週末の終末
雨野
週末の終末
1.
今日は金曜日。つまり明日は『しゅうまつ』である。週末、であり、終末。
そう。今日はこの世界の、記念すべき最後の日である。らしい。
「世界は、今日で終わりらしいですよ」
という噂が私の学校には広まっていた。いつ頃、誰が広まったのかは全く覚えていないが、気づいた時にはもう私達の一般常識のようになっていた。もちろん何の根拠もなく、ただの噂である。それを信じるものは誰もいない。
世界の終わりがこんなに身近にあるわけがないのだ。
しかし12月のカレンダーをめくると次には何もないし、閉店時間が過ぎれば店は閉まるし、2分と5秒が終わればビートルズはYesterdayを歌わないものである。
そんな風に当たり前のようなことのように『明日で世界は今日で終わってしまうのだ』などと、噂していた。
しかし、誰も本気にしていないが、噂だけがふわふわとしている、そんなだらっとした日常は少しだけ不気味なものである。
これは人類の未来はいかに、といった緊迫感溢れる話、ではなく、『しゅうまつ』の日に私が巻き込まれた話である。
――――――――――――――――――――
「学校をさぼって海へ行こう」
そんな破天荒な提案をされたのは小学校中学校とひたすら真面目ちゃんで過ごしてきた私にとっては初めての経験であり、それが「学年一変な奴」「何人か刺したらしい」「ココアシガレットをタバコのように持つ」などと噂されるヤンキーに見える不思議系女子の湊さんからの提案であり、さらに私は一度も湊さんと会話したことがないというのだから、これは大変な異常事態であった。
こんな異常事態の積み重ねが起こるというのはやはりこれから世界が終わるレベルの天変地異が起きるからに違いない。
「だってさ、今日は『しゅうまつ』だぞ。これで終わりじゃん。そんな日にあのハゲの顔見るのもなんだかなって思うのさ。行こうぜ。後でアイス奢ってやるからさ」
そういうが早いが湊さんは私の腕を引っ張り出した。私の腕が引かれる力はなかなかに強靭であり、「どうして私を連れてくんですか?」とか「どこ行くんですか?」とか「アイスはスイカバーがいいです」などといった私の言葉は8月に吹く風の様に脆弱であったため、学校との距離は引き延ばされていく一方だった。
ついでに言うと、ハゲとは私達の担任の先生のことだ。地球が歳を取り地層を形成していくように、その頭には見事に年季の入ったバーコードを形成している。話が長く、つまらない。その先生が教える地理の授業は睡眠時間として消費されることに定評がある。
ゴリラ並みの力に引きずられながら私は考える。まあ最後の日くらいならサボってもいいだろう、と。特に理由はないが、このまま本当に世界が終わってしまうなら学校なんて休んだほうが得である。
そんなことを思ってしまったのもこれから起きる天変地異の一端を担っているに違いない。よってこれもすべて『しゅうまつ』のせいである。
うん、きっと私は悪くない。
校門からだいぶ離れたところで湊さんが私の手を離した。私の抵抗のなさをオーケーの返事と捉えたのだろう。
「今日は『しゅうまつ』!未来をゲットだ!」
と、はしゃいで通学路を逆走していく湊さんをのんびりと追いかけていくことにした。
鞄が重くない日でよかったと思う。
――――――――――――――――――――
「いくつか質問があるんですけど」
もちろん質問はさっきの2つである。
「どうして私を連れてくんですか?あと、これからどこに行くんです?」
なんたって相手はココアシガレットを愛する不良女子である。私は恐る恐る聞いてた。
「いや、私さ、クラスの中でお前とだけ話したことなくてさ」
ヤンキーは意外と社交的であったようだ。
「今日が世界の最後の日らしいし、お前と話して、クラスの中の人間関係をコンプリート、ってわけよ」
さらにヤンキーは意外と完璧主義者であったようだ。
