終章 竹生島への贈物

終章 竹生島への贈物

訃報を聞かされた蘭や水穂たちは、すぐに病院に駆け付けた。医師たちから遺体の引き取り手がないと言われ、とりあえず製鉄所に送致して、葬儀日程などを決めることにした。懍が庵主様を電話で呼びだし、二人で協力して八王子市役所などに電話して、彼の出自などを調べたが、彼のもともと住んでいた八王子の家は、既に取り壊されて道路になっていることが判明した。さらに、埋葬する菩提寺は当の昔に閉鎖していた。そうなると、宗派も何もわからないので、直葬という形になるのかと思われたが、杉三だけが激しく反対した。

「絶対にいやだ。そういうものは、なんだか人間を粗大ゴミのように扱っているみたいで、絶対にやりたくないね。よくある、散骨とか、そういうものもしたくない。それが当たり前になったら、人間、誰のおかげで生かされてきたのか、とか大事なことを絶対に忘れる。」

「何滅茶苦茶なことを言っているんだ。宗派だってわかんないんだから、もし、あってなかったら、困るでしょ。」

蘭がたしなめても杉三は意思を曲げない。代わりにこういう解釈をしてしまうのである。

「いいじゃん!違ったっていいんだよ。少なくとも人間をゴミにしようというところは回避できる。それに、変なやり方をしないで、ちゃんと送ってやらないと、この世に必要ない人が本当にいるという変な定義がまかり通ってしまう。少なくとも、人は唯一無二の存在であるわけだから、最期の最期までしっかり見届けてやらないといけないと思う。人間はものじゃないんだから、金で売買できるもんでもないんだから、その違いは明確にしておかないといけないと思う。」

「本当に、そういうところは理解できないよな。でも、現実問題そうするのは、いろいろとあって、」

蘭は、杉三を困った顔で見たが、それを遮って杉三はさらに続けた。

「だって、どこにも身よりはないんだろ。大体な、最期をみとったのが、もーさんであったなんて、なんともかわいそうな最期だ。せめて、僕らだけでも、いいじゃん!庵主様もいるわけだし、ちゃんとやってやろう。宗派なんて違ってもいいよ。それが、僕らができるお別れの形ならそれでいいと思う。形よりも、お別れを祈るほうが、大事なんだからさ!」

確かに、臨終の判断をした医師が、鳥一羽だけであっても、そばについていてくれたなら彼は幸せだった、といって、もーさんをほめていた。逆を言えば、それに該当する血縁者は誰もないという事なのだった。親もとっくになく、兄弟もなく、生まれ故郷の逗子にも、住んでいた八王子にも、友人らしき人も誰もいない。かつて所属していた箏の社中も脱退しているので、いわゆる仕事の同僚もない。つまり、締め出されてしまったということだ。そうなると、二度と手を出してくれる人などないのが、伝統の世界だ。

「しかし、八王子にいながら、なぜ一人ぼっちだったんだろうか。同級生も誰もいないのか。」

「いや、蘭。もしかしたら十分にあり得ることかもしれないぞ。今は人と付き合いは、希薄どころか、皆無に近い地域もあるからな。よく考えろ、人の助けなんていらない時代になっているじゃないか。人の助けが、必ずなければいけないというのは、杉ちゃんみたいなものだろう。」

「そうですね。水穂さんの言葉を一言で表せば、無縁社会ということになります。」

懍と水穂の発言で、蘭はしぶしぶ黙った。

「だけど、僕らは、少なくとも今はここにいるぞ。だったらいる奴らで送ってやらないでどうするんだ。それすらしないなんて言ったら、なんだか罰が当たるような気がするよ。」

「そうだね、杉ちゃん。今は、血縁者にすべて任せる時代ではないのかもしれないな。」

「でも、いいのかな。本当に、、、。そういう事って、あり得るのか?」

「蘭さん、都合のいい時だけ、かつての常識を持ち出してはいけません。それが混在するから日本社会が混乱するのに気が付きなさい。」

懍の顔は厳しかった。庵主様も、杉三の意見が、こういう場合は一番適しているのではないかと言った。懍は、それなら決行だと結論付け、庵主様に改めて葬儀をお願いした。

葬儀は友引ではない日を選んで、庵主様の寺院で行われた。遺体は納棺師さんにお願いして、白木のお棺に入れてもらった。真っ白な経帷子は似合わないと杉三が主張したため、代わりに、カールおじさんの下で買った、あの紫の絽の着物を着せてあげた。

