第五章 宴の前の十二時間
正しさなんてどうでもいい
僕は君にいて欲しい
●
最新型のノートパソコンが映し出しているのは監視カメラの映像だった。録画された内容を編集したもので、最初は屋外、次は廊下と場面が移るが、中心に映っている人物は同じ。『壬生の白狼』と呼ばれる殺し屋だった。鮮やかで美しい動きで彼女は若い男達をいなしていく。
薄暗い部屋の中、パソコンの正面に座っていた男は右手でマウスを操作し、映像を巻き戻す。そうしてもう一度最初から再生。再生し終わる度にもう一度、最初から。
「どうだい? 『ジャッカル』の暗殺を未然に防ぎ、欧州最強とも言われるようになった剣士の実力は」
浴室から出てきた少女は服も着ないままそう問い掛けた。シャワーを浴びたばかりだったのだろう。水滴が白くきめ細やかな肌を滴り落ちていく。あの特徴的な眼帯もエクステも外されているが、明るい色合いのショートカットとあどけないのに何処かクールな顔立ちは、紛れもなく四条飛鳥のものだった。
男、合場佐は小さく笑って首を振る。
「……強いな。呼吸がまるで掴めない」
「ふぅん、珍しく弱気だな」
「相手との実力差くらい把握できなければ勝てる勝負も勝てなくなる」
「ボクには分からない世界だね」
そう言って飛鳥は裸のまま設えられた大きなベッドに転がった。
都内のあるラブホテルの一室だった。ライブ、そして旧友とのやり取りを終えた二人は宿泊施設で夜を明かすことにした。お互いの家には邪魔者――旧友である旭ヶ丘久良が訪ねてくる恐れがあったためだ。残りのメンバーにも家には帰らないように伝えてあった。
飛鳥にも佐にも友達を想う気持ちはある。二人共、旭ヶ丘久良のことは大切な友人だと思っていた。
しかし、それとこれとは別問題だった。自分達のライブを邪魔をするつもりなのなら、相手は友人であっても障害だ。そのことは二人の中で矛盾しない。
「……少林寺拳法の屈伸突、千鳥返しの変形。柔道からは裸絞、突込絞……これは出足払のアレンジ、か? 柳生新陰流の無刀取り……。そうか、だから『離の剣士』か」
「その『離の剣士』っていうのはどういう意味なんだい?」
「武道に『守破離』という言葉があるんだが、そこから取られているんだろう」
再生を止め、ノートパソコンを閉じた佐はベッドサイドに腰掛け続けた。
「守とは、その流派の教えを忠実に守る段階。破とは、その流派から一旦脇に置き、他流派の教えを学んだり、自分用に技を改良する段階。そして離とは、自分そのものが一つの流派となる段階……」
「面白い言葉だね。音楽で言えば教科書通りにギターを弾く段階が守で、古今東西のアーティストの技術を学ぶのが破、そうして一流になった状態が離……になるのかな」
「その理解で合っているよ」
右の手でショートカットを撫で、佐は続ける。
「『離の剣士』の異名通り、彼女はあらゆる流派の技をアレンジして使えるらしい。手強い相手だ」
「でも、キミはボクのことを守ってくれるんだろう?」
柔らかな顔で微笑んでくる飛鳥に対し、佐は彼女の右目蓋に口付けることで返答の代わりとする。紛れもなくそれは了承の意味が込められたものだった。
「……それより飛鳥。明日、久良は来ると思うか?」
「来るさ、ヒサだからね。勿論、ライブじゃなくてボク達を止めに来る」
「ヒサだから、か」
「ああ、ヒサだから。……ボクの親友だから、ね」
一拍置いて飛鳥は続ける。
「あんなに友達想いの奴はいないよ。高校時代のボクみたいな面倒な人間に嫌な顔一つせず付き合ってくれた、優しい奴だ。ご両親に愛されて育ったのか。それとも、引き取られた家が良かったのか……」
「……羨ましいか?」
問われた言葉に飛鳥は首を振る。次いで、どうしてだい、と訊き返した。
「飛鳥。俺は、お前が本当に欲しかったのは暖かい家庭だったんじゃないかって思ってる。当たり前の幸せが欲しかった……。それだけじゃないかって。本当に歌にしたかったのはそのことじゃないかって……」
「それはキミの方だろう?」
「……かもしれない」
合場佐は自嘲の笑みを漏らした。
