はあとフル4話c「ブリキの仮面」


 ダイナー向かいの国道は、夕方の帰宅ラッシュで混雑していた。

 物憂げな顔で車列を眺める喜多島。サイズの大きいセーターを纏い、度の入っていない丸眼鏡で素顔を隠している。


 幸い、店にいる客も店員も、正体には気づいていないようだ。

 だからといって長居はしたくなかった。身の危険が迫る今は、特に。


 端末に着信が入る。柄の悪い女賞金稼ぎから《駐車場に到着した》という連絡だった。

「ごちそうさまです」

 喜多島は殆ど手を付けなかったシェイクを、トレーごと返した。そして、キャスケット帽を目深に被って店を出る。


 駐車場で待っていたのは、弁当箱のように平べったくて、大きなクルマだった。


「後ろに乗って」

 助手席からフウカが言う。

 一目でガラの悪い人だと分かる風貌。でも、何だか嫌いになれない人だった。

 喜多島は無言で頷き、後部座席へ。

 ドアを開けた瞬間、彼女は顔を真っ青にした。


「ママ……」

 と、レイシーの隣に座る少女が、喜多島に声を掛けた。

「どうして?何で……マヤちゃんが!?」

 誰もすぐには答えない。パンツスーツの女賞金稼ぎに至っては、顔を背けたまま、ブツブツ何かを呟き続けている……ブキミ!

「声がデカい。いいから、乗れ!」

 フウカが手振りで喜多島を急かした。


 言われるがままに喜多島は車に乗る。ドアが閉まった途端に車は発進した。

「ちょっとしたトラブルが起きて……」

 と、セラ。

「さっき、御宅のマンションの近くで見つけた」

 2本目の青島ビールを開けながら、フウカが言った。

「このガキが、コソコソ忍びこもうとしてたンだよ。最初は怪しい奴だと思ってよォ。レイシーにとっ捕まえさせようとしたら、一人で勝手にぶっ倒れやがった」


 フウカは首をひねって喜多島と少女を見る。レイシーはずっと窓へ顔を向けたままだ。

「レイシーがずっとあの調子で、事情が呑み込めねぇの。このガキ、何者?」

 喜多島は少女へ視線を向け、それからレイシーをまっすぐ見据えた。

「む……娘です」

 その瞬間、レイシーが窓ガラスに勢いよく頭を叩きつけた。

「窓を割るなよ!?」

 と、セラ。

「あンの馬鹿女は無視していいから」

 と、フウカが面倒くさそうに言う。


「この子は早見マヤちゃん。結婚相手の娘さんなんです」

「へえ、子連れで再婚」

 と、フウカが呟く。

「それにしても、どうしてあんな所に?」

 セラは前を向いたまま訊く。

「あ、青木さんがイベント中に怪我をしたって聞いて、それで、ママとも連絡が付かなくて。心配になって……」

 とつとつ、マヤは声を絞り出すように言う。

「それで喜多島さんのマンションまで来たと。豪胆な子だなぁ」

 セラは相づちを打ちながら、ドアミラーを覗いた。尾行車は無し。


「元子役で元アイドルですよ、マヤちゃんって子はぁ。姫宮千草って芸名でぇ、食客商売でレミルって娘役で出てたぁ子ですよ」

 一方で、レイシーが人間の言葉を発した。

「アンタが今朝から見てた時代劇に出てたのね。だからって、馬鹿なリアクションしてんじゃあねぇよ」

「だってぇ……例のストーカーだと思ってぇ、銃を向けちゃったんですよ、あたしぃ」

「あ、あの。わ、わたしも悪かったんです。コソコソ怪しく見られても、仕方なかったかと」

 マヤは慌ててフォローする。

「喜多島さん。結婚してたんですね」

 セラが話を戻そうとする。

「入籍だけは、こっそり。式も、発表も、まだしていません。最近は報道対応も大変だから」

「だろうな。加えて、今回の騒ぎだ。もうしばらく隠しておいた方いいんじゃあねぇの?」

 と、フウカは言う。

「ですね。せっかく、結婚式の準備を進めていたのに。このままでは中止かも」

 喜多島は俯いた。レイシーは彼女の目が潤んでいることに気付き、唇を噛んだ。

(許せない)


