アイ・ミス・ユー

夢月七海

アイ・ミス・ユー


 目の前を、夜の空気を裂きながら、飛行機が飛んでいく。

 俺たちが座っているベンチの真正面は、壁の代わりにガラスが嵌め込まれ、飛行機の離着陸場になっていた。


 普段は賑わっているラウンジだが、最終便が近くなる内に、人影が遠ざかっていた。

 隣に座る宗也は、飛行機の離着陸の度に、その轟音に耳を澄ますかのように黙り込む。


「……I miss youってさ、」


 闇の中で飛行機の記号となる三点の光が、窓の下に隠れてしまったタイミングで、宗也が口を開いた。


「おなつかしいって、訳することもできるんだって」


 溜息に近いその声に、俺は何にも返せなかった。

 また飛行機が一機、空へと飛んでいく。


 宗也が唐突にそう言いだした理由を、嫌になるほど察してしまった。

 座ったまま、足を引く。きゅっという音が鳴った。


 空港内は明るかった。辺りは白々しいくらいに光っている。

 俺の心情としては、このまま外に出て、闇夜に身を紛れさせてしまいたかったのに。


 俺は何を言うべきだろうか。最解答はまだ見つからない。

 そうこうしている内に、また飛行機が降り立ち、再び宗也が口を開いた。


「もしも、僕らが町で偶然再会した時に、お互いに『おなつかしい』と言えるようになったらいいね」


 宗也の言葉に俺は横を見ずに頷いた。

 三つの背もたれが並んだベンチで、俺は右に、宗也は左に座っている。


 偶然の再会まで、何年かかるだろうか。そもそも宗也が日本に帰ってくるまで、三年も必要とする。

 その瞬間までに、俺も宗也もどんな人生を歩んでいるのか分からないのに、それらを全て呑み込んで、当たり前のように「おなつかしい」と言えるだろうか。


 何度目か分からない沈黙の中で、宗也が涙を流していることが、なんとなく分かった。

 五年前に初めて会った時も、宗也は泣いていた。彼が今まで、何回泣いたか分からないが、最後に見るのが泣き顔だなんて言うのはどうしても嫌だった。


 俺はすっと息を吸い込んだ。

 上を見る。やはり飛行機が飛んでいる。


「俺がここから、飛行機が見えなくなるまで、手を振ってるよ。あのサボテンのように」


 宗也がはっと息を吸い込むのが分かった。


「……『出かけるとき、誰かが寂しがってくれるっていうのは、いいもんだね』」


 『ピーナッツ』のスヌーピーの兄、スパイクのセリフを、ぼそぼそと彼が呟く。


「『振り返ると、まだ手を振ってくれてるのが見えるよ・・』」

「『振り返ると、まだ手を振ってくれてるのが見えるよ・・』」


 最後のセリフは、お互い声が重なった。

 そして、その直後にぷっと一緒に噴き出す。


 俺がスパイクに似ていると言ったのは、宗也が最初で最後だった。

 いつも孤独な世捨て人――スパイクは犬だが――で、眠そうな顔でよれよれのヒゲで、寂しそうにしているけれど少し俗っぽいところがよく似ていると。


 じゃあ君は、スパイクの婚約者だと、俺がからかうと、彼女はスヌーピーと駆け落ちするから嫌だと、宗也ははっきりと断った。

 それなら、スパイクがいつも話し掛けているサボテンになりたいと、彼は屈託のない笑顔で言い切った。


 今は、宗也が旅立つ側なので、知り合いの誰もいない異国で孤独を感じるのなら、俺はそれを見送るサボテンのようなものかもしれない。

 スパイクと同じように、何度でも振り返って、嬉しく感じてもらえる存在になりたい。


 真ん中のベンチに置かれた、宗也の手に自分の掌を重ねた。

 人差し指が湿っているのは、涙を拭ったからだろうか。


 誰にも気付かれないように手を繋いだまま、飛行機の離着陸を眺め続ける。

 轟音がすべての音をかき消してくれるのが頼もしい。


 アメリカ行きの最終便が出発するまであと二十分。

 迫りくる出発時間が許すまで、俺たちはずっとこうして前を向いたままだった。



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アイ・ミス・ユー 夢月七海 @yumetuki-773

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