第5話 それは受け継がれていく
「お帰り、フミノリ! さぁ、書こうか」
外に叩きだされ、400字詰めの原稿用紙とボトルインクを買って帰ってきた俺を出迎えたのはしゃべる万年筆だった。美女の姿は消えているが、なるほど、コレに変形したらしい。
もうなんでもいいやと思った。この世はAnything Goesである。
結局、俺は彼女の願いを受け入れていた。
恐らくは、俺以外にも彼女の願いは叶えられるとは思うのだが、言っていることが本当なら精神と肉体を支配して強制労働させるつもりらしいので、野に放つのは危険だと僅かな道徳心が言っている。
それに何より、たとえどんなホラーな品物であったとしても、父と母の形見を他人に譲る気にはなれなかった。
「……できた」
「……ああ、できたな」
7日間。食事とわずかな睡眠時間以外を、ほとんど費やした結果、原稿用紙600枚弱からなる社会派バトルファンタジーアクションサイエンティフィック恋愛コメディハードボイルドクトゥルフ小説が完成した。してしまった。
なるほど、確かに父はいろいろ勉強していたらしい。なんというか、節操なしに。
どうしよう、これ。
ドロン、と軽い煙と音と共に万年筆が美女に変わった。――謎の光はどうした。
無言で出来立てほやほやの原稿を手に執り、捲っていく自称万年筆の精霊。……心なしか、出現当初満ち溢れていた黄金のオーラが弱まっている。
目にもクマが出来ていて、明らかに疲れ果てているように見えた。今なら万年筆の精霊というより、地縛霊の方がイメージに近い
そして、彼女はここ1週間の成果物の内、数枚を捲ったところで、ポンと膝の上にそれを置いてポツリとつぶやいた。
「……ダメだ……破滅的につまらない……」
俺には、かけてやれる言葉が見つからなかった。
「……書き始めた時は、いや、書き始める前は、面白くなると思ったのだ……」
黒い涙を流し、悲しみにくれる万年筆の精霊。
やっぱりホラーの世界の住人じゃないか――やっと頭に浮かんだ言葉を、俺はグッと飲み込んだ。
「明日からどうしよう……」
朝焼けに照らされる商店街の街並みを眺めながら、俺は一人呟いた。
会社には既に退職意思を伝えてある。あとは、
「退職届け、渡しに行かなきゃなぁ」
ここ最近、どこかに行ってしまっていた現実感が、急に戻ってきたような気がしたが、振り向けば、まだ万年筆の精霊がインクの涙を滂沱と流しながらぐずっている。某有名企業の恥晒しだとかなんとか。
ただ、不思議なことに、彼女がやってくる以前に抱いていた不安な気持ち、将来への絶望が消えている。代わりに、不思議な達成感と充実感が残っていた。
彼女にとっては、もしかするとあの世の父にとっても、俺たちがこさえてしまったカオスの世界は望ましくないものだったことだろう。
だが、無意味なことでは無かったのではないか。
「父の望みは叶ったと思いますよ、万年筆さん」
うなだれていた万年筆の精霊さんがピクっと反応した。足元には大量のインクがにじんでいる。もはや出現時の威光は全く残っていなかった。
ちなみに彼女のことはずっと「万年筆さん」と呼んでいる。「No.22だからニニアンで」と提案したが却下されたので是非もない。
「……どういうことだ?」
「”生きた証を刻み付ける”――それってつまり、」
「――自分がそうなんです、とか言わないだろうな」
「…………ジブンガソウナンデス」
さわやかな雰囲気を漂わせつつ良いことを言いたかったのに。
「あー、えーっと、万年筆って、何年もつかご存知ですか?」
「キミ、私にそれを訊くのか。――無茶に扱われなければ、あと百年以上は戦えるぞ」
マジか。俺は自分で振ったにも関わらず驚かされていた。
「そうなると、俺は途中でついてこられなくなる訳です。多分そこまで長生きしないでしょうし」
「お、おい、まだ死のうだなんてバカなこと思っている訳じゃあないだろうな」
「違いますよ。――違うから、身構えないで下さい。またタックルされたら本当に死ぬので」
そっと距離をとり、呼吸を整え、俺は改めて口を開いた。
「俺は父の息子ですが、父のことを何も知りませんでした。血は引いていても、父のやってきたこと、やりたかったこと……何一つ、受け継ぐことはなかった」
きっと、同じような人間はこの世界に大勢居ることだろう。
それが不幸なことだとは思わない。母も言っていたが、親の人生に関係なく、自分なりに生きることこそを優先するべきだろうと思う。
「でも、俺には、縁(えにし)が必要でした。振り返ればそこにある、絆が形として、実感として必要だった。万年筆さんと出会って――父の感じた感触、父の感じた筆圧に触れられて、少し、救われた気がした。あなたがホラーの世界の住人だったお陰で父の妄想が具現化するとどうなるかということも知ることが出来たけど、そっちは結局あまり重要じゃなかった」
つまり、重要だったのは、前者の――本来の彼女に備わっている機能の方だったというわけだ。
「……なんだ、せっかく苦労して擬人化したのに……」
拗ねたように呟く彼女。俺は苦笑しながら続けた。
「万年筆さんの予想した通り、俺の答えはこうです。”父の生きた証は、息子である俺に刻み込まれた”――万年筆さん、あなたに触れた瞬間に」
「……つまり、私は、役目を果たせたのか? 主の望みを、叶えることが出来たというのか?」
「いえ、まだです」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「――転職届けに、履歴書、職務経歴書……色々書きたいので――取り敢えず、サイゼリヤ行きましょうか」
「……イカスミパスタってまだあるか?」
「インクかけて食べればどれでも一緒じゃないですか?」
こうして俺の物語はなんだかんだ続いていく。
そして、今はまだ全くあてがないが、終わってしまった後も、他の誰かに受け継がれていくのかもしれない。彼女がその輝きと機能を損なわない限り。
万年筆、それは受け継がれていく人生の伴侶(万年筆擬人化) 大惨事苦労 @Daisanji_Kuro
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