第2話
「私は、
彼女、井矢見懐木がぎこちなく自己紹介をしてから、ジブンに名乗る様に求めた。断る理由もなかったので素直に、それでいて伊矢見懐木の自己紹介に倣(なら)う。
「ジブンは、
挨拶をすると井矢見懐木は、嬉しそうに笑って会話を続けようとする。
「朽無博人君ですね!えっと、じゃあ博人君って呼びますね!」
「好きに呼んでください」
呼び方を宣言されてもどう反応したらいいかわからず困るだけなのだが、口無博人はそんなことよりも現状に至るまでの状況を、知りたかった。病院に何故居るのかは流石に察しがつく、では、蛙のような化け物に襲われ、その後どうして助かったのか、あの化け物はいったい何なのか、そして何より朽無心と朽無幸の無事を具体的に知りたかった。それはきっと今対話している伊矢見懐木に尋ねてもどうしようもないことだろうから、警察でも医者でも、大人がやってくるまで待つことにした。
その間、ほかにすることもなく、そこに居て関わろうとする同い年の子を無視するのも何なので、井矢見懐木の相手をする。
「好きに呼んでいいんですか!?えと、では|愛称(あだな)というものを……えと、えと……ヒロと呼びますね!」
初対面だというのに、人との距離感を遠慮なく詰めてくる井矢見懐木に、朽無博人は少しばかり驚くけれど、別に嫌なわけではないので受け入れる。
愛称に関して、何のひねりもない名前から二文字取って、犬の「ポチ」を思わせる発音なのは気にしないようにする。
「良いですよ」
「やった!えっとおじいさんが言ってました。愛称で呼びあえる仲のいい人、つまり友達ですよね?私、初めて友達ができまし……あっ私、愛称がありませんでした」
井矢見懐木は悲しそうな顔をしたので、朽無博人は上を向いて伊矢見懐木に会った愛称を考える。これも伊矢見懐木を倣ってきみる。
「それでは『なっちゃん』はどうでしょう?懐木のナツから取ってなっちゃんです」
「なっちゃん?……私の愛称ですか?」
少し安直が過ぎただろうか、と思ってしまう沈黙が少しだけ続き伊矢見懐木は満面の笑みを朽無博人に向ける。
「嬉しいです!私に愛称があるなんて夢のようです。するとこれで友達なんですよね!?ねっ!」
何かが微妙に間違っている気がするけれど、朽無博人は戸惑いながらも「は、はい」と言って肯定した。
「嬉しいです嬉しいです嬉しいです。とっても嬉しいです!愛称と友達ができました!」
10歳だから仕方がないのだろう。乏しい語彙の中でひねり出した言葉を何度も連呼することでそれが強い気持ちなのだと主張する。
だけれどその言葉は妙に思えた。これほどまでに人と触れ合おうとするなら朽無博人とは違って、簡単に友人が作れるように思う。
朽無博人はそう思うと少し気になって、後ろに暗い事情があるかもしれないなんてことも考えずにその旨を伊矢見懐木に伝えた。
「他に友達……ですか?友達はヒロが来るまでずっとずっと欲しいと思ってましたよ?今でも外に出て、色んな人と友達になりたいです。でも」
井矢見懐木の言葉の途中朽無博人は、察してしまい尋ねるべきではなかったかもしれないと後悔してしまう。
「私、身体が弱くて歩けないんです」
そう言い放った井矢見懐木の顔は笑ったままだけれど、どこか悲しそうで、それでいて申し訳なさそうに見えた。
「私は友達が欲しいですけれど、誰かと触れ合っていたいですけれど。ヒロの所に行って嬉しいって気持ちを近くで伝えたいですけれど。ずっとここから動けないんです。私が触ったことがある人はお医者さんの先生と、ルームメイトになったお爺ちゃんとお婆ちゃん達だけなのです」
ずっとという言葉に嫌な連想をして、朽無博人はどれくらい前なのかを訪ねる。
「えっと、わかりませんけど。多分、赤ちゃんの時からです」
