衰退

桜松カエデ

永遠の命

 僕はピーナツを一粒かじると、欠伸を一つしてみせた。

「天国だ」

 クーラーの効いた部屋に、散らかった書類たちが床を埋め尽くす。外から聞こえてくる蝉の声と、ブラインド越しでも容赦なく入ってくる日光は外が地獄であると言う証だろう。

「先輩、その言葉はもう辞書にないんですよ」

 そう言った彼女に僕は目を向けると、少しばかり天井を見上げて考えこんだ。

 死という言葉が辞書に載らなくなって百五十年くらいは絶つかも知れない。いや、もっと以前からだったかな。

 ネットで検索すれば一発で出てくるのだろうけど、それを調べる体力はない。

「知っているよ」

「それに死刑って刑罰も無くなったんですよ」

 ソファーに寝転がっている僕の上に影が出来たかと思うと、後輩の顏が横からぬっと出てきて視線が合う。

「それもしってる。一番重い刑が火刑だろ。鉄壁の中に囚人を入れて炎で燃やし続ける。すると、灰になった部分から体は修復するけどすぐに燃えるから地獄が続くって事だな」

「な、何で知ってるんですか……」

「昨日の警察特集であってた。それよりも、プロトコルは出来たのか? あの老いぼれ達は中々研究費出してくれないだろ。一週間後なんてあっという間だぞ」

 僕がそう言うと立花はゆっくりと上から退く。

 それから机の上にあるまとめられた紙束を差し出してきた。

「見てくださいよ。今回ばかりは自信があるんです!」

 そう言われるとどうも粗探しをしてしまいたくなる。そんな衝動を抑えて僕は渡された共同研究中のプロトコルに目を落とした。

 一昔前ならば議題にも上がらないだろう内容『不死化後の肉体変化について』だ。

 細胞が決められた役割から、初期化されると言う事実は世界の度肝を抜いた。おかげで死の原因と言われるテロメアの消滅は防ぐことが出来たし、アポトーシスも起らない細胞の開発に成功したのである。さらに成功が成功を生み出すかのように、がん細胞の増殖の仕組みを通常の細胞にも適用し活性化に成功したのだった。

 傷を受けてもすぐに治癒がなされ、病原菌やウイルスの類が入って来ても炎症はすぐにおさまる。人類は不老不死という魔法をその身にかけたのである。

「一番難しいのは不死化を解けないってところなんですよね」

 僕から離れた立花は近くにあった椅子に座ると、テーブルの上に置いてあったピーナツを口に頬張った。

 食べ物なんて必要なくなった僕達がこうして口を動かすのはいわゆるステータスを保つためだ。

 金を持ち、良い物を食べることで周りとは違うと言う欲求を満たしたいと考えるのは昔から変わらない。だから僕がピーナツを食べるのは『ピーナツを食べられるだけの稼ぎを持っているんだ、凄いだろ?』と証明するためだ。まあ何のためになるのかは想像がつかないけれど。

「不死化の手術をするとその後は一生変わらないからな」

 僕達がこんな体になっても子供は作れる。厳密に言えばインビトロ……つまりは試験管内でつくる。

 成長してきた子供たちはやがて自分達が一番好きな年齢になると不死化の手術を受け、細胞全てを固定してしまう。これで不死となるわけだけれど、同時に後からの変更も出来ない。

「筋肉の発達を促すためには、一度不死化を解かなきゃいけない、それも僕たちがやっているのはピンポイントだからなあ」

 腹筋運動や腕立てなんかで肉体を変えたいなんてことは出来ない。でも不死化した後で後悔する人たちのためにこうした研究を続けている。

 研究理由としては聞こえはいいが、この永遠の時間の中で何もしないでいいとなると、本当に死人のようなのだ。

 僕は立ち上がると立花のプロトコルを机の上に置いた。

「どこか行くんですか?」

「散歩でもしようかなと思ってるだけだ」

「あ、だったここに行きません?」

 立花は僕の前まで来るとスマホの画面を向けてきた。それは近くの美術館で開催される展示会の企画内容だった。

 エジプト展とシンプルに書かれているサイトには誰でも知っている美術品の写真が所せましと並んでいる。

「まったく……一般公開されている美術品の展示なんてまだやってるのか」

 この長い時を使って、全世界の美術館巡りをしたと豪語していた人間をニュースで拾っていたのを思い出した。

 たぶん、世界中には同じ考えの人が何割か存在しているだろう。この日本とて例外では無い。

「私これまだ見たことないんですよねえ。暇なら一緒に行きましょうよ! プロトコルも見てくれたんでしょ!」

 目を輝かせる立花から目を反らした僕は頭をかくと、首を縦に振った。

 大昔ならば時間は有効活用、研究テーマやプロトコルの提出も切羽詰った状態だったかもしれない。だけど今はそんなことはない。寄り道なんて日常茶飯事だし下手したら戻ってこなくなることもある。

