空中のダンス

いりやはるか

空中のダンス

 駅にあと少しで到着する、というところでその中年男性は倒れた。


 少し前からふらふらとしていたので、きっと飲んでいるのだろうと思っていた。僕は座って本を読んでおり、左斜め前あたりにその男性は立っていた。スーツを着て眼鏡をかけた、大柄な男性だった。白髪が目立つ、おそらくは50代の男性で、薄っぺらい黒の皮カバンを下げていた。

 ゆっくりと大きく身体を揺らすように左右に動いたかと思うと、吊革につかまっていた右手をすうっと話して、身を反転させるようにくるっと僕の方に背中を見せると、そのままの状態で背中から倒れた。ばーんと物凄く大きな音がして、何かが空中に飛んだ。しばらくして少し離れた場所からかしゃん、と小さな音がして、それは倒れた男性の眼鏡だとわかった。ツルの部分がひしゃげ、片方のレンズが割れていた。近くに座っていた女性が悲鳴を上げた。僕は中腰になったまま動けなかった。男性はぴくりとも動かず、目を半分だけ開いたままじっとしていた。それはビデオを一時停止しているかのような、写真で見たときのような、そんな「一瞬を静止させた」状態のように見えて、とても不思議な感覚だった。帽子を被った男性が少し離れた場所からやってきた、男性の顔を覗き込み「大丈夫ですか?」と声をかけ始めた。「もしもし、もしもし?」中年男性は微動だにしない。少しずつ人が集まり始めた。

 「車掌に伝えてきます」と言って車両を移動する人もいた。

 やがて電車は駅に着いた。開いたドアから状況が気になりつつも、残っても自分が何かをできるわけでもないし、という感じで気まずそうに一人また一人と乗客が降りていく。僕もそこに便乗した。もちろんそのまま降りてしまうことに抵抗がなかったわけではない。ただ、医療の知識もない上、最初に男性が倒れた際に近くにいたにもかかわらず、帽子の男性が声をかけるまで動くことさえしなかったのは、ただ動けなかっただけでなく、「誰かが他に行動してくれないだろうか」と他人の善意の発動を待っていた自分自身の臆病さに罪悪感があったからだ

。すでに出遅れた自分が今更正義面をしてもう「誰かが初期対応をしてくれている」という安全な状況に乗っかって野次馬のように彼の状況を興味津々に見ていることは出来なかった。恥ずかしかった。帽子の男性は明らかに僕より年下だったし、彼は周りの目を気にすることなく倒れた男性の顔を覗き込んでいた。倒れた男性の目が怖かった。割れた眼鏡が怖かった。女性の悲鳴に身体がびくんと動いた。

 ホームから改札に向かう途中、乗客が駅員とともに走ってホームに向かう様子に遭遇した。知り合いでもない誰かの為に、こうして行動できる人がいる。駅を背に歩き出すと、既に遠くから救急車の音が聞こえてきた。倒れた男性の持っていた薄っぺらい皮のカバンのことを思い出した。あの中に何が入っていたんだろう。僕は自分のカバンの中に入っているもののことを思う。手帳、財布、文庫本、スマートフォン、ミントタブレット。

 何も出来ない人間のカバンに入っているものは、無駄なものばかりな気がした。いつだって僕はこんな風に、何もせずにやり過ごしてしまう。


 取引先の新人の女の子が、休職になった。もうすぐ3年目になる子だった。


「今はまだ…うちの社長が家に会いには行っているんですが、少しは落ち着いたみたいですけど、やっぱり不安定みたいで。最初6月いっぱいって話だったんですけど、ちょっと当面復帰は難しいかもしれないです。今年度いっぱいはお休みして、それから様子見てどうするか考えようって、そういう話してます。ご迷惑おかけしてすみません」


 彼女の担当上司である眼鏡をかけた童顔の男性は精一杯平静を装った調子で滑らかにそう一気に話し終えると、無言でこれ以上は勘弁してくれ、とでも言いたげな表情でこちらを見据えた。喋る内容もあらかじめ決めていたような節を感じる淀みない喋り方だった。社内で話してよいラインを決めているのかもしれない。

 僕は彼女のいつも何かに怒っているような屹然とした態度と表情、そして正直な物言いを思い出していた。


「どうしたんですか?それ…」

 新規取引を検討していた繊維メーカーへの同行を依頼した際のことだった。

商談を終えて最寄駅まで雑談をしながら向かっている途中、彼女の左の手首のあたりに数センチ程度の引っかき傷のようなものを見つけて、僕は思わずそう口にしていた。

 言うと同時にしまった、という思いが口を塞ぎ、そのあとが続けられなくなる。23、4の女性の腕にある傷のあとの話など、ましてそれほど親しくもない仕事関係の女性に聞くべきではなかった。それとわかる自傷のあとではないにせよ、もしかしたら付き合っている男性に何かをされた可能性もある。

 自分で聞いておきながら勝手に気まずい雰囲気に自己嫌悪に陥りつつある僕に向かって彼女はいつものちょっと怒ったような顔と頭のよい人間に特有の明瞭なトーンの早口で答えた。

「ああ、これ、喧嘩しちゃったんです」

 しまった、痴話絡みか。そう思って一瞬ひるんだものの、彼女はその瞬間の間を僕が彼氏から受けたものと悟っていると感じ取ったのか

「大学時代の友達です」

と付け足した。

 先週大学時代の同窓会があり、その場で彼女は友人と口論になった。それだけに留まらず、取っ組み合いの喧嘩になって彼女はその友人に腕を引っ掻かれた。綺麗なネイルがされていたと言う。

「そういうところもムカつきました」

 僕は「ひっ掻く」という攻撃方法が殴る蹴るよりも執念というか、悪意のようなものが込められている気がしてみぞおちのあたりが重くなった。

喧嘩をしたまま彼女は会場を飛び出し、会場まで自転車で来ていたので乗ってきた自転車に乗って全速力で立ち漕ぎをし、結果的に言うとどういうわけだか用水路に落ちた。

「自分でもよく覚えてないんですけど、通りがかった人に助けてもらって。自転車がびっくりするくらいにぐっしゃぐしゃになってて、私笑っちゃったんですよね」

 もう三年目になるというのに新入社員みたいなスーツを来ていつも生真面目に頷きながら僕の話を聞いていた、僕が美容院に行った翌週の商談で顔を会わす度に「髪切ったんですね。かっこいいです」と言ってくれていた、彼女は今家から出れずに、仕事も出来ずに僕の前から消えてしまった。

 友達と取っ組み合いの喧嘩して、自転車ごと川から落ちて、自転車ぐしゃぐしゃになっても笑ってた奴が仕事なんかで自分追い込むなよ。仕事なんかに負けるなよ。こんな、食うための、生きるための、クソみたいなことで。

 僕と同じチームの同僚同士がヒソヒソと彼女のことを話している声が聞こえた。聞くたくないとよっぽど耳の穴を塞いでしまいたかったが、視力も体力も劣っている僕の身体器官の中で最も優れている聴覚はそれらの言葉の中から「メンヘラ」「自殺未遂」「退職」「もたなかった」「頭がいいから」と言ったワードを拾い取ってしまった。手にあまる言葉の汚物を持て余し、僕はそれらを胃に納めた。ひどい悪臭がした。

