第31話「あいつ、もう帰ってこないのかな」
「うわぁ、やっぱりこの時間だと混んでるなぁ」
上坂夏帆は車のハンドルを握りながら、もう少し早く出れば良かったと後悔していた。まぁ、そうは言っても突然の残業を断る勇気はなかったのだが。「まったく、ライフワークバランスって言葉、課長知ってるのかな?」オーディオのスイッチを入れ、お気に入りの音楽を流してなんとか気分を変えようとする。
30分ほど渋滞と格闘して、ようやく目的地に着いた。車を止めて荷物を抱えると、目の前に建っている1軒の家を見上げた。今どきの立方体のような家。2台分の駐車場に、小さな庭が隣接している。その奥に窓がありカーテンから薄っすらと明かりが漏れていた。
玄関に向かいチャイムを押す。電子音が鳴り「はーい」という声が聞こえてきた。ドアが開き「あ! 夏帆ちゃん、いらっしゃい!」と柚葉がひょこっと顔を出した。夏帆が「お邪魔します。遅くなりました。あ、これ」と言いながら、持ってきたお土産を手渡すと「あー、気を使わなくてもいいのに~」と柚葉がそれを受け取る。「ささっ、入って入って」
リビングに通されると、既に夏帆以外のメンバーが揃っていた。ソファーに座り、お酒が入っているのか赤ら顔になっている浩介が「おぉ、夏帆ちゃん。久しぶり」と声をかけてきた。
「お久しぶりです。浩介さん」夏帆もペコリと頭を下げた。
「夏帆先輩、こちらへどうぞ」と佳奈が自分の隣の席に招く。その逆隣には嗣人が座っていて「よっ」と小さく手を挙げている。べったりくっついて座っているふたりを見て「相変わらず、仲の宜しいことで」と苦笑いした。
「さぁ、料理はたくさんあるから、みんなたくさん食べてね」柚葉がお皿をテーブルに並べていく。
「あ、手伝いますよ」夏帆が立ち上がろうとすると「今日の主役に、そんなことはさせられません」と佳奈が止めた。「私が手伝いますから、夏帆先輩は座ってて下さい」
そう言われておとなしく従っていたが、どうにも落ち着かない。「夏帆ちゃんも飲むかい?」そう言って浩介がグラスを差し出してきた。「いえ。私、車で来ちゃったので」と断ると「じゃ、烏龍茶かな」とペットボトルを取り出した。
恐縮しながらもそれを注いでもらっていると、料理の準備が完了したらしく「さっ、乾杯しましょ」と柚葉がグラスを掲げた。
「かんぱーい!」
「夏帆先輩、おめでとうございます!」
「凄いよね。大賞だもんなぁ」
「流石、夏帆ちゃんだよねぇ。私の先生だもんね」
「夏帆、やっと夢が叶ったね」
口々に夏帆への祝福の言葉が寄せられた。
「いやぁ、10年かかっちゃいましたけどね」夏帆は苦笑いしながら答えた。
「そうかぁ……。あれからもう10年かぁ……」柚葉が感慨深げにつぶやくと「早いよなぁ」と浩介。
「ほんと早いですよね」夏帆も同意した。
みんなで夏合宿をし、一緒にノベステ大賞を目指した10年前。嗣人、佳奈、柚葉、浩介の作品は、読者選考の時点で落選してしまった。夏帆は2次審査へと進んだものの、そこで終わりとなった。残念な結果にはなったものの、それぞれが一生懸命力を尽くした結果であったことから、そんなに悲壮感はなかった。
夏帆自身も、多少の悔しさはあったものの、自分の小説の結果とは別に、やりきったという思いがあり、その時点で気持ちの整理はついていた。
高校を卒業すると、夏帆は大学へと進学した。大学に通いながらも小説は書き続け、ノベステ以外のコンテストにも応募してきた。時折、小さな賞をもらうことはあったし、ノベステ内でもそれなりにファンが付いたりしていたが、それでもノベステ大賞を取ることはできなかった。
大学を卒業すると、地元の企業へと就職した。しばらくは仕事に振り回されて小説どころではない生活が続いていたが、昨年辺りからやっと余裕が出てくるようになり、投稿を再開していた。そして、投稿再開後、初めてのノベステ大賞――今はノベコンと呼ばれている――で大賞を受賞。嗣人が言っていたように、やっと夢が叶った。
嗣人は、県外の大学に進学し、翌年佳奈もそれを追いかけるように同じ大学へと進んだ。在学中は、夏帆ほどではないものの、小説を書き続けていたが、夏帆と同じように仕事を始めてからは、なかなか書くことができずにいるようだ。ちなみに大学を卒業後、すぐにふたりは結婚し、そういう意味でも小説に割く時間は、なかなか取れない様子だ。
柚葉と浩介は10年前からそれほど変わらず、コンスタントに小説を書いている。娘の志穂が中学生になった頃から「やっと手が掛からなくなってきた」と柚葉はペースを上げて投稿しているが、浩介の方は会社で役職が付いたりして、なかなか思うようには書けていない。
「そう言えば、志穂ちゃんは今日はいないんですか?」
