彼の者の名は鬼道衆

「だるいなあ……なんだってこの道、こんなに長いんだろうねえ」


 ぼやきながら山道を登るナルセス王子の後に、私とカジム様はついていく。勇者ノ儀では王族でも馬を使ってはならない。山上のカルネヴァル城跡につづく道はらせん状になっていて、途中で時おり巨大な石門をくぐることになる。

 三つ目の石門をくぐり、私たちは山の中腹にさしかかったところだ。楽な道のりではないけれど、澄んだ空気はすがすがしく、紅葉が敷きつめられた地面には心地よい柔らかさがある。


(ジラルダは今頃「紅の女王蜂」の仕事の最中なのに、私はダメ王子のお守り、かぁ)


 疲れないよう歩幅を狭めて歩きつつ、私はジラルダのことを思い出していた。表向きは彼女の仕事は賭博師だが、それは「紅の女王蜂」の資金運用の一手段でもある。そうして増やしたお金を、彼女は軍役代納金の貸し付けや貧民のための炊き出しに使っていた。困窮者の支援は地味でも重要な冒険者の仕事だ。


 対して、私は身体を張る仕事を多く引き受けてきた。兵役に取られたものが南方戦線に回されることが多くなり、フォルシスを守る兵力が不足してきたので、冒険者には自警団の役割も求められた。罠猟師の私も魔獣の討伐に駆り出されたり、山賊の襲撃からティント近辺の村を守ったこともある。ウィルダニア兵はフォルシスにも駐屯しているが、彼らはフォルシスの民を監視はしても、助けてなどくれない。

  

「冒険者は真剣であっても、深刻になってはいけない。そうだろう?」


 ナルセス様の護衛を引き受けるかどうか迷う私に、ジラルダは微笑みかけたものだった。ウィルダニア央国に圧迫され苦しむフォルシスの民のために危険を冒す者、それが冒険者だ。神経をすり減らしがちな日々のなかで、私たち冒険者は少しでも心に余裕を持てるように、互いにおかしなあだ名をつけ合った。その結果がこの私、「穴モテ」冒険者サーシャの誕生だ。でも今の私は、冒険者にふさわしい仕事をしているといえるんだろうか。


「それにしても、黄泉蛇というのは薬にしたりできないものだろうかね?この僕が倒さなければいけないくらいだから、よほど手ごわい蛇なんだろう。その力をこの身体に取り込めるなら、もっともっと多くの女たちを喜ばせてあげられるのに……」


 この期に及んで、このバカ王子はまだ女遊びのことしか考えていない。どうして、弟のマクシムス様とはこんなに出来が違うんだろう。マクシムス様は南方のファキール族との戦いで輝かしい武勲をあげ、若くして不敗の名将と讃えられているというのに。目付役のカジム様も、マクシムス様が捕虜にしてこの国に連れてきた人物だと聞いている。


「おそれながら殿下、黄泉蛇とはそれほど恐ろしい存在ではありません。身体こそ大きいですけど、臆病な生き物です。しかも今回は私の罠を使って捕まえたうえで狩るので、殿下でも簡単にしとめられるはずです」


 皮肉を言ったつもりだったが、ナルセス様は涼しい顔をして聞いている。


「それはいい。僕のような風雅な人間には、大蛇と戦うなんて野蛮な行為は似合わないからね。さっさと儀式をすませて、うるわしき女たちのもとへ帰ろうじゃないか」

「殿下、少しは民の暮らしにも思いを致してください」


 カジム様がたまらずに苦言を呈した。


「民のことならいつだって考えているよ。国民の半分は女だ。そして、僕は夜毎にベッドの上で女たちを喜ばせている。つまり僕は臥所の中で民を慈しむまつりごとを行っているというわけだ」

「三段論法にもなってないと思うんですけど……」

「まあまあ、そんなに怖い顔をするものではないよ、サーシャ。世の中、深刻になっていいことなんて何もないのだからね」


 ジラルダに言われると説得力のある台詞も、この王子に言われるとただの自己弁護にしか聞こえない。相手にしていても疲れるだけなので、私は心の扉をしっかりと閉めておくことにした。

 

「しかしあれだね、山頂は黄泉蛇の生息地だそうだけど、このあたりで出てきてくれないものかな?それなら手間がはぶけるのに」


 そう言いつつ、ナルセス様は道の脇の藪からひょいと小さな蛇をつまみあげた。


「この程度の蛇じゃあ狩っても意味がないしな。そういえばカジム、ファキール族には鬼道衆というのがいて、獣を自在に操るそうじゃないか。確か、獣の血を飲むことでその獣の魂に近づこうとするのだったね。蛇の血を飲んだら、こいつにも言うことを聞かせられるのかい?」


 カジム様はわずかに顔をしかめた。砂漠の民ファキール族は誇り高い。名誉を傷つけられたと思ったのだろう。


「わが一族にはそのような野蛮な風習を持つものなどおりません、それに鬼道衆などとうに滅びました。それより、早くその蛇をお放しください。小さくとも山ヒバカリは危険ですぞ」


 カジム様が小さな蛇を一瞥すると、急にナルセス様が悲鳴をあげた。


「うわぁっ?!何をするんだ、こいつは」


 その小さな蛇はナルセス様の手首に巻き付き、じりじりと締め上げた。

 ナルセス様が必死に手を振って振りほどこうとしても、山ヒバカリはますます強い力で絡みつく。

 カジム様が素早く歩み寄ると、ナルセス様の手首からその小さな蛇をもぎ取り、草むらの中へ投げ捨てた。


「だから危険だと申し上げたではありませんか」

「やれやれ、小さいくせになんて力だ。仮にも王族の僕にたてつこうなんて、けしからん蛇だ」


 私は軽くため息をついた。こんな小さな蛇にも敵わない王子では、黄泉蛇なんて倒せるわけがない。知れば知るほど、ナルセス様は王位継承者にふさわしくないことが明らかになるばかりだ。