嫌な予感がしていた。尋ねるべきでは無いのは頭でわかっていた。それでも何とかしてやりたいと思ってしまう、縁を結んだ相手に向ける自身を顧みない優しさを朽無博人が持っている事を額にある二つの傷が証明していた。
「お父さんとお母さんは?」
「会ったことがないです」
その時、朽無博人はこの世の理不尽に久しく怒った。怒りながら、腹部に走る痛みに耐えてベッドから降りる。井矢見懐木は慌てて「横になったほうがいいんじゃないですか?」とベッドに戻るように促すが、朽無博人は食いしばった顔のまま、井矢見懐木の下へと歩み寄る。井矢見懐木に心配されながらもなんとか彼女のベッドにたどり着いて、脂汗をかいて息を切らしながら手を取る。
「これで、ジブンはなっちゃんに触ったことがあるお医者さん達の仲間入りですかね?」
「えっ、は、はいっ、そうなりますね」
井矢見懐木は言葉が詰まったような表情と一緒に、つないだ手をおでこにあてる。繰り返される「嬉しいです」の言葉は何所か震えていて、朽無博人は少しだけ気恥ずかしくなった。
そんな時、部屋の扉が開かれる音が聞こえた。
「あっ上村先生」
「君、どうして立っているんだ!傷が開いてしまうよベッドに戻りなさい!」
井矢見懐木に上村先生と呼ばれたヒョロリとした体に白衣を纏っている、どう考えてもお医者の人に抱えられベッドに戻される。
朽無博人は愛想笑いを浮かべて「すいません、近くでお話しをしたかったので」と言い訳した。
「ところで、ジブンはどうやって此処へ?」
朽無博人は「まったく」と言って腰をいたわって居る上村先生に、大人が来たら尋ねようと思っていたことを伝える。
すると上村先生少し困った顔をしてから「僕は君の事に関してはまだ深く知らないんだ。だからもう少し待っててね。もう直ぐで今回の件に詳しい人が来るから」と言ってから、伊矢見懐木に近寄った。
「懐木ちゃん、お薬の時間だよ」
梅村先生がそう言って半透明な黄色い錠剤をポケットからはみ出たペットボトルのお茶を、露骨に嫌そうな顔をする伊矢見懐木に手渡す。
「お薬美味しくないから、嫌いです」
「良薬(りょうやく)は口(くち)に苦(にが)しってことわざがあるんだ。だからそう言わないで、飲まないと体がよくならないよ?」
井矢見懐木は渋々「はーい」と返事をして薬を飲む。上村先生はそれを見てから「二人とも、仲良くするのは良いけど無理せず安静にするようにね」と言って退出して行った。また、二人だけの病室になる。
「何か、聞きたい事有りますか?」
朽無博人は、何をどう切り出すかも解らなかったので、話題をリセットして自分自身が話題になろうとする。伊矢見懐木は話題にはしない、生まれてからずっと病院生活なら話題にするのはきっと辛い思いをさせると思ったからだ。
「有ります有ります!ヒロに聞きたい事、沢山あります!えっと、ヒロは何が好きなのかとか、外には何があるのかとか、いっぱい聞きたいです」
「よしわかった。上手く伝えられるかわからないけど、お話しようか」
朽無博人は少しだけ態度を砕けさせて語る。青空の下にはどんな物が有るのかを。
嫌な物には今は触れず。外にそんなものがあるなら外に出たいという気力を沸かせるために。この時の間、伊矢見懐木は朽無博人と言う人間を通して、学校で勉強をして、公園で走り回り、家で多くの人に囲まれたのだった。
井矢見懐木が寝ている、語り疲れ、聞き疲れたのだろう。かすかに聞こえると良きを聞きながら、語り終わる事で誤魔化して居た腹痛に眠れないでいると、病室の扉が開いた。和服を着た裕福そうな老人と、|燕尾服黒(えんびふく)と言う物を着用した初老の男、警服の様なものを着た若い男の三人が入って来た。
「初めまして、朽無博人君、だね?」
「はい、貴方達は?」