 彼女が開いてくれた忘年会の写真を、僕は今でもスマホのカメラロールから消せずにいる。


 妻の口臭がひどい、と気がついたのはいつだろう。

 下の子供が2歳になった。妻とのセックスレスは続いており、二人目を作るために必要最低限なセックスのみをして以来一回も無い。向こうがどう思っているかはわからないが、少なくともそんな気分になるような要素はどこにもなかった。産後太りで20kg近く増え、体型が変わった妻は化粧をする回数もめっきり減り、服装も家の中ではジャージかTシャツのみになった。

 子供をいつでも怒鳴り散らし、隙さえあれば僕のいる前でわざと聞こえるような大きさの声で「最悪」「もう限界なんだけど」とぶつぶつと呟く女は、かつて自分が結婚して一生を共にしたいと思った女なのか、僕自身も自信を持てなくなっていた。

 いつかまだ子供が産まれる前のほんの短い同棲時代の頃、ソファに二人で寄り添いながらテレビを見ていた時に流れていた大家族ものの作り物めいたドキュメンタリーに出てきた8人兄弟の母親がいた。

 でっぷりと太って化粧もせず、いつ取材に行ってもグレーのパーカーにナイロン地のジャージのパンツを穿いていた。怒声を放ち、子供の頭を叩く女。かつて女だった、何か。

 今の妻は、あの頃僕らが「こえー」と言って笑いあっていた大家族の母親そっくりだ。


「自分が悪いんだろうが!」

 ドスの効いた声が聞こえる。午後11時10分。会社から帰ってきた僕が一人キッチンで妻の作ってくれた夕食を電子レンジで温めて咀嚼し始めたタイミングだった。間もなく聞こえてくる息子の泣き声と、追い打ちをかけるような娘の号泣、妻の怒号。僕の目の前のスーパーで調達された出来合いの惣菜たちが色を失って沈黙していく。

 今日のメニューはパックに入ったままの唐揚げと、冷凍食品を焼いただけの餃子、かろうじてタッパーに移し替えてあったエビとブロッコリーのサラダ。ご飯は炊飯器から自分でよそう。コンロを見ても特に使った様子はないので、冷蔵庫の横にある食料品のストッカーから買いだめしてあるドライフーズの味噌汁を取ってポットの前に移動した。水の残量が見える窓を覗くと、中身はほとんど空のようだったので、あきらめてシンクの下からやかんを取り出した。

 換気扇を回しながら一日がまた終わっていくことが不思議に思う。昨日と今日の境目はどこにあったのか、何度立ち止まって確認してもわからなかった。昨日と違うことを何かしたか、昨日あって今日なかったことはなんだったか。油が黄色く変色し、周囲に埃がびっしりと付着した換気扇の奥で喘息患者のように苦しげな音を立てながら懸命に湯気を吸い込まれていく様子を見ているうちに自分まで息苦しくなってしまい、テーブルに着いた。

 寝室からの妻の怒声と子供の泣き声はまだ続いている。僕は動くことも出来ずにその場にじっとしている。


 3ヶ月前から新入社員の教育係となった。

研修を終えたばかりの女子社員で、ショートカットの可愛らしい顔をした子だった。

「いろいろ聞いてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします!」

 初日にハキハキとした声でそう言った彼女はデスクの上に人気アイドルグループのDVDを堂々と置いていた。


 特に問題ないと思っていた。

 僕は結婚して子供が二人いる。彼女も歓送迎会の席で彼氏がいるという話を自分でもしていたので、お互いそれなりに距離感を持って接していたし、何より僕は自分自身相当注意していた。

 ほんの少しの気の緩みがセクハラだと言われかねない。むしろ自分としてはストイックに厳しいくらいのつもりでいた。

 自分としては普段少し年齢よりも若く見られているということを自信にしていたところもあるので、むしろ隣同士の席になることで少し毎日が楽しくなるかもしれないなどと思っていたところ、偶然一人で入った会社近くのカフェで彼女が同期の女の子たちと自分のことを話しているのを聞いてしまった。


「若い子ってどこで服買ってるの?」

 僕としては本当に何気ない雑談レベルのつもりで聞いた話だった。

 髪型の話からの流れだったので、むしろ自然に話を繋げたくらいに思っていた。隣同士の席であり、教育係を任されている立場と新入社員という立場であればそれくらいのコミュニケーションがむしろ必要だと捉えてもいいくらいだ。

 言いながら自分の着ている服が気にかかった。ファストファッションのブランドで、セールの時に色違いをまとめた買ったポロシャツ。

 それをもう3シーズン着ている。何度も洗濯機にかけているせいで襟の部分は丸まってもとの形に戻ることもなく、もともと黒だったはずなのにもはや色が抜け始めてグレーになりかかっている。自分で服の話をしておきながら、急激に自分の服装がまるでゴミのように見えてきた。オフィスの乾燥したやけに白い蛍光灯の下で見るとあちこちに毛玉のような糸くずも付いているし、洗濯機の中に息子のズボンのポケットにでもティッシュが入っていたのか、白い紙屑のようなものもこびりついている。みすぼらしい、と自分で思った。話を切り出す前に気づくべきだった。毎朝玄関の姿見で全身を見てから家を出ているにも関わらず、なぜこんなぱっと見て気がつくような汚れにすら気がつかずに出社していたのだろう。

「えー、私本当にたいしたところで服買ってないんですよー」

 幸い彼女は僕の服装のみすぼらしさには一切気がつく様子もなく、あるいは指摘することすらできなかったのかもしれないが、会話を続けてくれた。

 言いたくなさそうにはしていたものの、会話の都合上言わないわけにはいかないので、10歳以上年齢が上の異性にもわかるブランドはどこだろう、と思慮している雰囲気が彼女から感じ取れたので僕はそこで少しだけ申し訳ないなと思ったものの、その少し困った彼女の表情やほんの少しだけ脚をよじらせる仕草に欲情を感じたことも事実だ。娘の方に近い年齢とは言わないまでも、数ヶ月前までは大学生だった女の子だ。大学を卒業して10年以上経過している僕にとって、まして妻とも二人目の子供の妊娠がわかってからというもの完全にレス状態の僕からしてみればその仕草は自分の中で完全に消えつつある雄としての部分を刺激するのに十分な要素を満たしていた。

「…とかですけど」

 そう言って彼女はこちらを少し探るような視線で見た。

 見事に知らないブランド名だった。妻の使っている30代向けのブランドか誰もが知っている有名な一流ブランドのアパレルくらいしか知らないのだからわからなくて当然だ。「ああ」だか「へえ」だか、あってもなくても誰も困らないよう相槌を打って会話を曖昧に終了させた。

 僕はそれよりも直前に見た彼女の困った表情ともじもじとよじらせた脚への欲情が勝っていたのだ。その時の彼女はさすがにもうリクルートスーツではなかったが、周囲の目を気にしてか地味な色合いのスカートにヒールの低いパステルカラーのパンプスという男を挑発するのとは真逆と言ってもいいような控えめな服装だったが、それでもストッキングさえ纏っていない若く、白い健康的でなめらかな肌が脳裏から離れなかった。膝のあたりには青いアザがあった。まるで小学生の女の子のようなアザだった。それさえも僕には欲情を加速させる要素になった。

