第2話

 集まった男達は途方に暮れていた。

「これじゃ帆布でも張った方が明るいぜ」

「気を落とすなよ」

 ウラカエは唇を読むので、職工達は忌々しげに一応の慰めを言った。

「翻訳をもう一度見直してくれ、な」

 むっすりと拒否の身振りで答えるウラカエは「翻訳は完璧だ」と言っていた。

「イハンスいねえのか、おーい」

 上級職工達はぐずぐずと散会し、失敗ガラスは屑場に運び出された。

 槌は妙な手ごたえでガラス面を何度も弾んだ。見習いはやけになって、薄板ガラスを砕くにしては大きすぎる反動をつけ、振り下ろした。

 ギリ――ン!

「うあっ……!」

 のしかかるような異様な音が、あたりに響き渡った。

「痛ってえ」

「畜生!」

 男達は耳を押さえてのたうった。

「ううっ、悪魔め」

「ケツの穴から引っくり返してやる……」

 棘のある残響も遠ざかり、人々が立ち上がると、むくつけき職人の誰より汚い言葉を吐いたのは、片手で口を押さえているウラカエだった。

「おま、口きけたの?」

 間抜けた顔に取り囲まれてウラカエはしばらく黙り、観念した。

「耳も聞こえます」


 風の香が変わり、イハンスが丘の上から見下ろすと、ジナンナがせっせと窯出しを始めていた。

「大嫌いってんじゃないよ。でも……」

 ヨーイは「分かってる」と伸びをした。

「聞こえないのは俺の方なんだ」

 ヨーイはそれも分かっていた。ジナンナも分かっていた。

 初めて会った夜、ジナンナがまず声をかけたがイハンスは反応しなかった。

 唇を読めると言っても、口元が見えなければ始めの数語を聞き漏らすし、背後から呼ばれたらお手上げだった。しかしウラカエがそっと手話を送って寄こし、追いつくのは訳なかった。目の端にウラカエの姿があれば安心できた。彼を頼るしかない事に、うんざりさせられる以外は。

 ヨーイの様子を見ていれば、どこで誰が音を立てたかすぐ分かった。一人でも聞こえている素振りができた。一人になりたい時、イハンスはパン窯に来た。

「お前を利用してた。ごめんな」

 ヨーイは必要とされているだけで十分だった。苦手な音がなければ毎日ガラス窯を訪ねたろう。

「あれね、悪魔の悲鳴っての」

 誰もがぎゅっと目をつぶる衝撃音はイハンスにも聞こえた。遠いそよ風程度に。

「俺は平気でじっと見ていられた。箱に集めて全部砕いた。皆が、これはイハンスにやらせようって言った」

 それの何が嬉しいか分かるので、ヨーイは尻尾を振った。

「俺に何ができるかを、人が話してるのが分かったんだ。あんな事初めてだった」


 ウラカエは落ち着き払って見回した。

「聞こえない振りをするのは、偽りの罪ではありませんよ。人への説明を少し怠ける、怠惰の罪です」

「まあ、そう、だなあ」

 職工達は、弁の立つ写字僧に丸め込まれていた。

「イハンスは? ペラペラ喋ってたぜ?」

「むせた振りして息の量を整えてね。彼に発声を教えたのも私です」

 弁が立って一言多く、しょっちゅう沈黙課をさせられていたウラカエは、修道院手話のみでの生活など屁でもないのだった。

「うちは食い扶持を一人分上乗せで売りつけられたって訳か」

「せっかく仕込んだ写字僧を渡すんです。安く済んだ方ですよ」

「値に釣り合う働きがありゃあな」

 恨みがましい声を背に、ウラカエは屑場にかがみ込み、失敗ガラスの破片を手に取った。

「イハンスに聞いた通りだ。着色効果じゃなく、ガラス素地の青みが圧縮されている……これ、ものすごく頑丈ですよ」

「それが何だ」

「大きくできます。流し込み法なら人の背丈の倍ほどにだって」

「鎧戸にでもすんのか」

「裏を錫で張ってはどうでしょう」

「鏡だな」

「鏡です」

「めかし好きの巨人にでも売って来い」

「待て」

 やけくその軽口を、親方が制した。ウラカエがきょろんと目玉を転がしてみせる。親方はすごむように片手を挙げ、文節を切る形に振った。

「出来の良い窓用ガラスなら、ちょっとした平民だって買うさ。だがそんな奇天烈な鏡を買う家は、そうだな、街に一軒あるかないか」

「国に一軒あるかないかでしょう。え、それって王様?」

 ウラカエはわざとらしくうろたえ、胸に手を当てる礼を取った。

「……面白え冗談だな」

 皆、本気だった。

「調子づいてる西国の王なら鏡の門、いや、鏡の邸ぐらい作るかもしれん」

「兵力より文化を見せつける段階に来ましたからね」

「どう売り込む? 見本をズルズル引きずってくか?」

「それこそ盗賊に狙われるぜ」

「王様の方で、こちらに気づいて頂きましょうか」

 ウラカエがにやりと笑うと、細い犬歯が獣じみて見えた。


 そして人の背丈の倍もある鏡は完成し、慎重に吊り上げられた。木枠と滑車を使い、豪邸の壁ではなく、森の高い梢に吊るされた。

 春分過ぎの太陽が鏡面を照らした。

 お告げ星のような輝きは、何里も離れた修道院からも見えた。

 修道士達はこの稀有な眺めに感じ入り、熱心に語り広めた。

 ある者は手紙で、ある者は出かけて行って、森林地方の巨大な鏡について語った。

 特に西国王家にゆかり深い方面には、鏡の門や鏡の邸が与えるかもしれない影響について、ひときわ念入りに書き送った。


 そうした騒動の全てが、ヨーイには楽しい見物だった。

 印状を持った使者が来て、警護を連れた騎士が来て、荷馬車が隊列を組んで、巨大な鏡を幾枚も運び出すのに、彼女の友達の名が呼ばれた。ヨーイはその都度ちぎれるほど尻尾を振った。

 誰もが言った。

「イハンスが知ってる」

「イハンスにやらせろ」


 鏡の宣伝協力を渋る修道士達に何か余計な事を言って今度は参籠課(※おこもり)を言い渡されていたウラカエは、ヨーイに言わせれば全くの役立たずだった。


                         「イハンスにやらせろ」終

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イハンスにやらせろ 歩く猫 @kamearukuneko

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