「あー、なんかね。友達のとこに泊まりに行くんだって」夏帆の問いに柚葉が笑いながら答えると、浩介も「手はかからなくなったんだけど……」と少し寂しそうな顔になる。
「なんかね。この人『志穂に変な男が近づいているんじゃないか』って心配らしいのよ」
「えぇ!? 志穂ちゃんって、もうそんな歳でしたっけ?」
「今年から高校生だからね」
「はぁぁぁ。やっぱ、10年って凄いな」
「だよねぇ~」
それからしばらく「佳奈ののろけ話」や「柚葉の小説談義」が続き、「嗣人の仕事の愚痴」に浩介が深く賛同したりと、話が盛り上がっていった。テーブルの上の料理があらかた片付いて、浩介は酔いつぶれてソファーに寝そべり、嗣人と佳奈も「明日早いので」と帰った後。夏帆は「手伝います」と皿洗いをしている柚葉の隣に立った。
柚葉は「いいからいいから」と言ったが「なんかしてた方が落ち着きますから」と強引にお皿をふきんで拭く。丁寧に拭いている夏帆の横顔をみて、柚葉は「そう言えば」と切り出した。
「あいつ、もう帰ってこないのかな」
敢えて「あいつ」と名前で呼ばないが、誰かは分かる。遼太郎だ。
10年前のコンテスト。夏帆が全力で応援して、ふたりで作り上げた遼太郎の小説。当初は「盗作野郎が、また新しい盗作を始めた」とか非難されたりしたが、それを見た秋本圭が「本当のこと」を語り、ネット上にそれが知り渡ることとなった。
結果的に、盗作疑惑よりも大きな反響を生むこととなって、遼太郎の株は驚くほど上がった。元々、夏帆も認めていたように、遼太郎の小説は出来が良かったため、あっという間に人気作となった。そして圧倒的な大差で、その年のノベステ大賞に輝く。
ところが、当の本人が授賞式には出席せず、そのまま「しばらく旅に出る」と書き残して、行方不明になってしまった。そのことが更に話題を呼び「勝手に出版してくれ」という遼太郎の言葉に、ノベステの小畑が書籍化を進めたところ、その年のベストセラー本となってしまう。
柚葉や恵子なども、遼太郎がどこにいるのか分からないと、当初は困り果てていたが、やがて「もうあんなのは知らない」と割り切るようにしたようだ。ただ、夏帆はそれほど真剣に探そうとはしなかった。時々LIMEで写真が送られて来ていたからだ。どうやら、今いる場所の写真を撮って送ってきているらしい。
「今日は大阪か……」
「りんご……青森?」
「北海道かな? 寒そうだなぁ」
「お、今度は沖縄っぽい。海きれいだな」
「これは……どこよ?」
ただ写真だけを送ってくるだけで、それに夏帆も返事すらしなかった。お互い、遼太郎は写真を送る、夏帆はそれを見る。そんな生活が10年も続いていた。改めて10年と考えると凄い年月のようだが、実際にはあっという間のことだった、と夏帆は思う。
文芸部での活動。夏合宿。全員でコンテストに向けて頑張った日々。遼太郎と過ごした1ヶ月……。あまりにも凝縮された日々と比べれば、この10年の方が短かったかのようにすら感じられる。10年も経っている、という事実が信じられず、あのときのまま止まってしまっているようにも思えた。
ふと気がつくと、柚葉が隣で夏帆の顔をマジマジと見ているのに気づいた。少しびっくりして、お皿を落としそうになった。それを見た柚葉はクスクスと笑う。
「夏帆ちゃんさぁ。もしかして、まだあいつのこと、待ってるの?」
「いやぁ、別に待っているとか、そういうんじゃないんですけど」
「だって、夏帆ちゃん。全然彼氏とか作らないじゃない?」
「いえいえ、私にだって気になる人くらいはいますよ?」
「本当に!?」
「ま、今はまだ小説の方が大切なので、後回しですけどね」
「駄目だよ~。夏帆ちゃんだって、もう……26歳? でしょ。そろそろそういうのも考えないと」
「なんか、ちょっと傷つきますけど……」
「あー、ごめんごめん。そういう意味じゃなかったんだけど」
「あはは、いえいえ。冗談ですから。それに……」
夏帆はポケットからスマホを取り出した。LIMEのアイコンをタッチすると、写真が表示される。指でスクロールしていくと、一番下に一枚の写真が表示された。柚葉が「なになに?」と覗き込んでくる。
「あれ? これって……」
柚葉が指さした写真は、どこかの店内を撮影したもののようだった。カウンターテーブルが奥に並び、その手前にテーブル席がいくつか設置されている。
「駅前のコーヒーショップ?」柚葉が首を傾げる。
「そうですね。柚葉さんと、よく小説の勉強をしたショップですね。それに」
夏帆が笑う。
「どうやら、やっと帰ってきたようなんですよ」
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