一匹の大蛇と二匹の悪魔

「知恵というほどのものじゃないさ。マックスが南方戦役で捕虜にした君が勇者ノ儀の目付役に任じられる時点で、何かおかしいと誰だって考えるよ。あの苛烈なマックスがわざわざ敵将の君を助けた理由はなんだ?君がそれだけ役に立つ技能を持っているからじゃないか。ファキール族の特技といえば要人の暗殺だ」

「そういうのを知恵、という、のだ」


 苦しげにあえぐと、カジムの顔の皮膚が剥がれ落ち、たちまち鱗に覆われた。瞳孔が縦に裂け、口からは長い舌がのぞく。完全に爬虫類の顔になっている。


「ぐっ……」


 カジムがナルセス様の手首に爪を立てると、ナルセス様の力が緩んだ。素早く体勢を立て直したカジムは、腰の湾刀を抜く。その手首も爬虫類のそれだ。


(まさか、顔と手首を悪魔に喰わせたの)


 鬼道衆の鬼道とは、私の使っている魔術のことなのだろう。カジムは悪魔に顔と手首を差しだした代償に、獣をあやつる力を手に入れたのだ。この男は一体どれほどの苦痛に耐えたのだろう。


「お前のその知恵は、我が国の仇になる」


 カジムは少し距離を置き、ナルセス様と向き合った。ナルセス様も剣を鞘から抜き放つ。


「どういうことだい?これから王位を継ぐ僕に、馬鹿でいてほしいというのか」

「そうではない。その知恵の使い道が問題なのだ」

「ますます何を言っているのかわからないな」

「あくまでしらを切るつもりか。二年前、お前が警護していた武器と兵糧はどこへ消えた?」

「そんなことは山賊に訊いてくれよ。僕は物資を奪われた被害者なんだぞ」

「よくもぬけぬけとそんなことが言えたものだな。──出でよ、アヴィメレク」


 カジムが右手を天にかざすと、周囲の藪がざわめき、中から巨大な影が飛びだしてきた。そいつが着地しただけで、地面が大きく揺れる。


(これは……黄泉蛇?いや、なにかが違う)


 その巨大な蛇は、尻尾の先にもう一つの頭を持っていた。その頭がこちらを向くと、私の心臓が大きく跳ねた。


(ホウ、ワガ同胞カ。魔獣トナリテ生キテイタカ)


 右手の悪魔が嬉しそうにつぶやいた。大蛇の尻尾に宿っているのは、確かに「終わりなき貪欲と飽食のあぎと」だった。ただし、私の右手の悪魔よりはるかに大きい。

 未熟な召喚士は、悪魔を呼び出すと、しばしばその制御に失敗する。悪魔はこの世界に長くとどまることはできないが、この世界の生物の身体を喰らった場合は別だ。召喚士の手を離れた悪魔は黄泉蛇の身体を自分自身に置き換え、魔獣としてこの日まで生きながらえたのだ。


「先ほどお前は、ここの地面を掘るなとそこの娘に言っていたな。この下に何が隠れているのか見ものだ」


 カジムが顎をしゃくると、大蛇の尻尾の先の悪魔は大きく息を吸い込んだ。そして耳障りな音を響かせ、牙を噛み合わせると、墓地のそばの地面に大穴を開けた。


(なんて力なの)


 悪魔が美味しそうに喉を鳴らすと、大蛇の腹が大きくふくらんだ。大穴の下に目を凝らすと、そこには地下室らしい部屋があり、壁にはウィルダニア製の矛槍がたくさん立てかけられていた。床に並べられている木箱のひとつを大蛇がくわえ、カジムの前に放り投げると、中から大量の銀貨があふれてきた。


「兵糧はすでに売却ずみというわけか。いずれにせよお前は、軍需物資の横領という大罪を犯したというわけだ」

「だから、僕は被害者だと言っているじゃないか。山賊はここに盗んだ物資を隠していたというだけのことだろう」

「お前がどれだけ無能だったとしても、王子直属の部隊が山賊ごときに遅れを取るとは考えられん。お前は物資を奪われたのではなく、

「なぜ僕がそんなことをしなくちゃならない?」

「お前は二年前、フォルシスがウィルダニアの南方戦役のため兵を出すことに反対していたそうではないか。これ以上民に負担をかけるな、とも言っていたそうだな」

「その程度のことで僕を疑うのか。根拠が薄弱すぎるね」

「最近、軍役代納金を支払い兵役を逃れようとするものが妙に増えている。5万ギルダスを支払える庶民がそんなに多いはずがない。さて、代納金の出どころはどこなのだろうな」


 電光が頭の中を貫いたような気分になった。ジラルダは軍役代納金のことなら自分に任せておけといっていた。いくらジラルダが凄腕の賭博師でも、自己資金だけで多くの人の代納金を払えるわけがない。だとすれば、やはり山賊を装った冒険者が物資を奪い、換金してジラルダに渡していたのだろうか。