湊さんはどうやら『しゅうまつ』のことをしっかり信じているらしい。いや、信じていなければこんなことはしないであろう。もっと言えば普通の人は信じていてもこんなことはしない。
「二つ目の質問の答えだが、今日はね、海に行こうと思うんだ」
「…なぜ?」
私は唐突に出てきた海、という単語に驚きを隠せない。
「こういう時はとりあえず海に行くもんなんだよ、それで、海に向かってばかやろーって叫ぶものなんだ」
そしてヤンキーはよくわからないことを言うものであった。
私達の住んでいる町は海沿いにあるわけでも山の中にあるわけでもなく、かといってそこまで栄えているわけでもないし観光名所もないという、「何もないがある」と胸を張って言える何もない町である。
何もない、と言っても道くらいはあるが、海までは20キロ近くある。少ない本数だがバスに乗れば、まあ昼前には着くだろ
「もちろん海へは歩いて行く」
「えっ」
「だって簡単に着いたらつまらないじゃん。ほら行くぞ」
やはりヤンキーはよくわからないことを言うものである。
やはり多少遅刻してでも学校へ行く方が学生の本来あるべき姿なのではないのか。学校にはクーラー完備である。自動販売機だってあるし体育の時間は1時間しかない。よし、今からUターンして学校へ、などと私が考えているのを察したのか湊さんは再びゴリラに変貌しすさまじい力で力で私の手を引き始めた。
「あの、私、やっぱり、学校に」
「ほらほら行くぞ、海だ海」
先ほどと同じように強靭で屈強で最強な湊さんには逆らえず、脆弱で貧弱で最弱な私は海への道のりを嫌々と進み始めたのだった。
海まで、あと20キロである。
――――――――――――――――――――
私達の国、ここ日本において、北の方にあるほぼロシアのような都道府県はともかく、夏と言えば大抵は暑いものである。「何もない」田舎町の道をひたすら歩く私たちにJ-POPの歌詞の様な都合のよい風が吹いたりするわけもなく、制服はだんだんと体にへばりつき始めていた。さらに日焼け止めなしの女子高生の皮膚はこの日光に攻撃され続けるわけであるからこれはもう一種の拷問である。中学の3年間、そして高校の2年間を図書委員として図書室の備品のような生活を送ってきた私にとってこの仕打ちはあんまりであり、口からは二酸化炭素と一緒に「帰りたい」という言葉が漏れた。
「なんかすごく辛そうだけど大丈夫か?」
湊さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。できればその心配は出発前にしてほしかった。湊さんの肌は健康的な小麦色であり、汗一つない。そういえば陸上部、という話を誰かから聴いたような気がする。
「暑いですね」
辛いのは八割がた無理やり私を外に連れ出した湊さんのせいであるが、そこは黙っておく。
「夏だしなー。でも学校と違ってうるさいやつらはいないし、空気はおいしい」
でも学校にはクーラーと自動販売機があるのに。と私は考える。
「まあ学校にはクーラーも自販機もあるけどな!」
どうやら顔に出ていたらしい。湊さんはあははと笑った。
歩きながら湊さんを見つめる。細い。背が高い。髪の毛は短く、たぶん染めている茶色い髪には寝癖が少しついている。制服を雑に着ている。鞄をぶんぶんと振り回しながら進んでいく。
「海までは長いんだぞ、何か話そうぜ」
さて恐れていたリア充特有の無茶振りが飛んできてしまった。私は生まれてから何かを喋るまでに2年と数か月を要し、小学校では同級生と話さなさ過ぎて担任の先生を悩ませ、中学高校では教室の隅に設置されている掃除用具入れの如く人とかかわりを持たない人間、いわばコミュ障である。この口は現世にログインした際に初回特典としてついてきたお飾りレベルのものである。
