小説家は挿絵を憧れ畏れている

小稲荷一照

表紙絵挿絵は逃れようのない最初のレビュー

 馴染んだ色合いのある挿絵や表紙絵、良いですよね。

 といって、そういうものが好きな人ばかりではないことは知っているのですが、それでも小説家にとって表紙絵や挿絵というものが重要な意味を持っていることは間違いありません。

 それ自体が作品のレビューつまりは、場合によっては作品の中身に等しいからです。

 ぜんぜん的外れのレビューになったり、中身と関係ないものになったりすることがあるかもしれないけれど、一旦表紙や挿絵になってしまえば、それも作品の評判となるからです。

 場合によっては皮だけ立派な、張子の虎、という評判にもなりかねません。


 線形な情報とその媒体である小説は、情報の解読解凍展開を受けて高次の情報にならないと、物語は読者には伝わりません。

 その高次情報の情報解読の鍵となるものが実は挿絵であったりすると素敵ですよね。

 実際多くの小説を買うときの決め手を表紙に求める人は多いでしょう。

 文芸作品だけの同人誌即売会でも文字だけの小説本は敬遠されがちです。

 理不尽だ、と思わずにはいられませんが、読めない物を買っても仕方がないという感覚もわかります。

 文字だけの小説を読み下すことは、中身の軽易さとは関係なく実はハードルが高いものです。

 個人的にも、ここしばらくいくつかのアニメや映画を見てようやく読み方のわかった小説作品もあります。

 取り敢えずの解法として、絵があると物語情報の解読が格段に速やかです。

 もちろん線形情報を展開して時間や動きのある四次元五次元の体感情報とすることは極めて難しいことで、表紙絵一つ挿絵一つあったところで難しさが極端に簡単になるわけではないのですが、最初に手間を振り絞る必要がありません。


 小説の挿絵、良いですよね。

 憧れます。

 漫画化できるほどに読み解いて絵を書いてくれると、多分しあわせです。

 それはもはや小説としての小説家の仕事ではなくなってしまうのですが。

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