出席者は、蘭、水穂、懍の三人と、訃報を受けた小春、そして、彼に着物を提供したカールおじさんも来てくれたが、これだけだった。それにしても、べらぼうに広い本堂に、これだけしか参列者がいないとなると、ずいぶん少ないものだった。

蘭たちは、本堂の中で、葬儀が始まるのを待っていた。

「しかし、杉ちゃんはどうしてる?」

水穂が言う通り、杉三は現れない。

「うん、お母さんの話によると、タクシーで来ると言っていた。でも、いくらなんでも遅いよな。呼び出そうか。」

と、蘭は言っても、杉三は電話の操作も下手なのに気が付いた。

「読み書きできないよな。」

そこへ、本堂の扉が開いて、

「やっほ!来たぞ!」

麻の葉柄の黒大島を身に着けた杉三が入ってきた。肩にはもーさんが止まっている。

「なんだよ杉ちゃん。葬儀に黒大島なんて。」

「いいじゃない。どうも、正絹の着物は嫌いなんだよ。」

これだけは、杉三のこだわりなのかもしれなかった。庵主様が、それも杉ちゃんだから、かまわないと言ってくれた。

「それに、なんでまたその鳥を連れてきたんだ。お経を読んでいる間に、ぎーがーと鳴かれたらたまんないよ。あの、電気のこぎりのような鳴き声は、庵主様も迷惑なんじゃないの?」

「弟が参列しないでどうするの。それにぎーがーはよほどのことがない限り出さないよ。」

「本当に君という人は、、、。」

蘭は、あきれてしまったが、

「電気のこぎりのような声を出されても、私はかまいませんよ。」

庵主様の優しい声。

「それに、こういう言い方は失礼かもしれないけど、もっとひどい声を出す人もいるのよ。」

「なるほど。そういうわけですか。確かに、知的障害でもあれば、そういう事もあるかもしれない。」

「蘭さん、時間が来たからそろそろ始めましょう。」

懍のその一声で、告別式は開始された。蘭は、もーさんが声を出しはしないかと、内心ハラハラしていたが、一度もそのような声は出さなかった。

式が終わると、火葬場へ移動する。遺体は静かに霊柩車に乗せられて、杉三たちはワゴン車でそれについていった。きらびやかな霊柩車ではないが、ランクはかなり上の物にしてあげた。

火葬場へつくと、庵主様の読経を伴奏に、遺体の周りに花を添える。そして、炉が、エサにありついたクジラのように、棺を飲み込んでしまう。

「ぎーがー!」

「あ、鳴きだした!」

庵主様は、かまわずに読経を続けているし、他の者も誰も嫌そうな顔をしてない。

「ぎーがー!」

「ああもう!電気のこぎりのような声、、、。」

「ぎーがー!」

「よしてくれ!これ以上鳴くと、迷惑が掛かる!」

「蘭、あれはセリフ以上のセリフだよ。ぎーとがーには、僕らよりも何十倍の悲しみが詰まっている。」

水穂が蘭にそっと言う。杉三の肩に止まったもーさんは、その大きな嘴を思いっきり開けて、全身全霊で鳴いているのだ。電気のこぎりのような声であることは間違いないのだが。

「だけど、迷惑というものも考えないと。」

「いいえ、止めてはなりません。電気のこぎりみたいな言葉であっても、もえさんなりの、別れの言葉なのです。」

「そうですね。しかし、よほどかわいがってもらっていたんでしょうね。尋一さん、相当愛情深い人だったんだな。」

懍もカールおじさんもそう言っている。

「それだけ、愛された幸せ者という事かな。」

小春は、一生懸命鳴いているもーさんをうらやましそうな顔で見た。

「兄ちゃん、逝っちゃったな。」

杉三は、もーさんの体をそっと撫でた。

やがて、最後の煙が消えて、もーさんが疲れてぎーがーと鳴くのをやめると、尋一は骨になった。


葬儀という、遺体の処理が完了しても、まだまだやるべきことはたくさんあった。役所への届け出とか、そういう事務的なことは、懍たちが中心となった。あの、平屋建ての家は、また新しい人に譲り渡すことになり、持っていたものも、中古業界に買い取ってもらった。その買い取り額を見て、蘭さえも葬儀をやってあげてよかったと思った。殆どただと変わらない安さだったからだ。物が溢れすぎて、二束三文で処分されてしまう現在、遺体だけでもしっかりとしてやらないと、本当に人間の、正確には命の価値が、どこかへ行ってしまうような気がした。

