はあとフル4話d「ブリキの仮面」
翌日、喜多島の所属する劇団事務所に客が来た。客は快く通され、意気揚々とエレベータへ乗り込んだ。
彼はノバラ・ムラサキ。職業、ウエディングプランナー。秘密裏に喜多島の結婚を担当していた。
指定された応接室へと向かうノバラ。
彼の身なりや動作一つ一つに無駄がない。死角なき、瀟洒なサラリマンだった。
そして、会議室のドアを爽やかにノック。
「どうぞ」
「失礼します」
爽やかにドアノブを回し、爽やかにドアを開ける。もちろん……閉める時も爽やかッ!
反転の後、爽やかに一礼!アイサツ!!
「どうも。ウエディングプランナー、ノバラです」
受講料11万8千円(税込)のマナー講師直伝の技が、ノバラの仮面をピカピカに光らせているのだ。
だが、内面は違った。予期せぬ事態によって、焦りが産声をあげたのである。
「お忙しい中、ありがとうございます」
出迎えたのは妙齢の女性だった。
顔半分をウェーブのかかった髪で隠し、体型は痩せぎす。上着もロングスカートも黒づくめ。
「私は影月と申します。劇団の統括をさせて頂いております。マネージャーの青木が急用で外出する事になりまして。恐縮ですが、私がお相手致します」
冷たい気迫を迸らせながら、女性は名乗る。彼女の陰気な雰囲気は、喪中の寡婦にも勝るかもしれない。
「あ……はぁ……こ、これはドーモッ!」
内から溢れる焦りを抑えて、ノバラは名刺交換の動作を取る。
この間に態勢を整え……
「どうぞ、隣の部屋へ。喜多島も交えてお話し致します」
影月は名刺交換の隙を与えず、踵を返して歩き始めた。
不意打ちでノバラは更にバランスを崩す。回復の機会を失った瀟洒なサラリマンは、ぎこちない動きで影月の後を追った。
「入りますよ、喜多島」
「き、喜多島さん……?喜多島さァん!?」
ノバラは部屋に入った途端、目を見開く。
喜多島は顔を包帯ですっぽり覆い隠し、車椅子に座っていたのだ。
「い、一体なにがあったんです?」
「事情をご説明します。どうぞ、お座りください」
影月が椅子を指す。真っ青な顔でノバラは椅子に座った。
ノバラは上目遣いに、変わり果てた喜多島を覗き見る。
あの包帯の下はどうなっているのか。ブランケットで隠された体は、一体どうなっているのか。
悶々としている間に影月が言った。
「昨日、喜多島は映画の宣伝イベントの最中に暴漢に襲われ、怪我をしたんです」
「ええ!?」
驚くノバラの横顔を注視しながら、影月は話を続けた。
「最新の整形手術を駆使しても、彼女の傷は消すことができない。医者はそう申しておりました」
ノバラの顔が蒼白になる。背後では世界が暗転し、雷が落ちた。
「喜多島。あらためて言わせて頂きます。あなたの女優人生は、もうおしまいです」
「……ええ、そのようですね」
「そんな……そんな事って。嗚呼、なんてことだ」
頭を抱えるノバラを黙って見守る喜多島。
やがて、彼女は静かに言った。
「少しは喜ばないんですか、ノバラさん?」
この一言に瞠目したのはノバラだけ。影月は微動だにせず、冷たい視線をノバラに向けた。
「な、なにをおっしゃるんです?」
ふふふ。喜多島は、小さな声で笑う。
「あら。あなたのことだから、開き直って全てを洗いざらい、お話しすると思っていたのに。拍子抜けだわ」
ノバラは喜多島の言動に違和感を覚える。しかし、今は突きつけられた嫌疑の方が特に重大であった。
「昨日、ショッピングモールで騒ぎを起こした男が、全て自白したんです。あなたに金で雇われたと。私をこのような体にして、結婚式を台無しにするように、指示を受けたとも言っていました」
「嘘だ」
首を左右に振り、ノバラは否定する。
「いいえ。本当。これまでの悪戯メールや脅迫状、撮影の妨害を、人を使ってやらせたことまで、一切を私は知っているんです」
車椅子に座りながら、喜多島は冷たい声色で攻め続ける。
顔のない女優を前に、ノバラは椅子に座ったまま、体を仰け反らせた。
畏れているのだ。喜多島の発する、プレッシャーに。
「考えてみれば、怪しい人間は限られてしまうんです。結婚の秘密を知ってるのは、劇団関係者とか家族とか、結婚式をとり仕切るプランナーさんとかだけなんですもの」
喜多島が言い終わるや否や、ノバラは肩を揺らして笑い出した。影月はゆっくりと、喜多島を庇うように彼女の前へ移動する。
「『そんな体にされたショックで、頭イかれちまったんですかぃ?』とか言いてぇトコだけど、これ以上言い逃れるのは、みっともねぇよなぁ」
ノバラ背中を丸め、上目遣いに喜多島と影月を睨んだ。
「そうだよ。俺だ。アンタの仕事を邪魔して、結婚式もぶち壊そうと動いてたのは、俺だよ」
「一応、理由を訊いておきましょうか」
影月が落ち着き払って尋ねる。そんな彼女の態度が気に入らなかったらしい。ノバラは座っていた椅子を蹴飛ばした。
「理由だぁ!?アユミちゃんよぉ!あんたはなぁ、俺たちファンを捨てて男を選んだ!俺を見放した!俺ぁ、あんたが端役しか与えられなかった、あの理不尽で不遇な時代から、ずっと応援して来た。ずっと見守っていたんだあぁ!」
ヘッドバンディングしながら金切り声で叫ぶノバラ。
