なんのための魔法?

 悲痛な叫び声と乾いた打撃音、上においてある木棚がガタガタと震える。セニーリがイイラをチラと見れば、引き攣った笑みで硬直していた。


「えーと、これは……?」

「はは、ははは……。なんのことだろうなあ」


 ごまかすと言うより、本人も理解が及んでいないというふうで、説明を求めても無駄そうだ。

 やがて上の一メートルほどの棚が倒れそうになったところで、ミィが受け止めて横に避けた。棚には重そうなチーズも乗っていたが、さすがはグリア人と言ったところだろうか。

 するとそこにあったのは、一枚の木板と布で、下になにか隠しているようだった。

 ミィはイイラを伺い尋ねる。


「中を見ても?」

「……いや、待て。駄目だ!」

「うわあああ!」


 イイラが止める間もなく、ミィが除けるでもなく木板は軽く打ち上げられ、空いた隙間から男が這い出してきた。

 そこにいたのは痩せぎすの男で、一般的な成人した人間よりも一回り以上小さく、顔はやせ細って不健康そうである。なにやら呪文が刻まれた上半身は裸で、骨の浮いたあばらが目立つ。しかしそれ以上に歪んだ表情は、悪夢に苛まれたようで、セニーリが呼び止めるよりも先に蔵の外へ飛び出していった。

 慌てて三人が追いかけると、そのすぐ先で膝をついて空を見上げていた。


「ああモーロよ、レミニアよ……。熾天使の何れでも良い、どうか加護を……!」

「おいお前!」


 セニーリが駆け寄り男の肩を掴んだ。だがそれにまるで気づかぬように大声のうわ言が続く。


「赤い空は大地を燃やし、淀んだ海は命を枯らす……。幾多の瞳は闇を顕現し世界を喰らう……!」

「なに言ってるかわからねえぞ……」

「ジュグア様――」


 男をそう呼んだのはイイラだ。それについてセニーリが問いただす。


「こいつは何者だよ!」

「それは……」


 それをよそにジュグアは咽び泣く。


「ああ、こんなことならば、“魔術”など知らなければ……、地を這う虫であれば……。どうか神よ……」


 そう言葉を紡いだ直後、膝をついていたジュグアは糸が切れたように崩れ落ちた。様子を確認したセニーリが確認する。


「死んでる……」

「まじかよ」


 発狂の後に事切れた男、これだけの騒ぎになれば家のものが集まってくるのも当然だ。

 セニーリとミィはそれを尻目に蔵の中へと戻る。イイラは呼び止めることもなく立ち尽くしていた。

 ジュグアが出てきた穴は階段が下へと続いており、途中にランタンが落ちている。それを拾い上げて奥へと進む二人。

 先にあったのは地下にして広い空間と、異質な風景だった。


「なんだこりゃ……」

「これが魔術?」


 ミィが言う通り、おそらくこれが魔術の儀式。

 三メートル四方ほどの広間には、中央に浅い銀の杯が置かれており、液体がなみなみと注がれている。周囲には見たことがないような植物ときのこ類が散らばっている。それ以外には濃い青の塗料に、硝子でできた円柱状の道具など、どれをとっても用途の想像もできないものばかり。

 セニーリが硝子の道具を拾い上げた。中が空洞になっているようで、液体が垂れてきた。恐る恐る匂いをかぐと、強い刺激臭がして顔を背けた。


「臭え!」


 めまいのするような匂いによろめいたセニーリ、その際に道具を取り落としてしまった。


「気をつけろよ、馬鹿」


 そう言いながらミィは真ん中にある杯を覗き込んだ。ところが手に持っていたランタンが強く光ったことに気がつく。


「ほぁっ!」


 ランタンの火が、まるで杯に吸い込まれるように注ぎ込まれた。液体は立ちどころに燃え上がり、黒煙を上げる。

 慌てて口を塞いだミィだが、その煙は一処にとどまった。それはなにかの形をなしているようにも見えたが、すぐに消えていった。

 唖然としていたミィ。セニーリはその間に他のものを確認していた。


「どれもこれも、殆ど見たことねえものだが、わかるものは毒草ばっかだ」

「それでなにができるんだか……」

「さあな、でもこれを見れば誰でも魔術を扱っていたってわかるだろう」

「じゃあ憲兵でも呼ぶか?」

「本当はペッシュに聞きたいんだが、騒ぎにしちまったからな……」


 悩んでいるセニーリ、だが後ろからドタドタと走ってくる音がする。二人が振り返ると、同時に怒号が響く。


「クソ野郎共が! どうしてくれるんだ!」


 現れたのはイイラだが、その形相は先程の冷静さとは程遠いものであった。


「お前らが来たせいで、あの魔術師が死んじまった……!」

「やっぱり魔術師なのな……」


 セニーリが言うが、それにしてもイイラの様子が変だ。怒りをばらまいている様子には知的さも感じられなく、先程までの貴族然とした風格が微塵もない。

 そうしているとイイラはあの魔術師と同様に、膝から崩れ落ち顔を手で覆っている。


「お、おいどうした……?」

「これまで全部うまく行っていたのに……、俺の前途は光り輝いていたのに……」

「どうしたんだよ、こいつ」


 ミィが困惑するのも当然で、ふるふると震えているイイラの肩を揺すって声を掛ける。


「説明してくれないか、いい加減」

「――え?」


 か細い声で返事をしたイイラ。ミィに向けて隠れていた顔を晒したのだが、それをみたミィがゾッとした。


「こいつ……!」

「なにが、どうなって……」


 回り込んだセニーリもその顔を見て瞳が小さくなる。

 イイラの輝かんばかりの風貌は見る影もなく、頬のやつれが酷い病人のようだった。


「あ、あああ……」


 かすれ声でなにか言っているイイラだが、二人には全く聞き取れない。

 顔は蒼白で、目の周りはやたらに隈がある。気力がまるきり抜け落ちたような、廃人にすら見えた。


「……」

「えーと、どうする?」


 ミィがセニーリに尋ねる。セニーリも考え込んでしまったが、やがて口を開く。


「ここはこいつの従者に任せて、あとはペッシュに報告しよう」

「丸投げってわけね」


 目を細めて見るミィに、セニーリが聞く。


「文句でも?」

「いいや、大賛成さ。こいつはあたしらの手に負えられるもんじゃないよ」

「……そうだな」


 日常に潜んでいる怪異、魔術が人に与える恩恵とは斯くも非現実的で、世の理の外である。

 ペッシュのもとに帰り報告を終えた二人は、軽く労われ解散した。


後日ペッシュから聞いた話では、イイラはそれからずっとあの調子であり、一説には魔術の失敗によって心身に影響が及んだと言われている。

しかしセニーリには疑念が残っていた。

確かに現場を目撃した限り、コントロールを失った何らかの儀式がイイラを蝕んだと思える。しかしそれ以前に、指導していたと思われるジュグアと呼ばれた魔術師のことだ。

あれはセニーリたちが出会うより先に異常な行動をとっていた。その口からはなにかに怯えているような言葉が漏れており、魔術を通して見てはいけないものを見てしまったのだろうか。

それは今となってはセニーリにしかわからないことだが、ミィが偶然起こした現象。魔術儀式の祭壇にて杯から出た黒煙。一見不定の型をなしているようであったがその実、セニーリにはその奥に覗く景色を見た気がしていた。

言葉にし難い、威容なものであったが、まるで二つの異形が向き合っているようであり、その片方に見覚えがあるように見えた。

思い出したくもない、今となっては心に深く刻まれたトラウマ。その元凶である九つの頭、それがこちらを見ているような気がして、またセニーリは震えが止まらなくなっていた。

数日たった現在はそれも多少和らいでおり、今後の動向について思い馳せている。

そうなると考えなければならないことがある。


「今どこにいるんだか……」


 セニーリが今旅をするには、心の支えが必要だ。それは強さであり、一人の男が頼りだった。

 だが突如として現在の住処であるみすぼらしい小屋が揺れる。

 音は出入り口の扉からで、すぐに原因であるミィが現れた。


「おいあの馬鹿が見つかったぞ!」

「それってまさか――」


 その男が動くとき、世の中に大きな変化がある。次に巻き起こるのは吉事か凶事か、いずれにせよ自ずと分かることである。

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魔を切り裂く者 バルバロ @vallord

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