ワルキューレの息子たち

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ワルキューレの息子(こども)たち

 ──目が覚めたとき最初に感じたのは、テントの薄いぬのしにもわかる灼熱の陽射しと、かすかにただよう消毒薬の匂いだった。


「やれやれ、ようやく気がついたのかね?」


 そして最初に目にしたのは、やはり見覚えのない、七十がらみの一人の老人の姿であった。

 頭髪のない分を補うように口元全体を覆い隠している白髭しろひげに、目元には濃い深緑色の色眼鏡という、何だかうさんくさい風貌であるが、その短身で小太りの身体からだには折り目正しい白衣をまとっており、医師や研究者といった貫録すらも、無きにしもあらずだった。

「……ここは、いったい?」

「安心したまえ、ここは野戦病院だ。──ただし残念ながら、君の軍の所属ではないがね」

 たしかにそれほど広くはないテントの中には、俺が寝ている分も含めてベッドが六台ほど並べられており、一番奥には彼ら『帝国軍』の、偉大なる指導者フューラーの肖像画が飾られていた。

 つまり俺は、敵の捕虜になったってわけか。

 たしかあの時、俺の小隊は敵軍の『接近』を確認して、それから俺は──

「ええとその、『軍医ドクター』殿? あいつらは──俺の仲間たちは、どうしたのです⁉」

「あくまでもわしは、本国の研究機関の開発責任者として、この小隊に随行しておるだけでの。できれば『博士ドクトル』と呼んでくれたまえ」

「そんなことよりも、なぜここには俺しかいないんだ? 他のやつらはどうしたんだ⁉」

 思わず身を乗り出した俺はその時初めて、自分が点滴につながれていることに気付いた。


「……君は、運が良かったのだ」


 がこぼした言葉に、俺は息を呑んだ。

「わしらが到着した時にはすでに、君たちの部隊は壊滅状態となっていたのだ。──唯一、君だけが幸運にも『薬』を吐き戻していたお陰で、どうにか助かったというわけだ」

 そしてその老人は、いかにも世の無常をはかなむように、ため息まじりにつぶやいた。


「これでいったい何件目かのう。君たち連合軍ご自慢の『極地ポーラー・偵察スカウティング小隊・プラトーン』が、戦わずして勝手に集団自決なぞをしてしまったのは。──いやはや、そんなに恐ろしいのかねえ。我が軍の最後の切り札たる、人類史上初の『きゅうけつの軍隊』と、正面切って戦うことが」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──吸血鬼の軍隊。


 それはまさに、不死の戦士のみで構成された、かの『ジークフリート』の神話の再来であり、この世のすべての軍国主義者たちが恋い焦がれてきた、決してかなうことのない『夢の軍隊』のはずであったのだが、何と全世界が激しい戦禍に包まれている今この時、中央欧州ヨーロッパの超科学力を誇る某独裁国の手によって、ひそかに実現がなされたという不吉な噂が、まことしやかにささやかれ始めたのである。


 しかも運の悪いことに、その最初の実験部隊が投入されたのが、現在俺たちの小隊が展開している、この『砂漠戦線』であったのだ。


 その情報を入手した軍上層部は、我々『極地偵察小隊』全部隊に敵実験部隊の早期発見を命じ、この大砂漠の各方面へと派兵したのである。

 しかし、程なく『目標ターゲット』と遭遇した部隊はすべて異常な恐慌状態へとおちいり、味方同士で殺し合ったり配給された『薬』で自決したりして、実際に敵と戦う前に自滅したとのことだった。

 ──無理もなかった。

 何しろ相手は『不死の怪物モンスター』なのである、どう戦っても勝ち目などないのだ。しかも怪物が戦時協定を守ってくれる保証もない。戦わず降伏したところで、いきなり血を吸われたり、生きたまま喰われる可能性もあるのだ。


 もちろんこれについては、まさしく俺自身の部隊においても、けして例外ではなかった。


 何と昨夜、それまで追跡していた敵に逆に発見されてその接近を許すやいなや、全員あらかじめ支給されていた自決薬をあおり、未知なる恐怖にさらされる前に、みずから果てようとしたのだ。


