第33話 エピローグ(1)
「それでさ、金魚が『僕はいつまで女装を続けなきゃいけないの?』って泣きそうな顔で言うんだよ」
トレードマークであるえんじ色のジャージ上下を着た愛子が、身振り手振りを交えながら俺に近況を報告している。
ここは夜神島の駐在所。
殺人犯として逮捕された俺は、島の駐在所に拘留され、本土へ護送するための船が到着するのを待っていた。
連続殺人事件が解決してから丸一日が過ぎたが、いまだに嵐の影響で海が荒れていて船が出せないらしい。
当初の計画では、事件解決の翌日には刑事(に扮した百目鬼のおじさんの部下)が来島して俺を連行するはずだったのに、すっかり予定が狂ってしまった。
そういえば、殺された百目鬼のおじさんとおばさんは今頃どうしてるのかな?
死んだはずの2人が島内をうろうろしていたら、綺晶に殺人が狂言だったとばれてしまうからね。
今ごろは綺晶に見つからないように、島のどこかに隠れて俺と同じように船を待ってるのかな?
「事件が解決しても女装を続けなきゃいけないなんて、金魚も可哀想だな」
「ヤスのせいだろ。他人事みたいに言うな。それにしても、綺晶はあんなに頭が切れるのにどうして金魚が男だと気づかないのかな?」
「そばにがさつな女がいるから、比較して女らしく見えてるんじゃないか?」
俺は畳の上であぐらをかきながら、愛子が差し入れたサンドイッチを頬張る。
連続殺人犯として逮捕・拘留されている俺だが、牢屋に監禁されているわけではない。
そもそも夜神島の駐在所に牢屋はないからね。俺は駐在所の中にある奥座敷に、形式的に拘留されているだけだった。
部屋の入り口には申し訳程度に鍵がついてはいるが、面会に来た愛子ですら自由に出入りできる監視の緩さだ。
逃げようと思えばいつでも逃げられるけど、もちろん、俺には逃げる気なんて毛頭なかった。
「俺も金魚には悪いことをしたと思ってるよ。予定では館にいる間に女装だとばれるはずだったのに、話の流れで金魚の出番は全部カットになったんだから」
「後半なんてほとんど台本を無視して進んだよな。最後だけ台本通りの結末になったときは奇跡だと思ったよ」
「あれは、綺晶が綺麗に話をまとめてくれたから……」
「ほんと、綺晶の推理力は凄いよ。それなのに、なぜか女装にだけは気づかないんだよな」
俺の正面に正座している愛子が、バスケットからサンドイッチをつまみ取る。
差し入れのサンドイッチを作ったのが双子の妹・蔵子であろうことは推理するまでもない。
「……綺晶は元気でやってるのか?」
「元気だし、相変わらず上から目線で偉そうだよ。でも前ほど推理はしなくなったかな?」
「自分が推理したせいで友達が逮捕されたんだ。しばらくは推理をする気分にならないかもな」
と言っても綺晶のことだ。すぐにまた推理しまくるようになるだろう。
あいつは推理せずにはいられない、生まれながらの名探偵だからな。
無意識に笑みを浮かべながらサンドイッチを食べていると、愛子がジャージの太もも部分をぎゅっと握り締め、声を絞り出すようにささやいた。
「……どうしても、島を出なきゃいけないのか?」
「今さらなに言ってるんだ。最初からその予定だっただろ」
殺人犯である俺が、いつまでも島に残っているのは不自然だ。
殺人事件が本物だと綺晶に思わせるためにも、犯人の俺が島を出て行くのは避けられないことだった。
「俺の夢は東京に出てミステリ作家になることだ。そのためにこれだけ頑張ったのに、今さら上京を止めて島に残るわけがないだろ」
「二度と島に戻らないつもりじゃないよな?」
「それは……」
愛子に不安そうな目で見つめられ、俺はここ最近の充実した日々を思い出す。
島の伝承を調べ、島の自然を利用し、島の建物を使い、島のみんなで力を合わせてオリジナルの連続殺人事件を演出した。
夜神島だからできた。
夜神島だからやり遂げられた。
シナリオを考えているときも、実現に向けて準備しているときも、本番で名探偵と対決しているときも、こうしてすべてが終わって振り返っている今でさえも、俺はずっと同じことを思っていた。
――俺はこの島が好きだ。
「綺晶が生きている間は戻って来られないけど……いつか必ず帰ってくるよ。そのときはまた遊ぼうぜ」
綺晶は俺が逮捕されたと思っている。
だから綺晶がいる間は島に戻るわけにはいかない。
……とは言っても綺晶は余命半年だから、島に戻れるようになるまでそう長くは掛からないだろうけど。
「綺晶が生きている間は……」
愛子がつぶやき、納得したようにうなずく。
「わかった。向こうに行ってもちゃんと連絡しろよ」
「愛子も元気でな」
愛子は「おう!」と男らしく返事をすると、にぱっと笑顔を浮かべて立ち上がる。
これで愛子とも当分お別れか……。
そう思ってしんみりしていると、部屋を出ようとしていた愛子が立ち止まった。
「そういえば、ヤスに言っておくことがあったんだ」
愛子は振り返ると、楽しそうに白い歯を見せた。
「前に綺晶が、私と蔵子の名前の由来を推理したことがあっただろ?」
「名前の由来? ああ、たしか、おじさんが音楽好きだから、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークをもじって『愛子』と『蔵子』にしたとか」
「あれ、間違いだから」
あっさりと言われた俺は、意味がわからずきょとんとする。
「あの後、お父さんに名前の由来を聞いてみたんだよ。そうしたら私たちが生まれたときにたまたま読んでいた本が『愛蔵版』だったから、そこから一文字ずつ取ったんだってさ」
「愛蔵版だから愛子と蔵子? ……それがどうかしたのか?」
「だーかーらー」
唖然としている俺へ、愛子はおおらかに笑う。
「綺晶の推理は、結論は当たっていたけど過程が間違っていたってことさ。名探偵だからって何でもお見通しなわけじゃないんだよ」
――結論は当たっていたけど、過程が間違っていた。
愛子が発した何気ない一言。
その一言が俺の心にさざ波を立て、波紋のように広がっていく。
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