僕のヒロインマカダミア

てこ/ひかり

第1話

「あなたは将来、豆と結ばれるわ」


 場末の占い師に、そんなことを言われた。

 彼女と……年端もいかない若い占い師と……出会ったのは、偶然足を運んだ雑居ビルの、隅の方に構える古びたバーの中だった。天井の四隅に蜘蛛の巣が張っているような、お世辞にも奇麗とは言えないお店の中で、彼女は瓶入りのアルコールをテーブルに置き、炭酸で割って飲んでいた。占い師は店に入ってきた私を見るなり、赤らんだ顔をとろんと弛緩させた。やがて彼女は自分の席を立ち私の耳元に口を近づけてきた。酒の入った息がかかり、私は思わず目を瞑った。


「豆よ。図星でしょう……ふふ。そんな顔してるわ」

「……どうも」

 私は曖昧に頷いた。初対面だというのに、彼女は馴れ馴れしく私に話しかけてきた。

「ふふふ……ねえ知ってる? この街で、擬人化コンテストが開催されるのよ」

「擬人化コンテスト?」

 私は首をひねった。ほろ酔い気分だったらしい彼女は、暗がりの中、唇の端を釣り上げて笑った。

「上手くいけばあなたの”運命の豆”も……人の姿になれるかも」

「…………」

「興味があるなら、ここに連絡ちょうだい」


 そういって、彼女は頼んでもいないのに名刺を差し出してきた。それを見て、私は彼女の職業と拠点場所を知った。それから、一枚の広告。しわくちゃになったフライヤーには、『擬人化するのは誰だ!? 賞金100万円、電撃コンテスト開催!!』と書かれていた。


 思惑ありげに肩を寄せてくる若い占い師に、私はぎこちなく笑みを返した。店の中に、私たち以外の客はいない。リラックスしたムードの音楽が、寂れた空気を醸し出すバーの中で空回りしていた。カウンターの中でバーテンダーが、仏頂面をしながら透明なグラスを磨いている。それから二、三杯引っ掛けて、私は早々にバーを後にした。外はまだ暗くなるには早い時間帯だった。気分を変えるため、私は次の酒呑み場を探して、人混み溢れる繁華街を歩き出した。


 覚束ない足取りの中、私は先ほどのバーにいた占い師の顔を思い出していた。

「…………」

 あの、赤い目をした占い師の奴。私がカカオと結ばれるだって?

「…………」

 ……なぜ知っているのだろう? 私がカカオと、愛し合っていることを。

「おいで……」


 私は路地裏で立ち止まった。それから周りに人がいないことを確認しつつ、胸ポケットからそっと布袋を取り出した。袋の中に白い綿と一緒に閉まってあった、一粒の黒い豆を手のひらに乗せ、私はうっとりと”彼女”に頬ずりをした。


□□□


 私は珈琲豆を愛している。


 だが勘違いしないで欲しい。私は決して異常者ではない。

 人間だって好きだし、”豆は生き物だ”なんてある種超人的な感覚を持ち出すつもりもない。


 ただ、豆を豆として愛しているのだ。

 あのフォルム。黒々とした見た目に、真ん中に刻まれた溝と皺。

 よく見ると、一粒たりとも同じ形は存在しない。それぞれが違う個性を持っていて、見る角度を変えればまるで万華鏡のように姿を変える。鼻を近づければ、ほんのりと漂うカフェインの香り。すり潰せば粉になってしまうような、”刹那”を体現したような、儚さ。


 この世に生まれてきたのは、珈琲豆と出会うためだったのだと、私はそう思っている。



 これが”二次元に恋した”とか”人形趣味”とかだったら、まだ”気持ち悪い”で済んだはずなのに、私の場合は豆であった。

 彼女と……珈琲豆と……出会ったのは、会社の新人研修の一環で、珈琲豆の栽培工場に出向いた時だった。敷き詰められた土の中から、空に向かって健気に芽を伸ばす豆を見て、私はたちまち心を奪われた。ビニールハウスの中で、私は目が離せなかった。心臓が私の胸の中で跳ねるのが分かった。

 正直に言おう。その瞬間、それまで私が恋だとか愛だとか呼んでいた漠然としたものが、全く遠くにある戯言のように感じてしまった。熱病に侵されたように、私は「豆……豆……」と譫言を繰り返した。私の頭の中が、たちまち黒い塊で埋め尽くされていった。愛でもなく、恋でもなく、豆だ。この世は豆なんだ。私は決して異常者ではない。後日工場に連絡を取り、こっそり珈琲豆を分けてもらった。それが彼女との”馴れ初め”だった。


「…………」


 袋から取り出した豆を湯船に浮かべながら、私は口元までお風呂の中に沈めてそれを目を細めて見ていた。彼女と暮らし始めて、三カ月以上になる。私はソワソワと濡れた髪を撫で付けた。私はこの間見かけた占い師の言葉を思い出していた。


 擬人化コンテスト。


 もしそのコンテストに出れば、私の愛した豆も人の姿に……?