尋一の家には、大量の楽譜があったが、沢井の楽譜であれば需要があるからと言って、引き取ってもらうことはできた。邦楽自体、あまり需要はないが、沢井であれば、まだ、若い人の手に渡る望みはあった。楽器や、爪などの備品も同じことが言えた。それでも、すずめの涙位の額にしかならないし、古紙に出すほうが得とは言われたが。どこかで、大切にしてくれる人がいることを、祈るしかなかった。本当に、人というものは、生まれた時も逝くときも、大掛かりなことを要求され、他人に負担をかけるものであるが、そういう事こそ命ではないか、それをなんでもポイポイと捨ててしまう時代になりつつあるから、犯罪やら、テロが減らないんだと懍は言っていた。だから、楽譜も何も、ごみに出すとか、古紙に出すとか、そういう事は絶対にしないと、全員が誓った。しかし、それを達成するには時間がかかった。なぜかというと、捨てるほうがよほど楽であるからだ。ある程度引き取り手を見つけ、処分を完了させたころは、紅葉が赤くなり始めていた。

蘭たちが、そういう活動を繰り返している間、杉三はもーさんの世話しかできなかった。文字の読み書きができないので、活動に加われなかったのだ。同じように、ぎーとがーしか言えない弟も、活動に参加できなかった。

杉三が、もーさんにドラゴンフルーツを自分の手に乗せて食べさせたりしていると、

「こんにちは。」

と、女性の声がした。

「はい、今開けるよ!」

急いで玄関の戸を開けると、小春が立っていた。

「杉ちゃん、今誰かいる?」

「いないよ。蘭は、教授や水穂さんとがらくた屋さんへ行ってしまった。」

杉三が答えると、

「そう、そのほうがかえっていいわ。」

と小春は答える。

「どうしたの?何かあった?」

「だって、あの人たちに、これを見せたら、きっと本屋さんに持っていかれるでしょうし。そこで心無い人に買われるのは嫌だもの。図書館に持って行って、資料にしてもらおうかと考えたりもしたけれど、不特定多数の人に渡されるのも嫌だしね。」

「いったい何のこと?」

「上がっていいかしら。」

「いいよ。みんなまだ帰ってこないと思う。」

「お邪魔します。」

小春は、杉三の家の中に入った。そして、杉三と一緒に、食堂の方へ行った。

「お茶入れるから、まあ、そこに座ってくれ。」

「ありがとう。まだちょっと暑いわね、もうすぐお彼岸なのに。暑さ寒さも彼岸までって、本当なのかな。」

小春がそう言いながら椅子に座ると、テーブルに乗っていたもーさんが、ちーちーと声をあげて、あいさつした。小春は、彼の体を撫でてやった。

「はいよ。緑茶しかないので、暑いけどごめんね。」

杉三は湯呑を彼女の前に置く。

「で、突然なんの用ですか?」

杉三が聞くと、小春は、少し考えてからこう切り出した。

「ああ、さっきの話の続きなんだけど。」

「いったい何のことだ?」

「この楽譜。生前、尋一さんが一番ほしかったもの。」

小春は、紙袋に入れた十一冊の楽譜をテーブルに置いた。

「これかあ、結局、彼は弾くこともできなかったな。あれほど、ほしがっていたものだったのにね。」

せめて、お棺に入れてやろうと思ったが、こんなに大量に入れられては困ると葬儀屋さんに断られてしまったのだった。

「僕は文字が読めないので、なんて書いてあるのかさっぱりわからないが、きっと素晴らしい音楽があふれているのだろう。確かにそれを二束三文で買い取ってもらうのも、何か悲しいよね。」

「そうでしょ、杉ちゃん。だからね。」

小春は、言葉に詰まらせながら、静かに言った。

「私、これを彼の下へ返してあげようと思うの。きっと、山田流をやっている人なんて、この近くにはいないって、青柳先生も言っていたし。水穂さんの話によれば、ほしがる人は絹代先生だけだそうじゃない。でも、私は、彼をあそこまで追いつめた絹代先生という人をどうしても許そうとは思えないから、絹代先生に差し上げる気にはなれない。だったら、一番ほしがっていた人の下へ返してあげたい。」

「そうか、確かに蘭や水穂さんに言わせたら、もったいないから、誰かにあげようとか、何とかという空中の店で売ろうとか、なるかもしれないね。でも、僕も、あの絹代というばあさんのものにさせるのは嫌だな。それに、一度は不要品で、捨てられた楽譜たちだろ?また同じ気持ちを味あわせるのもかわいそうすぎる。楽譜は、やっぱりほしいと思っている人が持ってこそ、価値があると思うしね。」