「分かった。ただし入場料は」

「普通に割り勘ですよね」

「……だな」


 僕たちは自動運転のタクシーに乗り込み目的地を口頭で設定する。タクシーはゆっくりと動き出すとすぐに交通の波に乗って走った。

「先輩、これ全部見ましょうよ。もう二度と来ないかもしれないですって」

「なに言ってんだ。行けばいいだろ」

「でもお金かかっちゃいますよ。陸続きなら歩いて行けるんですけどね」

 なんてことを言いながらスマホを弄る立花から僕は視線を外して窓の外を眺めた。

 スーツ姿のサラリーマンは少なく、私服を来たキラキラした人たちが目立つ。

 広場ではスケートボードや新手のゲーム機種をプレイしている者もいる。

「カオスだな」

「いつもと変わりませんけど?」

 いつの間にか立花が僕の見つめている先に顔を向けていた。

「ま、そっか。で、美術館の目玉は何なんだよ。ミイラ?」

「先輩……エジプトって言ったらミイラしかないと思ってません?」

「そんなことはない。ピラミッドとスフィンクスもだろ」

 昔読んだ本の内容を思い出して答えてみるが、どうやら立花はご不満らしい。むすっとした表情をして軽く睨んでくる。

「今日はこのヒエログリフと死者の書が目当てなんです!」

 その他にも捲し立てるように説明されたが、正直僕には分からなかったしあまり興味も無い。それよりも、今回も研究費が降りなかったらどうしようかと考えていた。


 美術館には列なんて無く、がらんとしていた。

 数人のカップルらしき人影がちらほらとあるだけで、警備員なんて欠伸をしている始末だ。

 もうこの手の展示会は全国各地で数えきれないほどやっている。

 新しい出土品でもあれば別だが今回はそうではないらしい。

 近代的、とは言いがたい建物の中はよく冷えていた。うす暗いオレンジ色の照明が館内を奥まで照らし、重い空気が僕の体に纏わりついてくる。

 僕たちが券売機に向ってスマホをかざし、決済をすませると後ろから聞きなれた声に呼ばれた。

「ハーイ。二人がこんな所にいるなんて珍しいデスネ。デートデスカ?」

 にっこりと白い歯を見せたのは金髪の美人。セレナ・オーウェンはそう言いながら彼女もチケットを購入する。

「いつ日本に来たんですか?」

「昨日デスネ! あなた達の発表があるから聞きにキマシタ。研究室に行こうとしたのですが、ここに入るのがミエタノデ」

 白い歯を見せたセレナが先に歩きだし、僕たちはそれに続いた。

 廊下を進んで行くと、特別展示と通常展示とで道が分かれているらしく、案内役の人型受付嬢にスマホをかざす。三人分の認証を終えたロボットがゲートを開けて展示場に続く道を指さした。

 数十秒もいかない内に大きな広間に出ると、そこには数々の出土品が並べてあり、ガラスにはずらりと説明文が映し出されている。

 僕の傍にいたはずの立花は離れてすでに一人で見たいものの前に陣取っていた。

「セレナさんはこういうの見たことあるんじゃない?」

「ウーン、そうですね……エジプトではないですけど、シリアあたりのイセキなら少しだけミタコトアリマス。もう三十年くらい前デスケドネ。そんなことよりも次のプロトコルはどんな感じですか?」

 僕はその問いに立花を一瞥し、目線を展示物に向けながら今朝の事を思い出す。

「やっぱり不死化した後の細胞をどうやって元に戻すかが課題かなあ」

「デスネ。まあ私もその辺に関してはキタイシテマセンケドネ。人間は神の領域に達してしまったとオモッテイマス」

 エジプトのヒエログリフをまじまじと眺める彼女の目に移っているのは、確かオシリス神だ。死を司る神の前で言い切ったセレナはもはや怖いものなどいないといったようにガラスを突いた。同時に『触れないで下さい』と警告文が出てくる。

「オット……」

 一歩だけ後ろに下がったセレナは次の展示物へと足を運ぶ。

 僕も移動しようと足を動かすと、後ろから小声で名前を呼ばれた。振り返るとそこには目的の物を見つけたのか、立花がガラスケースを指さしている。

「先輩、先輩。こっちにありましたよ」

「死者の書だっけ?」

 セレナの元を離れた僕は立花に連れられて、一際ライトを当てられている遺物をまじまじと凝視した。

 オカルトなんてものはこのご時世殆ど信じている人はいない。死人がいなければ幽霊も出ない。テレビの特集も五十年ほど前はまだあっていたきもするが、最近はさっぱりだ。それでも長年の貫録と言えばいいのだろうか、目を引き付けられる魅力があちこちから噴き出している。

「なんでも、死んだあとのガイドブックだとか」

「俺達には最も縁遠いガイドブックだな。神様も寂しがってるかもな」

「かもしれないですねえ」

 なんて流されてそれ以上は何も言わなかった。

 一通りの説明を聞くとどこからか小声が聞こえてきた。知らない声だ。展示会に集まってきた数少ない人たちかもしれないが、僕の考えはすぐに裏切られた。

「現代に美学なんてないのだよ、ファルキン君。分かるかね?」

「館長の『一瞬にこそ美が宿る』って哲学は聞き飽きましたよ。永遠の命を持った人間の作品には魂が宿らない、ですよね?」


 




 

 


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