呪詛の終わり

忍野佐輔

呪詛の終わり

 そして僕はを両耳にあて、瞳を閉じた。

 途端、聞こえてくるいつものナンバー。

 夢を追い続ける誰かの歌。

 ロックバンドは歌う。

 諦めなければ夢はいつかかなうと。憧れを失わなければ辿たどけると。

 曲が流れる5分間だけ、僕は舞台に立つ自分をできた。

 この曲があるから、僕は頑張れたのだ。


 けれどもう、こんな気持ちでこの曲を聴くのは、これが最後だろう。



    ◆ ◆ ◆ ◆



 夏の深夜に漂う生ぬるい風。

 湿り気のあるソレに薄くなった髪をさらわれて、僕は両目を開けた。

 マンションの15階へ続く階段の踊り場、そのりの外に僕は立っている。

 足場は僅かだ。後ろ手に持つりを離せば、あっという間に重力の手で地上へ引きずり落とされる。それで全部おしまい。


 舞台俳優で一旗揚げようと上京してから、既に15年以上過ぎていた。


 昼も夜も劇団で稽古、空いた時間は全部バイト。そんな僕の職場での評判はすこぶる悪い。若い頃は応援してくれるオッサンもいたが、今や僕もハゲ散らかしたオッサンだ。「いつまで夢見てんだ」――そんな陰口が毒ガスのように心をむしばむ。これでまだ舞台に立てるならマシだが、せいぜいが。劇団での僕のあだ名は『チケット配布係』だ。


 ――歳から考えて、もう夢はかなわない。

 叶わないと分かりきった夢を追うのは地獄だ。


 夢のために夢以外の全てを捧げた。父親が死んでも葬式の翌日には稽古へ戻った。だって容姿も平凡で才能も無い僕は、人より多く努力しなきゃいけない。親の死を悲しんでいる暇なんてなかった。

 まるで、夢をかなえるためだけに動く機械になったよう。

 人間の僕は機械であろうと、この曲を聴き続けた。

 頭に歌詞が響く。馬鹿にする大人を見返してやれ、俺は諦めない、いつか絶対に夢を叶える――――支えてくれた言葉たちは、今となってはただのじゅだ。

 何度も僕を勇気づけてくれた5分間が終わる。

 使をつけたまま、僕はりから手を離し――


「おい、」



   ◆ ◆ ◆ ◆



「おい、」


 ゴツンと肩をたたかれ、僕は――からめる。


「公演直前に居眠りたあ、お前つくづく度胸あるな」


 椅子に座ったまま顔を上げると、座長のあきれた顔があった。


「ま、飛び降り自殺するくらいだしな」


 そう「がはは」と豪快に笑う座長は、自身の劇団を持つ俳優だ。

 あの日僕は、りから離した手をこの座長につかまれたのだった。そして僕の話を聞いた座長は「オッサンの劇団員は少ない。あと10年だ」と、刑期を宣告したのだ。

 そして僕は今、主役の『さえないおっさん役』として劇場にいる。

 このチャンスをくれた座長には感謝してもしきれない。

 けれど、この地獄の10年を乗り切れたのは――


「……座長、最後に5分だけ時間をくれませんか?」

「5分だけだぞ?」


 そう肩をたたいて座長は走り去っていく。

 僕は音楽プレーヤーを取りだし、地獄を支えてくれたあの曲を選んだ。


 そして僕はを両耳にあて――

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呪詛の終わり 忍野佐輔 @oshino_sasuke

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