ずっと友達のままで

無月兄

ずっと友達のままで

 夏の日の放課後。バスケ部の練習が終わり、マネージャーの私が後片付けをしていると、後輩マネージャーの倉田さんからこんな質問をされた。


「草野先輩と付き合ってるんですか?」


 これを聞いてきたのは彼女で何人目だろう。だけど私の答えはいつも同じ。


「付き合ってないよ」


 いつもそう答えているのに、何度も同じ事を聞かれる。私、神田優香と、草野信也は、よほど付き合っているように見えるらしい。

 仲が良いのは否定しない。幼稚園からずっと一緒だし、バスケ部の選手とマネージャーでもある。接点は多く、話していると楽しい。けど、私達は皆が思うような関係じゃなかった。


 制服に着替えて外に出ると、日がだいぶ傾いて来ている。


「優香、今日もうちに寄っていくのか?」


 同じく着替えを終えて出てきた信也が言う。信也の家は定食屋をやっていて、両親があまり家にいない私は、そこで夕飯をとる事が多かった。


「うん」


 信也の家まで歩く中、二人きりだからだろうか、さっきの質問が頭をよぎる。

 私達は付き合っていないし、信也をそう言う目で見ることもない。けど意識したことはある。

 前に私は、信也から告白を受けた事があったから。


『優香。俺と、付き合ってくれないか』


 半年前、突然信也から告げられた言葉。だけど私は、それを断った。


 ごめんと言った時は、体が震えた。

 決して信也のことが嫌いだった訳じゃない。ただ、私が欲しがったのは、友達としての信也だ。信也とは、ずっと仲の良い友達でいたかった。


 だけどもしかすると、これで全部壊れてしまうかもしれない。告白して、私がふったことで気まずくなって、今までの関係が壊れてしまうかもしれない。そう思うと怖かった。


「信也とは今までと同じでいたい。ずっと仲の良い友達でいたい」


 そう告げると、信也は寂しそうな顔で、ただ一言わかったと言った。そして次の日から、それまでと全く変わらない態度で私に接してきた。まるで告白なんて無かったみたいに。


 それは私が望んだことだし、そうしてくれた事には感謝している。でも信也は本当に、心から私を友達として見てくれているのだろうか。ひょっとして今でも好きでいるんじゃないか。自意識過剰かもしれないけど、時々そんな事を考えてしまう。


 そうしている間に、信也の家である食堂に到着する。


「優香ちゃんいらっしゃい。店と家の中どっちで食べる?」


 中に入ると、おばさんが声をかけてきた。私なら、店でも家の中でもどっちでも構わないと言われていた。


「家にします」


 店はお客さんで混雑しているし、今日は宿題もある。後で信也に相談しようと思っていたから、家の方が丁度良い。

 夕食を取り宿題を終えた頃には、もう9時になっていた。いくら夏とは言え、当然外は真っ暗。いいかげん帰った方がよさそうだ。


「送っていくよ」

「いいよ。すぐそこだし」


 申し出を断って帰ろうとしたけど、店から戻ったおばさんに止められた。


「だめよ。女の子なんだから気をつけないと」


 おばさんにまでそう言れ、結局信也に送ってもらう事になった。

 さっき言った通り、私の家は信也の家のすぐそばにある。今日は親がいつもより早く帰ってきているのか、窓から明かりが見えた。

 それに気づいた途端、私の足が止まる。これ以上家に近づくのが恐かった。


「優香……」


 信也も足を止め、心配そうに私を見る。私は無意識に信也の手を握っていた。

 家の前に来ると中から声が聞こえてきた。二人の人間が互いを激しく罵り合う声。私の両親だ。

 手を握る力がぐっと強くなる。我が家は何年も前からこんな状態だった。元々の原因は父の浮気で、今では顔を合わせる度に喧嘩になる。最近は二人とも会わずにすむよう家に帰ってこない事も多かったけど、今日は鉢合わせしたみたいだ。近所迷惑も考えず喚き散らしている。


 この事は近所の人達にも有名で、もちろん信也やおばさんだって知っている。出来ることなら今すぐ逃げ出したかった。自分の家だというのに、さっきまでいた信也の家の方がずっと温かい。

 だけど、たとえどんなに嫌でも、私の帰る家はここしかない。


「送ってくれてありがとう。信也も気をつけて帰ってね」


 わざと明るい声で言った。でないと泣いてしまいそうだったから。

 繋いでいた手を離そうとして、だけどその信也はその手をさらに強く握った。


「信也……?」

「ごめん。もう少しだけ、こうしてていいか」


 それは私への気使いだ。両親の罵声は相変わらず聞こえてくる。けどこうして手を握ってくれている間は、ほんの少しだけど落ち着く事が出来る。私の震えが止まるまでの間、信也は手を握ってくれた。








 翌日の放課後、いつものよう部活へ向かう。今日も信也とは何度か話したけど、昨日の事は何も言ってこない。気まずくなるだけだからその話題を避けてくれるのはありがたい。

 体育館に向かう途中、信也の姿を見つけた。信也も体育館に行かなきゃいけないのに、なぜかじっと足を止め、心ここにあらずと言った感じだ。


「信也?」

「わっ、何か用か?」


 信也は私を見るなり、慌てたように言った。


「用ってほどじゃないけど、早くいかないと遅刻するって思って」

「もうそんな時間?急がないと」


 そう言って体育館へと駆けだし、私もその後に続く。ちらりと見たその表情からは緊張しているのが見て取れた。

 体育館へと駆けこみ、息を切らせながら顔を上げる、同じく倉田さんの姿を見つける。

 ふと、彼女が昨日私に、信也と付き合っているのかと聞いてきた事を思い出す。


「先輩、ちょっといいですか?」


 私を見るなり、倉田さんはそう言ってそばに寄ってきた。


「先輩って、本当に草野先輩とは付き合ってないんですよね?」

「うん。そうだけど」


 昨日と全く同じ問答だ。


「草野先輩が好きってことも無いんですか?」

「……うん。ただの友達」


 どうしてだろう。答えるのに少し時間がかかった。それを聞くと、倉田さんはホッとしたように息をつき、改めて私に言った。


「私、草野先輩に好きだって言ったんです」









 部活が終わり、私はいつも通り信也の家へと向かう。はずなのだけど。


「今日は、信也の家に行くのやめとく」


 信也は怪訝な顔をする。無理もない。私がどれだけ家に帰りたくないかは、信也もよく知っている。だけど倉田さんの事を思うと、一緒にいるのは躊躇われた。


「たまには家で夕飯食べたいからね」


 そう、心にもない事を言って別れた。

 告白したことを語った倉田さんは、顔を真っ赤に染めていて、とても可愛く見えた。

 返事まだだそうだけど、信也は何と答えるのだろう。友人でありかつて告白を受けた身としては、早く次の恋を見つけて私の事なんて忘れてほしい。

倉田さんは、可愛いだけでなく気遣いもできる良い子だ。二人の事を思えば、応援するべきだ。だけど――


 二人が付き合うとなると、今までみたいに信也の近くにいたり家に上ったりするのは控えた方がいい。そんな事をしたらきっと倉田さんの心中は穏やかではないはずだ。でも信也との距離が離れるかと思うと、それはとても寂しかった。家族の壊れた私にとって、信也は最も近くにいる人だったから。

 でも例え二人が付き合わなかったとしても、いつかはそんな日が来るだろう。


 信也の告白を断った時の事を思い出す。あの時も私は今まで通りの関係が壊れる事を恐れ、変わらずにいたいと望んだ。信也はその頼みを聞いてくれたけど、もしあの時気持ちに答えていればこんな思いはせずにすんだかもしれない。そう考えて私は震えた。


