第32話「きっとあなたを追い越します!」
5月。
夏と言うには早すぎて、春と言うには少し遅い季節。
夏帆は、都内にあるホテルのホールに来ていた。先程から壇上では、中年の男性がいつ終わるのか分からないようなスピーチを延々と続けていた。いつもだったら、ため息のひとつもつきたくなるような展開。しかし、今日の夏帆は食い入るように、その話を聞いていた。今日のために用意した、おろしたてのスーツの前で両手をギュッと握りしめる。
長かったスピーチが終わり、会場に安堵の表情を浮かべる者がチラホラしていたが、夏帆だけは緊張した面持ちで、じっと壇上を見つめている。司会の男性の声がホールに響いた。
「続きまして、第16回Novel Station大賞、通称ノベコンの授賞式を執り行います」
ワッと歓声が上がった。司会者の呼びかけで、次々に壇上へと上がっていく人々。「入選」「佳作」「読者賞」「審査員特別賞」……。
「では、いよいよノベステ大賞受賞者です! 少女たちが日本初の有人宇宙飛行に挑戦する感動作『宇宙からのメッセージ』! 作者の上坂夏帆さん、壇上へどうぞ!」
耳をつんざくほどの拍手と歓声が巻き起こり、夏帆はゆっくりと壇上へと向かう。壇上のやや右に置かれた長机には、今回の審査員たちが並んで座っている。中央に置かれたマイクの近くに立つ。
Novel Stationの編集長から表彰状と記念品が贈呈され、マイクの前に立った。多少緊張しながらも、事前に練りに練っていたスピーチを読み上げた。何度も何度も読み返したので、もう原稿なしでもそらんじられる程になっている。
夏帆は10年前のことを思い出していた。
前はこんなに大きなホテルじゃなかったのに、すっかりノベステも大きくなったんだな。挨拶する人の数も随分増えたし、参加者の数だって数倍にはなっている。でも、一番違うのは、そういうことじゃなくて……。
「ありがとうございました! もう一度、上坂夏帆さんに盛大な拍手をお願いします」
司会者の声で、会場内に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。夏帆は丁寧に一礼すると、誰にも気づかれないほどの小さなため息をついた。あれから10年が過ぎ、状況も違う。私は何を期待しているんだろう……。あのときは、あんなに迷惑に思っていたのに、今はそれを求めているなんて。
会場へと戻り、近づいて来る人たちの応対をしながら、辺りを見まわした。少し離れたところにテーブルが並んでおり、この後開かれる立食パーティーの準備が行われている。「すみません。緊張しちゃって、ちょっと喉が乾いたので」愛想笑いを浮かべながら、そう断ると、人の輪を抜けテーブルへと近づいた。
飲み物だけでも先にもらえないだろうか? 忙しそうに準備をしているスタッフに声をかけようとした瞬間、夏帆の背後から彼女を呼び止める声が聞こえた。振り返ると、そこにはひとりの少女が立っていた。どこの高校だろうか、制服を身にまとっている。
あれ? どこかで見たような……?
「上坂夏帆さん」
少女の問いかけは力強く、ざわついた会場内でもしっかりと聞き取れた。夏帆が黙ってうなずくと、少女はニヤリと笑った。しかし、それは一瞬のことで、あっという間に険しい顔に戻ると、夏帆を指差しながらこう宣言した。
「私の方がもっと面白い小説を書けます! 今はまだあなたには及ばないかもしれませんが、いつか、きっとあなたを追い越します!」
その言葉を聞いた夏帆は、自分が今どんな表情なのだろうか知りたいものだと思った。驚いているだろうか? 唖然としているのだろうか? もしかしたら笑っているかな?
ただ、心の中は見ることはできないが、それを知ることはできた。自分が彼女の言葉を聞いて、喜んでいるのだと理解した。少女は「来年、必ずあの壇上に私が登りますから!」と自信満々の表情で夏帆に言う。それに夏帆は「来年、あなたが賞を獲れるかどうかは分からないけど」と不敵な笑みを浮かべた。
「それでも、あなたがそう言うのなら、私は待ってます」
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