逆に湊さんははっきりと通る声で話し、休み時間なんかには教室のどこかで声が聞こえる存在である。そのコミュ力は私を1とすれば53万はあるだろう。なにせさっきまで全く話したことのない人を拉致したり隣で笑ったりしているのだから。はたして私と同じ人間なのかが不思議に思えてくるが、この謎は未来永劫解けることはないだろう。
しかし、湊さんにとって話相手今私しかいないわけであり、本当に歩くとすれば海まではあと15キロ近くもある。場を持たせるために私は脳内の単語を必死に組み合わせて会話らしきものを絞り出すことにした。
「湊さんって、終末のこと、信じてたんですね」
少し不思議に思ってたことを聞いてみる。ヤンキーならそんな細かいことを気にせずにトイレで隠れてタバコを吸うものだと思っていた。
「ん?ああ、『しゅうまつ』の話のことか。全然?」
湊さんが口を尖らせた。
「あれ?じゃあ今日はどうしてサボるんですか?」
信じていないのか。ヤンキーの思考回路はいまいちわからない。
「サボりたいからサボってんだよ、そんなもんだよ、学校なんて『しゅうまつ』なんて関係ないよ」
湊さんが遠くを見つめた。その方向に我々が目指している海があるのだろうか。願わくば一人で行ってほしいものである。
「いやあ、だってさ、このままで未来、楽しいのかなって」
私は楽しいか楽しくないか、ではなくて、避けられないイベントのようなものだと答えた。学校はその中でも、クソゲーによくありがちなスキップできない演出だと思う。
「学校なんてさ、同じような人が集まってさ、授業はつまんねえし、人間関係はめんどくさいし。お前も同じ様に見えたから」
「同じ、ですか?」
「そう、同じ」
ヤンキーと同じ様に見られていることに憤慨したわけではなく、ひたすら不思議である。
誰とでも堂々と話せる。颯爽と学校をさぼる。人のことは下の名前で呼ぶし、担任の先生はハゲと呼ぶ。校則なんて恐れずに髪を染める。私にとっては何でもできる湊さんと同じに見られる理由がさっぱりわからない。
「クラスで一番、未来が退屈~って顔をしてたから思えたからさ。だから、世界で最後の日の話し相手に選んだんだよな、『しゅうまつ』だからな」
湊さんが少し気恥しそうに言った。
「その噂、ばっちり信じてるじゃないですか」
湊さんが何を考えているのかはやはりよくわからないが、教室の一部となりかけていた私なんかをちゃんと見つけてくれたのは、素直に嬉しいものである。
「ありが」
「川だ!一休みしようぜ」
河原へとすごい速さで駆けていく湊さんに、間違いなく私の言葉は届いていないだろう。まあどうでもいいことである。
海まで、あと15キロである。
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湊さんは川、と言ったが、この浅さではどちらかというと流れる水たまりに近い。ここ数日の猛暑が川の水を奪い取ってしまったのだろうか。
羞恥心を持つべき女子高生とは思えないスピードでスニーカーとスカートを脱ぎ捨てた湊さんは、あっという間に水しぶきの真ん中にいた。一瞬目をそらしたが、スカートの下には短パンを履いていたらしいので安心してそちらを見る。
「こっち来いよ!水は冷たいぞ!」
どうやらヤンキーは今海に向かっているということを完全に忘れているらしい。
「あと10キロ以上あるんですよ、海まで。遊んでる場合じゃないです」
「でも川についたし、あとは下っていくだけで海につくんだぞ」
発想がカヌーを手に入れた原始人である。生まれる時代をだいぶ間違えているに違いない。そんなことを考えていると湊さんは既に川の流れる先へと進んでいた。慌てて服を持って追いかける。
「待ってください」
発想が生まれた時代を間違えているのを除けば、湊さんは美少女である。周りを水しぶきが飛んできらきらと光るのは一種の芸術的美しさを感じるほどであり、ついぼうっと見とれてしまう。その瞬間湊さんが視界から消え、川の真ん中で転ぶ。ぎゃーといった叫び声が聞こえ、すぐそのあとに笑い声が続いた。笑っている場合ではない。濡れるのを恐れないのは、自分がどう見られているのか気にしないののと同じようなものなのだろうか。