「でも、先輩おしゃれですよね。なんかさりげないっていうか、大人の男の人って感じの落ち着いた服装ですよね」

 彼女はいつの間にか自分のことから僕の服装に話題を切り替えていた。こんな色あせた安いポロシャツを着ている男をおしゃれだと臆面もなく褒めることの出来るメンタリティの女の子であれば、きっとこの先会社でうまく渡り合っていけるだろう。僕はそんな風にわかっていても、下がる目尻を抑えることは出来なかった。

 仕事が手につかなくなり、さりげなく席を立つとそのまま男子トイレの個室に入った。便器に腰を下ろしてズボンを下げると、案の定僕はかんぜんに勃起していた。周囲の様子を気にしつつも抑えきれずに自分の硬くなったものを握ると、そのまま彼女の脚を思い出してそのまま手を上下に動かし始めた。

 何度も動かさないうちに腰に予感が走った。会社のトイレで自分は何をしているんだ。勤務中に、まして自分が仕事を教えている新入社員のことを思ってマスターベーションをしているなんて、自分はクズだ、ゴミだ、最低だ。そんな思いが頭をかすめているのに、上下する手の動きはますます激しくなり、僕は声を出さずにいることだけで精一杯だった。

 そのまま絶頂に達して僕は便器の中に射精した。ぽちゃん、ぽちゃんという音が個室の中で小さく、寂しく響いた。


「なんかさ、ちょっと自分のことをイケてるとか多分思ってるよね」

「わかる。喋り方とか意識してる感じが超出てる」

「てかさ、なんかさ席にいるときとか目が合うんだけど、マジキモいんだよね」「それ言っちゃダメでしょ!」

「でもわかる。なんか廊下ですれ違うときとかも普通におつかれさまですとか言えばいいのにさ、なんか無言で通り過ぎてそのくせしっかりこっちのこと見てるよね」

「見てるよね、超キモい」

「ともみ、変なことされたらすぐいいなよ」

「今んとか大丈夫だけど、なんか無理ってなったらすぐにヘルプライン電話するわ」

 一同爆笑。

「それもあるしさー、あとあたし普通にニオイが結構既に限界なんだよね」

「体臭?」

「だと思うんだけどねー。なんかあせくさくない?常に」

「近く行ったことないからわかんないけど。確かに服とかいつも同じようなの着てるよね」

「奥さん専業主婦だって聞いたよ。あんまりお金ないんじゃない?」

「やっぱさー、専業主婦だとそうなるよね」

「やだー奥さんかわいそう」


 会話を続けながらも彼女たちは手の中のスマートフォンに何かを絶えず打ち込み続けていた。僕が携帯端末にあれだけのスピードで文字を、情報を、何かを伝え、発信するために打ち込み続けていたのは何年くらい前までだっただろうか。

 今では妻にメールを打つことすら億劫になってしまった。何かあれば電話をかけ、何もなければ連絡はしないことが自分なりの連絡手段になってしまったのはいつからだろうか。

 メールを打たなくなったのは、文字を打ち込むスピードが遅くなったのは伝えたいことも、共有したいことも特になくなったからだ。

 彼女たちがスマホに打ち込む文章のスピードはそのまま彼女たちの持つことばの量と比例している。彼女たちの頭の中には、口の中には伝えたいことが溢れている。今まさにその場で起きた物事を考えたことを、今を未来を、これからをスマホの4インチか5インチの画面の中に打ち込むことで全世界に、自分の仲間に伝えなくてはならないのだ。


 彼女たちの楽しげなやりとりは30分ほどで特に前進も正解も導き出さないまま消化されたのか各々満足げな表情を浮かべて立ち上がったところで終了した。あとに残された僕はすっかり氷の溶けたアイスコーヒーのグラスをストローでゆっくり回しながら、先週行った歌舞伎町の風俗嬢のブログのブックマークを無意識に探し出してアクセスしていた。ブログには僕が名乗った偽名の「ケンモチ」宛に彼女が送ってくれたショートメッセージが掲載されている。


 「ホテルアトラスのケンモチさんへ 今日はとっても楽しいお話をたくさんしてくれてありがとうございました!実際のお年よりもすっごくお若く見えたのでびっくりです。スマートだしカッコいいので優しくしてもらえてりかはメロメロでした(絵文字の目がハートマークになって動いている)また遊びに来てくれるのを待ってます!」


 彼女も僕の体中を舐めまわしているときに不快な体臭に実は吐き気をこらえていたのだろうか。

 僕と舌を絡ませてキスをしているときには金と付き合っている彼氏や好きな男性俳優やタレントやアイドルのことを無理矢理考えることで耐えていたのだろうか。こっそりと着ているポロシャツの襟口を引っ張って鼻先をそこへ差し入れてみる。朝方付けたフレグランスの香りはまだ残っているもののその背後から強い汗の香りと、加齢臭としか表現しようのない苦く重い中年男の匂いが漂ってくる。右手を口に当てて息を吐いてみる。今しがた飲んだコーヒーの香りの奥に、腐り始めている己の内臓の匂いがしたような気がした。

 オフィスに戻る前にまずドラッグストアで歯ブラシと歯磨き粉を買って帰ろう。口臭予防のガムと、洗顔シートと携帯用のデオドラント剤も買って帰ろう。ロッカーに入れておけばいい。何のことはない。自分は、誰にも望まれていないだけの話だ。


 僕と同じ部の女性の先輩が、自殺した。

3歳の子供を抱き抱えてマンションの8階から飛び降りたのだと言う。

彼女は即死し、息子は助かった。あばらの骨を折るなどの大怪我をしているが、命に別条はないのだと言う。

 それらの情報を僕は会社の誰に聞いたわけでもなく知った。全てを教えてくれたのはスポーツ新聞のスマートフォン向けサイトだった。


 その日会社の役員でもある僕の所属する部署の統括役がいつになく強い口調で会議室に集まれ、と部員に呼びかけた。

 役員自ら部員を招集することなど、初めてだった。普段物静かで怒鳴り声一つ聞いたことのないその役員が有無を言わさぬ口調で呼びかける様は異様で、僕らはすぐに緊急事態だと悟った。同じタイミングでフロアに戻った女性部長が泣いていた。状況が飲み込めなかった。僕は隣の席の先輩社員と顔を見合わせ、何も言えずにそのまま立ち上がって会議室に向かった。

 会議室に集まった僕らを見渡すと役員は何度もドアを閉めたかどうかを確認し、それから何回も咳払いをして、手元に持った何かが書かれた紙を見ながら話し始めた。

「えー…ああ、えー…もう」

 役員はそう言って一瞬顔を窓にそらした。何かに耐えている表情だった。左手で作った握りこぶしを口元に強く押し当てると覚悟が決まったのか、落ちついった口調でそのまま話し出した。

