エンドレスダンス
いりやはるか
エンドレスダンス
真っ暗な会場にオレンジ色のサイリウムが舞う。
頭上では安っぽい照明がチカチカと点滅し、質の悪いアンプから大音量で有名アイドルのカラオケ音源が垂れ流されている。
「今日はありがとう」
歌を終えて加奈がそう言うと、ステージのすぐそばにいる3人の男が、呻き声とも歓声ともつかない雄叫びを上げる。男たちの視線は加奈を捉えず空中を漂っている。彼らが見ているのは加奈ではない。加奈以外の誰かでもない。今この場で全力でサイリウムを振ること。それこそが彼らにとっての存在意義なのだ。そんな風に気がつくのに、そう時間はかからなかった。
その後ろに加奈より前の出番でステージに立っていた女と、次の出番を待つ女たちが無気力な人形のように立ち、申し訳程度に手拍子を打っている。出来の悪いマネキンのようだ。
ゴスロリ風、眼帯をした病弱風衣装、フリフリのついた正統派風にレザー調のボンテージのような衣装に和服に水着までいる。
振りのおぼつかないダンスを踊りながら、加奈は自分が先ほど何に感謝したのかも思い出せない。
「一枚ください」
加奈が会場の隅に置かれた、町内会の祭りで使われそうな折り畳みの事務机の前でしゃがみこんでTwitterを更新していると、頭上から声がした。
顔を上げると鼻腔に強い汗臭さを感じた。先ほどの客の一人だったTシャツを着た頭髪の薄い太めの男が千円札を加奈の目の前に突き出していた。爪の間にはびっしりと黒い汚れが詰まっていた。
2ショットチェキ1枚500円。ハグOK。段ボールにマジックでそう書いたのは先月のことだ。売り上げは少しだけ伸びた。
男の手が加奈の腰に回され、強く引き寄せられる。笑顔を浮かべたままさりげなく身を離そうとするが、男の力は思った以上に強く、がっちりと掴まれた腰は全く動かすことも出来ない。男の張り出した腹のあたりに加奈の胸が押し当てられる。ちらりと男の顔を窺うが、無表情のまま男の表情は変わらない。
「はい、チーズ」
フラッシュが光り、写真が吐き出される音がすると同時に加奈は体を離した。男の手は加奈の腰から離れる間際、さりげなく尻を撫でて離れていった。最初の頃こそいちいちそんな出来事に鳥肌を立て、ライブ終わりに触られたところを風呂で強く擦って洗ったりもしていたが、時期に感覚は麻痺していった。
「ありがとね」
男が口を開くと、粘度の高そうな唾液が口内で糸を引き、内臓が腐っているのかと疑いたくなるような不快な口臭が漂った。手に握られたポラロイド写真の中には笑顔の加奈が切り取られている。
「こんばんは、今日はこれから30分生配信しまーす」
ノートパソコンにはまだコメントが一件も出てこない。視聴者数は前回最大で26人まで行った。この世界のどこかに自分のことを見てくれている人が26人いる。リアルのライブでの最大経験人数が12人の加奈にとっては大きな数字だった。
「今日はこれからバイトなんで、ちょっと普段とメイク違います。わかるかな?」
「最近おいしくて飲んでるのが、このフレーバーティーなんですけど、近くのコンビニで売ってないんですよね」
「そうだ、このスマホゲーム知ってますか?これ、めっちゃ面白いんでやってみてください。ちなみに私は今全国で7,890位だそうです。これ、すごいんですかね??」
配信回数など自分では気にも留めていなかったが、記録を見ると150回目だったらしい。150回話しても、話した内容を忘れてしまう。この話は前回もしたんじゃなかったか。そう思いながらいつも終わる。コメントがぽつぽつと流れ始める。
「こいつ、誰に話してんの?」
「かわいそう」
「糖質」
時間が来てやがて加奈はパソコンを切り、バイトに向かう。今日は勤務時間の長いシフトの日だ。