 ──そしてその結果、ただひとり俺だけが、ざまにも生き残ってしまったのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──これは、君の指揮棒タクトかね?」


 その時いきなり眼前に突きつけられたのは、散々見飽きた白くて細長い一本の棒だった。


「おいっ。あんたまさか勝手に、他人ひとの荷物をあさったりしたのかよ⁉」

「捕虜に対する最低限の予防処置だよ。またおかしな薬なんかを、隠していてはかなわんからな。まあ、別に問題もないようだし、これはお返ししよう。それにしても君は本国で、どこぞの楽団にでも所属していたのかね?」

「……学生時代に、ちょっとかじっただけさ。別にどうだっていいだろう、そんなこと!」

「やれやれ、そんなにとんがらなくてもいいだろうに。たしかに君のご同輩にはお気の毒じゃったが、我々の方だっていい加減迷惑しとるのだよ。いくら非常に特殊な実験部隊とはいえ、こうも闇雲やみくもに戦う前に自滅されたんじゃ、目覚めも悪くなるというものじゃろう」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そんな言い方はないだろう。だいたいそっちが『化物の軍隊』なんて非常識極まるものを、実戦に投入してくるからいけないんじゃないか!」

「おいおい、忘れてもらっては困るよ。我々は戦争をしておるのじゃぞ。元々常識も非常識もありはしないのだ。それでも我らとて、最低限のルールは守っているつもりなんだがね。まさに今この瞬間、君が無事にことが、何よりのあかしではないのかね?」

 出し抜けに捕虜にとって『一番痛いところ』を突かれて、俺は思わず言葉にまってしまう。

「それにのう、いくら『吸血鬼』とは言ってもな、うちの兵士やつらはあくまでも──」

 何とも憤懣ふんまんやる方のない俺の様子を見て、博士ドクトルが重ねて何かを言い出そうとしたその時、テントの入口のぬのとびらが勢いよく跳ね上がった。


「……おあー、ううー」


「おお、もう終わったのかね。早かったな」

 ──こ、子供⁉

 何とそこに現れたのは、いかにも場違いだとしか思えない、十三、四歳くらいのいまだあどけない、一人の少年だったのである。


 まるでの光のような黄金きん色の髪に、端正な顔の中できらめくサファイアみたいなあおの瞳。そして、自称『アーリア人の末裔まつえい』ならではの、初雪のように透き通った純白の素肌──。


 まさに絵に描いたような『美少年』の御登場かとも思われたのだが、なぜだかその見目麗しいかんばせを始め、半袖半ズボンの軍服も、むき出しの手足も、見るからに砂だらけだった。

「暑い中ご苦労だったね、みんなにも休むように伝えなさい。少し早いがオアシスで水浴びでもして、身体からだ中の汗や砂を洗い流すといい」

「うあー! うあー!」

 その言葉を聞いた途端、少年は満面を笑みで輝かせながら、まるで純真無垢なおさなそのままに、喜び勇んでテントを後にして行った。

「あれが噂の『総統少年親衛隊フューラーユーゲント』かい? 可哀想に、言葉が不自由みたいじゃないか。あんな子供まで駆り出さなければならないなんて、あんたの国もそろそろ危ないようだな」

 しかしその老人は、むしろ俺の方を哀れむように、意味深な笑みを浮かべて振り向いた。


「その可哀想な子供たちのほんの十数名ほどの部隊に、勝手にパニックを起こして自滅しているのは、どこの軍隊だったかのう?」


 ──何だと、ま、まさか⁉


「そう。あの子を含めたたった十三人の少年兵たちからなるこの部隊こそ、我が第三帝国サード・エンパイアの最後の希望の星たる、第666特別実験小隊、通称コードネーム『ワルキューレ』なのじゃ」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