「昨日、業務部の久井が、事故で亡くなりました」

室内で誰かが喉の奥で空気を吸い込むヒュッと言う音がした。

「状況はまだ私もわかりません。社内での発表はこれからになりますが、いきなりイントラで発表するのではなく、私からお伝えしたほうがよいと判断しました。まだ葬儀の情報等はわかっていません。わかり次第皆さんには私から連絡します。以上です」

 誰も何も言わなかった。言えなかった。僕はこんな時にどんな顔をしたらいいのかわからなくて周りを見回した。男性陣は皆瞬きをせずに顔から表情を消して押し黙っており、女性陣は近くにいる同僚同士で抱き合うか、静かに泣き始めていた。ややあって漏れ始めた嗚咽が室内に波紋が広がるように伝わっていくと、室内全体が膨張した風船を針でつついたように感情の波がいっせいに押し寄せていくのが目に見えるようだった。ただ、誰もその場を動けなかった。その場にいた誰もが今聞いたばかりの言葉の意味を推し量っているようだった。意味はわかっているのに理解が出来ない。そんな気分だった。

 つい数日前まで一緒に仕事をしていた仲間が、いなくなった。永遠に、いなくなった。彼女の顔や表情や声は自分でも意識していなかったにも関わらず驚くほど鮮明に思い出せた。

「気持ちを落ち着かせたい方はしばらくここに残っていいから」

 役員は自分自身の感情を抑えるためなのか、普段以上に抑揚の無い声でそう言うと、何かを断ち切るように会議室から出て行った。それを合図にして、のろのろと部員たちも一人、また一人と会議室から退出していく。室内にはあちこちで肩を抱き合って顔を伏せている女性社員がいた。席に戻ったところで何もする気がし起きず、メールボックスを開いても文字が眼球の上を滑っていくような一文字も読み取れなかった。

 時計を見ると午前11時12分で、窓の外は晴れていた。月曜日の仕事始めには、極めて相応しい、ほんの少しは月曜日の忌まわしさを軽減させてくれるような青空だった。


「僕ら、線香もあげにいけないんですかね」

 昼食を取るため店内のあちこちが油で滑る中華料理屋へ行く途中、僕は隣のシマの課長に尋ねた。

「無理だろ。理由が理由だし」

 課長はそう言って目を伏せた。

「理由、ですか?」

 僕がそう言うと一瞬しまった、というように目をつぶったあとに課長は実は誰かに言いたかったのか、僕に話し始めた。

「事故なのに、会社の人間が葬儀に行けないなんてことあるかよ」

「じゃあ…」

 言いかける僕に課長は自分のスマートフォンを差し出した。

「34歳母親 3歳息子と無理心中 マンション9階から飛び降り 隅田区」

そんな見出しが目に飛び込む。見出しの上には「三連単で勝つ!競馬必勝サイトの決定版」というバナーがデカデカと出ているような、そんなサイトの記事だった。

「おかしいと思っていくつかワード検索したらすぐ出てきた。年齢も、住所も、亡くなった日付も一緒だから間違いないと思って役員に聞きに行ったんだよ。そしたら絶対言わないでほしいとか言いながら教えてくれた」

 課長の言葉を聞きながら僕はサイトの記事を読み進めた。事件のあった当時、室内には夫がいた。夫はキッチンで夕食の準備をしており、妻と子供は寝室にいた。二人が昼寝をしていると思っていたが、様子を見に来た夫が二人がいないことに気がついた。そして、寝室の空いた窓から階下に落ちている二人を見つけた。

「俺、久井が新入社員だった時の教育係だったんだよ。一年間一緒に仕事してたしさ、自分でもちょっとこんなことするのどうかと思ったんだけど、どうしても気が収まらなくて、調べちゃったんだ」

 記事には彼女が自殺の前日に両親と警察に相談しに行っていたが、警察では事件性なしと判断したという記載があった。

 なぜ、両親だったのだろうか。夫は、その時一緒にいなかったのだろうか。読めば読むほど不自然さが目立つ記述だった。

「おかしいだろ、この記事。おかしいんだよ。だって旦那が夕飯作ってる時に母親が3歳の子供連れて自殺するか?旦那がいる部屋で、旦那だけ残して子供と一緒に死のうと思うか?夫じゃなくて、なんで自分の親と一緒に警察に相談しに行くんだ?何相談しに行くんだ?」

 課長は僕が戻した手元のスマートフォンの画面を見ながらそう言い終わると、長い溜息を一つついて、続けた。

「俺には一個しか想像できない」

 言いたいことは大体わかった。僕はそれを口に出すか考えあぐねたが、何も言わずに黙っているのも卑怯な気がしたので

「旦那さん、子供に暴力でもしてたんですかね」

と言った。

「そうとしか、思えないよな」

 叱られたあとの子供のような悲しい、寂しそうな声で課長は言った。僕はその声を聞いて、この人は本当に部下をきちんと見ていたんだな、と思った。

 部長はぽつりと続けた。

「この旦那、料理本当にしてたのかな」


「旦那さん、土日に掃除とかやってますよね?」

 そう言った瞬間、久井さんの表情が引きつるのがわかった。

 僕らはその日売れ残りの不人気商品を福袋にして売り叩くべく、倉庫から引いた商品を段ボールに詰め直す作業をしていた。もともとの担当者は作るだけ作って異動してしまったため、後任の担当者である僕とネットショップの運営担当である久井さんが手伝ってくれて、本来取引先に任せるか、少なくとも倉庫での作業依頼をすべき作業を僕ら二人が会社の搬入用エレベーターホールで行うことになったのだ。くだんの商品は小さな洗剤類のため、見分けが付きにくく、こちらの都合で発生した在庫のためメーカーにも任せられないという非常に不利な状況の中、一人でやるかと腹を決めたところ、久井さんが手伝いを名乗り出てくれた。

 3月の、まだ冬の寒さが残る日のことだった。

 僕らは時折寒さにかじかむ手を擦り合わせながら、黙々と箱詰め作業を続けたが、長時間に及ぶ作業を続けるうち、自然とぽつりぽつりと他愛ない雑談をするようになった。手を動かしながら口も動かせるようになるほど、僕らはその単純作業を続けていたのだ。

 そんな作業の中で、僕は「平日は仕事で土日になれば家で育児と家事をやらされて休む暇も無い」というボヤキを自虐的に言ってみた。少しは笑ってもらえると思ったが、久井さんは少し考え込むような表情でしばし黙り込み、

「偉いね」

 と決して表面上では無い様子で言ってくれた。その様子に少し気まずくなった

 僕は軽率にも言ってしまったのだ。

「旦那さん、土日に掃除とかやってますよね?」と。

 ほんの一瞬だけ久井さんは身体を硬くしたものの、そのまま何事もなかったかのように 作業を再開させて手を止めることなく言った。

「この間お風呂掃除やってもらうよう交渉した!」

 僕は基本的に掃除を家では担当している。風呂どころか家中掃除しているし、何なら僕が掃除しない限り妻はいつまでも掃除をしないのではないか、という不安から掃除をしているところもある。近所のスーパーに買い出しに行った際に掃除用の洗剤類を選んで買うのは僕の担当だ。

 風呂掃除を手伝ってもらうのに、交渉が必要なんだ。

 僕は箱の詰め替え作業を続けながらぼんやり思った。

その時の久井さんは両手で握りこぶしを作って体の前でまるで勝ちほこるように腕を少し曲げて「ふんっ」と胸を反らせてみせた。風呂掃除をしてもらう交渉を成功させたことは、彼女にとってそれだけの価値を持っていたのだ。


 夜、帰ろうと退社カードを切り、エレベーターホールに出ると、ちょうど久井さんが向こうから歩いてくるところだったので「お疲れ様です」と声をかけた。

ぼうっとした様子だった久井さんは声で初めて僕に気がついたように顔を上げると「ああ」と言った。眉間にしわが寄ったままで、それきり黙ってしまったので僕はてっきり機嫌があまりよくないのかと思い

「すみません、お手伝いさせてしまって」

と謝った。

「いや、全然」

 久井さんはそう言って顔の前で手を振った。その様子が普段の久井さんのものだったので少し安心した僕は

「よかった。怒ってるのかと思いました」

と冗談めかして言ってみた。

「いや、ちょっとショックなことがあってさー」

 久井さんは溜息交じりにそう言った。

「え、そうなんですか」

一応相槌は打ったものの、その先を聞くかどうか躊躇っているうちに久井さんは

「あ、月曜日替わりセールのミーティングだよね。10時」

 と話題を変えてきたので

「そうですそうです」

 とやけに力強く頷いてしまった。

「うん、じゃあ、月曜よろしく」

「よろしくお願いします。お疲れ様です」

 そのまま僕はエレベーターに乗って1階のボタンを押した。

 それが、僕の見た最後の久井さんだった。


 課長に見せてもらったスマートフォンサイトの記事には動画ニュースのリンクが付いていた。

 その新聞の親会社である地上波の放送局が制作したニュース番組で久井さんのことを報道した際の内容を切り取ったものだった。女性アナウンサーが淡々と読み上げる文言は、遠い国で起きた事件のことのようで、そこに久井さんの痕跡を読み取ることは出来なかった。ニュースのなかに久井さんは存在しなかった。そこには「34歳の母親」と「3歳の息子」しか存在しなかった。現場が映し出される。撮影されたのは夜で、暗闇に浮かび上がるその姿は暗く、路地裏のビールケースのように無機質で無感情だった。久井さんが窓から飛び出した際、最後に見た景色はなんだったのだろうか。9階から見た街の景色は美しかっただろうか。世界はどんな風に見えただろうか。地面に接する寸前に思ったことはなんだったのだろうか。

 

「息子が助かったのってさ」

 課長が言った。僕らの前には中華料理屋のおかみさんが持ってきたスタミナ丼が並んでいた。黄ばんだコップの水を飲み、割り箸を割る。

「やっぱり、直前で息子守ったのかな」

 いただきます。手を合わせて箸を米に差し入れる。僕らは生きている。生きている限り腹が減る。どんなに悲しくても、寂しくても、やりきれえないほど残酷なことが起きても、腹は減る。いただきます、という言葉は、食べ物の命を頂いているということなのだ、という話を小学生くらいのときに聞いて、僕は具合が悪くなったことを思い出した。

 その日僕は、スタミナ丼を普段以上にがつがつと食らいつくように食べた。自分は生きている、と思った。こんな日に「スタミナ丼」なんて名前の食べ物を食べたくなったのは、僕も課長も自分が生きていることを食べることできちんと認識したかったからかもしれない。それだけ僕らはいつも紙一重の場所にいるのだ。


 一日の終わりと折り合いがつけられなくなったのはいつからだろうか。

 帰宅しても食事を済ませると、そこから何も出来なくなった。食器をやっとの思いでシンクに移すとソファに横になってそのまま動けなくなる。片手に持ったスマホの充電だけは切らさないように寝室に置きっぱなしの充電器とは別にもう一本購入した予備の充電器を流れるような動作で繋いでコンセントに挿すと、そのまま倒れこむ。

 独身時代に購入した無印良品の二人がけのソファは横になれるほどの幅もなく、両足ははみ出た箇所をそのまま床に投げ出し、頭の後ろに中身のへたった薄っぺらいクッションを挟み込む。スマホを目の前にかざすとYouTubeのアイコンをタッチし、昨日まで見ていた動画の続きから再生させる。


 昨日はアカイのMPCの演奏動画を延々と見続けていた。

 MPCはヒップホップのミュージシャンたちがこぞって使っていたサンプラーとシーケンサーが一緒になった日本のメーカーが発売していた機械だ。サンプリングした音源を本体に付いた16個のパッドに割り振って叩くと、一つの曲に演奏し直すことができる。今はコンピュータの音楽制作ソフトウェアに押されて販売を終了しているが、デッドストックがネットオークションで中古でも高値で取引され続けている。

 昨日はそのままの勢いで個人のフリマアプリから比較的安値で出品されていたMPC1000を購入してしまった。夜はその高揚感からほんの少しだけ気分がよかったが、今こうしてYouTubeで再び演奏動画を見始めると自分はなぜこんなものを買ってしまったのかと後悔する思いが募ってくる。

 関連動画を辿ると、MPC1000を使ってラップする鎮座ドープネスの動画が出てきた。再生させる。コメント欄を見るとデフォルトのように「これ即興?」と書き込まれている。

 タップする指が止まらない。自分自身は何も生み出していなくても、日々膨大にコンテンツはこうして全世界で生み出され続けている。

 インターネットは、自分が社会に全く接点を持たずして、自分が全世界とコミットできているかのように感じさせてくれる。素晴らしい世界だ。僕は今日一日何も生み出せなかった自分と、何も変わらなかった一日との間で折り合いがつけられずに、こうしてYouTubeの動画を一つでも多く視聴することで今日一日が無駄ではなかったと言い聞かせている。

 そんなことをしているうちに時刻は午前1時になる。

 自分が中学生の頃と変わらないようなことをしているだけで、33歳に、また一日近づいたことを知る。


「視野狭窄、ですね」

 一度手の中で握りつぶした紙をもう一度丁寧に皺を伸ばして復元したみたいな顔をした白髪の眼科医は、僕に向かって言った。その目はやや外斜視気味で、僕は眼科医なのに斜視を治さないんだな、と思った。

 その診断がされたのはもう10年以上前で、僕は学生だった。何だかものの見え方がおかしいと感じて眼科に行き、診察を受けいくつもの検査をし、それでもよくわからずに最終的に脳外科に回されてわざわざ水道橋にある大学病院まで行ってMRIという巨大なマシンの中に入って脳の輪切り写真まで撮った。結果が出るまでの一週間、僕は二十歳にして脳に何らかの異常が見つかるかもしれない、という恐怖に支配されてとにかく毎日寝るのが怖かった。眠って、次の日自分が目覚める保証は無い、と本気で思っていた。結果を聞きに行く日、あまりの恐怖から僕は父親に付き添いを頼んだ。今から思えば、滑稽だし、やや不憫に感じるほどだ。二十歳の男が検査の結果を聞くのが怖い、という理由で父親と病院に行ったのである。自分自身がファザコンだと思ったことも、自分の家庭が過剰に過保護だと思ったことも無いが、やはりこのことは今にして思うといささか神経症的であったかもしれない。

 「重大な欠陥が見つかるかもしれない。自分は死ぬかもしれない」というようなことを父親に言って付き添ってもらった記憶がある。平日だったか、父親が仕事をどうやって抜けたのか思い出せない。自営業だったので、都合をつけて抜けてくれたのだろうか。そういった部分は都合よく何も覚えていない。いつでも僕は自分のことしか覚えていないのだ。

 結果から言えば脳には何の異常もなく、絶望的な気分で眼科に検査結果を持っていったところ視野検査を行うことになり、やっと先天的に両目とも視野が狭いせいで、ものの見え方が人と違っているらしい、ということがわかった。

 巨大な真っ白の皿みたいなもののなかに顔を突っ込んで、小さな光の点が横からゆっくりと近づいてくる。見えたと思ったら手元のボタンを押す。ただそれだけの作業がとてつもなく怖かった。

 見えないのだ。

 ものすごく長い時間が経っているのに、明らかに光はもうだいぶ進んでいるはずなのに、目の前の検査員が操作しているはずの光の点は全く見えてこない。ブザースイッチを握る手が汗ばんで行き、鼓動が早くなる。見えない。全然見えない。自分の目はどうなってしまったのだ。

 世間で言うところの「健常者」として、言わば何の不自由も感じることなく生活してきた自分が初めて直面した「不自由」であり「人が当たり前に出来ることが出来ない」体験だった。

 時間的には一時間もかかっていないその検査が僕には数時間にも感じられ、僕は椅子に座ったまま一歩も動いていないにも関わらず、検査終了を告げられた時、着ていた服は汗でびっしょりと濡れていた。

 その検査結果を見た眼科医が「視野狭窄ですね」とあっさり診断した、というわけだった。見せてもらった検査結果はひどいものだった。

 健常な人の視野は両眼ともに多少の差はあっても綺麗な円を描く。僕のそれは右目に関して言えばまだ何とかサイズが小さいながらも円と呼べそうな体を保っているものの、左目は特に外側がべっこりと内側に食い込んでおり、何と中心近くまで来ている。それはすなわち、僕は左目に関して言うと半分近く全く何も見えていない、ということに他ならない。視力が弱いとか、そういうレベルでは無い。光を全く感じることが出来ないのだ。診察で眼科医が目が眩しさに反応するか、瞳孔の開き具合などをチェックするライトがあるが、左目に関して言うと僕は一定の角度からは何の眩しさも感じることが出来なかった。呆然とする僕に眼科医はこれは恐らく先天性のもので治る見込みは薄いこと、進行する可能性もあるので今後は一生経過観察が必要であることを告げた。僕があまりにも落ち込んでいたからか、眼科医は見かねて「何も目が見えなくなったわけじゃない。これから一緒に頑張っていきましょう」と肩を叩いてくれた。何を頑張るのか、と思いながらも勇気づけようとしてくれたその姿勢にそれなりに感動し、数ヶ月後に指定された通り経過観察の診察を受けに行ったところ、その医師は退職しており、引き継ぎを受けたという若い医師はカルテをペラペラとめくって簡単に目を見ると、「特に問題ないですね」と言って1分もかからずに診察が終わった。


 家で一人でいる分には特には困ることは少ない。一番怖いのは駅など、人の多い場所を歩く時だ。

 歩くスピードの速い人などが左側から自分を抜こうと突然視界に現れたりするとその唐突な登場に驚いて思わず歩行が止まる。すると後ろを歩いている人にぶつかられてしまい、また行く先を変えようとしたところで別の人の進行方向を遮ってしまい、どこへも行くことが出来ずに立ち止まってしまうということが度々起こる。

 視野が狭い、ということは体験したことのない人には伝わりにくいと思うが、速い話「これから起こることの予測が出来ない」ということである。全く目が見えていない場合、例えば白杖を持っていたり、あるいは何らかのヘルプマークを付けるなど、周囲の人間が多少でもその人に対して注意を払うことがあるが、僕は見た目としては全く健常者な訳で、極めて健康に見える32歳の男に対して世間は容赦が無い。男も女も老いも若きも全力でその歩みを止めずに突進してくるように歩いていると言っても過言では無いと思う。きっと見えているだろう、気づいているだろう、方向転換できるだろう、止まるだろう。彼らにはそれができるかもしれない。しかし、僕にはそれが出来ない。僕は見えないし、予測できないし、対応できない。必要以上に周囲を確認する必要がある為に目はいつでもきょろきょろと周囲を見渡し、それでも視野が狭い為に首も一緒に回して周囲を確認しなくてはならない為、目も、首も、肩も、ターミナル駅で乗り換えをするだけでくたくたに疲れてしまう。

 その為、最近では駅で人にぶつかられるままに歩いている。

 だが、そうして歩いているとやがて自分の行きたい方向と少しずつずれていくることも多い。いつもはそれでも無理をして目指す方向に向かって歩くのだが、ある時自分の中でぷつりと糸が切れるような気がして、無理をして人の波に逆らうのをやめた。四方八方からやってくる人々はふらふらともはやただ立っているだけの存在である僕に対して遠慮なく肩に提げた荷物や体の一部を当てて自分の目指す方向へと足早に立ち去っていった。中には露骨に不快な表情を浮かべる人もいたし、舌打ちをする人もいた。

 やがて前に進めなくなって完全に立ち往生してしまったが、それでもここでうずくまるわけにはいかない。僕はそのまま前へ進み続けた。だんだんぶつかるのが怖くなり、少しずつ歩くスピードを遅くして、意識的に端へ端へと寄った。注意深く歩くためだが、それ以上に自分を追い越して先に進んで欲しいと言う思いがあるからだ。そのうちに自分のスピードがどんどん遅くなっていって完全に人の流れについていけなくなる。

 大きな人の流れの中で流れに乗れずに人にぶつかりながら進んでいる自分はまるで川の流れの中であちこちにぶつかりながら脇へ脇へと追いやられていく落ち葉のようなものだと思う。落ち葉はその流れていく様が一つの風景になり得るが人の群れの中で歩くことすらままならずにただただよたよたと進む自分は誰かの視界に果たして入っているのだろうか。

 立ち止まると後ろから舌打ちが聞こえるので、振り返って確認しあとをつけてそいつの後ろにぴったりとつけてやり、ホームの後ろで電車が来る瞬間に右手に力が入る。押せば殺せるこいつは死ぬ、と強く想像する。目を瞑る。右手がこわばる。鼻先を生暖かく湿った空気が包み、ホームに電車が到着する。今日も僕は殺人犯になり損ねる。


 駅から会社の入っているビルへと向かうエスカレーターの連絡通路は通勤時間帯ともなれば、さながら日曜日のディズニーランドもかくやと言うばかりの行列を作り出す。自動ドアは開きっぱなしとなり、何時頃からビル管理会社の警備員が3名も出てきて交通整理さながらの誘導を行うようになった。

「15階以上への直結エレベーターにお乗りの方は右側に2列になってお並びくださーい」

 などと叫んでいる様子を朝から見ていると、まるでその先には最新のアトラクションでも設置されているのかと思いたくなるほどだ。多少の金を払ってでもファストパスが手に入るのならば手に入れたいと思うのはそれほど異常なことではないだろう。朝一番で遭遇する、この全く胸のときめかない行列待ちに、人々は夢の続きを見るような表情で並んでいる。大人は従順で真面目で善良だ。だれももが出来ればこの夢のような目の前の光景が夢のままで覚めずにいてくれたらいいのにと考えているのではないだろうか。

