第3話 お父さんとパパ

 ノンジは黄昏も終わり、暗くなった部屋の中、夢の本の事について父親に語り聞かせた。父親はただ黙って話を聞いていた。動く事があったとしたら、暗くなった部屋に明かりを燈す為、立ち上がって蛍光灯から垂れ下がる紐を引っ張ったくらいだった。

 父親は深くため息を吐き、少し間をおいてからノンジを見つめた。


「ダメだ。買ってあげる事は出来ない」

「どうして?」

「うちが貧乏だからだ」

「どうしてうちは貧乏なの?」


 ノンジは今まで口にしたことがなかったことを口にしていた。これを口にすれば父親を傷付ける事になると思い、避けていた言葉だからだ。しかし父から返ってきた言葉はノンジの予想の斜め上を行っていた。


「お祖父ちゃんが貧乏だったからだ」


 ノンジは呆気にとられ、言葉も出なかった。今まで父を傷付けまいと気遣っていたのは一体なんだったのか。


「お父さんが子供の頃にも街に夢の本を売る商人がやってきたよ。だからお父さんもお祖父ちゃんに夢の本をねだったが駄目だった。理由は貧乏だからだ。その時本を買えなかったから、お父さんは今も貧乏なんだよ。だからお前にも買ってあげられない」


 貧乏な家庭に生まれた子供は、将来も貧乏で、貧乏な家庭を作り上げ、子供にも貧乏を分け与えなければいけないのか。

 ノンジは生まれて初めてこの生活に絶望を感じた。今まで未来のことなど考えたこともなかった。ただ何となく漠然と、この先には今よりはマシな未来があって、そのマシな未来の上で生活を続けて行くのだろうと考えていた。しかし現実はそうではないと、今父親に言われたのだ。

 そんなのは嫌だという気持ちが、ノンジの背中を押す。


「中には借金をして夢の本を買ってくれたパパも居たよ」

「その人は、お金を借りるという意味を本質的に知らない人なんだよ。お父さんは貧乏だが、借金はしたことがない。これからもそれはしない。たとえそれがお前の為であったとしても」

「お父さんは、息子を愛すものではないの?」

「もちろんお前の事は愛しているよ」

「ステワニのパパは愛する息子の為に死ねると言ったけれど、お父さんはできるの?」

「できないよ。それも愛を履き違えた人が吐く科白せりふだ」


 冷たく放たれた父の言動に、ノンジは抑え込んでいた憤りが溢れ出てくるのを感じた。

 ステワニパパからステワニへの愛情が本物であり、死ねるという言葉に一切の嘘を感じなかった。父はそれをいともあっさり否定した。

 ただ死ねない、怖い、恐怖に打ち勝つ自信がない。だからお前の為には死ねないと言われれば納得がいっただろう。自分の非を認め、友人とそのパパを称賛するというのならば。しかしあろうことか父は自分の正しさを信仰し、それ以外を認めないと言うのだ。ノンジは我慢ならなかった。


「履き違えてなんかいない! ステワニのパパはステワニの事を愛しているよ。だから1億円もする本を買ってあげられたんだ! 愛はお金では買えないって誰かが言ってたけど、愛の形がお金になる事だってあるんじゃあないか!」


 それが、夢の本だと彼は思った。


「僕はお父さんに愛されたい! 借金してでも夢の本を買い与えて欲しい! 僕の為に死ねると言って欲しい!」


 それを聞いた父親は声を荒立てた。


「お前は俺に借金して死ねと言うのか! お前が欲しがっているそれは愛の形なんかじゃあない! ! そんな物の為に死ねるか! いい加減にしろ!」


 そもそも優しいイメージのある父親ではなかったが、ここまで語気荒くノンジを叱ったことはなかった。ノンジは恐怖で身を縮こまらせた。


 しばらく肩で息をしていた父だったが、落ち着きを取り戻し、深く息をついた。


「一応聞くが、お前がそうまでして欲しかった本のタイトルはなんだった?」


 言われて返答に困った。

 何せノンジはタイトルを見てすらいなかった。自分が何者に成りたいかと言う事を考えてすらいなかったのだ。


 言葉が見つからないノンジをしばらく黙って見つめていた父だったが、彼がどうやらタイトルを見ていなかったらしい事に思いが至ったのか、ため息交じりに肩をすくめた。


「そういう事なんだ」

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