『ワルキューレ』──それはかの北欧オーディン神話の死者の国『ワルハラきゅう』をつかさど る、十名前後(諸説あり)の処女おとめの戦士たちのことであり、まさに我々敵国の兵士に『確実なる死』をもたらし得る、吸血鬼の少年兵たちにとっては、これ以上似つかわしい呼び名はないとも思われた。


「しかし、だからといってなぜ俺が、こいつらの世話なんかをしなければならないんだ⁉」


 今この俺を、期待と好奇のまなこで見つめているのは、その全員ともが輝くような黄金の髪ときらめくへきぎょくの瞳に、まるで人形みたいな端正で透き通るような色白の顔立ちをした、まさに文句なしの『美少年たちの群れ』なのであったが、なぜだかやはり彼らはその顔も手足も軍服も、すべて砂まみれであったのだ。

 何だこいつら。この灼熱の真っ昼間に、こんなところで『砂遊び』でもしていたのか?

 そう。俺はあれから博士ドクトルに点滴につながれたまま、少年たちが集まっているという、病院テント裏手の砂丘へと連れて来られたのだ。

「ほっほっほ。お見合いでもないことですし、見つめ合うのはその辺にして、早速『水浴び』あたりから取り掛かっていただきましょうか」

「ふ、ふざけるんじゃない。誰が、自分の仲間を死に追いやったやつらの面倒なんか、見るもんか! 第一、捕虜に対する不当な労働の強制は、重大なる戦時協定違反だぞ‼」

「この程度の作業なら、別に問題もないだろう。それよりもご覧の通り、この子たちときたら、見事なまでに全身砂まみれじゃろう?」

「はあ? それがどうしたって言うんだよ⁉」


「実はの、これはこの子たちがこの暑い中、君のお仲間の亡骸なきがらをこの砂丘の砂の下に、埋葬する作業をしてくれたからなのじゃぞ」


「──何だって⁉」

 その言葉に砂丘の斜面へ視線を走らせると、たしかに所々に掘り返したばかりだと思われる、他よりも黒々とした箇所が見受けられた。

「……そ、それで、あいつらの『検死』の結果の方とかは、どうだったんだよ?」

「検死じゃと? そんな必要もなかったわい。何せ全員ひどい死臭と死斑で、しかもこの暑さじゃ。早く埋めてしまうほかはなかったのだ」

「そう、そうか。それじゃ仕方ないな。いや、何ね。自分一人だけが助かった分、あいつらのことが無性に気になってしまってさあ」

「ほう、それはそれは。まあ何にせよ、心配事が一つなくなったのは、結構なことじゃて」

 博士のその、何だか思わせぶりなに、俺は一瞬ギクリとなった。


 ……どうやらこのたぬき親父、やはりただ者ではなさそうである。


「とにかくじゃ。この子たちの方が先に『範』を示してくれたわけなのだから、今度は君の方が、『誠意』を見せる番ではないのかね?」

「た、たしかに、仲間をていちょうに埋めてもらったことには、心から感謝しているが、何と言われても、嫌なものは嫌なんだよ!」

「どうしてじゃ、何をそんなに嫌がるのだ?」

「だってよ、こいつらこんな子供の姿をしているけど、正真正銘吸血鬼なんだろう⁉ 俺は怪物モンスターの世話係なんか、絶対嫌だからな‼」

「おほほほほっ。何じゃね、『戦時協定違反』だの何だのと言っておきながら、結局それが理由だったのかね? こんな幼い子供たちを前にして、何を言い出すかと思えば!」

「笑いたければ笑うがいいさ。俺は自軍の陣地に帰らせてもらうからな。こんな馬鹿げたことに、これ以上つきあってられるか‼」

「ほう、どうやって前線まで帰り着く気じゃ? まさかそんな点滴を抱えたまま、この大砂漠を横断していくつもりじゃないだろうね」

「そうだ、すっかり忘れていた。こんなもの勝手につなぎやがって、今すぐはずしやがれ!」


「それはやめておいた方がいいじゃろう。何せそれこそが、現在の君にとっての唯一の、水分とエネルギーの供給源なのじゃからな」


 ──な、何だってえ⁉

「我々はあくまで『実験部隊』なのじゃ。原則的に余分な食糧など用意しておらぬ。それで万が一、君のような捕虜を生じてしまった場合には、点滴の支給によってりょしゅう食の代わりとすることを、第一のむねとしておるのじゃ」