 そんなビルの自動ドアは、僕にだけ反応しない。

 何回かに一回かは必ず僕の目の前で閉じようとするのだ。これだけ人の往来が激しい中で逆に何に反応したのか、僕が入ろうとする瞬間に閉じようとする。最近では自衛策も進んで無意識に右手を少しだけ上げて、万が一閉じそうになった場合でも自動ドアを受け止められるようにしている。一度こっぴどく閉まったドアに鎖骨を打ち付けてしまい、あまりの痛みに立ち止まって上半身を折ったところ、今度は後ろから来た中年男性が止まり切れずに膝が尻に当たってそのまま前のめりに倒れる、という最悪な出来事があった。それでも、混雑している時間帯は感知機能をオフにしているものだと考えていた自分自身の思い込みを責めてしまう僕はきっと何かに洗脳されている。

 自動ドアが僕だけを感知しないということはよくあって、近所のコンビニでも飲食店でも駅ビルでもスーパーでも、とにかく自動ドアは僕を感知しない。あの、ほんの少し近づくだけで何度もへらへらと閉じたりしまったりするような、誰とでもすぐに関係を持ってしまうだらしない女のような薄っぺらいドアにさえ自分が人間として認識されていないような敗北感や疎外感を感じて、自動ドアが開かなかった日は一日中気分が悪い。ドアが上手く開いた日は、駅の自動改札が上手く開かずにつっかえたりして、それも無い日はとにかく横断歩道の信号が行く先行く先赤信号だったりと、結局のところ僕は真っ直ぐに進めた試しが無い。

 きっと僕はまだ前に進んではいけないのだ、とその度に思い知らされる。まだまだここですべきことがたくさんあって、それらが自分には全然足りていないのだろう。このペースで行くと、僕がまっすぐ歩いて自分の目的地にたどり着けるようになるのは、きっと120歳になる頃くらいになるだろう。無論、目的地が決まっていればの話だけれど。


 一人で昼飯を食いに出た日、会社の近くの雑居ビルから総務の先輩が出てくるのを見た。出てきたのは風俗店だった。路上に大きくはみ出て設置された看板には「メンズリラクゼーション やすらぎ」という店名とやや時代がかった化粧の濃い妙齢の女性が布一枚みたいな服装でシナを作った粒子の粗い画像が印刷されていた。


 総務の先輩は以前躁状態になって上司の承認も得ずに取引先と商品開発を進め売る当てのない商品を大量に発注した挙句、それに気づいた上司に注意をされると激昂して会社を無断で欠勤し、弁護士をしている父親が会社に息子に不当な扱いをした、パワハラだと怒鳴り込んできた。父親は精神的な苦痛を受けたとして数千万円の損害賠償を会社に要求した。何度もの話し合いを経て息子の一年間の有給での休職を勝ち取った。

 その息子は「精神的苦痛を受けた」休職中に地元で知り合った女性と結婚し、子供を設けた。何事もなかったかのように復職した息子は総務部で新人の女の子が任されるような雑務を日々こなしながら定時に帰る生活を淡々と続けている。今も息子が発注した大量の不良在庫は特販部隊が細々と販売を続けている。もともと売られる予定のなかった商品を、売る予定のなかった人間たちが売っている。

 戻る予定のなかった人間が戻るべきでない場所に戻りする必要のない仕事をしている。僕は彼がエレベーターホールに貼りだした「禁煙」というしょぼくれたワードアートの紙がやる気なくひん曲がって貼られているのを見てなぜだか無性に腹が立ち、初めは貼り直そうと手を伸ばしたのだが、そのまま一気に壁から引き剥がすと手の中でぐしゃぐしゃにしてばらばらに引きちぎり、そのまま床にばら撒いた。思い切り力を込めて投げつけたつもりだったが紙片は全く意に介した様子もなくまるで息子のようにやる気なくひらひらと舞い上がり、ふわふわと漂ってエレベーターホールの床に散った。あてもなく漂うコピー用紙の紙片は真昼間に風俗店から何の躊躇も無く堂々と現れた息子の表情そっくりに白く、何の感情も読み取れなかった。

 気がつくと僕は「死ねよ」と口に出していた。先輩とはすれ違いざまだったので、もしかすると聞かれたかもしれない、と思ったが、聞かれても構わなかった。むしろ、聞こえて欲しかった。面と向かってはっきりと言ってやることが出来ない自分自身の臆病加減にも反吐が出たが、今だけはそれすらも気にならないほど自分の頭の芯のようなところが熱くなっていた。

 もう一度言ってみる。


 死ねよ。死んじまえよ。おまえみてえなクズ。死ねよ。死ねよ。なんで死なないんだよ。おまえみたいなのがなんで死なないんだよ。子供つくってんじゃねえよ。何子孫残してんだよ。おまえみたいなクズが遺伝子残してのさばるから生きにくい人間がいるんだよ。違うのかよ。違うのかよ。


 歩きながらブツブツと呟きながら僕は歩いた。すれ違った通行人が訝しげな顔で僕を振り返った。途中すれ違いざまに通行人に肩がぶつかり、睨みつけてやろうと顔を上げると、電信柱だった。

 僕は電信柱の下のあたりを右足で蹴った。爪先が痛かった。

 もう一度蹴った。一度目より少し痛くない蹴り方と、痛くない場所がわかった。

 もう一度蹴った。もう痛くなかった。何度も何度も電信柱を蹴った。僕が蹴ることで東京中の電気が止まってしまえばいいと思った。

 何度蹴っても街は明るく照らし出され、人々は殺気立って歩いていた。


「黒のアルファード、あれ絶対ヤクザですよ。これホンマの話なんですよ」

 松江さんはハンドルを握って目線は決して前方から外さないまま、そう捲したてる。

 松江さんは運転がうまい。

 同性からそんなこと言われても全く嬉しくないだろうに、松江さんは心底楽しそうに言う。

「車の運転うまい人ってね、エッチうまいんですよ。いや、これホンマの話なんですよ」

 松江さんは僕が初めて一人で担当することになった大阪の小さな商社の営業担当だ。肩書きとしては常務となっているのに一担当として仕事をするのが好きなのか、東京と大阪を行ったり来たりする生活を苦にもせず続けている。奥さんと、娘が二人。年齢は僕より7、8歳上だったが、結婚が早かったこともあり、長女は既に高校生だ。大阪の一等地に庭付きの一戸建てを購入し「いちいち帰るのも面倒なんでね」と東京にもマンションを借りている。


 人が好きなのか、人に好かれる自分が好きなのかわからないが、とにかく松江さんは顔が広かった。

 地方のど田舎の山の中のようなところにある、朽ち果てる寸前のような工場に仕事で一緒に訪れたりすることもあったが、彼は工場の責任者と既に打ち解けていて、あとで聞けばその工場が大手の商社でも買い付けられなかった新素材の原料を独占的に握っていることを教えてくれた。工場の責任者との会食の場は田舎では不釣り合いな位豪華な懐石料理の店で、くたびれた作業着姿の禿頭の中年男性が見せてくれたスマホの画像には、ハワイでスキューバダイビングをする彼と家族の写真が納められていた。