 今更何を言ってるんだろう。それに例え時間が戻っても、私があの告白を受け入れるとはことはない。いくら仲が良くても信也とは友達だ。今までも、これからも。


「おかえりなさい」


 沈んだまま家に帰ると母がいた。こんな時間に帰ってくるなんて珍しい。驚きながらもただいまと言うと、母は話しがあると言った。

 それが何かはわからないけど、表情からして、良くない事だというのはわかった。









 次の日私は暗い気持ちで学校に着いた。母から聞かされた話が何度も頭の中を駆け巡る。


『離婚する事になったから』


 そう言われた時、驚きはなかった。むしろ今まで別れなかった方が不思議なくらいだ。だけど――


「先輩」


 教室に向かう途中、倉田さんに呼び止められた。倉田さんはそっと私に告げた。


「振られちゃいました」


 泣きそうな声で告げられたその言葉に、驚きながらもどこかホッとしていた。それに気づき、自分に嫌悪する。


「昨日、草野先輩のことただの友達って言ってましたけど、嘘ですよね」


 俯きながら放たれた言葉に、まるで全身が沸騰したみたいに熱くなる。


「神田先輩、本当は草野先輩の事が――」

「違う!」


 気がつくと大声で叫んでいた。周りの人が何事かとこっちを見ているけど、一度持ってしまった熱を冷ますことはできなかった。


「信也は、友達としか思ってない!」


 辺りに声が響く中、見つけてしまった。

 廊下の向こうから駆け寄ってこようとして、悲げな顔で足を止めた信也の姿を。










 最後の箱に封をする。これで荷造りは完了だ。私はがらんとした自分の部屋を見つめた。

 これからは母の実家で暮らす事になる。一月前、離婚と同時にそう伝えられた。学校も変わる事になった。

 ケータイを見ると、最後に友達と撮った写真が沢山入っている。皆私との別れを惜しんでくれた。でもその中に信也の姿は無い。


 信也とはあれ以来話してない。結局信也はずっと私の事が好きだった。本当に友達としてしか見ていないのなら、あんな悲しい顔をするはずがない。

 なのに、今まで通りでいたいという頼みを聞いて、本当の気持ちを隠して、だけどそれも、あの一言で全部暴いてしまった。

 私はまた信也を傷つけた。前との違いは、今度こそ元の関係ではいられなかったことだ。

 そして今日、私はこの町を離れる。小さい頃から続いた信也との繋がりもこれで終わり。

 その時、玄関から呼鈴の鳴る音が聞こえた。


「手が離せないの。出てくれる?」


 母に言われ玄関に向かうと、見慣れた顔が飛び込んできた。


「信也……なんで?」

「突然ごめん。でも、このまま別れるのは嫌だったから」


 そう言って信也は少し寂しそうな顔をした。


「好きだなんて言って困らせてごめん。でも、今度こそそんな気持ちは忘れるから、また元の友達には戻れないか」


 私が頷いたら、信也とは元の関係に戻れる。けどそんなのは表面上の物だ。信也はまた、私の為に自分の気持ちを隠そうとしている。


「……ごめん」

「何で優香が謝るんだよ。俺が好きだなんて言わなきゃ、俺達元のままでいられたのに」

「違う。私は、本当は好きだって言われて嬉しかった」


 信也は目を丸くする。そりゃそうだ。嬉しいのに断って、それで今まで通りではいたいなんて滅茶苦茶だ。だけど――


「お父さんとお母さんも、小さい頃から一緒だったって言ってた。あれでも昔は仲良かったんだ」


 そう言って、両親の顔を思い浮かべた。かつて仲の良かった二人も今では見る影もない。


「好きになってもいつかは壊れるかもしれない。そう思うと怖かった」


 だから私は今まで通りの関係に拘り続けた。決して変わる事の無い関係を。そんなもの本当はありもしないのに、私はそんな幻想を求め、信也を傷つけた。今更ながら後悔し、いつの間にか目には涙が溢れた。

 信也はそっと手を伸ばし、私の頬を流れる涙を拭った。


「優香。もし俺が、今でも好きだって言ったらどう思う?」


 急にそんな事を言うものだから、こんな時なのに面を食らってしまった。けど私は戸惑いながらも何とか正直な気持ちを言葉にする。


「好きでいてくれるのは嬉しいよ。でも、やっぱり怖い」


 嬉しいほど、いつかそれが無くなるかもしれないと考えてしまう。だけど信也はそんな私を真っすぐに見た。


「俺は優香の事が好きだよ。何度忘れようって思っても、結局変わらなかった」


 その言葉にドクンと胸が鳴る。


「なあ、変わるのが怖いって言うなら、一つ約束してくれないか?優香と次に会えるまでに俺の気持ちが少しでも揺らいでいたら、今度こそ優香の事は諦める。でも――」


 信也は少し照れて、でもはっきりと言った。


「ずっと変わらずに想っていられたら、もう一度俺の事考えてくれないか。俺の気持ちは絶対に変わったりなんかしない」







 振り向けば、今でも信也が手を振り続けているような気がした。車の窓から見えるこの町の最後の景色を私は瞼に焼き付ける。次ここに来るのはいつになるだろう。信也が約束を果たすか分かるのは当分先になりそうだ。

 私は、実は自分自身にも約束していた。次に会うまで、信也に対する気持ちを変わらずに持ち続けるという約束を。

 もしそれを守る事が出来たなら、今度は私から伝えよう。


 あなたのことが、ずっと大好きでしたと。

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