 すっかり呆然ぼうぜんと固まってしまった俺に構わず、博士は少年兵たちへと向かってしれっと言い放つ。

「みんな喜べ。今日からこのお兄さんが、おまえたちの世話をしてくれるそうだよ。さあ、最初はお待ちかねの水浴びだ!」

「うあー‼♡」

 その純真無垢な顔に満面の喜色を浮かべて、十三人の吸血鬼たちは、俺へと飛びついてきた。

「うわわわわっ。や、やめてくれ、俺はオカルトとピーマンはダメなんだ。こんな不摂生な男の血なんか飲んだら、健康に悪いぞ!」

 砂漠へ押し倒され砂まみれになった俺に、博士の駄目押しの声が降りそそいでくる。


「ほっほっほっ。もうすっかりなつかれてしまって。いやあ、大歓迎のようですなあ。この調子でこれから先、仲良くお願いしますぞ」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「きゃははははは!」

「うわぁーい‼」

「──待ちやがれ、てめえら。こっちはこの歩きにくい砂の上で、点滴なんぞ抱えてんだぞ⁉」


 しかし、どんくさい『新米世話係』のことなぞ構わず少年たちは、着ている衣服をすべてその辺に脱ぎ散らかしながら、小隊陣地ベース・キャンプに隣接するオアシスの泉へと飛び込み、めいめい勝手気ままに水浴びを始めた。


 天使のような笑顔と一糸まとわぬ生まれたままの姿で、ふざけながら互いに水をかけ合ったり泳ぎ比べをするその姿は、ほとんどただの『水遊び』としか思えなかった。

「……こうして見ている分には、普通の子供たちと、ちっとも変わらないんだがなあ」

 もちろん、なし崩し的に引き受けたとはいえ、世話係としての役目も忘れてはいない。俺は頃合いを見計らい、泉に向かって叫んだ。

「おお〜い。そろそろ背中を流してやるから、こっちにきて一列に並びな!」

 喜び勇んで岸辺へと集まってくる子供たち。

 ズラリと並んだ白磁の背中は壮観の一言につき、俺は不覚にもしばしの間ほうけてしまう。


 ──うん? 何だ、こりゃ。


 すべらか極まりないその肌は、一見傷一つないようにも見えたが、よくよくながめていると、全員が全員共その背中には五、六ヶ所ほどの、くぼみ状の傷痕きずあとが見受けられたのだ。

「──うあ、ん〜ん?」

「あ、悪い悪い。今すぐ洗ってやるからな」

 待ちかねて振り向いた一番手トップバッターの少年に対し、慌てて取りつくろうように必要以上の力を込めて、その背中を洗い始める。

 何といってもこいつらは、その辺の人間の子供とはわけが違うんだし、いちいち気にしてたら、この先つき合っていけないだろう。

 俺はおのれ自身の気持ちを切り替えるように、目の前の白く幼き背中を、一心に洗い続けた。


 しかし、少年たちにいだき始めたその『違和感』は、時がつにつれ増すことはあれ、決して消え去ったりはしなかったのである──。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 慣れない作業に思いのほか時間がかかり、彼ら全員を洗い終えた時にはすっかりも落ち、俺はすぐさま夕食の準備へと取りかかった。


