第2話 アラガネ
ノンジは少し人だかりの引いた商品棚を見る。やはり最低価格は変わらず2500万円。ステワニパパは買ってくれると言ったが、ノンジはその言葉を
「どうした、坊や」
値札と睨めっこをしていたノンジに気付いた商人が声を掛ける。
収穫期の小麦畑の色をしたツバ広のチューリップハットが特徴的だった。それを目深まで被っているので表情は窺い知れない。帽子が作り出した影から、時折白の面積が多い瞳が覗く。こなれたというよりはへたってきたと言う方がしっくりくるダボダボのズボンと、まるでマントを巻き付けたかのような上着を着ていた。背中には大きな木の板。ノンジが、それがそろばんだと気付いたのは、数瞬置いてのことだった。
「夢の本を売ってください」
商人は辺りを見回し、もう一度ノンジを見る。
「坊や、一人の様だが親はどうしたんだい」
「今は一人。家に居るんだ」
「そうかい。ならばその人を連れてくるといい。坊やのお小遣いじゃあ手も足も出ない品物ばかりだ」
「うちは貧乏だからお父さんはきっと買ってくれない。だから何とか安くなりませんか?」
「安くったって、限度がある。これはお金を持っている人にしか売れないんだ」
商人は腕組みをして、片方の手を素早く動かし、ノンジを追い払うようなジェスチャーを取った。
「あのぉ」
二人のやり取りを見ていた少女が、頃合を見て入ってきた。
「なんだいお嬢ちゃん」
「安くは、ならないんですか?」
同じ境遇の子が居るのか。とノンジは少しだけだが安堵した。
「うーん、本当は安くできないんだけれどね。お嬢ちゃんは可愛いから特別にこれをあげよう。持っていきなさい」
「え? いいんですか?」
女の子が驚くよりももっと驚いていたのはノンジだった。さっきと話が違うじゃあないか。そう思いながら、ノンジは言葉にできず、ただ目を丸くして商人を見つめている。
「いいんだいいんだ。この本は可愛い子にしか譲れない本なんだ。どんなにお金を積まれても、不細工な子にはあげられない本なんだ。君に似合いの本だから、持っていきなさい」
「わーい! ありがとう」
彼女が受け取った本のタイトルは『アイドル』だった。
確かに、アイドルに成れそうな美少女だった。商人が言う通り、掲げた夢のスタート地点があまりにも本のストーリーからかけ離れていたら、成立しないのだろう。どうやら商人は相手の風体を見て売るか売らないかの判断をしているようだった。
しかしながらそんなことはノンジには関係なく、ただの差別のようにしか思えなかった。
「酷いじゃあないか! おじさん。僕には売ってくれないのに、あの子にはあげちゃうだなんて」
「酷くはないさ。あの本を開いて彼女は幸せになるんだ。どこが酷いのかな」
「あの子に対しては酷くないけれど、僕に対しては酷いじゃあないか。差別じゃあないか」
「そうか。なら君はあの子のように、
「ないよ。男だもん」
「ならかっこいいのかな?」
「……かっこよくないよ」
「そうだ。君はお世辞にもかっこよくない。駆けっこは一番かな?」
「下から数えた方が早いよ」
「じゃあ勉強は?」
「ちょうど中間くらい」
「君は不細工で運動もできなくて頭も良くない。その上貧乏だ。どうやってこの本を手に入れる気なんだい? 君は何の可能性もないのに、俺に安くても2500万円もする本を譲れと言うのかい? もしも君が俺の立場ならこんな子供を見てどう思うかな?」
ノンジは核心を
「子供だからと言って身の程を知らないことが許されるというのはまやかしだ」
およそ大人が子供に対して口にしないだろう言葉だった。だからノンジは驚き、涙も引っ込んでしまった。
「あの女の子だって本当は自分の可愛らしさに気付いていたから俺に声を掛けて来たのさ。大人は子供に子供らしさを求め、子供は努めて子供らしく振る舞う。だから子供はそれに付け込んで、子供なのだからこれくらいは許してくれるよねという態度を取るが、俺にはそれが見え透いた演技にしか見えないんだよ。大人は君の思う通りに子供を見ているけれど、俺は君の思惑通りに君を見ていないし、その事に今君は気付かされたのだから、そういう立ち振る舞いをしなければいけないよ。わかるね」
やや難解な言い方をする商人だったが、それはつまり、
「簡単に言うと、子供の専売特許とも言える泣き落としは、俺には通用しない。という事だよ」
泣き落とすも何も、ノンジの涙は先程引っ込んでしまった。
「ともあれ君は一度家に帰って相談してきた方がいい。俺は明日もこの噴水の前に露店を出しているから。今日は人も減って来たから店仕舞いにするよ」
ノンジは項垂れるように頷き、踵を返す。
「あ、そうそう」
商人は日をバックに薄ら笑いを浮かべる。
「俺はアラガネと言う」
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