喜多島と影月は、彼を「人間ではない何か」としか捉える事ができなかった。
仮にもノバラは喜多島のファンである。それも、熱狂的なファンだ。
だが、ノバラの熱狂は熱より狂気ばかり勝っている。故に喜多島は、彼を憐れむ事ができなかった。
「それなのに……それなのによおォォ……アンタは俺のことなんて、結局は路傍の石ころとしか見てなかったんだなぁ!!?」
「いいえ」
影月が口を開く。彼女の目は、明らかに怒りの炎で燃えていた。
「あなたなんかに比べたら、石っころの方がよっぽど愛らしい。同列にされる石が哀れだわ。あなたはそれ以下。今すぐ……目の前から消えなさい。そして、二度と私達に関わらないでください」
「女ぁ。これは俺とアユミちゃんの問題だ。愛っていう、重大な案件だぁ。口出しするんじゃあねぇ!」
ノバラは懐から分厚いナイフを取り出した。
黒い刃に赤い線がはしる。内蔵されたモータが高速回転して、刃を熱しているのだ。
「愛ですって?」
喜多島は嘲笑を始めた。挑発的姿勢を崩さない事に、ノバラはやっと違和感の正体に気付く。
聞き慣れた喜多島の口調ではない。
声色はそっくりだが、何かが違う。
「本物かどうか見分けのつかないアンタが、愛を語らないで!」
喜多島はブランケットを殴り捨て、立ち上がった。小柄な体は明らかに喜多島ではない。
ノバラは慄き、後ずさる。
(この女、喜多島じゃあない)
女は顔の包帯を脱ぎ捨てた。露わになった顔は……。
「お前は姫宮千草!?」
喜多島に化けていたのは、元アイドルの姫宮。
しかし、姫宮は「姫宮千草は引退したわ。ここにいるのは、早見マヤ。喜多島アユミの娘よ!」と、名乗った。
「どう、喜多島アユミの娘に騙された気分は?」
「クソガキ、大人を舐めやがってぇ!」
ノバラはナイフを頭上に掲げ、マヤに襲いかかる。影月はとっさにマヤを抱きしめて庇った。
振り下ろされたナイフは、二人の女を切ることなく、あさっての方向へ弾き飛ばされた。
愕然とするノバラ。そこへ間髪入れずに鎖が飛んできた。
鎖はノバラの首に絡まり、影月達から引き離す。
床に背中を打ち付けた所で、鎖は首から離れ、入口の持主のもとへ戻った。
ノバラは甲高い悲鳴をあげた。
鎖を巻いた赤手甲に、ボロ布のような衣装をまとった異形の人物。
時代劇『食客商売』の主人公で暗殺者のニト。演じていたのは……喜多島アユミ!
「お、お前は何者だ?」
床に這いばるノバラは、約束通りの台詞を吐く。
突然現れた床のライトが、ニトを足元から照らした。
「ある時は外道を仕置する、暗殺者・ニト」
ニトがマントを脱ぎ捨てると、そこには白衣をまとった蠱惑的な美女の姿があった。
「またある時は、麗しき保健室の女王。しかしてその正体は……」
バンッ!
……台詞の途中で、ノバラの顔面に、アルミの灰皿が叩きつけられた。
鼻血を垂れ流すノバラを、影月が殺意のこもった目で見下ろす。手には彼を殴った灰皿が握り締められていた。
「あいにくだけど、ビューティーバニーは来ないから」
影月はカツラを脱いだ。メイクで老け顔になっているが、彼女はまさしく、喜多島アユミだった。
「え」
その言葉を最後に、ノバラは気を失った。
喜多島もへなへなと床にへたり込んだ。
「ママ!」
マヤが母親の胸に飛び込む。
「これでもう、何も怖がらなくていいんだよね、マヤちゃん?」
娘を抱きしめながら、喜多島はすすり泣いた。
「お疲れ様でした。いやはや……お二人の演技には脱帽ものでしたよぉ」
ニトを演じたレイシーが二人の前に立った。
「あ、あの。レイシーさん。その服装は?」
と、尋ねるマヤ。喜多島も泣くのを止めて呆ける。
「え?だって、あの台詞の後は変身しなきゃでしょう?」
レイシーもキョトンとする。
しっかり、ビューティーバニーのコスプレをしていた。
……………
2週間後。
金と用事のない休日を、ベッドの上で過ごすフウカに、メッセージが届いた。
送り主は喜多島アユミ。警護への礼と、結婚式の招待状だった。どうやら喜多島は、紙の招待状に拘る少数派ではないらしい。
案の定、リビングでレイシーが発狂を始めた。
(そっとしておこう)
フウカはベッドに隠したウォッカを取り出そうとする。
今度は通話アプリの呼び出し音。相手はセラだった。舌打ちの後、起動。
「いよお、こっちにも来たぜ。ご丁寧なお礼状が」
[感想は?]
セラが尋ねる。
「ねぇよ。まさか、『嗚呼、嬉しゅうございますですぅ』なんて言葉を期待してたか?」
[むしろ、今の答えを予想してた。そうだな、お前らしくて安心した。用件は報酬のことだ。青木マネージャーが昨日、俺たちの口座に金を支払ったそうだ。確認してくれ]
「そんじゃあ、ご祝儀を渡さなきゃあならんねぇ」
ケタケタ笑いながら、フウカは寝返りをうつ。
[いくら出すか決めたら、連絡をくれ。参考にするから。じゃあ、またな]
通信を切った後、喜多島は体を起こしてウォッカの瓶を手にする。
透明のウォッカをグラスに注ぎ、軽く掲げる。
「おめでとう。かんぱーい」
(了)
はあとフル 碓氷彩風 @sabacurry
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