第31話 決着

 先に踏み出したのは九条で、先に剣を振ったのは八重桜だった。そして、刀が合わさり弾くたびに破裂したような風が体を撫でる。力は互角に見える。少なくとも、俺にはそう見える。


 だが、均衡とはいずれ必ず崩れるものだ。


「八重桜流剣術――枝垂桜ぁ!」


 降り注ぐような剣技に、九条は飛び退いて事無きを得た。剣術を出した後には隙ができる。それを見逃さなかった九条は、刀を上段に構えたまま跳び上がった。しかし、それは悪手だ。宙に浮いてしまえば、どれだけ隙があろうとも迎えるだけの準備はできる。当然、それを好機と思った八重桜は宙に居る九条に向かって刀の先を向けて、落ちてくるのを待った。重力に任せて九条が地面に着くまで凡そ一秒――九条を俺の纏で覆っているせいなのか、考えていることが頭に流れ込んできて、助けようと踏み出した脚は留まった。


「茉莉花、私の勝ちだ」


「ええ――そうね」


 上段に構えていた刀をただの血に戻した九条は両手を広げて、自ら八重桜の切っ先にその身を委ねた。刀が体を突き抜けたままの九条は、何が起きたのかわからずに戸惑っている八重桜を抱き締めた。


「な、に……? 茉莉花、どうして――」


 八重桜は急所を避けて狙っていたのに、九条が自分で急所に合わせて刺さりにいったのだ。


「ああ――やっぱり、私では澪ちゃんには勝てないようね。それで、どうかしら? 初めて人を殺した感覚は」


「殺しっ――違う……私は――」


 目を見開いて困惑したように後退りをすると、ズルリと刀が抜けて九条はその場で膝から崩れ落ちて、俺は上半身を支えるようにして横にしゃがみ込んだ。


「っ、違わない。澪ちゃんが、私を殺したの。気分はどう? 最悪? 最高? それとも――楽しい?」


「楽しいわけがないっ! こんなの――こんなのは違う! だって……私は、茉莉花を殺したくなんて無いのに……」


 気が動転していて何が起きたのか把握できていないのだろう。刀に付いた血が、刃を伝って地面に染み込んでいく。


「それは、違うわ。澪ちゃん、あなたは私を殺したくないのではなくて――誰も、殺したくないのよ。あなたは、どれだけ世界の平和だとかの正論を並べても……そのために悪に染まらなければならなくても、心の底から納得していなければ芯の部分では悪になり切れない。私が知る八重桜澪は――そういう人間よ」


 俺にはわからない。だが、幼い頃から一緒に育ってきたからこそわかるのだろう。だからこそ、目に見えない信頼関係があるのだ。……わかった気になって、知った気になっていた俺なんかよりも、余程――


「……そんなことを伝えるために自分の命を? どうして――そんなことをっ!」


 理不尽な八重桜の怒りに九条は顔を綻ばせた。纏をしているのに傷が塞がることは無く、血は流れ出たまま地を這いずる。一つ咳をして、溢れ出した血は首元を伝って服を赤く染めていた。


「……私の命一つで伝えられたのなら安いものよ。それに――助ける、って言ったでしょう?」


 然も当たり前のように他人のために命を差し出した九条には狂気すら覚えるが、仕方のないことだ。彼女のこの性格は死んでも治ることは無い。……ああ、いや違うな。別に病気じゃないんだ。彼女は死んでも――誰かのために生きるのだ。


 未だ、どうすればいいのかと困惑した表情を浮かべる八重桜に対して、徐に口を開いた。


「俺が言ったことを忘れたのか? 人間は考える生物だ。一つの案がダメになっても、なんとかして代案を考え出す。……考えろよ。誰も傷付かずに、お前の目的である世界平和を達成するために、代案を出せ」


「っ――そんなことができれば初めから――そんな策、思い浮かぶわけが――」


「知ったことか! お前はなんだ? お前は――八重桜澪は人間だろう。勝手に諦めてんじゃねぇよ」


 九条は、そんなやり取りをただ黙って聞いていた。真っ直ぐに八重桜を見据えながらゆっくりと静かな呼吸を繰り返しながら、ただ見ているだけだった。


「……それなら私は、まだ戻れるのか? 許してもらえるのか? 私、は――っ!」


 それは唐突に起きた。俺も九条も、ましてや八重桜本人でさえも予期していない事態だ。


「ふむ、これは困ったものだ。戻るも戻らないも、許すも許さないも、すべては我ら次第ということを忘れてしまっては困る」


 天狗は八重桜の背後から胸に刀を突き刺して、木魚達磨は血の気の無い言葉で言い放った。


 そんな光景を目の当たりにした俺と九条は、自分たちも瀕死の重体だということも忘れて纏を行い殺気を放つと、即座に近付いてきた木魚達磨の掌底によって吹き飛ばされた。


「くっそ……もう、体が……」


 限界だ。これ以上は地面を這いずることはできても戦うことはおろか逃げることすら適わない。少し離れた場所に飛ばされた九条も同様のようで、纏おうとしている血が形を成さない。


「天狗、達磨、私は――!」


 持った刀を振り上げた八重桜だったが空を切り、再び背後を取った天狗によって二度三度刺された。だが、それでも倒れることは無く、刀を地面に突き立てて背中越しでもわかるほどの殺気を放っていた。


「わ、たしはっ……まつり、かを……かつ、らぎを――」


 しかし、途端に殺気は消えた。


「……足ったまま死ぬとは。天晴だ。八重桜澪よ」


 そこに残ったのは、まるで俺と九条を守るように立ち塞がった八重桜の背中だった。


 ずるずると這いずりながら、落ちていた石を手に握って、倒れている九条の下へと近付いていると、天狗と達磨はこちらには聞こえない声で話し始めた。ならば今のうちにと力を込めて這いずれば、漸く九条の下へと辿り着いた。


 だが、声を掛けるよりも先に、手を伸ばすよりも先に二体の視線に遮られた。


「……第二特異点・葛城春日。お前は生かしておくことにした。この意味がわかるか? お前には利用価値がある。だから、今は殺さない」


「今は、か」


 いずれは殺す――いつでも殺せる、ってところか。


「我らはそれぞれの王に事の顛末を伝えに帰る。……もしも、自ら死を選ぶというのなら止めはしない。好きにしろ。拾った命をどうしようともお前の勝手だからな――人間」


 そう言うと、天狗と木魚達磨はその場から姿を消した。


「っ……」


 俺は、今にも全身の骨が砕けそうな痛みを感じながらも、九条の手を取り、その体を抱き上げた。


「九条……すまない。俺のせいで、こんなことになって……」


「な、にを……言っているの? あなたのおかげ、で……私は、ここにいる」


 違う、そうじゃないんだ。もしも、体が万全の状態だったのならば、まだ可能性はあったかもしれないのに、今の状態ではどうしたって限界なんだ。


「二度目の保証はできない。だが――」


「わかっているわ。もう……一度は死んでいる身よ。今更、何も惜しくはない。むしろ……春日くん、あなたのほうが苦しいはず」


 全身の痛みは当然として、頭の中では大きな鐘が鳴り響き続けているし、喉に込み上がってきた血を押し戻すことができずに溢れ出ている。これ以上は、おそらく俺が死んでしまう。


「だから、ね? 纏を解いて……自分の体を治すの。二、三時間もすれば動けるようになるはずだから――私の家に行って。あとのことは、任せるわ」


「すまない……本当に、俺は――お前に助けられてばかりだよ。……茉莉花」


 纏を解除すると、九条の顔から生気が消えるのと同時に俺の体の修復が始まった。それに伴って、意識の混濁も始まった。


 脳内を駆け巡る事象に、今の俺は耐えられない。せめて、九条のことだけは守れるように、と。その体を抱きかかえたまま、俺は意識を失った。

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