 それから……。

 一行は襲撃される事なく、隠れ家にたどり着いた。


 喜多島は相当参ってしまったらしく、個室に入ると直ぐに寝てしまった。レイシーが介抱すると言い出して聞かず、セラは止む無く、介護役を彼女に任せた。


「いつになく頭が冴えてるかもだ」

 と、フウカは何本目かも分からない酒瓶を手に言った。今度はポケットサイズのドライジンだ。

「推理ショーの前に、是非とも酔い覚ましを勧めるね、俺は」

 隠れ家周辺の防犯センサを確かめながら、セラは窘めた。

「酒が入ってるから頭が冴えてンの。いい、ストーカーはさ、喜多島の結婚を知ってるンだぁよ」

「珍しい。俺も同意見だ。みそ汁はインスタントでもいいな?」

「真面目に聞け。実は結婚してましたってネタは、寝かせた期間が長いほど、大爆発を起こすもんだろう?」

「喜多島も劇団も、その点は考えるさ。タイミングを見誤るような事はない」

 つい、セラは会話を続けてしまった。言った後に後悔する。彼はいつもそうだった。


「それじゃあ、予期せぬトラブルが起きたらどうする。仕方ねぇ、先延ばしだ。それが何度も続いて、タイミング逃しちまったら……」

「面白い話だが、すぐに結論は出せない。台所にいる。いいか、酒はそれで止めろ?」

「あいよ、お母様ぁ」

 フウカは下卑た笑い声をあげ、そのままソファの上で寝てしまった。

 ジンの小瓶はフウカの手を離れ、コロコロ床を転がった。


 …………


 しばらく後、風呂上がりのマヤがリビングに入ってきた。

 入れ違いに、大男が長黒髪の女賞金稼ぎを背負って出て行く。

「いつもは私の役目なんですよ、フウカさんを寝床に連れて行くのは」

 二人は向かい合ってソファに座り、しばし押し黙った。

 先に沈黙を破ったのは、レイシーだった。

「昨年の引退ライブ、観に行ってたんですよ、私」

「そうなんですか?ありがとうございます」

 マヤの太めの眉が上がり、口許も綻んだ。


「お詳しいんですね、ママの事とか、わたしの事とか」

「そりゃあもう。こちらに来たばかりの頃、お二人の出演作や歌をはじめ、サブカルチュア全般を徹底的に勉強したものです」

 レイシーは自慢げに胸をそらした。

「へぇ……。レイシーさんって、どちらの出身なんですか?」

 興味本位の質問だった。だが、レイシーは言葉に詰まり、答えに窮した。

 彼女は本来なら、ここに居てはいけない存在なのだ。

「そうですねぇ。獅子座L77星とでもお答えしましょうか。つまり、ちょっと訳アリなんで、秘密です」

 マヤはくすりと笑い、

「分かりました。私とママと同じ、おあいこですね」

 と、言った。

「……じゃあ、もう一つ。秘密を作りませんか?」

 不意にマヤは小声で尋ねた。

「えっ!?」

 と、レイシーが目をひん剥く。彼女の思考回路はショート寸前まで陥った。

 マヤはレイシーの隣に座り、こそこそ耳打ちをした。途端にレイシーの顔が真っ青になる。

「さすがにそれは……護衛役としては賛成できませんねぇ」

 と、レイシーはマヤを遠ざけるように、両手を前に突き出した。


「あの、どんな提案なんですか?」

唐突に別の声が割り込んでくる。

「マヤさんがアユミさんの身代わりになって、犯人をおびき出そうって提案……」

 ここまで言って、レイシーは後ろを振り返る。喜多島アユミが困惑した面持ちで佇んでいた。


 教室ごと漂流したような顔でレイシーが絶叫しかける。マヤが背後から口を塞ぎ、間一髪で食い止めた。


 喜多島はオロオロする。

「そ、そんな事……ダメよ、マヤちゃん」

「ママは悔しくないの?」

 マヤはレイシーを投げ捨て、喜多島に言った。

「わたしは悔しい。パパやママ、みんなに酷いことする人の思い通りになるなんて、とっても悔しいわ」

 少女の横顔を伺い見ていたレイシーは、見守る事に決めた。


 喜多島は顔を逸らして黙り続けた。

 やがて、口を開く。

「そうね。正直言うとね、私も悔しいのよ、マヤちゃん」


 まっすぐ、マヤを見た。


「耐えている事が馬鹿馬鹿しいくらいに。ええ。そうね、たまには大人気ないことが必要になるのかも」

 そう言い終わるや否や、ジンの小瓶を拾った喜多島。一瞬ためらった後、意を決して……飲んだ。みるみる内に、アルコール度数37度の液体が、彼女の胃へ注がれた。

 青白かった顔が真っ赤に火照る。


「やりましょう!」

 喜多島は拳を握りしめて叫んだ。

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