊ほど詰め込まれていた。
絶海の孤島で古い家系にまつわる連続殺人を犯した俺に、横溝正史全集をプレゼントするなんて、綺晶はいい趣味をしている。
「ありがとう。こうしてまた綺晶に会えて嬉しいよ」
「私もよ。こんな形にはなったけれど、ヤスは私の一番の理解者だと今でも思っているわ」
「光栄だね」
綺晶が姿勢正しく正座する。
俺も崩していた足を組み直すと、背筋を伸ばして綺晶の顔を見据えた。
「ヤスが島を出る前に、話しておきたいことがあるの」
「偶然だね。俺も島を出る前に、綺晶に聞いておきたいことがあったんだ」
「……なにを聞きたいのかしら?」
綺晶に話を促され、俺は本当に聞いてもいいものか躊躇する。
このままなにも言わずに別れた方が、お互いに幸せなんじゃないか。
楽しい思い出は、そのままの形で残すべきではないのか。
でも、俺は聞かずにはいられなかった。
おそらく綺晶と会うのはこれが最後だ。
今を逃したら二度と確かめることはできない。
ミステリ作家を目指す俺は、謎を解き真実を暴く欲求に――胸の奧から沸き上がる好奇心に抗えなかった。
向かい合ったまま、俺ははっきりと尋ねる。
「綺晶は、最初から答えを知っていたのか?」
「……」
問われた綺晶の表情が固まる。
やっぱりそうだったのか、と、綺晶の目を見て俺は確信した。
「嵐の夜に屋敷で殺人事件が起こることを、綺晶は前もって知っていたんじゃないか? 誰が犯人で、動機は何で、どんなトリックが使われるのか、最初からすべて知っていたんじゃないか?」
綺晶は答えを知っていた。
出題される謎とその答えをカンニングしておきながら、知らん顔で名探偵のふりをしていた。
「殺人事件だけじゃない。初めて会ったときに俺の素性を言い当てたのも、愛子が俺の許嫁だと見抜いたのも、すべて答えを先に知っていて、その答えになるように後から理屈を付け足したんじゃないのか?」
「ヤスはおかしなことを言うのね。どうして私が、ヤスの素性や、ヤスと愛子の関係を、事前に知ることができたと言うのかしら?」
「俺は綺晶に出会う前から、お前の素性を知っていた」
綺晶が島に来た日。
俺は港へ迎えに行く車の中で、父さんから綺晶の素性を聞いた。
綺晶が医者の娘で、片親、一人っ子、俺と同い年、余命半年の名探偵だと、俺は父さんから聞かされて知っていた。
それはすなわち、島へ来る前に父さんと良寛先生の間で子供の話がされていたということ。
「俺が父さんから綺晶のことを聞いていたように、綺晶も母親から俺のことを聞いていたんじゃないか? だから初対面でも俺の身元や境遇を正確に当てることができた」
綺晶を灯台に案内する少し前、彼女は港で聞き込みをしていた。
港で魚を直売している加藤トキさんと話をしている彼女を俺は目撃している。
トキさんは御年九十二歳。島のことなら何でも知っている最長老のお婆さんだ。
「綺晶は港で聞き込みをしていた。あのとき、トキさんから俺と愛子の関係を聞いたんじゃないか? だから、俺と愛子が婚約していると言い当てることができた」
屋敷で殺人事件が起こったとき、それまではスムーズに謎を解いていた綺晶が、途中から推理でミスをするようになった。
おじさんが殺されたとき、俺が台本になかった即興のトリックを使ったことで、綺晶はいつになく謎解きに苦戦していた。
愛子が偽の怪人を演じたとき、台本にない事件が起こって綺晶は明らかに動揺していた。
あの事件で綺晶はトリックを暴けず、初めて犯人当てに失敗した。
「事前に俺は、良寛先生にも台本を渡しておいた。綺晶はその台本を読んだんじゃないか? だから台本にない事件が起こった途端、謎が解けなくなった」
百目鬼家の屋敷で犯人当てに失敗したとき、綺晶は泣いて俺に謝罪した。
あのとき綺晶はこう言ったんだ。
『推理が外れたとわかったとき、私は目の前が真っ暗になったわ。私はまた調子に乗りすぎたのかと……また、友達に嫌われたのかと……』
あれは推理を外したことにショックを受けたわけじゃない。
台本通りに俺を犯人だと指摘したのに、それは違うと否定されたことにショックを受けたんだ。
台本通りに指摘したのに、間違いだと言われてて……俺たちは綺晶に犯人を当てさせる気がないのだと、彼女は勘違いした。
調子に乗りすぎて俺たちに嫌われてしまったのだと、だからこんな意地悪をされているのだと、かつて友人たちから嫌われて孤立したことがある綺晶は、そう思ってショックを受けたんだ。
「……まいったわね」
言葉とは裏腹に、綺晶はホッとしたような表情で俺を見つめる。
「いつから気づいていたの?」
「違和感はいくつもあったけど……。確信に変わったのは、愛子から名前の話を聞いたときだ」
俺は、愛子が語っていた名前の由来を思い出す。
「愛子と蔵子の名前の由来は、アイネとクライネじゃなかったんだよ。それを聞いたときに思ったんだ。綺晶の推理は全部でたらめだったんじゃないか。アドリブでそれっぽいことを言って、推理しているように見せかけていただけじゃないかって」