すると老人は頭を下げて「儂は|天月口成(アマツキコウセイ)。連れは|和野圭(ヨリノケイ)だ。もう1人は博人君を助けた人だよ」と言って初老の男と若い男を紹介する。初老の男と若い男が朽無博人に頭を下げる。老人、天月口成の紹介に続いて若い男が「どうも、
「化け物が……ジブンの姉と妹は?自分の家族はどうなったんですか!?」
若い男が笑った事に不謹慎さは感じない朽無博人は、とてつもない不安に押しつぶされる感覚を覚えながら、食い入るように尋ねた。
「大丈夫です。君で満足していたのだろうね。出現直後だったのも相まって君以外は誰も被害にあって無いよ」
その言葉を聞いて、朽無博人の不安が安堵に代わって抗う理由もない重さに襲われてベッドに尻餅をつく。
「良かった……本当に良かった」
安堵のあまりに涙を流してしまう。蛙の化け物の事を尋ねようと思ったが家族が無事だと解ると、そんなものはどうでもよくなった。
「あぁ、そうだ。だったら還らないと2人が心配する。その、ジブンはいつ退院できますか?」
「君は本土に帰れない」
朽無博人は「えっ」と素っ頓狂な声を出して頭の中が真っ白になる。帰れない・何故?本土?どういうことだ?と受け入れがたい言葉に頭の処理が追いつかなかった。朽無博人が漸く絞り出した「どうしてですか?」の言葉に天月口成が申し訳なさそうにする。
「儂が説明しよう。あの化け物、儂らは『異空間生命体』と呼んでいる存在なのじゃが、あれは本来この世界にあるべきではない生き物なのじゃ。それ故に迅速に対応し、討伐、または元の世界に送り返す必要があるのじゃよ。じゃが、本土、つまり日本列島で異空間生命体が出現し、目撃者が出た場合は、混乱を防ぐために目撃者の記憶を消させてもらっている。だがね、博人君、君のお腹には記憶が消える以前にはなかった大怪我を負ってしまった。記憶を消してもぬぐい切れない違和感をその傷跡を見る事で補間し思い出してしまう可能性が有る。君は言いふらさないと言ったとしても、可能性がある以上、儂らは立場上それを信用するわけにはいかぬのじゃ。儂らはこれを徹底としたものにするため、君は以上の理由から本土ではもう、生きていないことになっておる」
天月口成の言葉は口無博人に届く事は無く、朽無博人は消沈するようにうなだれ始める。
「博人君の運が悪かった。いつか本土に出現すると予測はしていたくせにいざその時となった儂らの対応が遅かった。などと言っても仕方ない。従来、過ぎてしまった事はもう取り返せぬ。若者よ今をみろ、そして未来を見ろ、君の未来は今、無くなったも等しい。だがそれではあまりに可哀想じゃ。そこで、一つ、儂と契約……契約はわかるかの……?ふむ、約束をするとしよう。儂も不謹慎ではあるが後継ぎが居らんくてな、老い先の僅かな今、ちょうど良いと思ってここに足を運んだのじゃ。博人君、君は儂の養子となり生涯この世界に尽くせ。その代わり、儂に出来る範囲でじゃが、君の願いを叶えよう」
天月口成の発言に連れの二人は驚いた様子を見せ、朽無博人は「願いを叶える」と言う単語に反応した。
「願いを……叶える……?…………家族と友人に、人並みの生活と幸せの人生を保証……とかでも?」
「その位なら簡単じゃ」
朽無博人に覇気が戻り、据わっていた目は天月口成の目と合わせられていく。
「朽無心、朽無幸、
「……たやすいことじゃ」
朽無博人は頭を下げた。彼ら、天月口成が本当のことを言っているかもわからないのに、ただ、蛙のような化け物に遭遇しただけで、どんな摩訶不思議な話でも受け入れて、痛みが走る腹を畳んででも頭を深々と下げて、身内の為に縋(すが)った。
その日、朽無博人は、天月博人となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます