後編
無我夢中で病院までやってきたけど、朔也君はどこだろう?
病院内をさ迷っていると、集中治療室の横、廊下で俯いているおじさんとおばさんの姿が見えた。
「どうして……どうしてあの子がこんな事に」
「大丈夫、心配ないさ。大きな外傷も無いって、医者も言ってただろ。車に撥ねられたくらいで、アイツが死ぬもんか」
ボロボロと涙を流すおばさんを、おじさんは元気付けようと頑張っている。でも。
「そんなの分からないじゃない!ちょっと打ち所が悪かったら、それだけでもうダメな時だってあるのよ!」
「それは……」
「あの子も……
おばさんが悲痛な声を上げる。
私は何も言えないまま、二人が立っている横にある集中治療室の扉の前へと立った。この中に、朔也君がいるのだろう。
その閉ざされた扉をすり抜けて、私は中へと入る。心の中でゴメンと、おばさんに謝りながら。
おばさんがさっき言っていた『空ちゃん』と言うのは、私のこと。四年前に、私は交通事故で命を失っている。今の私は所謂、幽霊と呼ばれる存在なのだ。
仕事からの帰り道、車に撥ねられて、意識を失って。目立った外傷はなかったけど、打ちどころが悪くて。昏睡状態が続いたまま意識が戻らず、そのままだった。
死んでしまったことは残念だけど、今では向こうで静かに暮らしている。
それでも毎年お盆には里帰りし、朔也君の様子もその度に窺っていたけど。まさかこんなことになるだなんて。
生前、おばさんにはとてもお世話になっていて、私のお葬式では涙を流してくれていた。おばさんは今の朔也君と、あの時の私を重ねて、もし同じことになったらと恐がっているのだろう。ごめんなさい、不安にさせてしまって。
治療室の中に入ると白い大きなベッドで、朔也君が横になっていた。
お医者さん達が機敏に動いて治療を行っているけど、私には何をどうするのが正解かも分からない。
そっとベッドに近づいて、眠っている朔也君の顔を見たけど、綺麗なまま。放っておいても、直に目を醒ますんじゃないかってくらい穏やかな顔。
けど、そんな見た目では本当の容体は分からないと言うのは、身をもって知っている。もしこのまま目を醒まさなかったら……
「心拍数が低下している。心臓マッサージの用意を」
お医者さんや看護師たちが慌ただしく動いている。もし、もしも朔也君が目を醒まさなかったら、いったいどうなってしまうだろう?
……また一緒にいられる。誰にも邪魔されずに、二人きりになれる。
一瞬、そんな事を考えてしまった。
死んでから今までの間、朔也君を見守ることは出来ても、姿を見てもらう事も、話をすることもできなかった。だけど朔也君もこっちに来れば、また昔みたいに一緒にいられるんだ。
それは私にとっては喜ばしいことかもしれない。けど、何故だか胸が苦しくなる。
ベッドの横に置かれた心電図モニターに表示されている数字が、徐々に小さくなっていく。もう少しで、朔也君はこっちに来る。だけど……
「バカ……何やってるの?」
気が付けば誰にも聞こえない声で、そう呟いていた。そして。
「何やってるの⁉朔也君が死んじゃったら、おじさんやおばさんは凄く悲しむんだよ!それに、奥さんだって。さっき会った時、奥さんのお腹、大きくなってたよ。朔也君、もうすぐお父さんになるってことだよね。なのにこんな所で何してるの⁉早く……早く戻ってあげなよ!」
姿が見えないのをいいことに、ベッドのすぐ横までやって来た私は朔也君の手に自分の手を重ねて、思いっきり言ってやった。
このまま朔也君がこっちに来れば、また一緒にいられる。けどそれでも、好きな人が死ぬことを望むなんてとてもできない。
「こっちに来たらその時は、ぶん殴って追い返してやる!口もきいてあげないんだから!もっともっと元気でいてくれなきゃ、絶対に許さないよ!生きて、生きてよ朔也君!」
その時ふと、重なっている彼の手が微かに動いた気がした。そして。
「呼吸、脈拍、正常に戻りました」
「よし、だいぶ安定してきたし、もう大丈夫だろう。このまま治療を続けろ」
お医者さん達のそんな言葉が聞こえる。どうやら危機は脱したみたい。そういえば心なしか、さっきよりも寝顔が穏やかな気がする。
「もう、心配かけて……」
頬を一筋の涙が伝う。
幽霊でも涙を流せるんだな。そんな事を考えながら、私は安堵のため息をついた。
「朔也、朔也!」
「まったくこいつは。親に心配かけて」
病室に入ってきたおじさんとおばさんが笑顔を見せている。そしてもう一人。
「朔也さん。良かった無事で」
安堵の表情を浮かべているのは奥さん。そして意識を取り戻していた朔也君は、そっと彼女のお腹に触れる。
「ごめんな、心配かけて。でももう大丈夫だから。コイツの顔をちゃんと見なくちゃいけないからね。それに、君は寂しがり屋だから。残していったら、きっと泣いちゃうだろ。そんなの耐えられないよ」
うわっ、なんて甘い言葉。こう言うことを何の躊躇いもなく言うのは、昔のままだなあ。
本当、昔と何も変わらない、キラキラとした笑顔を見せる朔也君。あーあ、見せつけてくれちゃって。
でもこうして笑い合う二人を見ると、本当に幸せそうで。きっと私が生きていたとしても、間にはいることなんて出来なかったんだろうなあ。
あ、別にヤキモチなんて焼いてないからね。ちょっとだけ羨ましいなって思っただけだから。
「ああ、そういえば……」
「どうしたの、朔也さん?」
どうしたの朔也君?
「眠っている時、声が聞こえた気がするんだ。痛くて苦しかったけど、優しく励ましてくれた気がする。アレって……空?」
えっ、聞こえてたの?でも待ってよ。私は優しく励ましてなんていないから、力強く喝を入れてやったんだよ。
「空ちゃんかあ。今はお盆だから、きっと帰って来たあの子が、目を醒ませって叱ってくれたのね」
お、おばさん鋭い。私の事を思い出しながら、遠くを見るような目をしている。本当の私はそんな遠くにいないけどね。おばさんのすぐ横で笑っているから。
「そうかもね。退院したら、墓参りに行ってみるよ。もうすぐパパになるって、報告もしたいしね」
ゴメンね朔也君、もう聞いちゃったよ。
それと、奥さんの前であんまり他の女の話はしない方が良いよ。ほら、『空って誰よ?』みたいな顔してるじゃない。何だかヤキモチを焼いているような気も……
まあ何はともあれ、もう心配は無さそう。私が残ってる必要も無いかな。
そっと病室のドアの前に立ち、振り返ってぺこりと頭を下げる。
じゃあね、朔也君。しっかり身体を治して、立派なお父さんになってね。そして、私の分までちゃんと生きて。おじいちゃんになる前にこっちに来たら、今度こそ許さないんだから。
さて、すっかり遅くなっちゃったけど、いい加減家に帰らなくっちゃ。
そういえば帰る時に乗ってきた、キュウリでできた馬、朔也君の家の前に置いてきちゃってたんだ。事故に遭ったって聞いて気が動転して、すっかり忘れてたよ。まずはアレを取りに行かなくちゃ。
そんな事を考えながら、病室の扉をすり抜ける。
帰るとしますか。一年ぶりのわが家へ。
真夏の里帰り 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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