王の桜

月白鳥

王の桜

 昔話をしよう。

 古い古い、とても古い昔。しかしここで確かに起こった、ある王と忠臣の話を。



 その昔、ここは荒野だった。種をどれほどうずめても芽を出さず、魚をどれほど放っても死に絶える、ただ広く平らなだけの土地だった。

 そんな荒野の端に、一つの国があった。三つの貴族とそれを束ねる一つの王家が治める、とても小さな国だった。

 国の王はひどく乱暴な若者、それ以上に気まぐれ者として知られていた。ある日は中央の民に重税をかけては容赦なく取り立て、その次の日には郊外の民へ穀物庫を解放し、ある時は人の妻を無理やり王宮に連れ込みめかけにしたと思えば、ある時は町娘へ金の指輪を手渡した。いつ何をするか分からない王の下で、民は怯え、貴族は王以上の気ままを働いた。それでも、折にふれて与えられる王の気まぐれが、何とか民と国を動かしていた。

 そんなある日。王はいつものように気まぐれを起こし、側近を一人だけ連れて他の国へ出てしまった。慌てふためく貴族や民をよそに、王は一人の奴隷を連れて戻ってきた。その奴隷は齢十にも満たない少年で、両の脚は生まれつき歪み歩くことも出来ず、それ故に見栄えの悪さを嫌った商人に切り落とされていた。

 痩せこけた少年を自ずから腕に抱えて戻ってきた王を、配下の貴族は責め立てた。


「王よ! 貴方は一体何をお考えか!」

「平素の気まぐれ、汝等と同じ行いではないか。何をそうさえずる?」

「同じではありませぬ王よ。御自おんみずから薄汚い奴婢ぬひを抱えて帰ってくるとは、王はかの立場を何だと思っておられるか?」

く者でありひるがえす者である。それ以上でも以下でも無きが故、けがれとも思わぬ」


 またもや慌てふためく貴族らに、王は構わなかった。王は鍛冶屋に命じて義足を作らせ、傍付きの者として召し抱えた。

 少年は幼く無知であったが、それ以上に聡明で勇敢だった。王の横柄さと気まぐれに不器用な配慮を見出し、言葉を与えられると畏れずに王を責め諫めた。臣下の者達はその物言いをあざ笑い、すぐに首を飛ばされるであろうと囁きあったが、反して王は少年を傍に置き続けた。

 王は言葉足らずであったが、その学と力は誰にも勝っていた。折節下される言葉の数々は示唆と暗喩に満ち、しばしば臣下や民草を混乱させたが、ひもとくことに長けた少年にとっては確かな導きであった。

 王の教えを受けた少年は、貴族にも勝る立派な青年に成長した。青年は歳を経た王に変わらず仕え、王の謎めいた言葉や行為を翻訳し、これを民に伝え広めた。たちまちの内に、青年は義足の側近、王の舌として民によく受け入れられ、青年が見出した王の配慮もまた歓待を受けた。

 国は長く穏やかな時が続き、そしてある時に崩れた。



 王の圧政に隠れて民を虐げていた、一人の貴族がいた。男は己の卑小さと悪意の露見を恐れ、自領の民を煽動し、王に己の卑しさをなすり付けんと謀反を起こした。果たして男の企みは成功し、王は玉座より引きずり下ろされた。

 煽られた民は静まるところを知らず、かつての横柄さ横暴さを今かと詰り、王城の門の前に仁王立つ王へ石を投げた。身を砕かれた王は何も言わず門の前を塞ぎ続け、然れども両の脚を砕かれ遂に地へ倒れた。それでも尚沈黙を守った王に、民衆は武具を振り上げた。

 その時、臥した王の前に一人の男が踊り出でて、これを庇った。

 よい身なりをした、義足の男だった。


「待たれよ、皆の衆! 何ゆえ王に刃を向けられるか!」


 男は猛る民衆に叫んだ。王の舌たる男が現われ、民は揺れた。

 男に叫び返す者がいた。民衆の不満を後ろから煽り立てていた、貴族の男だった。


「王の暴虐の為に。王は民を重圧し、いたずらに穀倉を開け閉てし、人の純潔を蹂躙した。かの王はおみと民を惑わす。かの昏迷は正されねばならない!」

「世迷い事を申されるでない、貴殿は全体何十年前の話をしていると言うのだ! 確かに王は足らぬ者であったやもしれぬが、今は斯く変わられたではないか!」

「貴様に何が分かると言うのだ。王は十人の乙女と二十人の妻を手篭めとし、その夫とその友四十人の首を飛ばした。苦言あればその臣を馘首かくしゅし、喘ぐ民よりその家財を搾取した! この罪科は見逃されてはならず、風化してはならぬ!」

「黙れ、盗人風情が!」


 温厚だった男が、その時初めて罵声を口にした。諌めるでもなく責めるでもなく、ただ男を罵る為に放たれた声が、貴族の男を縫い付けるよりも堅固に黙らせ、猛り昂ぶっていた民をにわかに冷ました。