そうだ。それが欲しかったのは自分の方だった。ずっと普通の幸せが欲しくて、それが手に入らないことが辛くて、苦しんでいた。
ひょっとしたら自分はずっと旭ヶ丘久良という友人のことが羨ましかったのかもしれない。
そんなことさえ、思う。
「ボクはヒサのことなんて羨ましくはないよ。どうしてか分かるかい?」
「……さあな。音楽があるからか?」
「違うよ」
言って、彼女は起き上がり、そのまま佐を押し倒すようにして唇を重ねた。
熱く、甘い口付けだった。
心が溶けて一つになるようなほど、長く、深いものだった。
「……幸せな家庭なら、ボクとキミで作れるだろう? だから羨ましくないんだ。ああ、だから――明日も、ボクのことをちゃんと守ってくれよ?」
ああ、と力強く合場佐は頷いた。
●
『本当に……本当にお姉ちゃんがそう言ったの?』
弥生ちゃんの声は震えていた。
電話先で泣いているのだろう。
飛鳥に会ってからのありのままの内容を伝えた結果だった。超能力云々といった信じられない内容は省いたが、それでも「姉がデモに集まった人間を暴徒化させようとしている」という事実を彼女は受け止めきれないようだった。
無理もない。僕だって信じたくない。正直、話を聞いただけじゃ信じられないくらいだと思う。飛鳥の、あの表情とあの目――抉られた右目を見なければ。
「……僕は飛鳥に何も言えなかった。ごめん、弥生ちゃん。ごめん……」
「ううん、いいの」
「でも、」
都会の淀んだ空気を肺一杯に吸い込んで、夜空を見上げ、僕は言う。
「でも――明日のライブ開始までには必ずもう一度会って、話して、飛鳥を止めるから。絶対に、止める」
保証はなかった。
手段もまだ思い浮かんでいない。
だからこれは弥生ちゃんへの、そして他ならぬ僕自身への宣誓だ。
僕は――必ず、飛鳥を止める。
『……ありがとう、あさひくん』
多分、そう感謝の言葉を述べた時、彼女は笑ってくれていたと思う。それは僕の勘違いじゃないと信じたい。
弥生ちゃんは明日の朝一の新幹線でこちらに来るということだった。正直、助かる思いだった。妹を見ることで飛鳥の覚悟が揺らぐことを期待する。こちらの勝算はその程度しかないのだ。
通話を終えてスマートフォンを懐にしまった時、ネットカフェと掲げられた出入り口から斉藤狼子が出てきた。
情報屋に飛鳥の居場所を探してもらう、とのことだったのだが、結果が芳しくなかったことは険しい表情を見るだけで火を見るよりも明らかだった。
「……駄目だな。今の下宿はすぐに探し出せるだろうが、居所は無理そうだ。ラブホにでも泊まってんだろ」
「家に帰ってない、ってことか?」
「ちょっと考えてみろよ、お前。明らかに狙われている状況で家に帰る奴が何処にいるんだ。向こうだって、お前が家を探し出して訪ねてくることくらい想定済だろうよ」
「確かにそうか……」
だとしたら、飛鳥にもう一度会う為にはどうしたらいい?
ライブ前にステージ周辺で待ち伏せる? なるほど、それは一番確実だが、舞台に上がられてしまえばそれで終わりだ。大規模なイベントなのだから今日の比ではないほど警備の人間が配置されるだろうし、何よりデモなのだ。障害沙汰を起こせばデモを監視している警察がすっ飛んでくるだろう。
なら、公園に集った若者が暴徒化したとしても警察が抑えてくれるんじゃないか? ……そんなわけがない。警備に就く機動隊も相当な人数になるだろうが、デモに集った数千人が一気に暴徒化するなんて状況を想定しているわけもない。仮に優秀な警察が上手く鎮圧してくれたとしても、間違いなく大量の怪我人、圧死者が出る。
だったら、先に通報してしまおうか? 暴動に発展することが前提のデモならば騒乱罪で警察が動けるかもしれない。ただ、「群衆が暴徒化する」とどうやって説明する? 何処に証拠がある? まさか警察の窓口で超能力の話をするわけにもいかないだろう。
なら、デモに集った人間に事情を話すか? ……無理だ、相手は飛鳥達『フリーダム・ライダーズ』のファンだ。何処の誰かも分からない僕の言葉を聞くわけがないし、何より既に飛鳥の能力で洗脳されている。
どうすれば。
どうすれば。
どうすればいい―――?