「今度はね、ヨーロッパの方に行こうと思うんですわ。ただ、休みが無くてね」

と彼が言うと、松江さんが

「社長忙しいから」

 ははは、とまた乾いた、声量の大きな笑い声を立てた。

 こうした人物にありがちな、自分を底知れない風に装う変なもったいぶった態度や言い回しをせず、とにかく何でも話すスタイルには個人的に好感を持ち、一緒に仕事をする機会も増えていった。

 彼が言ったことがある。

「僕ね、ある程度仲良くしようと思った人には何でも話すんです。だって隠す必要ないと思ってるから。話されるとね、その人も他の人に言えなくなるんですよ。これね、不思議と人って何でも全て聞いてしまうと他の人に言えなくなるんですよ。言わないでしょ?そういうことなんです」

 と言って表情を変えないまま声だけで「ははは」と笑った。言葉は人を縛る、ということを実践している人間を始めてみた。彼は陽性の悪魔なのだ、と思うと腑に落ちた。


 親しくなって3年ほど経った頃、大阪で彼の行きつけの寿司屋で食事をしていると、彼の方から「最近いいことありました?」と聞かれた。もちろん、こういった席で彼が聞くことだから、仕事のことではないだろう、と「家では妻ともはなしてませんよ。男として終わってます」と愚痴ると、

「あきませんよ。ホンマ男はセックスせんと、すぐ老けますからね。人生、一度ですから」と切り出した。

聞けば、東京出張の際に偶然出会った女性と関係を持つことになったと言う。

「出張中に何してんですか」

「いや、ホンマ何してるんでしょうねえ」


 常務として採用も担当している松江さんに「採用の基準とかあるんですか?」

と聞くと、珍しく少し考えた挙句に

「女の人にモテるか、ですね」

と言ったことがある。

 実際松江さんはモテた。

 モテる、というと少し違うのかもしれないが、少なくとも仕事の場で彼と一緒になる僕の会社の女性陣で彼のことを悪く言う人はいなかったし、たまに「信用できない」という人間もいたが、結局は彼の方が上手である、と認めているのだった。

 つまるところ、彼はモテるのだ。


「不倫なんてね、お互い性欲でしかないんですよ」

 ウニを口に頬張りながら松江さんが言った。

「僕ね、これどうしようかなあ」

 そう言って言おうかどうか迷っている松江さんに対し、僕も酒が入っていたこともあり

「もうここまで言って隠す話もないでしょう」

 と言うと、僕の目をほんの一瞬見てから口を開いた。

「相手が食事の時に、途中でトイレ行くでしょう。大ってわかるんですよ。でそのあとホテル行くじゃないですか。そしたら僕ね、シャワー行かせないんですよ。そのまま始めるんです。それで、相手は当然嫌がるんですよ。でもそんなのどうでもええと。臭いとかそういうのはええと。で舐めるんです。もちろん臭いんですよ。でもね、僕ね、それが好きなんです」

 そう語る彼の顔は、普段よりも目に力が入っていて、僕は今この人は一歩踏み込んで話をしてくれているのだと理解した。

「有吉いるでしょう、芸人の。あの人のラジオこないだ車で移動中に聞いとったんですけどね、お姉ちゃんとエッチした時におしりからニラが出とったんですって。で、有吉はそのニラを歯で抜いてね、食べたって話をしてて。僕それ聞いてめっちゃ笑いました。わかると思って」

 そう続ける松江さんはまた新たにウニを頼み、ハマグリの酒蒸しを食べ、ビールを一口飲んだ。僕は、忙しなく動くその唇が、僕の知らない女の肛門や女性器を同じように休むことなく丹念に舐めまわしている様子を酔った頭で考えている。


 久井さんのデスクがある月曜日の朝、いきなり消えていた。

そのチームのちょうど中間地点に久井さんのデスクは設置されていたのに、久井さんのデスクが抜けた後は左右のデスクが積める形で設置されていて、まるで最初から久井さんが存在していなかったかのようだった。

 僕はデスクに向かってパソコンでメールを作成しながら何度か自分の内側で広がる正体不明の感情のうねりみたいなものに耐えられなくなって、トイレの個室に入った。ズボンも下ろさずにしばらく座ってそのまま白い扉の内側を見ていると、隣のこしつに誰かが入ってきて鍵を閉める音がした。溜息が一つ聞こえたかと思うと、大きな放屁の音がして、僕はその音を聞いて、ようやくちょっとだけ涙が出た。

 トイレの個室に閉じこもって、誰かの排便の音を聞きながらでないと、僕は僕自身の中にある感情の処理一つも満足にできない、という自己憐憫への悲しさも入っているようにも思えた。声を殺して僕は泣いた。その涙が何のためのものなのか、僕がそうする権利を持っているのかはわからなかった。


 いつだって僕は何も変えられないままだ。

 自分が何かを変えられると思っていることがそもそもおこがましいのに、それでも今でも何かが変えられるような気がして立ち止まったまま歩けないでいる。僕の中にあるのは中学生くらいのときの、何も成し得ていないのに何かが出来そうな全能感だけで、それを子供が河原で拾った変わった石を時々取り出して眺めるみたいに掌に載せて大切に眺めている。


 久井さんと同期だった女性社員が、久井さんを偲ぶ会をやろう、と提案して参加者を募り始めた。あまり大人数にしてしまうと会社側からも何か言われそうだから、という理由で口づてで、若い世代を中心に少人数でやると言う。そのメンバーに僕も選んでもらうことが出来て、素直に嬉しかった。

 久井さんがいなくなるほんの数ヶ月前、僕は久井さんに呼ばれて飲み会に参加したことがあった。各部から何の脈絡もなく呼ばれたメンバーたちのように見えたが、普段そうした場では打ち解けるのに時間がかかる僕が驚くほどスムーズに楽しめた会だった。そのときはメンバーがよかったな、と単純に思っていたが、あとから考えればメンバーは久井さんが全て考えていたのだ。彼女にはきっと、どんな人間たちを集めれば場が和やかに進行するかわかっていたのだと思う。いつも見ていたのだ。それも一つの才能と呼べるだろう。


 窓の外を見ると、7月の東京の空はもうすぐ夜の7時になろうかという時刻だというのにやけに明るく、空高く重なった積乱雲の隙間から陽の光がまだしぶとく街をじりじりと照りつけていた。

 夜明け前にも、夕暮れにも見えるその空を、彼女の目もまた見ていたのだと思うと、空に飛び立ったその瞬間は、きっと穏やかな気持ちであったのかもしれない、と思った。あるいは彼女はその瞬間、肉体を離れ、どこまでも飛んでいくことが出来たのかもしれない。

 遠くビルの隙間に鳥が二羽連なって飛んでいた。それはいつか彼らの命が尽きることなど微塵も感じさせない、真っ直ぐと揺るぎない飛翔だった。





 

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空中のダンス いりやはるか @iriharu86

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