適当な理屈をつけた後で、事前に調べておいた正解を告げる。
だから綺晶の推理は、過程が間違っていても、いつも結論は正しかった。
「……ご名答よ」
観念したように、綺晶は穏やかな表情で打ち明ける。
「難解なトリックを何のヒントもなしに見破れる名探偵なんて物語の中だけの存在よ。私はただミステリが好きなだけの、どこにでもいる平凡な中学生でしかないわ」
「そうか。やっぱり綺晶は名探偵じゃなかったのか」
名探偵が現実にいて欲しいと、俺は心のどこかで願っていたのかもしれない。
自分で正体を暴いておきながら、俺は綺晶が名探偵ではなかったことにがっかりしていた。
「でも良かったわ。名探偵のふりをするのは大変だったから、これで肩の荷が下りたわ」
「そんなに大変なら、もっと早く打ち明けていれば良かったじゃないか」
「だって、みんながあまりにも簡単に騙されるんだもの。あそこまで素直に信じられたら、途中で『嘘でした』なんて言い出せないわ」
それに、みんなに嫌われたくなかったし……と、綺晶は聞こえるか聞こえないかという小声で言い訳する。
「みんななら笑って許してくれるさ」
俺が軽く言うと、綺晶は拗ねたように唇を尖らせた。
「黙っていた理由はそれだけじゃないわ。私が名探偵だからヤスは連続殺人事件をやることになったのでしょう? 名探偵相手に連続殺人をやり遂げれば、ヤスは島を出られるのでしょう? ミステリ作家になる夢を叶えられるのでしょう?」
――綺晶が名探偵でありつづけることで、俺は夢を叶えられる。
「じゃあ、綺晶は俺のために名探偵のふりを?」
「ヤスは『名探偵になりたい』という私の夢を叶えてくれたわ。だから、今度は私がヤスの夢を叶える番だと思ったのよ」
世の中には夢がなければ生きていけない人がいる。
俺や、綺晶のように。
「どんなことをしてでも夢を叶えたいと願う気持ちは、私にもよくわかるから」
綺晶は上目遣いに俺を見ると、照れくさそうに頬を赤く染めた。
いつもの芝居じみた冷淡さとはまるで違う、この可愛らしく拗ねた表情が彼女の素なのかなと俺は思った。
「そういえば、綺晶からも俺に話があるって言ってなかったか?」
憑きものが落ちたかのように満足している綺晶へ、俺は思い出したように問いかける。
綺晶は「すっかり忘れてた」とでも言いたげに顔を上げると、
「その……。今日はヤスに『ありがとう』を伝えに来たのよ」
そう言って、綺晶は畳に三つ指をついて深々と頭を下げた。
「この島に来て良かった。ヤスと一緒にたくさんの謎が解けて楽しかった。ヤスと友達になれて嬉しかった。……そばにいてくれて、ありがとう」
綺晶らしからぬしおらしい態度に、俺は戸惑いと照れくささでなにも言えなくなる。
そうして綺晶のつむじを見ながらあたふたしていると、彼女はゆっくりと頭を上げ、伏し目がちにささやいた。
「こういうことを言うと、ヤスは怒るかもしれないけれど」
綺晶が緊張で微かに声を震わせる。
「せっかく友達になれたのだし、ヤスが人殺しじゃないのはばれているのだから……だから、その……ヤスが島を出る必要はないんじゃないかしら」
「俺に夢を諦めてここで暮らせと?」
「そうじゃないわ! そういうことではなくて、ここでも小説は書けるし、上京するのは中学を卒業してからでも……せめてあと半年……私が生きている間は、そばにいてくれても……」
綺晶にしては珍しく歯切れが悪い。
ごにょごにょとささやくと、綺晶は上目遣いでちらりと俺を見た。
「だって、私は名探偵なのよ。名探偵には……助手が必要だわ」
拗ねたように唇を尖らせ、不安そうな目で見つめられて、俺は、
「……ったく。仕方がないな。わかったよ。探偵の世話をするのは助手の務めだ。名探偵が健在な間は、俺がそばにいてサポートしてやるよ」
ぶっきらぼうな俺の返事を聞いて、美少女名探偵は花が咲くように顔をほころばせた。
こうして俺の夢への第一歩は、ほんの少しだけ延期になった。
※ ※ ※
綺晶はあと半年しか生きられない。
せめてその間だけでも、助手として名探偵を支えてやるのも悪くない。
絶海の孤島で、名探偵と一緒に楽しい思い出を作るのも悪くない。
夢を叶えるのは、それからでも遅くない。
――そして俺は思い知る。
夜神島の名探偵は、口が上手いということを。
彼女は嘘をつくのが上手だと、半年後に俺は思い知ることになる。
古今東西。助手は名探偵に振り回されるのが宿命なのだ。
<終>
――――――――――――――――――――――――
本話が最終話となります。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
犯人はヤス!~美少女名探偵と新米殺人鬼の不連続殺人事件~ 久遠ひろ @kudohiro
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