ぷれかりあーと!
吹井賢(ふくいけん)
プロローグ
刃の下に心を隠し
迷い惑いを斬り捨てて
一生一念ただただ前に
命の灯尽きるまで
何も譲らず貫き徹す
命の価値を知ったのはそれを奪った時だった。
スコープを覗き、男は想起する。
彼は自身のことをありふれた人間だと思っていた。
スラムに生まれた子どもがどうにか死なずに生き延びて、やがては立派にギャングの仲間入り。幾度かの抗争と離散を経て、今はこうして人を殺すことを生業としている。
正規の訓練を受けたわけではない。自身に才能があったとも思えない。そう、自分はただ運が良かっただけだ。そんな風に男は結論付けていた。運良く殺される側から殺す側に回ることができた。それだけなのだろう。
そして、今日もこうして標的を狙う。
そして、今日も彼は命の価値を知る。
「……指先一つで断たれるものに大した価値があるものか」
それはある殺し屋の独り言。
そのはずだった。
「―――でも、儚いからこそ価値がある。そういう考え方もあるらしいぜ」
スラング混じりの拙い英語に背筋が凍る。
何故返答があるのか――その答えを出す前に、男はホルスターから拳銃を抜き二度三度と発砲、そのままライフルを放り捨て手近な柱の陰へと避難する。
反撃の気配はない。
けれども何故か死の気配だけが濃厚に感じ取れた。
「危ねえな。死んだらどうするんですか」
女の声。
唐突に丁寧な表現が出てきてしまうことから察するに、英語が母語ではない人種、恐らくは日本人だろうと結論付ける。
いや、と男は思い直す。この女は日本人だ、と。事前の情報収集で掴んだある噂が頭を過ったからだ。『生ける伝説』とまで呼ばれる日本人の殺し屋がこの辺りに来ているらしい、という噂。その少女は日本刀を使うらしい、とも。
まるでハリウッド映画だな、と男は噂を一笑に伏した。第一どんなに卓越した刃物遣いであってもピストルに敵うわけがないのだから。
そう、能力者でもなければ。
そのはずなのに。
どうしてか、死の気配が薄まらない。
「お前さ、あー、剣術って分かるか? 『活人剣』って考え方は?」
音が近付いてくる。
一歩、また一歩と。
「『活人剣』って言葉、色々意味があるんだが、あたしが好きなのは『こちらが圧倒的に強ければ相手を活かすも殺すも自在』っていう感じの意味なんだよな。優れた剣士は相手を好きに動かして後の先を取ったり機先を制することができるから……あー、そうか、その意味が分かんないんだよな」
階段やドアに張り巡らされた幾重ものトラップはどうなった? 見張りの為に雇った人員は? そんなことを今更考える。
彼女がここにいる以上、それらは全て無意味だったのだ。
彼女はそれら全てを突破しここに立っているのだ。
「あー、つまり……」
言い淀んだその刹那を男は見逃さなかった。柱から飛び出、瞬時に狙いを付け、引き金を引いた。一発。
続けて二発目――は、発射されることはなかった。
彼が撃つよりも前に、その命が断たれていたからだ。
「……『狼の目(Wolf eyes)』……」
自分を殺した少女を見ての正直な感想がその殺し屋の最後の言葉となった。
男は最後まで知ることはなかった。
何故銃弾が当たらなかったのか。
何故自分が死んだのか。
何より、彼女が何を言おうとしていたのかを。
単純なことだった。一発目の銃弾が当たらなかったのは、その弾丸を彼女が一刀で以て斬り落としたから。男が死ぬことになったのは、彼女が返す刀で彼の首を斬り飛ばしたから。
そして、少女が伝えようとしていたことは最早意味のないことだった。
「……『武器を捨てて逃げるなら殺しはしない』と言いたかったんだが、上手くいかないもんだ」
そう。
最早、何の意味のない言葉だった。
溜息を一つ吐くと少女は刀の血を飛ばし、綺麗に首だけがなくなった殺し屋の服で血拭きを行うと、懐から携帯電話を取り出す。
予め登録されていたダイヤルに掛けるとすぐに応答があった。
『ご苦労だった』
「あー、大した仕事じゃなかったよ。これくらいなら今後は他の奴に頼め」
『確かに超能力を持つ君からすれば容易い仕事だっただろうな』
違う違う、と否定し、続ける。
「この程度の敵相手にチカラなんて使うかよ。タダじゃねーんだから」
『……能力なしで? 流石だな、「ニンジャ・マスター」』
「そのくそダサい呼び名はやめろ」
『イカしていると思うが』
「あー、相変わらず米国人のセンスって分かんねー……」
日本語で吐き捨てたものの通話先の相手もぼんやりと意味は理解できたようで、弁解するように言った。
『すまない。君の他の異名は我々には分かりにくいんだ。例えば……「リノケンシ」? これはどういう意味だ?』
「忘れない内に言っとくが、今回の報酬はこの刀でいいわ。良い刀だ。菜刀にしておくには惜しい」
『「ナガタナ」……? それはどういう意味だ?』
呼吸よりも自然な所作で刀を鞘に納め、少女は応える。
「『菜刀』は、あー、人間で言や、『案山子』ってくらいの意味だ。『離の剣士』って呼び名の方は……そうだな、剣の道を修めた達人、ってくらいの意味だよ」
『つまり「サムライ・マスター」という意味か』
「……まあ意味としてはそれで合ってるんだけど」
やれやれ、と日本語で呟く彼女は目を細めた。その狼のような、琥珀色の瞳を。
その瞳から彼女には別の呼び名もあった。
曰く、『壬生の白狼』と―――。
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