第33話「待ってると思ってたの?」

 授賞式が一通り終わり、何人かの編集者と挨拶を済ませると、夏帆は一目散に会場を後にした。ロビーに出て左右を見回す。「いない」5分ほど前、さっきの少女が出ていくのが見えた。気のせいかと思っていたが、やはり見覚えがある。きっとあの子は……。


 建物から出てエントランスを抜ける。しかし、やはりそこにも姿はなかった。「ま、いっか。後で聞いてみよう」この後は、ノベステ編集長の小畑と打ち合わせがあると聞いていたので、ホテルへと引き返そうとした。


 そのとき、バッグに入れていたスマホから、小さな電子音が鳴った。あ、もしかして勝手に出てきちゃったから、怒られてるのかな? 夏帆は慌ててスマホを取り出す。画面を表示させると「新着メッセージが1件あります」と通知があった。何気なくそれをタップする。


 LIMEが立ち上がり、1枚の写真が表示された。


「建物の画像? あれ? これっって……」


 立派なビルの画像。中央にはエントランスが写っている。その前にひとりの女性が立っているのが見えた。親指と人差し指でつまんで開くと画像が拡大された。恐る恐る、後ろを振り返る。


 敷地の入り口、ちょうどホテルの看板が設置されているところに、ひとりの男が立っていた。夏帆はスマホを持ったまま、その男の方へと歩いていく。いつかこんなことがあるのだろうと思っていた。そのシーンを何度も想像してみた。それなのに、今実際にその状況に置かれてみて、自分が思っている以上に動転していることに気づく。


 足元がフラフラしている。地面も歪んで見えた。真っ直ぐ歩けているのだろうか? 


 顔をあげると、男もこちらへ歩いてきているのが見えた。顔は見えないが、見間違えるわけがない。男まで、後数メートルのところで、夏帆はふらついて転びそうになる。歩くのを止め、立ち止まるが視界がグルグル回っているようで、気分が悪い。


 思わず膝を着きそうになったところを、誰かに肩を掴まれた。「おい、大丈夫か?」見上げると、心配そうな、それでいて戸惑っているような顔が見えた。


「……遼太郎」


 その顔を見た瞬間、回っていた視界が止まった。意識もはっきりしてきているのが分かる。遼太郎は相変わらず「どうした? 気分が悪いのか?」と、ぎこちなく言いながら、どうしたらいいのか戸惑っているようだ。


 それを見た夏帆は思わず吹き出した。


「何だよ。大丈夫なのかよ。心配するだろ」その言葉に、夏帆は思わずムッとする。

「心配かけてるのは、どっちよ?」

「いや……何と言うか……すまん」遼太郎は、まだ戸惑いながらそう言う。

「柚葉さんも恵子さんも……嗣人に佳奈、浩介さんだって、みんな心配してたんだから」

「……」

「何も言わないでフラッといなくなるなんて」

「だから、それは悪かったって……」

「ちょっと謝ったくらいで済むわけないでしょ!」

「そう……だな……」遼太郎の顔が曇る。


「10年も……。待ってるって、思ってたの?」

「それは……。いや、そこまで傲慢じゃない」

「じゃ、どうしてここに来たの?」

「それはほら……あれだ。おめでとうを言いに」

「それだけ?」

「知らん」

「他に言うことないの?」

「……それは……あるような、ないような……」

「何よそれ! 10年も経ってるのに、全然成長してないじゃない!」

「そんなことはないぞ。多少……劣化した部分はないとは言い切れないが」

「で、他に言うことは?」

「むぅ……。ここで言えって言うのか?」周りを見回す。何事かと、いつの間にか人だかりができていた。流石に夏帆も少し恥ずかしくなってきたが、そんなことは構わないとも思った。今、言いたいことを言わないで、いつ言うのだ。