 もっとも、料理自体はすでに前もって用意されており、俺はでき上がった分を食事用テントへと、運び込むだけでよかったのである。

 それでも片腕を点滴につながれたまま、十三人分の食事を放り込みふたをしてある大きな鍋を、一度に運んでいくのは至難のわざであった。

「ほ〜い、お待ちかね。めしだぞー‼」

 俺はテントのぬのとびらを、勢いよく蹴り上げた。


 だが、その時俺を待ちかまえていたのは、闇の中で燃える、二十六の火の玉であったのだ。


「おまえら、明かりもつけずに──ちょ、ちょっと持て、今配るから……うわわあっ‼」

 待ちくたびれもはや我慢できず、俺めがけて襲いかかるように、殺到してくる子供たち。

 その刹那、蓋をはじき飛ばされあらわになった料理の中身を見て、俺は我が目を疑った。


 ──まさかこれって、『生肉』じゃないのか⁉


 まったく調理の跡が見られない、自分の頭部ほどもある肉塊へと、むしゃぶりつく少年たち。その顔や腕を始め全身が血糊と肉片とによって、みるみる真紅へと染め上げられていく。

「──うぇっぷ!」

 思わず吐き気を覚え、顔をそむけようとしたその時、場違いなとぼけた声が聞こえてきた。

「おや、お気に召しませんでしたか。『人間の生き血』の方が、よろしかったですかな?」

 振り返れば、もはや見飽きた皮肉な笑顔が。

「──博士ドクトル! あんたは何というものを、子供たちに食べさせているんだ⁉」

「ご安心なさい、あれはけして人肉などではありませぬぞ。すべて牛や羊の肉なのじゃ」

「ご安心だと? あれ全部生肉じゃないか!」

 するとその老人は、ほとほとあきれたふうに、ため息まじりに言い放った。


「やれやれ。ほんの数時間一緒にいただけで、もうお忘れなのかね? 彼らはれっきとした吸血鬼なのだよ。生肉ぐらい平気じゃわい」


 その言葉に、俺は今更ながら愕然がくぜんとなった。

 そうだ。こいつらはただの無邪気な子供なんかではなく、俺にとっては戦友のかたきである、不死の怪物、吸血鬼だったのだ。それをこともあろうに敵の口から、思い出させられるとは。


 俺はもはや言葉を失い、まるで『餓鬼がき』のように肉に喰らいつく少年たちの姿を見つめながら、その場に立ちつくしていた。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──それから数日後の真夜中の、病院テント裏の砂丘の下。


 子供らもすでに寝静まっているであろう兵舎用テントから、あたりを用心深く見回しながら忍び足で出てくる、いかにも怪しい人影。

「……これで五夜連続か。いくら何でもこんな時分に、軍医殿のお出ましを必要とするほどの急病患者が、そう頻繁ひんぱんに出るはずがないよな」

 その博士ドクトルの後ろ姿が完全に見えなくなるのを待ち、俺は隠れていた岩場の陰から身を起こし、テントの方へとそっと近づいていく。

「さてそれでは、まずは少年たちの『真の姿』を、拝見させていただくことにしますかな」

 もちろん俺としても、あのままざまにやり込められているつもりなぞはなかった。

 必ずや子供たちの──いや、この部隊そのものの秘密を、あばいてみせてやる。

「ちょっくら、失礼するよ〜」

 そうひとりごちながら、テントの入口のぬのとびらを、音を立てずに持ち上げるや、

「なっ、何だこりゃ⁉」


 その時俺の眼前に広がっていたのは、あたかもの巣のようにテント中に張りめぐらされた、無数の枝を持つ巨大な樹木であった。


「……何でテントの中に、こんなものが」

 いや待てよ。この枝みたいなやつ、まるで人間の血管のように、脈うってるじゃないか⁉

「しかも、何だか変な液体みたいな物も流れているし……。やだやだ、だから俺は、こんな怪異オカルト的展開は苦手だと言ってるのに。第一子供あいつらの方は、どこへ行ってしまったんだ?」