「そんなことを論じてみても意味がないんじゃないか?事実はどうあれ、君は僕を殺す気なんだろう」

「何も後ろめたいことがなければ、お前が俺の襲撃を予測できたはずもあるまい」


 長い舌で口元を舐めると、カジムはほくそ笑んだ。鱗に覆われた手首をふたたび天に掲げると、大蛇が鎌首をもたげ、私に牙をむいた。


「ナルセス様、下がってください。この蛇は私が引き受けます」


 アヴィメレクはさっき地面を喰らったばかりだから、今は満腹のはずだ。もうしばらく食事はできないから、「終わりなき貪欲と飽食のあぎと」の力で私を喰らうことはできない。

 私は右手の掌をアヴィメレクに向けた。一度この口に噛まれれば、唾液で全身が痺れることは向こうも知っているだろうから、牽制になる。アヴィメレクはちろちろと長い舌を踊らせるが、私をにらみつけたまま距離を詰めようとはしない。


(我ガ同胞ニモ気ヲツケロ)


 右手に宿った悪魔は、私を心配してくれているのではない。私が死ねば自分もこの世界から消滅するから、協力してくれているだけだ。でも、今はこの悪魔の助言がありがたかった。

 どれくらいの時間がたったのか、互いに一歩も動けないままでいると、アヴィメレクはすっと頭を後ろに引いた。代わって、尻尾の悪魔が前に出てくる。悪魔が大きく口を開き、中から現れたものの姿を見たとき、私は悲鳴をあげそうになった。


「おねえちゃん、いたいよ……」

「ロア!」


 唾液でべっとりと髪を濡らしたロアの頭が、悪魔の口から顔を出していた。


「おねえちゃん、たすけて」


 ロアの声につられて、私はふらふらと悪魔のそばに歩み寄っていた。彼女から目を離した私が悪かったんだろうか。早く、彼女をあの怪物の外に出してやらなければ……


「惑わされるな、サーシャ。ロアがこんなところにいるはずがない!」


 ナルセス様の声で、私は我に返った。なぜナルセス様がロアのことを知っているのかわからないけれど、その言葉は信じていいような気がした。


「戻るんだ、サーシャ!アヴィメレクは君をおびき寄せる気だぞ」


 それはもうわかっていた。大蛇の狙いを読んだうえで、私は一歩づつ悪魔の口に近づく。ロアの吐息が聞こえるほどそばに寄ると、背後から大蛇の頭が襲いかかってきた。横っ飛びにその頭をかわすと、私は右手の悪魔の牙をアヴィメレクの身体に突き立てる。大蛇はしばらく痙攣したのち、地にその身を横たえた。


(あれが本物のロアなら、喋れるはずがないものね)


 「終わりなき貪欲と飽食のあぎと」の唾液を浴びているなら、ロアは動けないはずなのだ。気がつくと、アヴィメレクの尻尾の悪魔の口から泥が流れ出ていた。さっき喰らった地面の土で、ロアを形成していたのだろう。


(ホウ、我モ成長スレバ記憶ヲ読ミ、泥人形ヲ捏ネ上ゲラレルヨウニナルノカ)


 右手の悪魔は感慨深げにつぶやいた。悪魔は成長するほどに、悪魔的な知恵を働かせるようになるらしい。


「さあ、そろそろ覚悟を決めてもらおうか、カジム」


 ナルセス様は騎士剣を手に、カジムと対峙しているところだった。蜥蜴頭のカジムの表情はわかりにくいが、アヴィメレクを倒されて動揺していないはずがない。私は腰の小剣を抜いてカジムの背後に回り、右手の悪魔の牙をこいつに突き立てる隙をうかがう。ひさしぶりに使うだ。


「どうしても黒幕の名を吐く気はないのかい?」

「鬼道衆はたとえ拷問されても口は割らぬ」

「ま、そうだろうね。もっとも僕には大体の見当はついているが……」


 ナルセス様がそこまで言いかけたとき、視界の隅に銀色の光がきらめいた。光源を確かめると、二十人ほどの重装の兵士の一団を騎乗した男が率いていた。馬上の男は、赤い房飾りのついたウィルダニア製の兜の下で怜悧な瞳を光らせている。


「マクシムス様!」


 カジムが叫んだ。その声には、明らかな喜びの色が混じっていた。ナルセス様の弟君が馬上で右手をあげると、周りの兵が一斉に弓に矢をつがえる。


(もしかして、私たちを殺す気なの?)


 ナルセス様はまだ何も言っていないけれど、マクシムス様がナルセス様を殺そうとしていた可能性は十分に考えられる。カジムを捕虜にしたのはこの人だし、ウィルダニア南方戦役で活躍していたマクシムス様からすれば、出兵に反対していたナルセス様は邪魔なはずだ。それに何より、ナルセス様がいなくなればマクシムス様が王位継承者の筆頭になる。


 私がめまぐるしく頭を回転させているうちに、マクシムス様は無常に右手を振りおろした。私は急いで地面に身を伏せる。しかし、矢が私の頭上をかすめることはなかった。


「……マクシムス様、なぜ……」


 顔をあげると、カジムの全身に矢が突き立っていた。カジムは吐血し、あお向けに倒れると数度身体を痙攣させ、二度と動くことはなかった。

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