 私は珈琲豆を愛している。彼女と結ばれたいと、もちろん願っている。だが、彼女は豆だ。そして私は、人間だった。


 胸の奥から、なんだか分からない熱いものが込み上げてきて、私は居てもいられなくなった。波に揺れ、気持ち良さそうな豆を、指先で突いて掬い上げた。


「行こう」


 優しく声をかけ、湯船から立ち上がった。手のひらの中で豆が頷いた、気がした。


「おやすみ……良い夢を」

 寝る前、私は濡れた豆をタオルで拭き上げ、ベッドの脇にそっと置き、小さな手のひらサイズの布袋を布団のようにかけて上げた。彼女はすぐに眠りに落ちた。私はそれを見届け、追いかけるように夢の中へと沈んでいった。


□□□


「やっぱり来たのね」


 私の姿を見て、占い師がちょっと得意げに笑みを浮かべた。

 彼女は町外れの、知らない人は誰も足を踏み入れないような雑踏の奥に店を出していた。よく晴れた、いい天気だった。次の週の休みを利用して、私は渡された名刺を頼りに、”彼女”と二人でその場所を訪れていた。雑居ビルと雑居ビルの間……排水管にびっしりと蜘蛛の巣が張っているような、薄暗い路地裏だ。人二人分の幅があるかないかの狭い壁の間に、占い師はいた。初めてバーであった時とは違い、彼女は薄い紫のヴェールを頭から被り、机の上に置かれた水晶に両手をかざしていた。私が慎重に歩み寄ると、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「…………」

「じゃあ……決めたのね? 擬人化コンテストに、参加するって」

「…………」

「……?」

「……いいえ」

「どう言うこと?」


 私は首を横に振った。占い師が訝しげな表情を浮かべた。私は彼女のくりっとした大きな目を見つめて、ゆっくりと口を開いた。


「擬人化コンテストには参加しません。その代わり、私が豆になります」

「え……」


 占い師が口を丸く開けて、頭の天辺から生えたウサギの耳をぴょこっと跳ねさせた。


「今何て言った? あなたが……豆になるって?」

「ええ」

 蜘蛛の女の子が、片隅で興味深そうに聞き耳を立てていた。私は胸ポケットから豆を取り出し、手のひらに乗せて占い師に見せた。

「彼女は、豆だ。豆だから、好きになったんだ」

「…………」

「それを、無理やり私たちの都合で人の形にするだなんて……私にはできない」

「…………」

 私は一呼吸ついて、豆の表面をそっと撫でた。

「だからせめて、私が豆になろうと思う。彼女と一緒に、珈琲にでもチョコレートにでも、何にでもなります。何かを擬人化する技術があるなら、逆だって可能なはずだ。占い師さん、私をコンテスト会場に連れていって。そしてどうか私を、豆にしてください」

 私は至って真剣な表情で頭を下げた。やがて獣人の占い師は、やれやれといった感じで口を開いた。

「この擬人化全盛のご時世に……」

 私は目を伏せた。確かに、擬人化することが当たり前になっている世の中だ。だが……もし豆である彼女を、半ば強引に人にしてしまっては、それはもはや彼女とは言えなくなる。あの黒いフォルムも、あの中央に刻まれた艶のある線も、水脈のように刻まれた小さな皺も……。全部”彼女”だから、私は好きになったのだ。人になってしまえば、彼女が彼女ではなくなる気がした。


 私は珈琲豆を愛している。彼女と結ばれたいと、もちろん願っている。だが、彼女は豆だ。そして私は、人間だった。


「いいの?」

 占い師が首をかしげた。

「……いいんです。彼女と結ばれるためならば」

「みんな、人になってるのよ? 擬人化技術が確率されたこの現代で、猫も杓子も……」

「…………」

「あなたたちは、逆に向かうのね」


 顔を上げると、赤い目をしたうさぎの占い師はほほ笑んでいた。彼女もきっと、愛する何者かの手によって、擬人化されたのだろう。擬人化されて、その後……元”動物”たちや元”物”たちが、どのような生活を社会で送っているのか、あまり表沙汰にはなっていない。中には、もともと人ではなかったというそれだけの理由で、不当な扱いを受けているものもいると聞く。

 私は黙って頷いた。六歳くらいの蜘蛛の女の子が巣から降りて近づいてきて、目を輝かせて水晶を覗き込んでいた。やがてうさ耳の占い師が、机の下から会場の地図を取り出した。


□□□


「それじゃあ……二人とも、お元気で」


 うさぎの占い師が、私たちの姿を見送って右手をひらひらと振って見せた。保管庫の入り口が閉まり、その姿が見えなくなるのを、私は”彼女”と一緒にじっと眺めていた。


 占い師の口利きにより、私は運よく”擬豆化”することを許された。人を豆にしたい、だなんて、人格を疑われるかと不安だったが、コンテストの開催者の方々はすんなりと私の要望を聞き入れてくれた。会場に集まっていた、愛しの”お相手”を擬人化しようと血気盛んになっている参加者たちが、不思議そうな目で私たちを見ていた。私たちはそれから、豆を焙る工場へと案内された。


「ありがとう」

「いいえ。どういたしまして。ね? 私の占い、当たったでしょう?」

「ええ」


 私は白い毛の生えた占い師にお礼を述べた。

 これでやっと、彼女と一緒になれる。そう思うと、私の胸の奥からドッと暖かいものが溢れてくるのを感じた。私は胸ポケットの中の豆を上からそっと撫でた。豆も喜んでくれた、気がした。


 それから私は二人でゴオン……ゴオン……と鈍い音を立てる巨大な焙煎機に向かい合った。”彼女”を手のひらの中に包み、上から黒い豆の海を覗き込むと、私たちはその中に一緒に飛び込んだ。

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