(さっさと仕事を終えて帰ろう。今夜は山猫亭で、蜂蜜をたっぷりかけた白パンをワインで流しこもう)


 そう自分に言い聞かせつつ、私は無言で山頂へ続く道をのぼった。





 ◇





「いやあ、ひさしぶりに来たけれど、ここもずいぶん寂れちゃったねえ」


 山頂のカルネヴァル城を見上げつつ、妙に感慨深げにナルセス様が言った。

 フォルシス王国中第二の規模を誇った巨大な円塔はなかばから崩れ落ちていて、地面には石材が散らばっている。石壁にはつたが這いのぼっていて、城の右手には苔むした墓石が並んでいた。


(ウィルダニアの属国になるって、こういうことだったんだ)


 いざこの城の惨状をまのあたりにして、私は言葉を失っていた。

 ウィルダニアは属国とした国には一国一城令を出し、首都の城以外は破却することを命じている。抵抗の拠点を奪い、王族の心を折るのがウィルダニアのやり方だ。もっとも、中央集権化をもくろむ王の場合、諸侯の力を奪うためにあえてウィルダニアの圧力を借りることもある。現フォルシス王もそれを望んだと噂する人もいた。


 でも、いつまでも感慨にふけってはいられない。私はさっそく罠の設置にとりかかることにした。


(「終わりなき貪欲と飽食のあぎと」、頼んだよ)


 心の中で右手にささやきかけると、肘から先に剛毛が生え、腕が黒く変色し、指先の爪が鋭く伸びる。掌に表れた口には、尖った歯列がびっしりと並んでいた。

 私が草の丈の短いところを探し、墓地のそばの地面に掌をかざそうとすると、ナルセス様が私の袖を引いた。


「ああ、そこはちょっと勘弁してもらえないか。墓石のそばは縁起がよくない」


 そんなことを気にする人だったんだろうかと首をかしげながらも、私はしぶしぶ王子の言い分に従い、もう少し南の地面を掘ることにした。

 右手の悪魔が歯をこすり合わせ、耳障りな音を立てると、一瞬ののちに目の前の地面には大きな穴が穿たれていた。


(ヤハリコノ世界ノ土ハ美味ダ。滋養ニ富ンデイル)


 くつくつと笑う「終わりなき貪欲と飽食のあぎと」の声が心に響く。

 何度聴いても慣れない声だ。でも、大きな力を手に入れるには、それだけの代償を支払わなくてはならない。

 日々ウィルダニアの圧迫を受け、弱りゆくフォルシスを支えるため、私は悪魔と契約を結ぶことを決意した。召喚士に頼んで悪魔を呼び出してもらい、身体の一部を喰らわせて悪魔の身体と置き換え、その力を使役する術──それが魔術だ。

 悪魔と身体の相性が悪かったり、悪魔が機嫌をそこねれば契約の途中で死ぬこともある。私が腕を喰わせたときは激痛で気絶し、高熱を発して三日間寝こんだ。四日目の朝に掌に宿った不気味な口が語りかけてきたときも、私は後悔しなかった。その口は、私の力そのものだからだ。


「それでは、この落とし穴の中に餌を置くので、もう少しお待ちください」


 背中越しに悪魔の掘った穴をのぞき込むナルセス様にそう語りかけつつ、私は背嚢からオオデバネズミの死骸を取り出した。これは黄泉蛇の好物なのだ。


「危ないので、殿下は下がっていてください」


 念を押してから、私は掌を大きなネズミに近づける。「終わりなき貪欲と飽食のあぎと」の口から唾液がしたたり落ち、オオデバネズミの身体を濡らした。この悪魔の唾液に触れると、たちまち全身が痺れる。獲物の動きを封じてから狩るのが私の編み出した「嵌め獲り」だ。動けなくなった相手を狩るくらいなら、ナルセス様にも簡単にできるだろう。


 準備を終えると、私は油断なく四方に目を配った。万が一にも黄泉蛇がこっちに襲いかかってきたときのために、十分に気を引き締めておかないといけない。

 もう一度罠に目を向けると、ナルセス様が性懲りもなく穴のそばにたたずんでいた。危険だから近づくなといったばかりなのに。


「あの、ナルセス様、そこから離れて──」


 最後まで言い終わらないうちに、カジム様がナルセス様の背後に忍び寄り、その背を蹴ろうとしていた。しかし、ナルセス様が素早く身をかわしたので、カジム様は体勢を崩して穴に落ちそうになる。


「勇者ノ儀に事よせて僕を始末しようとするとはいい度胸じゃないか。君が独断でしたことじゃないだろう?さあ、誰に命じられたか白状したまえ」


 ナルセス様は剣を鞘ごと腰からはずし、背後からカジム様の首にあてがって絞めつけた。


「素直に、言うとでも思って、いるのか」

「だよねぇ。鬼道衆ってのは相当根性がないとなれないものだからね」

「なぜそれを……」

「山ヒバカリと目を合わせただけで言うことを聞かせただろう?あの蛇は本来は臆病なんだ。人を締めつけるなんてことはめったにない。誇り高い君は、あの蛇に命じて僕を締めさせたんだ」


 ナルセス様はカジムを挑発しながら正体を探っていたようだ。カジムは目に怒りをたぎらせつつ、苦しげに言葉を絞り出す。


「そういう知恵がある、からこそ、お前はあの、方の邪魔になるのだ」


 あの方とは一体誰なのか。私は大きく唾を飲み込んだ。やはり、カジムにナルセス様の暗殺を命じたものがいるのだ。

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