勤務を終えて、ハンバーガーショップから出ると何者かが通路を塞いだ。
「あの」
視線の先には前髪の長い、気弱そうな若い男が立っていた。
「僕のこと、わかります?」
目の前の男の顔と記憶の中の男が繋がり、加奈は思い出す。
「…金岡さん?」
「よかった、覚えててくれて」
加奈のライブに何度も来てくれている男だった。都内で会社員をしている、野球が好きな男、その程度の情報しか思い出せなかった。
「ゆーりんちゃんがバイトしてるところ、探してたんだよ」
男が手にしたコピー用紙を加奈に見せた。
「加奈ちゃんの自宅の位置、昨日ストリートビューで見つけちゃったんだよね。ほら、ライブ終わりに話した時近くにお寺があるって言ってたし、あと使ってる電車とか、その辺りからわかっちゃってさ。通える圏内のチェーン店、朝から回ってたんだよね、ここ8店舗目」
手にしていたのは加奈のバイトしているハンバーガーチェーンのリストだった。
「バイト上がりだったんだね。残念。今度ゆーりんちゃんが売ってるときハンバーガー買いにくるね」
金岡はそう言うともと来た道を戻っていった。加奈はしばらくその場を動けなかったが、しばらくして自分の膝が震えていることに気がついた。
薄暗い部屋はベッドサイドのボタンを少し調整するだけどどぎついピンク色に照らし出され、それは普段加奈の出入りしているライブ会場によく似ていた。
男はフリーライターだと名乗り、芸能事務所の関係者の話や雑誌制作の話を一通り済ませると、取材と言ってこのホテルへ加奈を連れてきた。
「ライブ会場みたいじゃない?」
男はヤニ臭い息を吐きながら加奈の隣でそう言って笑った。
「あ、スク水あるよ。これ着てよ。まだ10代なんでしょ?」
本当は22だが、男には19と話した。加奈は手渡されたスクール水着に足を通す。男が吸う煙草の煙が天井にゆっくり昇っていく。男の手が加奈の胸元と下半身に伸びて、あっという間にベッドに押し倒される。
男のスマホが目の前にあった。
男の下半身はすでに剥き出しになっている。
「じゃあさ、俺の言うこと繰り返して言ってね。今から顔射されます。ファンのみなさん、ごめんなさい。録画ボタン押すね、はい」
「今から顔射されます。ファンのみなさん、ごめんなさい」
言い終わるなり、加奈の顎を男の左手が掴んだ。口の中に男が自分のものを突っ込み、そのまま腰を激しく動かし始めた。自分の顔のすぐ前に、男が右手で持つスマホがある。画面には男のペニスを咥える自分の姿が大きく映し出されているのだろう。喉の奥まで押し込まれ、思わずえずくと男が左手で頬を張った。再びペニスが押し込まれ、また腰を振り始めた。
「いいよ、いいよ加奈ちゃん」
男は名前を知っていた。シャワーを浴びている間に鞄の中身を見たのだろうか。住所も、本名も知られてしまった男のペニスを、歌舞伎町の、煙草臭い、古くて汚いラブホテルの、黴くさいベッドの上で、スクール水着を着て、自分は今咥えている。
「顔に出すよ」
男のスマホが震えている。加奈は目を横にやった。先ほどこっそりテレビ台の脇に立てかけた自分のスマホでは、先ほどから一連の行為がライブ配信されているはずだった。視聴数は悪くないはずだ。
「出すよ…」
顔に暖かい感覚が広がる。薄く開いた瞼の隙間から顔に放出された男の精液が入り込んで視界が滲んだ。薄暗い部屋を照らし出すピンク色の照明が目映く写って、まるでステージの照明のようだった。
見ろよ、あたしのこと、見ててよ、あたしのこと。
加奈はスマホのカメラに向かって声には出さず、小さく呟いた。
エンドレスダンス いりやはるか @iriharu86
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