 ──くすくすくす。


 その俺の言葉に応じるかのように突然聞こえてきた、鳥のさえずりのような忍び笑い。

 恐る恐る声のした方を見ると、枝の下に木の実みたいにぶら下がっている巨大なガラスケースが、闇の中から浮かび上がってきた。

「うーあ♡」

 その刹那思わず『ご対面』してしまったのは、の光みたいな黄金の髪と、宝玉のようにきらめくあおき瞳に、邪気のない満面の笑顔だった。


 そう。その大型の培養ケースの中身を満たしている液体の中で、一糸まとわずただよっていたのは、もはや慣れ親しんだ感もある、あの少年たちのうちの一人であったのだ。


「──ひいっ!」

 しかし、なぜだかその時の俺には、その見慣れた少年のことが、そして彼の無垢なる笑顔が、『無性に恐ろしく』感じられたのである。

 その本能的恐怖にされるまま、俺はすぐさま後ろへと飛び退いた。

 だが、その途端背中にも、ひやりとしたガラスの感触を感じたのだ。


 ウフフフフフ。


 クスクスクス。


 アハハハハハ。


 気がつけばすっかり、少年たちの哄笑のうずに取り囲まれていた。暗闇の中から浮かび上がった二十六のあおき光玉が、その人間離れした天使のような笑顔の中で輝いている。

「うわあああああああ‼」

 その、『禍々まがまがしいまでの神々こうごうしさ』にたまりかね、俺は狂ったように駆け出した。


「──こんばんは。おや、どうしたのです? そんなに大慌てなされて」


 無我夢中でテントから飛び出そうとした時、あの聞き飽きたとぼけた声が行く手をはばんだ。

博士ドクトル⁉ おいっ、ここのテントの中身はいったいどうなってるんだ? あの樹木や培養ケースのようなものは何なんだ? それに何よりも、子供あいつらはいったいどうしちまったんだ⁉」

 自分がここへ内緒で忍び込んできたことも忘れて、俺は慌てふためいてまくし立てた。


「ほっほっほっ。驚くのも無理はない。この巨大なる培養装置こそ、まさしくあの子らにとっての、『子宮』のようなものなのじゃ」


「『子宮』──だってえ⁉」

 その言葉に思わず振り返ってみると、今や安らかな寝顔でケースの中に漂っている彼らの姿は、まさに母親の胎内でまもられ安心しきっている、胎児のように見えなくもなかった。

「お、おい、あの子供たちの背中から出ている、細い管みたいなものは何なんだ⁉」

 そう、俺自身、ここに至ってようやく気付いたのである。培養ケースの天井部から出ている、五、六本ほどの細長いチューブ状の物が、何と少年たちの裸の背中へと、直接つながれていることに。


「あれは言わば、へそののようなものだよ。あれを通して今まさに新鮮なる『吸血鬼の血』が、彼らの体内へと注ぎ込まれているのじゃ」


「な、何だって⁉」

「実はこの子らは元々、『少年親衛隊フューラーユーゲント』に所属する普通の少年兵だったのじゃが、敗色濃い我が軍が幸運にも『吸血鬼の血』を手に入れた際、軍を挙げて募集した極秘実験の検体サンプルとして志願してきた、尊き愛国者たちであり、しかもこの未知なる怪物の血液に拒絶反応を起こさず順応し生き延びた、数少ない幸運の持ち主たちでもあったのだ。──しかし、考えてもみたまえ。元々ただの子供だった者たちが、たった一度『吸血鬼の血』を注入されたくらいで、そのまま『完全なる吸血鬼』なぞになれるわけがないのだ。常に彼らを吸血鬼の強大なる力を有する『不死身で無敵の兵士』として維持し続けるには、こうして毎日定期的に吸血鬼の新鮮な血液を、注入し補充してやる必要があるというわけなのじゃ」

