第20話


〝孤児院に入って来た時のあなたの表情は、わたくしの目には焦っておられる様に見えました〟


 自室に戻ってから、エルミスは先程から何度も孤児院の少女の言葉を反芻していた。

 その度に刺された様な表情になって、机の上で頬杖を突く。視線の先では、濃い闇の中にくっきり浮かぶ満月が微笑う様にこちらを眺めており、訳も無く苛立った。


「……ったく。よけいなことばっかり言うお嬢さんだ」


 ひどく腹立たしい。

 エルミスとアーシェの関係なぞ知りもしないくせに、どうして自分の事の様に悲しそうに瞳を揺らすのか。

 己の心を揺り動かすその言動に、益々苛立ちは募る。


「何が、焦っていただ。……焦ってんのはお前だろ」


 しかも、頭まで春と来たものだ。アーシェの女版かと鼻で笑いたくなる。

 重々しい溜息は、己の中の澱みを吐き出す様に聞こえた。ごてっと机の上に乗せた片腕に頭を乗せ、もう片方の腕で顔ごと覆う。



 ――アーシェと出会ったのは、彼が四歳の時だ。



 確か、父がアーシェを排斥するために、エルミスを駒として差し向けるためだかの流れで顔を合わせる事になったのだ。

 権力にしか興味の無い親。政務道具として丁重に敬ってくる分家の虫けら共。じいさんも権威云々はともかく、エルミスのことは甥の息子程度にしか思っていなかったはずだ。既に彼の熱意は、アーシェを育てることに向いていたから。

 どいつもこいつも、エルミス自身のことなど見もしない。人ではなく、道具としてしか利用価値を見出さない。うんざりだった。

 だから、アーシェと初めて会った時も、特に感慨も湧かなかった。

 ああ、こいつも権力闘争に否が応にも巻き込まれるんだな、ご愁傷様、くらいの感想しか無かったのだ。



「エルミスというのか。われは、アーシェル・ラング・フェルシアーノだ。よろしくな」



 舌っ足らずながらも、きちんと王族らしくフルネームで名乗るアーシェは、にっこり笑って子供らしかった。

 なのに、どこか子供っぽくはなかった。


 そう。にこにこと笑う顔は、全然子供っぽくなかったのだ。


 些細な違和感だ。

 彼のどこが子供っぽくなかったのか。エルミスも、そう理由を問われても答えられはしなかっただろう。

 けれど、「親交を深めろ」と放り出され、彼とだらだら散歩をしている時に何となく気付いた。庭を散策している時、いきなりくいっと腕を引かれたのがキッカケだったのかもしれない。

 何だよ、と煩わしげにしながらも振り返ってやると、アーシェは足元を見つめていた。

 何か見つけたかとエルミスも視線を流すと、そこには一輪の花が儚げに咲いていた。

 周りは草ばかり。仲間は一人もいない。


 ――ああ。こいつ、俺みたい。


 くだらない感傷が湧いたのは、彼がいたせいか。すぐに自己嫌悪に陥り、同時に更に苛立った。踏み付けてやろうかと、足を浮かしかけた時。



「エルミス。お花がある。ふんだらだめだ」



 たかが花のために、一生懸命懇願する子供。

 ガキらしい欺瞞に、エルミスは自暴自棄になって「はいはい」と如何にも適当な相槌を打つ。


「アーシェルは、優しいな」


 皮肉をふんだんにこめた当て付けだった。子供相手に大人気ないと思わなくもなかったが、もうこの時には既に最高に目障りな対象となっていた。これで追い払えないかと、ささやかな期待まで抱いたくらいだ。

