第32話 葛城春日は選ばない

 目が覚めたとき、周りは闇に包まれていた。


 体の下にある九条の体は熱を失っていたが、死後硬直が始まっている様子は無く、未だ人間的な柔らかさを残したまま、呼吸も心臓も停まっていた。


 空を見上げれば、悲しくなるほど美しい満月がこちらを見下ろしていた。月明かりに照らされた地面に立ったまま最後を迎えた八重桜先生の姿は無く、そこには突き刺さった刀だけが残っていた。辺りを見回しても先生はいない。どこに行ったのか、どうしていなくなったのかはわからないが、仮に生きていたとしても――少なくとも武器を置いていったということは、もう俺たちと戦う意思は無い、ということだろう。


「……九条、俺は――」


 死人を生き返らせることはできない。だから、ああやって九条の意識が戻ったのは本当にただの偶然なんだ。纏という能力のせいなのか、それとも俺の力のせいなのか、はたまた九条本人の血のおかげなのか――俺にはわからない。それでも、まだ可能性があるというのなら、出来得る限りのことをすると約束しよう。


「はぁ……とりあえずは」


 体が動くようになったと言っても、それはあくまでも最低限の話であって、今ここで再び九条に纏を行ったところで長くは保てない。それならば、まずは九条を家に連れて行って、体力の回復に務めるべきだ。だが、それには目下、迫り来る脅威を排除しなければならない。


 背後に感じる嫌な気配は……凡そ十体。しかし、酒呑童子ほどでもなければ牛鬼や大鬼よりも弱い、言ってしまえば普通の化物たちだ。


 ポケットの中や、バッグの中を探っても使えそうな道具は残っていない。素手で戦うとしたら羽衣をしなければ十体もの敵の相手をするのは厳しいだろうが、今の状態で羽衣を纏えば、また倒れてしまう。


「ああ……なるほど」


 忘れ形見というべきか。突き刺さっていた先生の刀を手に取った。


「確か――〝刀身を媒介とし、敵を滅しろ――大蛇丸〟だったか」


 刀を纏わせれば、まるで自分の体の一部のように手に馴染んだ。……当然か。纏というのはそういう力だ。


 あと、もう一つ。おそらく、俺の力はこの使い方で正解なのだろう。


「おい、テメェら。誰からの命令か知らねぇが……死ぬ覚悟はできてんだろうな?」


 声を纏で包めば化物たちはたじろぐが、それだけだ。とはいえ、一瞬だけでも動きが止められればそれでいい。先んじて動ければ――殺すのは容易くなる。


 三体を斬り殺し、挟み撃ちにしてきた二体も避けながら斬り裂いた。直線で並んでいた二体を真っ直ぐ突き刺して同時に殺し、刀を引き抜いたところで背後から迫ってきていた化物に向かって体勢を変えることなく刀を反転させて突き刺した。


「っ――」


 一体の棍棒が脇腹に直撃して血を吐き出したが、振り上げた刀で体の半分まで斬り裂いた。そして、最後の一体は間を置くことなく突っ込んできて刀を引き抜く時間が無かった。代わりに纏を集中させた拳で顔面を殴れば、跡形もなく吹き飛んだ。


「ごほっ……まぁ、こんなもんだろう」


 口の端から流れ出た血を拭い、抜き身の刀をベルトに差し込んだ。


 九条の下に歩み寄り、その体を抱え上げれば想像以上に軽くて素直に驚いた。これほど軽く細い体に、あれだけの重い使命を背負っていたわけか。……いや、だからといって俺には関係のないことだ。


 俺は――選ばない。


 九条が死ぬか、死なないか――なら、どちらも選ばない。その結果が今だ。


 俺のスタンスは変わらない。変えることはできないが、それでも、今が間違っていることだけはわかっている。正しい道から外れていて――そのことに気が付いているのに、その道を走らなければならない。戻ることも、振り返ることすら許されない。九条茉莉花も、八重桜澪も、そんな世界を生きてきたのだ。


 知ってしまったから、見てしまったから、踏み込んでしまったから――わかる。正しいことをしようとしていた者が、虐げられている。平和を願い行動した者が、殺されている。


「はっは――――腐ってやがる」


 だから、選ばない。


 選んでしまえば、この腐った世界の一部として機能してしまうから。


 選んでしまえば、この腐った世界に飲み込まれてしまうから。


 選んでしまえば、この腐った世界に選ばれてしまうから。


 だからこそ――俺は選べない。


 選ばないことが俺から、この腐った世界への犯行であり、宣戦布告だ。


 ――第一部・完――

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腐った世界のプロローグ 化茶ぬき @tanuki3

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