 男は晒した。貴族の男が為してきた罪の数々を。それを王が知ることを。知るが故に狙われた乙女を城へ招き、虐げられた妻を夫から逃がし、一冬の蓄えを解放し飢饉ききんを遠ざけたことを。そして、己に擦り寄る背徳の輩を遠く退け、真に玉座をけがす者の罪を断たんとしたことを。

 男は綴った。王との出会いを。打ち捨てられ死にかけた己を拾った腕の温もりを。病に臥せば寝ずに看病し、知恵熱に唸れば嫌な顔一つせず新たな示唆を与え、解けたよろこびを己のことのように分かち合った幼い頃の日々を。少ない言葉の裏に隠れた王の偉業を。そしてそれが、己の言葉を受けるよりもずっと前から為され続けてきた事実を。

 男はそして、嘆いた。


「かつての王を嬲る貴方達は、それと何が違うのだ」


 民は、遂に王の首を落とせなかった。



 貴族の男は縛り首となり、身を砕かれた王はその命を永らえど、下された玉座に戻ることはなかった。民の訴えにも関わらず王は国を出ると決めて枉げず、座はかの一人の側近に譲り渡され、王の舌であった男もまた、王と共に城を去った。

 貴族らにも告げずして消えた二人の行方を、新王だけは知っていた。王と男は王国の果て、茫漠たる荒野に在りて、踏み殺された地を耕し始めていた。新王がいくらその訳を尋ねようと、或いは無駄だと首を振ろうとも、二人は決まって同じ答えだけを返すのだった。


「民の気まぐれに貴方は口を出されるか」

「王家の者と王家に仕えた者を一介の民とは呼べませぬ。御教え下され、私めに」

「導く者が導かれる者に頭を下げてはならぬ。貴方は化外けがいの民の気ままに気を揉む必要はなく、ただ領民の陳情に耳を傾け、これに堂々向き合えばよろしい。我々は我々のやりたいようにやるのみである」


 問答は繰り返され、しかし数年も経って新王政が始まると、新王は最早訪問を諦めざるを得なくなった。王とその舌であった男が荒野から戻ることはなく、稀に壊れた義足や農具の修繕を鍛冶屋へ頼む他は、王国との関わりもなく過ごした。

 新王に王と王の舌の報が再びもたらされた時には、王の譲位から二十年の歳月を経ていた。詩人の語りに二人を聞いた新王が、その綴る地に赴けば、そこは芽生えなき荒野などではなかった。そこには確かに花が育ち、小さな溜池には魚が泳ぎ、年老いた二人はその真ん中にしつらえた草庵に暮らしていた。

 楽園であると新王は言った。奇跡であるとも言った。然れども王はその栄誉を良しとせず、王の舌はただの庭であり農地であると首を振った。そして王はただ笑い、謎めく笑みを男は静かにひもといた。


「この地を民に拓きなされ。この荒れ野に芽生えの在らば、民が冬の寒さひもじさに喘ぐことも、夏にうごめく蝗に苛まれることもありますまい」

「なりませぬ王よ。この地は貴方のもので御座います。国が奪ってよいものではありませぬ」

「そう仰るであろうと王は常々笑っておられた。答えを預かっております。かの庭を除くこの地を、我が唯一の臣たる其方そなたに下賜する、と」


 新王は遂に王を説き伏せることあたわず、芽生えの楽園は新王の命によって民に開かれた。民は春の地に種を植え、夏の陽に家畜を放ち、秋の田畑に実る恵みに歌い、冬は川に魚を追った。端の小国であった国は瞬く間に栄え、その営みは二年、三年と変わらずに続いた。

 四年目の春を迎える前、王は人知れず眠りに就いた。最期まで言葉の足らぬ王の、静かな崩御を看取ったのは王の舌たる男と、その報を受け参じた新王の二人だけだった。王は眠りの床に言伝を一つだけ残し、そして隠れられた。

 新王は王の偉大なる奇跡を称え、その言伝を叶えた。即ち、荼毘に付した灰を棺に納め、これを開拓された広野の最も高い丘の頂上に埋めた。栄えた国をいつまでも見守ることが出来るよう、高い場所に墓を作って欲しい。それが王の遺した言伝だったからである。

 そして、王の舌たる男は、王が遺さなかった言伝をひもときこれを叶えた。即ち、墓の傍に一本の桜を植えた。もしも己の愛した国が時に流れ去り、民の記憶記録からその栄華が忘れ去られたとしても、己は確かに憶えている。それが末期の王の決意だったからである。

 王の亡き後、王の舌たる男もまた静かに隠れ、亡骸は王墓に納められた。新王は男の植えた桜の傍に同じ木を植えたが、二本の桜はいつしか根を分かち合い、混じり合って一本の巨樹となった。民は「王の桜」と呼び、これをいつまでも讃えた。

 国の軛が崩れた今も、王の桜は民を見下ろしている。民がかの地を見捨てたとしても、王とその舌たる男は、いつまでも憶えている。

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