第11話 夢、叶う

 それからノンジはステワニの夢の本『一流企業の社長』を熟読する一方で、周りの交友関係を改めて行った。自分がステワニを殺したように、同じ事をされるかも知れないという恐怖が彼をそうさせたのだ。まず自分に似ている人間とは距離を置いた。次に裕福でもないのに夢の本を持っている人間とも段階的に縁を切って行った。


 人が変わったように友達が少なくなっていく彼に、最初は不信感を持つ者も居たが、夢の本に書いてあると言うと皆納得した。今は友達と遊ぶことよりも夢の為に勉強をすることの方が重要なのだと言うと、周りから称賛の声が上がった。今までは味わった事の無い、スポットライトの中の振る舞いに心が躍った。


 夢の本に書いてある通りの事をすれば、何でも上手くいった。自分の人生が上方修正されていくのを見るのは楽しかった。今まで貧乏で夢さえ見る事も許されなかったハードモードから一転、ベリーイージーモードの人生なのだ。簡単な上、得られるものが多い。彼が欲しがるものは何でも手に入った。勉強道具も、おやつも、おもちゃも。パパが皆揃えてくれた。

 何不自由ない。順風満帆じゅんぷうまんぱんとはまさにこれだ。後は『入れ替わり』の夢の本にだけ気を付けていればいい。


 ノンジはその後も一度の挫折を味わうことなく、進学、就職を決めた。勿論一流企業に、だ。そもそもノンジとステワニの学力は違ったが、受験の際に夢の本を見る事が許されていたので問題なかった。答えがそのまま載っているのだから丸写しすれば良かったのだ。カンニングは御法度ごはっとでも、それは許された。後先の事を考えてノンジ自身も勉強は怠らなかったが、恐らく自分の学力のみでは高校の時点で落ちていただろう。


 こんなに上手く行って良いのかと問われれば、ノンジは良いに決まっていると胸を張って言うだろう。何せ、今までが劣悪過ぎたのだ。その運命を変える為、自分で決断して、覚悟して、ここまでやってきたのだ。誰にも文句は言わせない。そういう強気が彼を一層魅力的にし、彼を見る女性の目も変わった。


 彼は課長に就任すると同時に当時付き合っていた彼女にプロポーズをし、結婚をした。


 部長になる頃には子供が生まれた。


 子供が3歳になる頃、彼は社長になった。異例のスピード出世に上司同僚からは一目置かれる存在だった彼が、社長になるのは必然で、持ち前のキャプテンシーは社長になってからも続いた。


 暫くの内は。


 彼が社長になった翌朝、いつも通り顔を洗って鏡を見た時に思わず呟いた。


「誰だ、お前は」


 そう。今までは夢の本の通りステワニとして送ってきた人生だったが、夢を叶えた彼はもはやステワニではない。

 その瞬間から、既にほころびは始まっていた。


 夢の本は叶えるまでは何もかもを教えてくれるが、叶えた後の事は全く教えてくれない。何せ、最後のページの最後の一行が社長就任の瞬間なのだ。その一秒後を知ろうにも知ることができない。物語はそこで終了しているのだから。


 彼はやむなく自分の判断で会社をコントロールすることになるのだが、部下が取ってきた大きな商談を自分の判断ミスで取り逃す事が度々あった。

 ミスを埋める為に足掻こうとする度新たなミスを産み、それが歪を作り、会社は短期間で有り得ない程の傾きを見せた。


 そもそもこれは彼の夢ではなかったのだ。夢の本の正しさに導かれていたから、道を迷わずに来られたが、その本がないとなれば、迷子になるのも必然と言えた。


 そんな仕事のストレスから逃れる為、彼は会社のビルの屋上に来ていた。

 都会のど真ん中で、蒼天を仰ぐ。


 度重なるミスから、積み上げた信頼がいとも簡単に失われていくことへの絶望。最近は妻とも上手く行っていなかった。


 ここから飛び降りたら楽になれるだろうか。

 そう思い見下ろすと、見覚えのある人が歩いて行くのが目に入った。

 一瞬誰だか解らなかったが、間違いない。あれはステワニだった。

 彼は会社を飛び出してステワニを追った。


 ステワニを追って、何をしたいのかわからない。

 だが、追わずには言われなかった。

 だってあそこにはノンジが居るから。

 本当の自分がずっとあそこで死んでいるのだ。


 走って、走って、走ったが、見失った。


 途方に暮れて、会社に戻ろうとした時、ガシッと足首を掴まれた。

 彼の足首を掴んだのは、道路で新聞紙を被って寝ていた浮浪者だった。


「何か用かね」


 そう言いながら振りほどこうとしたが、手が足首から離れる事はない。相当強い力で握られている。そこからは殺意が滲み出ていた。彼がその殺意に気付くより早く、浮浪者は銀色の光をはしらせた。


「何か用かね。とは僕の科白だ。君は僕を追いかけてここまで来たんだろう」


 浮浪者に見えたそれは、返り血を浴びたステワニだった。


「君と入れ替わった未来がこれだ。君は本来ここに居るべき器の人間なんだ。君にはステワニは荷が重すぎた。所詮ノンジはノンジなんだ」


 友人の怒気を孕んだ、それでいて淡々とした物言いに、気圧され、一歩後ろに退いた。しかしそこに地面はなく、体勢を崩して、そのまま暗闇の中へ落ちて行った。


 そして目覚めるのはいつもベッドの上だった。


 ビルの屋上からステワニを見つけてその後殺される悪夢を、彼は社長になったその日からずっと見続けていた。まるで呪いだった。そんな呪いとの付き合いも、約半年で終わりを告げた。


 会社が倒産したのだ。


 同時に、妻からは離婚を言い渡された。子供はどうするのかと問うと、妻は呆れ顔で答えた。


「そんなもの、貴方が育てればいい。どうせ貴方は借金まみれ。自己破産するしかない。そうしたら養育費なんて払えるわけがないもの。子供抱えて養育費も貰えないなんて、私がそんな泣き寝入りをする必要、ある?」

「子供は大切じゃあないのか?」

「私の子供は大切よ。だから今から貴方の子。私の子になるに相応しい子は、夢の本を買ってあげられるパパの子だから。さようなら」


 冷たくさげすまれながら別離を余儀なくされ、彼は子供を抱いて逃げるように都会を後にした。元妻が言うように、彼には自己破産しか道がなかった。


 自己破産をした後、田舎に移り住み、その街のぼろアパートで、日雇いのバイトをする日々が続いた。全ては子供の為だった。生活はギリギリ。暗闇の中、小さな灯を目印にただ歩いた。その灯は他ならぬ我が子だった。愛おしかった。どれほど困窮こんきゅうあえいでいようが、この子の為なら頑張れると、彼は身を粉にして働き続けた。


 お金の無い暮らしの中で、彼が子供にしてあげられることは少なかった。それでも愛情をたっぷり注いで育てた。自分は愛されなかったから、せめて愛情だけでも、と精一杯だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る