終:未来

終:未来_in_the_future

 運命というものがあるのなら、それは多数の枝を持つ大樹のような姿をしているに違いない。何かの本で、そんなふうに読んだ。


 未来は可能性に満ちているから、わたしより八歳も若いきみには、その年の差のぶんだけ、いろんな出会いの可能性があったはず。それなのに、本当にわたしでよかったの?


 とは言っても、わたしはもう、きみとは離れられない。白状してしまえば、最初からだったの。出会った瞬間から、きみは何だか特別だった。


 わたしの心は、きみがいるだけで満たされる。わがままを言わせて。わたしは、きみをずっと独占していたい。




 大学二年生にして、物理学界で頭角を現し始めている。十年に一度の世界的才能、なんて言われるらしい。


 黙っていれば、とんでもないほどのイケメンだけど、口を開けば、たちどころに変人だと露見する。しかも、自覚的に変人を演出しているんだから、どうしようもない。


 生意気、毒舌、皮肉屋。でも、発言は全部、正確もしくは最適。大学や研究会での大立ち回りを聞くたびに、わたしは呆れて笑ってしまう。敵も多いみたいだけど、間違った理論を前にすると、おとなしくなんてしていられないのよね。


 そんな阿里海牙の誕生日は、なんとクリスマスイヴ。ロマンチックなイベントなんて興味もない、みたいな看板を掛けているというのに、ちょっと皮肉だ。


「自分で成し遂げた功績でもないのに、祝う? まずその時点で、誕生日というものの意味がわかりません。祝うなら、親たちが勝手に祝えばいいだけの話です」


 これ、十八歳の秋ごろの、海牙くんの名ゼリフ。


 海牙くんの友達はみんな、彼の誕生日を訊くのに苦労していた。最終的には、クリスマスにわたしがばらしちゃったんだけど。


 どちらにしても、イヴはみんな予定が入っている。毎年、海牙くんの誕生日を当日に一緒に祝うのは、わたしだけだ。今年で三回目。海牙くんは今日で二十歳になった。


 海牙くんが通う国立大学は、高校時代の町から各駅停車で二時間ちょっとのところにある。わたしは彼の大学のそばにヘアサロンを開いた。一緒に住んでいるわけじゃないけど、ほとんど毎日、顔を合わせている。


 今日のディナーは、カジュアルな創作フレンチだった。クリスマス限定のコースに、乾杯は口当たりの甘いワイン。


 実は、これが海牙くんの初めてのお酒だった。象牙色の肌は、パッと朱に染まった。いきなりたくさん飲ませないほうがよさそうだと思った。食事を味わうためにワインは最初の一口だけにして、帰ってから改めて乾杯することを提案した。


 そして、整然と散らかった海牙くんの部屋で、帰りがけに買ったスパークリングワインを開けた。薄々予想していたとおり、海牙くんは、小さなワイングラス半分であえなくダウン。


「目が回る……三半規管がおかしい」

「おーい、大丈夫? 気持ち悪いわけではないのね?」


 今、わたしはベッドに腰掛けて、海牙くんはわたしの膝枕に頭を預けている。


「急激に眠くなっただけ。すごいな、C2H6Oって」

「何、その化学式?」

「エタノール。俗称、アルコール」

「スパークリングワインと言いなさいよ」

「香りがよくてオシャレでも、結局はエタノール混合物でしょう。摂取したC2H6Oの質量は15ml未満なのに、全然ダメだ。顔が熱い」


 ダークグリーンの目は閉じられている。まっすぐで長いまつげがうらやましい。


「意外な弱点発見ってところ? 今まで外で飲ませなくてよかったわ」


 海牙くんは体を丸めながら寝返りを打った。この体勢だと、わたしのおなかにくっついてくる形になる。


 眠るときは、いつもこんなふうよね。左を下にして丸くなって、わたしにくっついて、額をすりすりと寄せてくる。


 緩やかに波打った髪を、そっと撫でる。頬も赤いけど、耳はもっと真っ赤だ。少し冷えたわたしの指先に、海牙くんは喉を鳴らした。


「気持ちいい」

「こんな様子じゃ、日付が変わるまで保たないわね。せっかくプレゼントを用意してるのに」

「さっき、もらったけど?」

「あれは誕生日のプレゼント。それとクリスマスは別よ」


 満足そうに、薄い唇が微笑んだ。

 小さいころ、誕生日とクリスマスがひとまとめだったんだって。すねちゃったんだろうな。そのせいもあって、誕生日を人に言いたくないんでしょ?


「リアさん」

「何、子猫ちゃん?」

「にゃあ」


 まさかの冗談はお酒のせい?


