土蜘蛛

三津凛

第1話

蒸し暑い、夏の夜のことでございます。ある男が眠れずに廃寺の境内をめぐっておりました。ぬるい風が時折吹くばかりで涼はまるで得られそうもありませんでした。

「なんと、暑い夜だろう」

男は首を振って、住職の逃げ出した廃寺の屋根を何気なく見上げました。

すると、そこに甚だしく蠢くものがおりました。

「なんだ、あれは」

男は怪しく思って、糸のように目を細めました。夜闇に目が慣れると、その蠢くものの正体が露わになりました。

それは大きな蜘蛛でした。蜘蛛はちょうど人の大きさの繭を抱えて、血を吸っておりました。

「土蜘蛛だ、化け物だ」

男は驚きましたが、度胸のある肝のすわった男でありましたのでそのまま廃寺の屋根まで登ってゆきました。

土蜘蛛は男の姿を認めると、どこへともなく逃げてゆきました。

男は残された繭に包まれた別の男をそこで助けてやりました。

真っ白な顔をした男はやっとの事で口を開くと、事の顛末を語り出しました。



わたくしは諸国をめぐっておりますが、どこかで道を間違えたのか気がつくとこの寂しい廃寺にたどり着いておりました。どこにも行くあてもなし、これも旅の思い出になろうとここで一晩明かそうと決めた次第でございます。

さて、夜もだいぶ更けた頃になっても生憎の蒸し暑さでわたくしは眠れずにおりました。そんな中、どこからともなく足音がしてそちらを伺うと琵琶法師が歩いてくるじゃあ、ありませんか。わたくしは少しも怪しくは思いませんでした。むしろこの寂しい夏の夜に、話し相手ができたくらいに思っていたのであります。

わたくしは琵琶法師に声をかけて、わたくしたちは旅の心細さなどを語り合いました。そうすると、彼が自分の抱える琵琶を得意げに差し出してこう言ったのです。

「この琵琶はこの世に2つとない名器なのです。ただでさえ盲人は孤独なものでございますが、あなたとこうして出会えて世の縁の不思議なことを感じております。お返しに平家物語でも諳んじて見せましょう」

わたくしは面白く頷いて、是非に、と応えました。それは見事な琵琶と平家物語でございました。壇ノ浦の波音や沈む平家どもの詠嘆が聞こえてくるようでございました。また琵琶の音色も格別に素晴らしいものでした。

わたくしはそれに聞き惚れておりますと、次第に身体が何かで縛られていくように感じました。最初は気のせいだろうと思っていたのですが、どうもそうではないらしい。よく見てみると、糸のようなものでわたくしの身体は包まれておりました。

おや、と怪しく思った時にはもう遅かったのでございます。琵琶の音も平家物語も終わって、琵琶法師は土蜘蛛の正体を露わにしました。わたくしはやすやすと屋根の上まで引き上げられて、首に噛みつかれ血を吸われておりました。痛くて痛くて、耐えきらないと思っていた時に、あなたが助けてくれたのでございます。

あなたは命の親でございます。



旅人はようやく色を取り戻しながら、涙を浮かべてこのように語ったのでございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

土蜘蛛 三津凛 @mitsurin12

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