「そうでしょ。でも、その人はもうないの。そうしたら、この楽譜、二度と演奏されることもないまま、捨てられる可能性だってあるでしょ。まあ、図書館に寄贈して、みんなのものにしてしまえばいいという意見もあるかもしれないけど、中には不当な扱い方をする、心無い人もいないことはないからね。」

「そうだね。ほこりかぶって、書棚の中に閉じ込められるよりはよほどいい。じゃあ、すぐに決行だ。燃料は確か、ウナギのかば焼きを作るための木炭が、少し残っていたはずだ。準備するから、待っていてくれ。」

「ありがとね、杉ちゃん。私の気持ちわかってくれて。何をばかなことを言っているんだなんて、言われるんじゃないかって、不安だったのよ。」

「いや、それは間違いじゃないと思う。合理的にお金に変えてしまおうという腹黒い考えより、よほど美しい。じゃあ、それを持って、庭に行ってくれないか。ちょっと、木炭を探してくるよ。」

杉三は、車いすを動かして、貯蔵庫のほうに行った。小春は、庭に併設している縁側に向かった。ばたばたと羽の音がして、もーさんが追いかけてきた。

しばらく庭を眺めていると、庭に生えている柿の木は、わずかに実が残っていた。夏の終わりごろに雨が続いたおかげで、ほとんど実が落ちてしまったと聞くが、こうして懸命に生きようとしている実もあるんだなと小春は思った。そうだよな、私も頑張らなければ。彼のように、青い実のまま落下してしまうのは、やはり悲しいことだろう。それなら、十分に成熟して、精いっぱい成長しきってから、誰かに食べられた方が、よほど柿の実もうれしいだろうし実を生み出している柿の木も、喜ぶだろうなと思った。

「私も、辛いことがこれからもあるかもしれないけど、頑張らなきゃね。途中で折れたりはしないわ。」

「ちーちー。」

そう呟くと、その通り!とでもいいたげにもーさんが鳴いた。

「準備できたぜ。」

玄関の戸がガラッと開いて、杉三がやってきた。小春も、縁側近くにあった、突っ掛けを借りて、庭に出た。杉三の、膝の上には七輪と、火をつけるためのチャッカマンが置いてある。

「持って来たぜ。なんとも、木炭が、少ししか残っていなかったので、急遽、お盆のためにとっておいた松明を使わせてもらった。来年用なんだけど、特別だから、いいだろう。」

そう言って、庭の地面に七輪をどしんと置いた。中には、少量の木炭が少しと、松明を細かく折ったものか、小さな木片が大量に入っていた。火を起こすものとして、新聞紙がビリビリに破いて入れられている。

「よし、火をつけよう。」

と、チャッカマンをカチンと鳴らして火をつけた。火は、はじめはちょろちょろと新聞紙を燃やしていき、そして木片に燃え移って、鮮やかな赤色に変わった。

「やい!竹生島の住人よ。君にとって、一番大事な物、一番ほしかったものをそこへ送ってやる。きっと、君は今頃、絽の着物の代わりに、天の羽衣を身につけた、天人と化しているだろうが、もう、怒りも、悲しみも、痛みも、皆取れて、幸せな生活を送っていることだろう。君がさらに幸せになってくれるために、君が一番好きだったものを、そっちにやるから、もう、地上であったことは、みんな解消して、幸せに暮らしてくれ。だけど、僕たちは君のことは忘れないよ。君も、たまにでいいから、地上であったことを思い出してほしいな。まあ、無理なお願いかもしれないけどさ!」

杉三が空を見上げてこういうと、もーさんが彼の肩に止まった。

「ちーちー。」

もーさんも、空を見上げて何か言っている。

「見ろ、弟も兄ちゃんを忘れないと言っている。君は、幸せになるのは疑いないが、このかわいい弟を持てたことを、忘れないでくれよ!」

「杉ちゃん、そろそろいいかも。投入できそうよ。」

七輪の火加減を見ていた小春が、杉三に声をかけた。

「よし、やるか!」

「ええ。やりますか!」

二人は、紙袋に入っていた十一冊の楽譜を取り出した。

「竹生島へ出発!」

楽譜は次々に七輪の中へ投げ込まれる。

七輪の火は、待っていましたとばかりにそれらを焼き始めた。

「ちーちー。」

火は高く燃えている。

「ちーちー。」

たぶん、竹生島には、お届け物が届いたという知らせが入っているだろうな、と、小春は思った。同時に、尋一さん、私のことを少し覚えていてくれるかな、という人間らしい未練もあった。

火は、お届け物を届ける配達員になったように燃え続けた。




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本篇 1、竹生島 増田朋美 @masubuchi4996

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