 だが。



「エルミスも、やさしいぞ」



 思いがけない評価を返された。

 何言ってんのこいつとエルミスが目を剥いていると、彼はこてんと首を傾げて続けた。


「さっきから、エルミスはわれがころばないように、ゆうどうしてくれていた」

「……」

「エルミスは、やさしいな」


 にっこりと笑うアーシェに、エルミスは息を呑んだ。屈託無く笑いかけてくる彼に、冷やりと何とも言えない感情が込み上げてくる。


 ――何を言っているんだ、こいつは。


 エルミスは、戦慄く唇を噛み締めて心の中だけで問いかけた。

 普通、そんなことには気付かないだろう。四歳児だ。確かに転ぶと厄介だから、さりげなく手を引いて歩く道は選んでいたが、誰がそんな小さなことに子供が気付くと思う。


 そこまで考えて、エルミスは唐突に閃いた。先程、彼に対してどうして子供っぽくないと感じたのか。


 彼は、常に嫉妬と羨望に晒されている。分家やエルミスの父が自分をどう思っているのか、彼は知っているのだ。

 それでも、彼は自覚をしている。自分が、魔王の後継者だと。弱味は見せてはいけないと。

 だから、子供らしくしつつも、子供らしからぬ洞察力を鍛えなければいけなかった。


 ――本当に何やってんだ、こいつ。


 気付いてしまって、エルミスは別の意味で腸が煮え繰り返った。

 こいつは――。


「――、何やってんだお前」


 怒り最高潮をぶっちぎり始めたところで、更には腕に抱き付かれた。いらあっと湯気が出そうなのを素晴らしい胆力で制御し、頬を引きつらせて問い質す。

 そうしたら、また子供らしくない、だけど何より子供らしい気配りを見せてきた。



「エルミス、いたそうなかおを、していたから」

「……は」

「いたいときは、こうして父さまがよく、ぎゅーっとしてくれるのだ。……いたいのいたいの、とんでいけー!」



 ぎゅぎゅーっと一段と強くぶら下がる様に巻き付きながら、アーシェは力を入れて念じていた。一心に。初対面だったエルミスなんかのために。

 何をしているのだろう、本当に。こいつは、馬鹿なのだろうか。

 子供らしからぬ頭があるのなら、分かるだろう。エルミスが、彼を鬱陶しく思っていること。なのに、何で彼は自分なんかのためにこんなに骨を折ろうとしてくれるのか。

 馬鹿なのだ。


 そうだ。きっと、馬鹿なのだ。


 傷付きながらも自分のためではなく、誰かのために一生懸命になる。子供らしくないのに、子供らしい子供。

 馬鹿だ、こいつは。


 本当に――。


「……あ、すまぬ」


 思考に沈んでいると、彼は突然離れた。急に離れた温もりに、くっついていた箇所が急激に冷えて寒々しくさえ思える。



「急に、たにんにひっつかれたら、いやだよな。すまぬ、気がまわらなくて」



 申し訳無さそうにしながらも、にこにこと笑う彼。その笑顔の裏には、淋しさが一瞬だが過ぎった。気に食わないが、エルミスには取り零すことなく拾えてしまった。

 ああ、何故だろう。本当に。

 苛々するはずなのに。すぐ嫌われて、解放されたいのに。

 それなのに。


「……ばーか」


 ひょいっと風の力を使って抱き上げる。

 いきなり抱っこをされる形になって、アーシェは上手くエルミスに捕まれなくて落っこちそうになっていたが、構わずにこちらに引き寄せた。


「んな、気なんかつかわなくていいんだよ。ガキのくせに」

「え……」

「ガキはガキらしく、大人に甘えてればいいんだ」


 たかだか三歳しか違わないから、エルミスを大人に分類するのにはかなり無理があった。

 しかし、それでもエルミスは貫き通した。前言を撤回することほどカッコの付かない事は無い。

 そんなエルミスに、アーシェはしばらくぱちぱちと、大きな瞳を可愛らしく瞬かせた後。


 ふわりと、笑みを浮かべた。


 花が開く様なその笑顔は、初めて見る類のもの。恐らく、これがアーシェ本来の笑顔なのだろうと、悟れた。



「じゃあ。エルミスに、甘えてよいか?」



 こんな時にまで質問するのか。

 いつの間にか癖になってしまったのだろう遠慮体質には、拳骨を落とす。ごちーんと、実に痛快な音がした。


「い、いたいぞ、エルミス!」

「いいから甘えろ」

「……」

「俺の前でくらい、ガキに戻れ」


 命令口調で言ってやれば、アーシェは一瞬泣きそうになってから、より一層笑顔を咲かせた。そのまま、「エルー」と首を絞める勢いでぎゅうぎゅうに引っ付いてくる。

 もちろん、引っぺがして地面に叩き付けたのは、誰でも読めるオチだろう。首を絞めるとか、ありえない。






 ――そんなやり取りがあってから。もう、十三年になる。


 手のかかる弟はいつの間にか成長して、あと一年で魔王になる所まで来てしまった。

 本当は、もっと早く実行しても良かったのだ。それをもう少し、もう少しと先延ばしにしていたのは、じいさんだけではない。



 あの頃も、今も。馬鹿なのは、きっとエルミスの方だ。



「……さて。儀式の前に、じいさんに尋ねとくか」



 あの勇者が提供してくれた情報は、青天の霹靂だった。

 先代勇者が亡くなった後、アーシェには極力勇者に興味を持たせまいとするために、じいさんとは両者の関係は伏せておく密約を交わしていたのだ。

 だが、それを彼は破った。

 今までの魔王と勇者の関係を、アーシェに暴露してしまったと聞いた時は己の耳を疑った。

 あれほどまでに厳命してきたのは、むしろじいさんの方だったにも関わらず、だ。


 どういうことなのか。


 アーシェが城下行きを申し出てきた真の理由を悟り、エルミスの不満は爆発寸前だ。下手をすれば、作戦が失敗していたかもしれない。情けをかけて城下に出したのは、間違いだったか。

 重い腰を上げて、エルミスは億劫になりながらも歩き出す。一度本人にも確認を取らなければならない。

 だが。


 ――今、顔を見るのは面倒だな。


 一瞬、連行する時の泣きそうな笑顔を思い出し、エルミスが顔をしかめた時。



 ずん、と。急激に圧し掛かってきた悪寒に、膝を突いた。



「ぐっ、……!?」


 頭から、肩から、背中から、腹から、あらゆる箇所から圧迫感を覚え、エルミスは必死に嘔吐感を鎮める。がんがんに響く頭痛は、割れた鐘を連想させて気持ちが悪い。鼓膜が破れそうだ。

 何だ、これは。

 いきなり辺りに漂い始めた悪寒に、エルミスが重い身体を引きずって、意識を集中させると。



『やーっと、魔王を見つけたよー!』

「――」



 あらぬ方角から降って湧いてきた声に、エルミスは弾かれた様に顔を上げた。

 だが、何処にも声の主はいない。直接脳内に響く様に、くすくすと楽しげに声は続ける。


『ずーっと探してもひゃひはああああ見つからなかったから。待ちくたびれちゃったたたたたああああああ』

「なっ……」

『まさか、ずううううううっと! 隠してたなんてねええええええ! みみみつみつ見つけるのにきゃきゃきゃきゃきゃ時間かかかかかかっちゃったあああああけ、ど、……わざわざ鏡の前に連れてきてくれてありがとおおおおおおお!』

「――、は? かが、……な、んだって?」

『さあ、みんなで祝おうよおおお! 魔王がきききひひひひひいきききひきひようやく誕生するるるるよおおおおおおお』


 きゃらきゃらと、その声は舞う様に頭の中を飛び跳ねる。壊れた様な高笑いの声は子供の様でいながら、大人の様な低さも想起させ、狙いが定まらない。

 頭の中を乱打しながら授かる全く有り難くない天啓に、エルミスが絶句しかけた時。


『それでねへへへへひひひひ』


 声は、最悪の予感を、形にした。






『魔王と勇者の、物語が始まるのー』

「――――――――」






 クラッカーを鳴らす如く、拍手が洪水の様に湧き起こる。頭からだけではなく、扉の外からも聞こえてきた。割れんばかりの、拍手喝采だ。


 ――まさか。


 じわりと、背筋を冷たい手でなぞられた様な嫌悪感に震え上がる。

 立ち上がろうとすると、物凄い負荷が体に圧し掛かった。声も絶えず頭の中で笑い続けて、煩わしい以上に殺意さえ抱く。

 だが、確かめなければ。


 もし、この突然降りてきた声の内容が、本物ならば。


「……ちいっ!」


 気合を入れて声を出し、ばんっ! と体当たりする様に廊下に転がり出た。

 途端、ぶわりと不快な熱気が顔に吹き付けてきて気持ちが悪くなる。噎せ返る様な瘴気に目眩を覚えながらも、手すりに掴まって立ち上がった。


「……って、……何だ、これ……」


 周囲には、焦点の定まらない瞳をぎょろりと並べた者達が所狭しと群がっていた。

 血走った瞳は爛々と不気味に輝いていて、正気でないのは一目で分かる。誰もがこぞって、一点に両手を限界まで伸ばし続ける様は、神に飢えて狂った信者の如く異様だった。中には階段の手すりから落ちそうになっている者も少なくは無い。

 しかも、この異様な信者の群れは城の人間だけではなかった。城下の者も総動員して、この城内をぎゅうぎゅうに埋め尽くしている。歩くスペースを確保する余裕さえない。


 ――扉のすぐ傍にいたってのに。気配が、全く嗅ぎ取れなかった。


 信じられない失態にエルミスが焦燥に駆られた時、階下のエントランスで、玉座の方向に連れて行かれる人影が目に入った。腕っ節の強そうな人間に両手を塞がれ、無理矢理引きずられているらしい。

 紫がかった漆黒の髪。黒いコートを纏う、その人物は。



「――アーシェッ‼」



 悲鳴の様な絶叫を上げた。

 声が届いたのか、アーシェは顔を上げ、青褪めた顔で「エル!」と叫んで返してくる。

 あいつは正気らしい。

 だが、ホッとしたのもつかの間。


「ぐ、うっ!」

「――――――――」


 別の人間に、アーシェが腹を殴られて咳き込むのを目の当たりにし、エルミスの頭が怒りで焼き切れた。



「貴様っ‼ アーシェに何してんだっ‼」



 目にも留まらぬ速さで、狼藉を働いた人物へ炎を叩き付ける。

 だが、放つ前に、響き渡る声と魔気にてられて、一瞬狙いが逸れた。炎は人々の頭上をすり抜け、壁に轟音を立てて激突して炎上する。


『ううひひひひひいひいいあああああははははははは! たっのしいいんあああああああ!』

「うるっせ……、くっそ、何なんだ一体……っ」


 気を抜けばすぐに声に意識を持っていかれそうな状況に、エルミスは舌打ちして――転がる様に横に飛びのいた。

 直後。



 ぶんっ! と物凄い轟音が頭上を唸った。



 確認しないまま、エルミスは立て続けに飛んできた疾風音を、二転三転してかわしていく。それを追いかける様に、コンマ単位で遅れて次々鋭い蹴りが飛んできた。

 その内の一つが、手すりにクリーンヒットし、綺麗にへし折られる。空気は異常な摩擦を起こして、あちこちから煙まで上がっていた。――からん、と遠くで落ちた破片の音は、壊れた世界の始まりを告げる様に聞こえた。

 蹴りを飛ばしてきたのは、虚ろな瞳のままにさざめき笑う一般人。常人では考えられない脚力を披露されて、エルミスも流石に絶句した。


『魔王様、魔王様あ。……ねえねえ、魔王様の誕生を、みんなで祝おうよお?』


 ふふふふふ、と妖艶な笑みを垂れ流される。

 その声と共に、ぎいんっ、と耳鳴りの様な大音量が脳内を燃やしていくが、全神経を傾けて『こちら側』に踏み止まった。


「……おいおい。これって、もしかしてマインドコントロールってやつ?」


 エルミス自身も扱えることには扱えるが、趣味が悪過ぎる。大量にとなると、掌握はともかく管理が面倒なため、まとめて吹き飛ばす方が性に合っているエルミスには縁の無い魔法だ。


 全員を操って、誰がこんな茶番を繰り広げているのか。


 じりじりと、笑顔で殺気を放ってくる有象無象に身構えながら、エルミスも負けじと不敵な笑みを飛ばした。

 状況も未だ把握出来ない中、ただ分かるのは、先程から頭に響き、圧力で自らを押し潰さんとする「声」が、今、アーシェの身を脅かしている元凶かもしれないということ。


「……目の前にいるのが俺で、運が悪かったな」


 お優しいアーシェの様に、一般人だからと容赦などしてはやらない。

 もっとも、手加減をする余裕は無くなるだろう。声の圧力で本調子からは程遠く、集中力も続きにくい。放つなら最速でないと狙いは大きく外れる。


 ――正念場だ。気合を入れろ。


 強く、深く念じて、エルミスは爆発的に魔力を増幅させた。



「――お前ら、黙ってそこをどけっ!」



 咆哮と同時に、一気に嵐を解き放った。砲丸を放つ様な威力で手すりごと塵に返す。

 一直線に道を作り出し、そのまま風に乗ってエントランスに飛び降りた。

 だん、と辛くも着地して、エルミスはすぐに床を蹴る。雨嵐の如く振り翳される手の群れは、神風で薙ぎ払った。

 多分、腕は吹っ飛んでいないはずと一応言い訳をしながら、玉座に向かって駆け続ける。一瞬でも気を緩めれば崩れ落ちそうな体は、鞭を叩いて必死に動かした。

 覆い被さろうとする群れを全て魔法で叩き飛ばし、玉座に駆け込む。

 その部屋の中央に、じいさんがにこやかに儀礼用のマントを持って佇んでいた。

 その隣に、人々に押さえ付けられながらも、がむしゃらに抵抗するアーシェの姿が目に入る。



「……アーシェ!」



 考える間もなく、魔力を最大出力で放出する。じいさんを含めて面白い様に宙を舞った一般人は、風を使って一応受け止めておいた。死なれても困る。

 しかし、最大出力とは言っても、『声』のせいでかなり力が削がれている。実力の五分の一も出せているかどうかという怪しさに、そろそろ膝を折りそうだ。

 だが、折ってなどやらない。

 お前達の前でなど、折ってやるものか。



 ――もし、折る時が来るならば。それは、こいつを護り切れなかった時だけだ。



「アーシェ! 無事か!」

「……エルっ。来て、くれたのか」



 げほげほっと咳き込むアーシェの具合を簡単に確認する。

 致命傷は無いようだと安心した直後、手首や首元にくっきり付いた手形の跡が目に入った。本気で腸が煮え繰り返りそうだ。

 回復魔法を、と思う間もなく。


「――っ!」


 ぞわり、と今までの比にならないくらいの殺気が駆け抜け、反射的に防御魔法を展開した。

 途端、激しい衝突音が弾け、余波が渦の様に巻き起こる。

 だが、刃は押し止めたものの、風圧は防ぎ切れずにアーシェごと吹き飛ばされた。咄嗟に彼の下敷きになりつつ、すぐに片足を立てて身体を起こす。


「ちっくしょうっ! いつもだったら、余裕で受け止められるってのに!」


 厄介なことこの上ない。声と粟立つ魔の瘴気に絡め取られて、ろくに身動きが取れなかった。

 動くたびに生命力を削り取られていく感覚だ。アーシェも同じ想いを味わっているのだろうかと、余分な方向に思考を回してしまうのは、散漫になっている証拠だ。嫌になる。

 そうこう思考を回しているうちに、防御の壁を張った向こう側から人影が現れた。

 それは、昼間にも出会った、最も顔も見たくない相手。



「……ランス」



 呆然とした、アーシェの声が背中を打つ。

 予測はしなかったのかと疑念に駆られたが、今は確認する時間も皆無だ。


「魔王を倒しに来たんだけどね。……結局、どっちなわけ?」


 軽く剣の峰で肩を叩きながら、勇者が軽薄な笑顔で見下ろしてくる。

 そんな好戦的な勇者に、アーシェが戸惑いながらも前に出ようとするのを、エルミスは肩を掴んで後ろに振り払った。

 呆気なく床に転がるアーシェを庇い、エルミスは気力を振り絞って立ち上がる。本当は転移術で弟を逃がしてやりたかったが、この魔気の制御下ではコントロールも難しいだろう。

 人々の目が、未だアーシェの方へと向いているのが憎たらしい。どうあってもアーシェを魔王にしたいのか。


 ――冗談じゃない。


 強く、深く、エルミスは吐き捨てる。

 アーシェは、そこら辺に咲いている花にまで気を配る様な奴なんだ。

 エルミスなんかとは全然違って優しくて、顔も知らない民のことに心を砕いて、自分のことより人の心配ばっかりして、この国にはもったいないくらいの人物なんだ。

 アーシェは、こんなところで死んで良い奴じゃない。

 お前らなんかに命取らせてやるほど、安い奴じゃない。


 ――こいつらのために。犠牲になって良い奴じゃ、ない。


「……奪わせるかよ」


 右手に魔力を集約させながら、エルミスは勇者を不敵に睨み据える。

 予定は狂いに狂ったが、問題は無い。当初に計画していた通り、遂行する。


「待たせたな、勇者。……かかってこいよ」


 アーシェは、死なせない。絶対に。

 魔王になんて、させてやらない。


 ――勇者になんて、討たせてやるものか。


 初めて、自分を「ただのエルミス」として見てくれた人。

 命を賭ける理由なんぞ、それだけあれば充分だ。



「魔王はこの俺、エルミス・ウィル・フェルシアーノだ! ――文句がある奴は、この俺を倒してからほざいてみろ!」



 高らかに魔力の爆風を打ち鳴らしながら、だん、と床を打ち抜く様に踏み締め。

 エルミスは、勇者に――この場にいる全員に、宣戦布告を叩き付けた。


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魔王が綴る狂想譚 和泉ユウキ @yukiferia

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