今日は何の日

いりやはるか

今日は何の日

 一日、五日、十八日、二十三日。


 台所の壁にかけてあるカレンダーにスタンプが押してある日にちだ。

 小さな円の中に点が二つと半円形が並んだ、スマイルマークのスタンプ。

 

 こんなスタンプ、先月まで押してあっただろうか。


 自分の手帳のスケジュール欄は毎日穴が空くほど見ているが、自宅のカレンダーは毎日目の前を通り過ぎて行く風景の中に完全に溶け込んでいた。私が自分で予定を書き込んだことなど、もう何年も無い。お茶会、フラワーアレンジメントスクール、マルキ屋クーポン締切。家のカレンダーは妻のスケジュールでぎっしりだ。

 スタンプの押された日にちに特に規則性は感じられない。日付の離れ方も不規則だ。もうずっと前、恋人として付き合っていた頃の妻の手帳を見せてもらったことがあった。私と会う日にハートマークが書き込まれているのを見つけて、照れ臭い気分になったのを思い出した。


 浮気?

 まさか、と頭を降る。四十を過ぎた既婚の女に誰が興味を持つというのか。それに妻は、お世辞にも、夫である私から見ても、それほど魅力的な女性、とは言い難い。


「何してるの?」


 振り向くと妻が立っていた。心臓が跳ね上がる。


「いや、カレンダーのスタンプが、さ」

 

 私は特に隠す必要も無いのに、理由の見当たらない後ろめたさから目を泳がせてしまう。

 妻は不思議そうな顔をして言った。


「ああ、そのスタンプ。特売の日よ。駅前のスーパーの」


 それだけ言うと、もう寝るね、と寝室へ向かってしまった。鼓動がおさまらないまま、カレンダーにもう一度目をやる。

 今日は二十日。次のスタンプが押された日にちまでは、あと三日。


 二十三日。

 私は仕事の都合で、自宅のすぐ近くまで社用車で行くことになった。平日に自宅の近くを通ることは滅多にないので、新鮮な気分だ。

 国道から一本逸れた道に左折し、駅前通りに向けてしばらく車を進めると高架線沿いにスーパーが見えてくる。先日妻が特売があると言っていた駅前のスーパーだ。カレンダーに押されたスタンプのことなどすっかり忘れていたが、スーパーの方へ何気なく目をやって、私は思わず声を上げた。


 スーパーにはシャッターが閉まっていた。

 道路脇に車を停め、入口まで駆け寄る。シャッターには張り紙がされていた。


「店内改装につき臨時休業とさせていただきます」


 期間は先週から来月の三日までとなっている。妻がこのことを知らなかったはずは無い。彼女は基本的にここで買い物をしていたはずだ。

 どうして?どうしてこんな嘘をつく必要があったんだ?

 私は張り紙に書かれた文字を何度も読み返しながらそう思った。遠くでサイレンの音がしていた。


「早かったのね」

 家に帰ると妻は普段より早めに帰宅した私にそう声をかけた。口調も、見た目も、普段と何一つ変わらない。

 今日は、どこに行ってたんだ?

 仕事をしている間ずっと家に帰ったら何気なくそう聞いてみようと思っていたのに、いざ妻を目の前にすると言葉は喉の奥でつかえたままだ。もしこの言葉を投げかけてしまったら、何かが壊れてしまうのではないか。そんな思いが頭の中を支配していた。

 しばらく黙ったままでいると、私が何か考え事をしていると思ったのか、妻はそれ以上話しかけてこようとしなかった。

 テレビではニュースが流れている。ここからそう離れていない高層マンションで大規模な火災があり、死者が数名出た。私は、スーパーの入口でサイレンを聞いたことを思い出した。火事ー

 頭の内側で何かが弾けた。


 翌日。

 私はいつも通りの時間に家を出ると、その足で近所の図書館へ向かった。会社には取引先へ直行してから午後に出社すると伝えてある。

図書館に着くと、一日、五日、十八日の主要な新聞各紙を集め、閲覧室の机に広げた。

 一日、S県で列車の脱線事故。死者七名、負傷者三十二名。原因は調査中だが、線路へ異物が置かれていた可能性が高い。

 五日、T県のショッピングモールで広場にディスプレイされていた全長五メートルの像が倒れ四名が死亡、十二名が重軽傷。原因は不明。

 十八日、都内のデパートのエスカレーターが突如停止。転落した客二名が死亡。八名が重軽傷。原因は不明。

 そして二十三日。この町で大規模な火災が起きた。最終的な死者数は十名を超えると予測されていた。出火元はゴミ集積所の不審火と見られている。

偶然だ。事故は毎日どこかで起きている。どうしてこんなことを考えてしまったのだろう。

 今わかっていることはカレンダーのスタンプが押された日には大きな事故が起きていたと言うこと。その日、妻はスーパー以外のどこかに行っていたということ。それだけだ。


「お休み、取ってもらえないかしら」


 その日の夜、妻が言い出した。


「結婚記念日、来月でしょう?十五年目だし、一緒にお出かけしたいの」

「十日、か。何かあったかな」


 私はカレンダーの翌月をめくった。十日には、スマイルマークが押されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日は何の日 いりやはるか @iriharu86

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る