 なるほど。それでこの培養ケースやチューブが、『子宮』であり『へその緒』だということなのか。


 つまり今俺は、彼らの吸血鬼としての『新生の場』に、立ち会っているわけなのだ。


「……だけど、何でそんな自分の部隊にとっての、最重要とも言える機密事項を、敵軍の捕虜である俺に、こうも易々やすやすと教えてくれるんだ?」

 俺は目の前の、この実験部隊における実質的責任者に対して、至極当然な疑問を投げかけた。

 しかしその老獪ろうかいな科学者はあくまでも涼しげな顔つきで、思わせぶりに言ってのける。


「──その理由ならば、ほかならぬ君自身が、一番よく知っているのではないのかね?」


 すかさず返されたその思いがけない言葉に、俺は完全に言葉に詰まってしまった。

「おやおや、何だか顔色が悪いようじゃな。やはり夜更かしは身体からだに毒じゃのう。君も早く自分のテントに帰って、眠った方がいいぞ」

 そう言いつつ、自分の方こそ生あくびをしながら、さっさとテントを後にしていく老人。

 それを見送った後で、ようやく自分を取り戻した俺は、ぽつりとつぶやくのであった。


「あの狸親父、やっぱり気付いていたか。これは少し『計画』を早めた方がよさそうだな」


 そしてその醜くも美しき、巨大なる『子宮』の方を見上げながら、俺は密かにほくそ笑む。


「──それにすでに、一番知りたかった『情報』の方も、すっかり手に入れたことだしな」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 次の晩は、おあつらえ向きの満月であった。


 俺は真夜中を過ぎるのを待って病院テントから抜け出し、偵察部隊の同僚を埋めた墓所や、少年たちの眠る兵舎テントが見渡せる砂丘の頂上に陣取り、煌々こうこうと輝く月へと向かって、あの白く細長い指揮棒タクトを振るい始めた。


 ──リヒャルト=ワグナー作曲『ニーベルンゲンのゆび』、第一夜『ワルキューレ』。


 生きとし生けるものがすべて眠りについた、まるで『死の世界』のような大砂漠の真ん中で、俺はひとり無心に指揮をし続けた。

 そして曲が山場クライマックス にさしかかり、かつての仲間たちの眠る砂丘の斜面へと、力強く指揮棒タクトを振り下ろしたその瞬間とき、それは起こった──。


 まさに月光の魔力により、夜闇よるやみの植物が発芽するかのように、砂の地面を突き破って夜空へと高々たかだかとそそり立った、一本の大きなかいな


 その世にも奇妙なる萌芽は、さらに複数のうであし、頭部に胴体と増えていき、いつの間にかその場には砂だらけの軍服を着た、屈強なる十三人の大男たちの姿があった。


「──さあ行くのだ、冥界よりよみがえ りし『ジークフリート』の戦士たちよ。哀れな不死のまよたちを、永遠なる安息やすらぎそのたる『ワルハラ』の宮城きゅうじょうへと、導いてやるがいい!」


 俺が凛然りんぜんとそう言い放ち、指揮棒タクトで少年たちの兵舎テントの方を指し示すやいなや、男たちはそれに従うようにその鈍重そうな身体からだを、ゆっくりと進め始めるのであった。


 そして『惨劇』の幕が、切って落とされた。


 男たちはあくまで素手だけで、少年たちへと襲いかかったのだが、それでも十分にことりた。

 何せその体格から彼我ひがの力の差は歴然としていることだし、手際よくただ黙々と、子供たち全員の『処理』を遂行していけたのだ。


 首を絞められ、培養ケースごと握りつぶされ、あるいは血液を供給中のチューブを無理やり引き抜かれ、次々と命果てゆく少年たち。


 中には果敢に男たちに反撃し、その腕や腹にみついていく子供もいた。

 しかし、『吸血鬼』にその歯牙しがを立てられたというのに、彼らは平然と殺戮さつりくをし続けていったのである。


 ──なぜならこの時の少年たちは、『ごく普通の人間』でしか、なかったのだから。


 彼らが『吸血鬼の血液』を補充しなければならない時。それは当然、吸血鬼としての能力が最低レベルにある時──つまりは、人間とほぼ同程度の力しかない時なのである。


 そう。俺たちはこの時を──この哀れな子供たちを『ただの人間として殺せる』瞬間を、ずっと密かに待ち続けていたのであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 阿鼻あびきょうかんの一夜が明けた翌日には、キャンプ地は今度は『ヨハネのもくろく』よろしく、まさに天変地異の様相を見せていた。


