嵌められたのは誰の心
「やあマックス、いいところに来てくれたね。おかげで助かったよ」
マクシムス様が来なくても勝てそうだったのに、ナルセス様は礼を言った。
「星読み師が不吉な兆候を読み取りましたので、取り急ぎここに参りました。しかし、まさかカジムが兄上に刃を向けるとは」
「おや、君は星占いなんて信じる柄だったかな。まあいいんだけれど」
兄弟の間に、どこか不穏な空気が漂っていた。二人が沈黙しているあいだに、マクシムス様の兵がアヴィメレクの全身に剣を突き立て、とどめを刺した。
「まだ何者かが兄上を襲ってくるかもしれません。このまま麓まで私が警護いたします」
「そうかい、じゃあよろしく頼むよ」
ナルセス様は笑顔で返したが、その目は笑っていなかった。
◇
マクシムス様配下の兵に前後を挟まれながら、私とナルセス様は山道を下っていた。警護されているというよりは、まるで護送される囚人のようだと私は感じていた。
(サーシャ、君は唇を読めるか)
ナルセス様が私を見て、無言で唇を動かした。なぜこの人が読唇術を?といぶかしみながらも、私は答える。
(なにか御用ですか)
(まだ安心はできない。マックスは何かしかけてくる可能性がある)
(あの、ナルセス様はマクシムス様が黒幕だと疑ってるんですか?)
(事実だけ指摘しておこう。マックスはカジムの顔が蜥蜴になっているのを見ても驚かなかった。そして、カジムはマックスの到着を喜んでいた)
(それじゃあ、やっぱり……)
やはりナルセス様はマクシムス様を疑っていた。彼がちょうどいい時に助けに来てくれたのも、あらかじめカジムの行動を知っていたからだとしか思えない。山頂付近に隠れて私たちを見張っていたのだろう。でも、どうしても腑に落ちないことがある。
(なら、どうしてマクシムス様は私たちを助けたんですか?)
(サーシャ、戦に負けない方法とはなんだと思う?)
私が答えあぐねていると、ナルセス様は言葉を継いだ。
(勝てる側につくことだ)
私は息を呑んだ。マクシムス様はカジムをけしかけたうえで、ナルセス様が優位に立ったからそちらについたとでも言うのか。にわかには信じられない。でも、マクシムス様が若くして不敗の名将と讃えられているのも事実だ。
(君は知らないだろうけど、マックスだって何も喜んでウィルダニアの支配を受け入れているわけではないんだよ。ウィルダニアが圧倒的に優位だから従っているだけだ。ただ、有力な駒を手に入れればまた話は違ってくる。状況はいつだって流動的だからね)
(じゃあ、もし殿下が死んでしまっていたらどうするんですか)
(その時にはフォルシスの王位がマックスの手に転がりこむ。損をすることはなにもない)
聞けば聞くほど、マクシムス様の恐ろしさが身に染みる。ナルセス様が読唇術を使えるのも、この切れすぎる弟に知られずに言葉を交わせる相手が必要だったからだろうか。ふだんから馬鹿なふりをしていたのも、マクシムス様に警戒されたくなかったからだろうか?
「ねえマックス、ウィルダニアの兜は重くはないかい?なんなら脱いでしまってもいいんだよ。今日は秋にしては暑いし」
ナルセス様は馬上のマクシムス様の背に言葉を投げた。マクシムス様は振りむかず、「山の気候は移ろいやすいものです」とだけ答えた。今はまだウィルダニアに歯向かうときではない、とも取れる返答だった。ナルセス様は軽く肩をすくめ、苦笑しただけだった。
ようやく山のふもとまでたどり着くと、すでに陽は西へ傾いていた。とりあえず無事にここまで来れたことにほっとしていると、マクシムス様が私のそばへ馬を寄せてきた。
「兄上が無事だったのはそなたのおかげだ。よくぞあの大蛇をしとめてくれた。改めて私から礼を言う」
私は思わず緊張に身を固くする。
「どうだ、今からでも私に仕えぬか。手柄さえ立てれば、私は身分を問わず騎士にでも取り立てる。今日の働きぶりを見るかぎり、即戦力となってくれるものと思うが」
さっそく仕掛けてきた。この人は思いのままになる手駒がほしいのだ。私が下を向いて沈黙していると、ナルセス様が急に駆け出した。同時に女たちの歓声が聞こえる。殿下を迎えに来たのだろう。
「うひゃあああああああっ?!」
今日二度目のナルセス様の悲鳴が響いた。また、今朝作った落とし穴に落ちたのだろう。いや、自分から落ちてみせたのだろうか。今度はおそらく、私をマクシムス様の磁場から引き離すために。
「申しわけありません。まだ任務の途中ですので」
ナルセス様が無事王都に帰還するまで、勇者ノ儀は終わらない。軽く一礼すると、私は穴の中のナルセス様に駆け寄った。
「ああ……なんだか太陽が黄色いね」
急に肌が粟立った。ジラルダと同じ台詞を、確かに私はこの人から聞いたのだ。ナルセス様は、冒険者としての私に話をしようとしている。
「サーシャ、今日の試験は合格だよ」
「試験って、どういうことですか?」
「まず、君はためらうことなくロアを助けた。これが一次試験。そして僕の護衛を見事につとめ、アヴィメレクまで倒した。これが二次試験。そしてマクシムスの誘いを断り、ここに駆けつけてくれた。ここまでしてくれれば申し分ない」
「えっ、ロアは私を試すために芝居を打ってたんですか?」
「誰が真にフォルシスの民を思ってくれるのか、見極めなくてはいけなかったからね」
ナルセス様がロアは無事だといったのはそういうことだったのか。ジラルダは殿下と組み、私の財布を軽くしたうえで護衛の仕事を持ちかけてきたのだろう。私は見事に嵌められていた。でも、嫌な気分ではなかった。
「というわけで、だ。君を『紅の女王蜂』に迎え入れたいんだが、どうかな?」
その時、私の肩にふたつの手が置かれた。私の左右には、派手な身なりの女たちの笑顔がある。きっと彼女たちも「紅の女王蜂」のメンバーだろう。私は二人に笑みを返すと、穴の中の王子へと手を伸ばした。
「こうなったらもう、とことんまで付きあいますよ。殿下についていけば、退屈だけはしなくてすみそうですから」
ナルセス様は快活に笑うと、私の手を強く握り返した。この人はフォルシスの民のため、一番大きな危険を冒した王子だ。この国一番の冒険者の力になれたことを、私は密かに誇りに思った。
穴モテ冒険者サーシャのハメ獲り日誌 左安倍虎 @saavedra
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