「10年も……。待ってないと、思ってたの?」



 夏帆の言葉に、遼太郎の目が大きく見開く。


「そこまで……自信家じゃない」ちょっと寂しそうな顔で答えた。

「西浦遼太郎は、いつでも自信家だったじゃない!」


 夏帆はそう言って、遼太郎の首に飛びつく。慌てて「ちょ、お前」と言う遼太郎に構わず、そのまま背中に手を回し、ギュッと締め上げた。まるで、もう離さないというように。


「くっ、苦しい!」


 遼太郎の悲鳴に似た声が聞こえてきて、少しだけ力を抜いた。「お前なぁ、死ぬかと思ったぞ」ブツブツ言う遼太郎に「そんなので死ぬわけないでしょ」と言いながら、もう一度力一杯抱きしめた。遼太郎は、どうして良いのか分からない様子で、両手を夏帆の肩にかけようとしたり、腰に回そうかと、戸惑っている。


 パラパラと周りの人だかりから拍手が起こった。それは徐々に大きくなり、中には口笛を吹いている者すらいた。状況はよく分からないが、なんとなくそういうことなんだろう、と思ったらしい。流石に夏帆も恥ずかしくなり、遼太郎から手を離すと何度かお辞儀をして、その場を去ろうとした。


「こんな公衆の面前で、何やってるんですか」


 人だかりの中からひとりの少女が出てきて、呆れたような口調でそう言った。先程、授賞式にいた子だ。夏帆は「あなた、もしかして」と声を掛けた。


「やっと気づいたんですか? そうです。瀧本志穂。瀧本浩介と柚葉の娘です」


 志穂はそう言うと丁寧に頭を下げる。夏帆は10年前の夏合宿を思い出した。あの頃は、こんなにツンケンしてなくて、もっと素直な良い子だったような気がするんだけど。志穂は周囲の人だかりを、ジロリと一望する。その威圧感からか、さっきまで盛り上がっていた人たちは、頭をかきながら退散していった。


 ふぅっとため息をつくと「遼太郎おじさん。どこでもかしこでも、イチャイチャしないで下さい。親戚として恥ずかしいですから」と遼太郎を見下すように言った。


「ちょっと? 志穂ちゃん? おじさんじゃなくて、お兄さんだよね?」

「遼太郎おじさん、お母さんのお兄さんでしょ? おじさんで間違いないと思いますけど?」


 情けないことに遼太郎は既に涙目だ。志穂はそんな叔父を見ながら、ちょっとだけ表情を変えた。夏帆はそれがどういうことなのか、一瞬分かり兼ねていたが「遼太郎お兄ちゃんは、私のものだったのに……」と小さくつぶやくのを聞いて「あぁ、そういうことか」と理解した。


「俺の教育が間違っていたのか……」


 半泣きになりながらしゃがみ込んでいる遼太郎に「そうでもないんじゃない?」と慰めるように言う。志穂がふぅっとため息をついて、ツカツカと歩み寄ってきた。夏帆に「さっきは偉そうなこと言ってすみませんでした」と、深々と頭を下げる。


「気にしてないよ。それにどこかの誰かよりは、よっぽどマシだったしね」

「どこかの誰かって誰だよ」

「さぁ? 胸に手を当てて考えてみたら?」

「むぅ……。分からん」

「ほんと、成長してないわよね」

「10年前に既に完成されていたと言って欲しいな」

「はいはい」


 そのやり取りを見ていた志穂が思わず吹き出す。しばらくクスクスと笑ったあと、もう一度夏帆にペコリと頭をさげて「夏帆お姉ちゃん、遼太郎おじさんをよろしくお願いします」と言った。その言葉の意味にちょっとだけ戸惑いながらも、夏帆は「うん」と力強くうなずいた。


 夏帆は空を見上げた。


 春が終わって、夏がやってくる。月日は流れ、季節はめぐる。止まっていた時間が、やっと動き出したような感じに包まれた。いや、時間は止まっていない。止まっていたのは、私の方だ。夏帆は思った。10年も待ったのだ。もう待ちくたびれた。


「さ、行きましょう!」


 ふたりの手を取り、夏帆は歩き出す。きっと、これから楽しくなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

物書きたちは譲らない! しろもじ @shiromoji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