 爆音をあげ次々と離発着を繰り返す、我が軍の『回転翼機ヘリコプター』が引き上げている布のかたまりの中には、あの少年たちが無言で包まれている。

 一方、かの大男たちも今やおとなしく隊列を組み、輸送機の格納庫へと歩を進めていた。

 しかしなぜだか、出迎える搭乗兵たちの銃口は、この今回の作戦の『最大の功労者』たちの方へと、照準が合わされていたのだ。


 そう。まるで何かの拍子に大男たちの抑制がはずれ、あの吸血鬼たちを惨殺したみたいに、自分たちも襲われてしまうのを恐れるように。


「──まあ、仕方なかろうて。何といっても相手はなのだ。いったん『暴走プログラムパニック』でも起こしてしまえば、敵も味方もないからのう」

 俺のすぐ横でじかに砂漠の上にしゃがみ込んだまま、その時博士ドクトルは独り言のようにつぶやいた。

「しかし、『機械人形ロボット』の兵隊とは考えたものだな。機械の身体からだなら吸血鬼を相手にしても、けっして血を吸われることもないし。何よりも心や感情というものを持たぬから、相手がどんなにいたいけな子供たちであっても、平気でくびり殺すこともできるというわけだ」

 その皮肉まじりの『お誉めの言葉』に対し、俺も彼同様前方を向いたまま、けっして視線を合わせることなく、おどけるように言いはやす。

「いやあ、我ながら自分の才能が怖いくらいさ。この『人造人間ロボット吸血鬼ヴァンパイア部隊』のアイデアが浮かんだ時には、国防総省ペンタゴンに売るか、ハリウッドに売るか、真剣に悩んだものだよ」

 しかし、せっかくの『本場の冗談ユナイテッド・ステーツ・ジョーク』だったのに、何のリアクションも返ってこなかった。

 仕方なく俺がため息まじりに砂漠へと座り込んだ時、ようやく博士がぼそりと口を開く。


「──のう。結局わしらは、どっちがどっちを利用していたのかのう」


 その唐突な問いかけに対して、俺は砂をいじりながら、いつもながらにお気楽イージーに答える。

「さあねえ。多分、どっちもどっちじゃないのかな。まあ、俺たちは言うなれば、出会った時からずっと、『たぬききつねの化かし合い』をしていたみたいなものなのさ」

「ふん、『タヌキとキツネ』か。違いない!」

 何がそんなにお気に召したのか、さも愉快そうに、博士は腹を抱えて笑い出した。

 そりゃあ、あんたはご満悦だろうよ。俺に利用される振りしながら、まんまと望み通りに、あの子たちを殺すことができたのだから。


 そう、あんたはこれ以上見ていられなかったのだ。少年こどもたちが『人殺し』をするための怪物モンスターとして、生かし続けられているのを──。


「なあ、最後に一つだけ教えてくれよ」

「ほう、どうしたのじゃ? 急に改まって」

「いや、そのう……実は、ずっと聞いてみたかったんだけど、吸血鬼の部隊の中にたった一人でいるのって、いったいどんな感じだったんだ? いくら開発責任者の一人であり、相手は子供ばかりだったとはいえ、やっぱり何かと心細かったんじゃないのかい?」

 ……まさか、そのためにあんたは俺を使って、子供たちを殺させたんじゃあるまいな?

「ふはははは。今さら何を言い出すかと思えば。それじゃったらわしも、是非ともあんたに聞いてみたいことがあるんだがのう」

「な、何だよ。俺の方は少しも構いやしないぜ。何でも好きなだけ聞いてみなよ!」


 それを聞くやいなや老人は、その顔にいかにもわざとらしい満面の笑みをたたえながら、初めて俺の方へと振り向いたのである。


「──それでは教えてくれたまえ。そもそも人殺しを目的とする軍隊で、それが人間の兵士であろうと、吸血鬼の兵士であろうと、どれほどの違いがあると言うのかね?」

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