「やっぱり外で飲ませなくて正解だわ」

 子猫ちゃんな海牙くん、かわいすぎるもの。誰かに拾って持っていかれたら困る。




 二年前の四月に出会った。曖昧なまま、春と夏を過ごした。


 九月になって、花火大会の夜。弟に告げられた待ち合わせ場所に、弟たちはいなかった。ごゆっくりどうぞ~、とスマホに弟からのメッセージ。わたしと海牙くんは、まんまと作戦に引っ掛かってしまったというわけ。


 浴衣の着付けをしてあげた海牙くんと、それなりに気合を入れて和服を着たわたし。二人で花火を眺めた。キレイね、と言ったら、海牙くんらしい答えが返ってきた。


「ただの炎色反応ですよ」

「何それ」


 思わず笑った。その次の海牙くんの言葉に、息を呑んだ。


「リアさんのほうがキレイです」


 見上げると、真剣なまなざしがそこにあった。

「何、それ……」

 ぱん、と遠くで弾ける花火の音。


「付き合ってもらえませんか? リアさんのことが好きなんです」


 返事は保留にしてしまった。頭が真っ白だった。


 ハロウィンの晩、わたしは魔法に掛けられた。弟に頼まれて、海牙くんの仮装を手伝ってあげて、こっそりドキドキしながらも、何ともないふりをし通せると思ったのに。


 わたしは出来心で、海牙くんにキスをしてしまった。


 甘い甘いお菓子だった。それが彼のファーストキスだったと聞かされて、嬉しくて、ときめいて、抑え切れなくて。欲張りな自分の心に気付かされた。


 弟たちの文化祭を観に行った、十一月の土曜日。わたしと海牙くんは一緒に回った。隣同士でしゃべったり笑ったりしながら歩いて、そのくせ、お互いの手に触れることさえしなかった。曖昧で、じれったかった。


 別れ際が寂しくて、暗くなった公園に寄った。ベンチで隣り合ったら、今度は何を話すこともできなかった。時間が流れた。体が冷えた。


 海牙くんが唐突に、わたしの手を初めて握った。


「もう一度言います。これで最後です。待たされるのも、はぐらかされるのも、苦しくて耐えられないから。もしも断られたら、二度と会いません」


 ダークグリーンの目が、じっとわたしを見つめた。そして、まぶたが閉ざされた。

 海牙くんの手は震えていた。見えすぎる目をえてふさいで、計算も策略もかなぐり捨てて、海牙くんは一生懸命な声でささやいた。


「ぼくはリアさんが好きです。だから、お願いします、ぼくと付き合ってください」


 わたしはうなずいた。

「はい。よろしくね。わたしも、きみのことが好き」


 その瞬間、海牙くんはギュッとわたしを抱きしめた。それから、自分の行動に驚いたみたいに、ふわりと腕の力を緩めた。


 海牙くんは臆病だった。そのくせ背伸びをしたがった。わたしには、それがいとしくてたまらなかった。


 冬スタイルのカットモデルになってもらって、遅くなった夜。二人きりのサロンで、こっそり唇を重ねた。大人のキスもした。


「少しだけ……さわっても、いいですか?」


 震えがちの言葉に、わたしもドキドキした。いいわよ、と短く答えて、待った。カットソーの内側に入ってきた手は大きくて熱かった。


 じれったい時間を大事にしたかった。でも、期待を胸の奥に押し込めておくことは、だんだん難しくなっていった。自分の心も誰も目もごまかせないくらい、わたしは、恋をしていた。


 初めて愛し合ったのは、ちょうど二年前。海牙くんの誕生日で、クリスマスイヴの夜だった。


 行きつけのバーの話や、高校時代のちょっとした流行りのこと。何気ないつもりで話していたら、海牙くんが表情を消した。わたしをベッドの上に追い詰めて、一言。


「今夜はぼくを子ども扱いしないでほしいって、言ったはずです」


 切羽詰まって燃える目をした彼は、少年ではなかった。大人の男の色気に満ちていた。この上なく熱っぽい夜が訪れて、溺れる、という言葉の意味をわたしは知った。


 海牙くん、恥ずかしくて、きみに言ったことはないけどね。カラダが恋に落ちたのは、あの夜が初めてだったの。それまで誰と何をしても、誰に何をされても、このカラダが感じたことなんてなかったのに。


 好き。本当に、大好き。


 どんなふうに運命が枝分かれしても、きみと一緒にいたいと願う。

 どんなときも、いつでも、どうかわたしを見付け出してね。


「リアさん……」

 眠そうな声で、海牙くんがつぶやいた。


「どうしたの?」

「寝る」

「このまま寝ていいわよ。後で膝から下ろしてあげても、意外と気付かないでしょ?」


 海牙くんは首を左右に振った。

「一緒に寝たい。ねえ」


 出た、甘えん坊のおねだり。わたしはこれに弱い。

「仕方ないわね」


 言ったとたん、男の力でしがみ付かれて、布団に引っ張り込まれる。あーあ、スカートがしわになっちゃう。


 わたしはいつも、海牙くんの左側。海牙くんはわたしを抱きしめて、わたしの肩にキュッと顔を寄せる。


「こら、くすぐったいってば。ちょっと、もう、きみのシャツもしわになるわよ?」


 聞こえている様子が、すでにない。すやすやと、温かい寝息が首筋に触れている。

 わたしは、ウェーブした髪を撫でて、海牙くんの頬にくちづけた。


「二十歳の誕生日、おめでとう」


 でも、甘える姿は子どもみたいよ。困った子。

 わたしより高い体温の、引き締まった体。ぐっすり眠って目覚めたら、今度は大人のやり方で、わたしを抱きしめてくれるかしら。


 夢の中でも、きみに会えたらいい。そう願う、きみの誕生日の聖夜。


 おやすみなさい。

 いい夢を。



【了】


BGM:BUMP OF CHICKEN「メーデー」


おまけ1:

KISS or KISS ? ―メイクアップ・ハロウィン―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881837648


おまけ2:

CHEEKY X’MAS―愛しの生意気エイティーン―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882137871

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LOGICAL PURENESS―秀才は初恋を理論する― 馳月基矢 @icycrescent

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