「おい、お前」
「……え?」
瞬間、頭に衝撃が走った。どうやら叩かれたらしい。
彼女の顔を見ると、斉藤狼子はやれやれと言わんばかりで続けた。
「とりあえず、もう休め」
「休めって……! まだ何も決まってないのに休めるかよ! 対策も何も……」
「勘違いするな。一旦休むだけだ。頭を休めて、で、改めて考えろ。その方が良いアイディアが浮かぶだろ」
それはそうかもしれないけど、と渋る僕の肩に彼女が腕を回す。身長差のせいで首が絞められているような形になり苦しい。あと暑苦しい。
「……落ち着け。本当に万が一、どうにもならなくなったら、私がどうにかする。仮にステージに上がられちまっても歌が始まる前に絞め落として拉致してデモが終わるまで監禁するとか、そういう感じで……」
「何一つ落ち着けねえよ!」
声帯を潰すよりはマシになったが、相変わらず発想が物騒過ぎる。
「あー、とにかくだ。万が一の時は私がどうにかする。だから落ち着け。あと、二つだけ良い情報がある。心に刻み込め」
良い情報という言葉に反応して僕は黙って先を促した。
「……さっきその情報屋に調べてもらったが、『フリーダム・ライダーズ』は明日のステージ前にあのライブハウスでリハーサルをするらしい。一度音合わせをしてから会場に向かうんだと」
「じゃあ……」
「ああ。あのライブハウス前で待ち伏せていれば、お前のお友達に会うことはできる。……向こうがお前の話を聞いてくれるかどうかは分からないけど。で、二つ目」
口を耳元に寄せ、囁くような小さな声で彼女は言った。
「……私達が使う超能力だが、ある弱点がある」
「弱点?」
「そうだ。超能力とは願いの力であり、想いの力だ。その人間の心の奥底からの願望が形となったもの――それが『超能力』だ。必然的に、その願望の側が打ち砕かれれば能力は消失する。分かるか?」
要するに、と続けた。
「上手く相手を論破すれば、相手は超能力が使えなくなる。その願いは間違ってるとか、矛盾してるとか、なんでもいい。……当人が自らの心を信じ切れなくなった時、能力は消滅、ないしは減退する。分かるな?」
「……分かった」
口先だけで「彼女を止める」と吠えていてもどうしようもない。
そう、僕は――口先で飛鳥を止めるのだ。
●
翌朝、八時。
僕達はあのライブハウスの前に立っていた。
僕、斉藤狼子、弥生ちゃんの三人だ。
飛鳥達『フリーダム・ライダーズ』のメンバーが中に入ったのは確認済。今踏み込めば飛鳥と話はできるだろう。
どうなるかは分からない。
けれどまだ、話はできる。
「じゃあ……行くか」
斉藤狼子の一声で僕達は歩き出す。
入口は二つ、正面口と関係者出入り口だ。
飛鳥達は後者から入っていったが、僕達はどうするか。そんなことを考えていると、正面入り口の階段を誰かが上ってきた。
ギターケースを携えたその男は『フリーダム・ライダーズ』のベース担当、アキラ。その後ろにいるのはドラムのヨウジだった。
「アスカ達なら中にいるぜ。後ろの出入り口は施錠してあるからこっちから入んな。ちゃんと、客としてな」
「え?」
「……ったく、朝っぱらからリハだってんで呼び出しといて、『お前らは先に会場に向かってろ』だとよ。我が儘な歌姫様だ。マネージャーの奴も仕事して欲しいね、まったく。……ま、そんな歌姫様に付き合ってる俺達も大概だが」
なあ、と二人は顔を見合わせる。
それだけの仕草で分かった。彼等も本当に、心底飛鳥の歌を愛しているということが。それはやはり、こんな状況であっても嬉しい事実だった。
ベースの男、アキラは言った。
「……アスカは待ってんだと思うぜ。お前らのこと。知ってるんだぜ、お前ら朝の六時過ぎからこの辺りにいただろ」
「ああ。待ち伏せさせてもらった」
「でも、俺達がタクシーを降りる時には声を掛けなかった。それと同じだよ。アスカは誰の目も憚ることなくゆっくりと話す為に、中でお前らを待ってる。ていうか、お前。お前を待ってんだ」
手を拳銃の形にして僕を指差し、バーン、だなんて口で効果音を付けて打つ真似をしてみせる。
「ファンが見たら嫉妬で狂っちまうだろうな。でもお前、アスカのダチなんだろ?」
「……ああ」
ああ、そうだ。
僕は飛鳥の友達――親友だ。
会う回数は少なくなったとしても、その大切さは高校時代となんら変わらない。
「なら仕方ねえ。行って、話して来いよ。俺達は会場でボーカルのアスカを待つ。『フリーダム・ライダーズ』のベースとドラムとしてな。……で、ダチのお前はどうする?」
「……飛鳥と話して、止めるよ」
「そーかい。じゃ、ま、頑張れや」
ヨウジは僕達を一瞥し、そのまま横をすり抜けていった。アキラも同じく立ち去ろうとしたが、途中でふと立ち止まり、振り返って言った。
「……もしお前らがアスカを止められなかったら、ライブ、見に来いよ。デモの参加者は約五千人、だったか? それだけの観客の前でやるのは初だ。記念すべきステージになるだろう。何より、その思惑がどうであれ、アイツの歌は素晴らしい。それが破滅の歌であったとしても聞く価値があるほどに美しいんだ。だから、説得を諦めたら、聴きに来い」
「……ああ」
そんなことは知っていた。
飛鳥の歌が素晴らしいことくらい、知ってるよ。
多分、アンタよりも。
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