しばらくすると、足がふやけた、お気に入りのキーホルダーが流れていってしまった、などと言って湊さんが川から上がってきた。ずぶぬれの全身をぶんぶんと振り回して水を跳ね飛ばす姿はもはや大型犬である。
「冷たくて気持ちよかったぞ、お前もやれよ」
冗談混じりに湊さんが私の背中を押した。
「や、やめてください」
段々と背中を押す力が強くなっていき、またもや湊さんは人間からゴリラに近付いた。すごい力で押されながらふらふらと進む。
「冗談冗談」
「弾けるような笑顔」という言葉がよく似合う笑顔で湊さんが笑う。川岸を日陰もあり、少しだけ気温も低い。先ほどよりは楽である。
「風邪、ひきますよ」
「大丈夫大丈夫、馬鹿は風邪ひかないっていうだろ」
ずぶぬれの上に裸足のままで歩き出した湊さんを追いかける。漫画のような足跡がアスファルトの上に点々と残った。熱くないのだろうか。
海まで、あと10キロである。
――――――――――――――――――――
ぎゃああああああと魔女の断末魔の悲鳴のような声を聞いたのはようやく残り距離が5キロを切ったあたりだった。いい加減川岸に飽きた湊さんが何本か離れた小さい道に突入していき、もう高校生活で使う分の体力を使い果たしたと思いながら進んでいた私と湊さんの間には距離が広がりつつあった。青春物のドラマのように喧嘩したわけではなく、単に私がばてたのである。小道は手入れも掃除もされていないために雑草が生い茂っている。
「どうしたんですか」
湊さんが道端にしゃがんでいる。見ると涙目になっているではないか。あの湊さんが悲鳴を上げ涙を流すなんて、屈強な男三人組などにカツアゲされたりしたのだろうか。
「たった今目の前をげじげじが通った、もう無理、帰る」
カツアゲではなかった。どちらかと言えばする方だものなあ、と納得しながら湊さんをなだめた。
「げ、げじげじは悪い虫じゃないです、たぶん。ゴキブリを退治してくれるんですよ、ほら行きましょう」
いまいちよくわからないフォローになってしまった。
「いい虫と悪い虫ってなんだよ…お前なあ、例えば不良にいい不良と悪い不良がいると思ってんのかよ…」
「湊さん不良なくせに…」
「あ?」
しまった口が滑った。湊さんが鋭い目でこちらを睨む。そのまなざしはラストダンジョンに住む伝説の炎モンスターの様であり、逆に私は蛇に睨まれたカエルである。
「見た目はともかくなあ、私は不良じゃないぞ」
小さいため息をつきながら湊さんが言った。
「でもやばい噂がいくつか…」
「いくつもあるのか…学年で一番変なやつだとか?」
「それはひとつめ」
「髪染めてピアス開けてるだけだろ…別に変じゃない。他には?」
高校生で髪染めてピアスを開けてれば反抗心は家を出る時の携帯の充電レベルにマックスだと思う。いやしかしまだ湊さんの不良の疑いが晴れたわけではないので黙っておいた。
「あとは、ええと、何人か刺したとか」
「刺さねえよ…この国は法治国家だぞ、捕まっちまう。はい次。」
湊さんの口から法治国家だなんて難しい言葉が出るとはと思ったがまだ湊さんの不良の疑いが晴れたわけではないので黙っておいた。
「あとは…ココアシガレットを煙草の様に吸う、というのがありまして」
「ココアシガレットはうまいだろ。あと私は喘息だぞ」
「えっ」
「だから煙草は吸ったことない」
「そんな…そんなんじゃ不良の名折れじゃないですか?」
不良に折れるほどの名があるのかは知らない。
「だから不良じゃないって。私、学校さぼるのも今日が初めてな優等生だぞ」
「え、えええ」
これは意外すぎるほど意外である。
「まったくどうでもいい噂って、すぐ広まるよな」
湊さんがため息とともに制服を軽くはたいてから立ち上がった。
「あっ、行くんですか、海」
つられて私も立ち上がる。
「なんだよ、なんか嫌そうな顔してたくせに随分乗り気になったじゃん」
そう言われればそうだ。正午を過ぎて夏の日差しが少し弱くなったからか。はたまた目の前の人間が不良ではないらしいことの安心感からか。
「海まであと少しですから。ここまで来ちゃったら行くしかないじゃないですか」
帰りはバスで帰ろう、絶対に、などと話しながら私たちは歩き出す。バスでもいいがコンビニに寄らせろ、というのが湊さんの主張である。
虫が飛び出して来ないかおっかなびっくりと進む湊さんの背中を押して、私たちは海へ向かった。
――――――――――――――――――――
ようやく海へ着いた時には学校を出発してから5時間近くが経過していた。湊さんは弁当が悪くなっていないか心配しながら昼ご飯昼ご飯と騒いでいるが、もう昼食の時間よりはおやつの時間に近い。
久しぶりに夏の生暖かい風が吹き、潮のにおいがした。砂浜の両脇には積み重なったテトラポットが、空にはたくさんうみねこが見えた。
「海だ…海だーーー!!!」
どうやらもう我慢できなくなった湊さんは先ほど川で見せた瞬間脱衣を披露しながら海へ走っていった。放り投げられていく制服を必死で拾いながら、私もそれを追いかける。裸足になった湊さんは少しの躊躇もなく砂浜を突っ切って海へ突っ込んでいった。水しぶきと笑い声が先ほど川で聞いたのと同じように湊さんの周りを舞った。潮干狩りに来た幼児のごとく海水にまみれつつある。
「お前も来いよ!」
羨ましくなるほど楽しそうである。
「靴ぬいでさ!」
人類が足裏を守るために獲得した「靴を履く権利」を捨てれば私も湊さんの様に笑えるだろうか。
「はやくー」
制服が汚れたら明日の学校が困るな、と少しだけ考えたが、すぐに考えるのをやめた。
なにせ今日は週末、そして終末である。
少しくらいいいじゃないか。
「今行きます、湊さんの制服ここに置きますよ」
スニーカーを脱いで裸足で砂浜に立つと、火傷しそうに思えるくらいの砂の熱が足裏を伝わった。私は走って、湊さんがいる海へ向かう。中腰になってにやにやと笑う湊さんは私に水をかける準備が万端の様だ。ならばと思いきり助走をつけて、おそらく私は、人生で一番高く跳んだ。そのまま着地する。水しぶきが上がる。ぎゃーという叫び声が聞こえる。
海の水は、思ったよりも冷たく、散々真夏の暑さに苦しめられた私にとってそれは心地よいものであった。
――――――――――――――――――――
1時間ほど遊んで疲れ果てた私たちは砂浜に大の字に寝転んでどうでもいい話をしていた。誰かが私達を見たら殴り合いの喧嘩の後に笑いあって仲直りするあれを思い出すに違いない。これで私も晴れて不良の仲間入りである。
学校の話、部活の話、服の話、昔話。先ほどまで話す内容を絞り出していたというのに、である。
制服がすごい速さで乾いていく。塩水のせいかあちこちがぱりぱりになっている気がした。
「バスの時間、もう少しだよ。そろそろ行こう」
必死に砂を払って、スニーカーを履いた。地面と足裏の間に靴があるのがなんだか不思議に思えてしまうようになった。私も段々と原始人に近付いているようである。
生まれて初めての学校サボタージュ、20キロ遠足、そして制服で海へ飛び込む、という貴重な体験をしてテンションが上がる私とは対照的に湊さんは静かだった。
もしかすると今更学校をさぼった後悔の念に苛まれているのかもしれない。
もちろんそんなことはなく、寝ているだけである。
「行くよ、寝てると置いてくよ」
私は湊さんと、私たちの荷物を引きずるようにしてバス停へ向かった。
この世の全ての生命は海から生まれたのだと主張するがごとく海の匂いを漂わせていたため、私たちはバスに乗車拒否されてしまうのではないかと心配していた。何も言わずに乗せてくれたバスの運転手はどうやら海のような広い心を持っていたらしい。
田舎町を通るバスはバス会社の財政状況を心配してしまうほどに空席だらけである。
「楽しかった?」
バスの一番後ろの席でぐったりしている私に湊さんが呟くように聞いた。
「楽しかったよ。とても。でも歩きで行くのはちょっと無謀だったね。今度はバスとかで」
「よかったよかった!なんたって今日は『しゅうまつ』だからな。ていうかお前の制服臭いな」
湊さんは話を聞かずに私の制服の匂いをかいでいる。自分も同じか、それよりひどい匂いがしているはずなのに。
「その噂、信じてないんじゃなかったの。そもそも今日が終末なら、明日はもうないよ」
私は家から一番近いクリーニング屋さんの場所を考えながら適当に返答した。制服のクリーニングで小遣いか飛んでしまうのはしょうがない。それより親になんと言い訳をするかが大問題である。唐突に学校をさぼり海へ行くなどという非行を行ったのだ。親は嘆くに違いない。
「その噂さ、流したの私なんだよねー」
『しゅうまつ』はさすがに言い訳にならないよな、と考える。
湊さんは、今日何回目かの、訳の分からないことを言った。
危うく今日何回目かの「そうなんですか」を使って流してしまいそうだった。
「え?今なんて?」
「だから、最初にそのこと話したの、私なんだよね」
やはり意味が分からない。なぜそんな話をしたのだろうか。
「どうして、そんな話を?」
考えが、そのまま口に出る。
「じゃあ、説明してやろうじゃないか、私の壮大な計画をだな」
ふふん、と湊さんが得意げに笑った。頬が少し赤いのは日焼けだろう。日焼け止めを使わなかった私もおそらく同じように焼けているに違いない。
「私は、お前と友達になりたかったんだ」
やはり、湊さんはよくわからないことを言うものである。
――――――――――――――――――――
「友達になり方がわからない時ってさ、あるよな」
湊さんは今日初めて見るであろうまじめな顔で言った。
「友達?」
「そう。お前友達いる?」
「いますよ」
失礼な。教室の一部であり図書室の備品である私にも片手で数えられるくらいの友達はいる。はずである。
「でもさ、みんな友達がいても、どうやって友達になったのか、ってのはなかなか覚えてないと思うんだよ」
「どうやって、か…。話したり、一緒にご飯を食べたり、とかじゃない?」
「そうそう。でもさ、そういうのってここからが『友達』って区切りはなくて、気づいたらなってるものじゃん」
人生で一番の間抜け面でぽかんとしている私を横に湊さんは話を続ける。
「どこからか友達なのか、どうすれば友達になるのか、それがどうすればわかるのか…なんて考えてさ、だから」
だから。まさか。
「計画を立てたんだ、学校をさぼって、友達を作る計画を」
湊さんがまたふふん、と得意げに笑う。話が未だに飲み込めない私はバスの窓から外を見た。いつもと変わらぬ田舎町の景色が流れていく。
「学校をさぼる計画、って?」
「どこから友達か、どうやって友達になるのか、それを知るためには」
「うん」
「ある程度長い時間いないといけない。二人で。学校は人が多いからうるさいし、どうやって友達になったのかわかりにくいだろ?」
「う、うん。たぶん」
「それで、私は『しゅうまつ』の噂を流したんだ。今日で世界が終わりなら、学校くらいさぼってもいいだろう、って考える人を探すために」
「その、そのためだけに?」
「そうそう。ま、一回学校をさぼってみたかったというのもあるけどな。誰にするかは決めてなかったけど、私、お前と話したことなかったし、ちょうどいいかなって」
計画がずさん過ぎて穴があるどころの話ではない。もはやざるレベルですらなく網に近い。
「まさかこんなに広まるとは思ってなくてさ。どうでもいい噂って、ほんとあっという間に広がるよな。ほとんどの人は信じてなかったけど」
「雑すぎるよ、その計画。私だって別に信じてたわけじゃないのに」
「ええっ、そうだったのか。じゃあお前なんで着いてきたんだよ」
それは、私にもわからない。それこそ世界が終わるまでわからない自信がある。
私の朝の気まぐれが無かったら、こうして二人で学校をさぼることなく、まじめに授業を受けていたのだろうか。先生のつまらない話を聞いて、それほどおいしくもない昼食を食べ、友達とくだらない話をして、そして湊さんとは話すことなく一日を終えていたのだろうか。
まあ、それも今になっては、もうわからない。
「それで、何かわかった?」
そんなことよりも知りたいことがある。
「え?」
「私達はどこから友達になったかって。あれ、なって、る?」
湊さんはあー…、と気まずそうな顔をして目をそらした。もしかして。
「考えてなかった、のね」
朝に『しゅうまつ』について聞いた時のように湊さんが口を尖らせる。おそらくこれは湊さんが困っているときの癖なのだろう。
「まあー…その…考えてなかったというか…川に落ちたり虫出たりとか色々あったしな…。しょうがないしょうがない。朝にはこんなこと考えなかったし…未来とは楽しくまた難しいものなのだ…」
斜め45度くらいの方向を見つめながら湊さんは今日の総括をした。これもまた雑すぎて、これでは夏休み最後の日にまとめて書いた日記帖レベルである。
「まあいいだろ、もう友達だよ、友達。今日から私とお前は友達だ」
湊さんはこの話はおしまい、と言うようにぱん、と手を叩いた。
それと同時に、バスが次に止まる場所を伝えた。私達の町である。
まだバスに乗ってから一時間も経っていない。こんなにもあの海は近く、私たちが歩いた距離は短かったのだな、と思った。目が合った湊さんも同じことを考えている気がしたが、その理由はわからない。次は歩き以外の手段で移動するぞと私は心に強く誓った。
バスを降りると忘れていた夏の気温が私たちに襲い掛かってきた。
海まで、あと20キロである。
――――――――――――――――――――
「思ったんだけどさ」
湊さんが唐突に不安そうな顔をして言った。
「明日ってちゃんとあるよな?『しゅうまつ』なんてなくてさ」
「それ今信じてるの、たぶん湊さんだけだよ」
思わず私は噴き出した。
「信じてない、信じてないから!あと、」
おそらくそれは日焼けだろう。少しだけ顔を赤くした湊さんは言葉を一旦切った。
「うん?」
「名前で呼べよ、私のことも。」
「ええ、それはまだ、ちょっと早いって言うか、その」
それは時期尚早すぎないだろうか。
「私はずっとお前のこと名前で呼んでるのに」
「そりゃそうだけど湊さんと私じゃコミュ力の差が」
「次から名前な!名字で読んだら罰金だ」
「そんな…そういえばアイスはおごりじゃないの」
湊さんの、と口から出かかった言葉を必死に留める。危うく罰金である。
「…明日香の」
湊さんが、いや、明日香が白い歯を見せ、嬉しそうに笑った。
「じゃあコンビニ行こうぜ、アイスの時間だ」
湊さんは今日20キロ近く歩いているとは考えられない身の軽さでコンビニへ向かってスキップを始めた。あっという間に店の中へ姿が消える。
朝に感じた静寂が私の元に少しだけ戻ってきて、私は考えた。そもそも一般的に人はどの瞬間から他人を下の名前で呼ぶのだろうか。
何度か会った時。話が弾んだ時。ご飯を一緒に食べた時。
わからない。謎だ。これは中々に難解な謎である。
この謎を解くには、どうすればいいのだろうか。私がまだ話したことのない誰かを探す。どこかで、二人きりで、ある程度長い時間を過ごす。なんてどうだろうか。
明日香におごってもらうアイスを何にするか考えながら、私はコンビニの自動ドアの前で立ち止まった。ふと、言葉が私の口から零れる。もちろん、誰かのように噂をばらまいたりするつもりはない。何の気なし独り言である。
「世界は、今日で終わりらしいですよ」
週末の終末 雨野 @mtpnisdead
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