マニキュアと膝小僧

躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ)

マニキュアと膝小僧

 ウチが家族で住んでた団地は6階まであるくせにエレベーターがないから、まあそれが団地って事なんだろうけれど、最近の少子高齢化とか言う奴に付いて行けないみたいで、中年以上の年代がどんどんいなくなっていた。

 新しく入って来るのは家族連れが多かったけれど、若い世代を無理して入れようとしてたせいで、如何にもなチンピラ風の夫婦連れが多くなっちゃった。

 時々夜中にパトカーや救急車のサイレンの音がするなと思うと、それは大体ウチらの団地に向けてのもので、窓から見えた時にはそれも人だかりが出来てて、ブルーシートが張られた中から、どっかで見た様な若いにーちゃんと、その時によってタイプは違うんだけれど、付き合ってたんだろう連れの女が、お巡りさんにパトカーに載せられていたりする。

 そのせいで、団地の評判はがた落ちだし、昔はその棟にいたお爺ちゃんお婆ちゃんに構ってもらってたウチは寂しい感じがした。




 家族に非行を疑われてから、関係が上手く行かなくなってたウチは、学校には行ってたけど、家に寄り付きにくくなった。

 小さい頃から頭ごなしに怒られると、子供だって

『この人に言っても通じないんだ』

って事くらい分かるし、高校生になったからって今度は殴られる様になれば、愛想も尽きるってもんでしょ。生きて来た年と同じだけそんな風にされてれば、ウチみたいなバカだって、家が直らない事くらい分かる。

 そうなると必要になるのはお金だ。だから、友達のつてでいいバイトを探してた。でも、どこに行っても不景気からの辛気臭い話ばかりで、おっさんが愚痴ってるのはまあしょうがないとして(家族とかいるもんね)、おばさん達が愚痴っているのはどうにもやるせなくて、しかもそれで女同士でいじめなんかするもんだから

『何やってんだろ、この人達』

って思ったらかなりげんなりして、別のバイトをしたりしたんだけれど、一度同じ友達の紹介で登録制の所で身なりのいいおじさんとアポを取ってご飯するのをやったら、金額的に昼間のバイトをするのがアホらしくなって、学校の時間以外はお客待ちって生活にどっぷり浸かっていた。

 貞操観念かぁ……初めては好きな先輩としちゃったけど、その人と付き合う流れにはならなかったので、まあ処女でもないし、って事で、本番はそれなりのお金をもらってやってた。店の取り分は多いけど、あたしも友達の家に泊めてもらう代わりに払う分くらいはもらってたし、ちょこちょこ貯金は出来てたんだ。




 寒くなる少し前だから12月の少し前だったと思う。

 最近は温暖化だかで12月まで夏みたいなもんだから、そのいきなりの冷え込みはかなり辛い。だから、家族がいない時間帯に冬用の服とかを取りに、家に行った。

 夕方になる少し前。それで団地の階段を上っていたら、踊り場にちびっ子がいた。

「あ、ごめんなさい」

 ブレザーでも寒い時期に突入だってのに、そこらの子みたいに厚手が過ぎる恰好じゃなくてロンTに半ズボンの子が階段に座り込んでたんだ。

 ぴょいん、と立ち上がって避けたその子の足はあちこちあざだらけで、

(あ、虐待されてる)

って一発で分かった。

 見るからにギャルって感じの、金髪にしてるあたしが怖かったのか、その子はうつむいたまま、立ち尽くしてた。

 ヨシトって名前のその子とつるむ様になったのはそれが最初だった。

 日差しを背にして座り込んでいたのが何だか神様の使いみたいな感じに見えたので、あたしは使徒になぞらえて、その子を『シト』と呼ぶ事にした。

 勿論許可はもらったよ。


 ウチはその日、丁度まとまったお金が入る日だったから

『長ズボンがない』

というシトを連れて、ファッションセンターに行った。そこで試着して、数日分の着替えを用意してやった。

 シトはその後にウチが入りたかったから連れてったハンバーガー屋で、適当に注文したメニューを前にして、すごくびくびくしてた。

「お金、ないです」

って言ってたのが可愛かった。すごく恐縮してたみたい。

 ウチは

「いいよ。食べよう」

って言ってハンバーガーを齧りながら、恐る恐るポテトを食べ始めたシトと話をした。


 簡単に言えば、シトもウチとそう変わらない、いや、ウチより酷い家だった。

 親はあれだ、ちょっと前にニュースであったでしょう? 生まれて何カ月だか何年目の子を虐待して殺しちゃったっていう、最近増えたのか知らないけど、あり得ないすげークズの奴。あれをまだギリギリ、シトにやらかしてないだけだった。

 シトとウチが出会ったのは、運が良かったんだ。

 まだウチが家にいるのを当たり前だと思っていた頃に、時々夜中に見てた、あのブルーシートの向こうから、遠くない内にシトの両親が出て来るのは簡単に予想が付いた。

 なので、登録先である店の店長に話してみた。店長は企業舎弟って立場で、つまり、後ろにずばりその筋の人達がいる。

 警察がそれを締め上げてるから、一笑に伏されるかなと思ったけれど、

「お前、うちで結構長いし、本格的に寮に入るか?」

って話が出て、詳しく聞くと、夜働いてるお姐さん達用の、子供を預ける場所があるんだって。そこに、ウチが『仕事』してる間はシトを預けておけばいい、っていう話だった。

 家に帰ると危ないシトにとってはもってこいの話なので、ウチは店長の話に乗った。


 しばらくは楽しかった。

 昼間は学校に行ってるし、お金はその辺のサラリーマンのおじさん達よりはあるし、今まで通りに客を取ればいい。

 最初は疲れたけど、すぐに慣れた。で、『託児所』へ行くとシトがいる。

 二人でお弁当屋さんに行って、好きなおかずでご飯を買って来て食べて、バカチンなウチなりにシトに勉強を教えて、一緒の布団で寝た。

 最初はシトは、ウチと寝る事について、初めて会った時みたいに考え込んでたけど、

「ちびっ子は甘えときなよ」

って頭を撫でて言ったら、ウチに抱き付いて寝る様になった。

 シトは時々うなされてたけれど、それもちょっと経つと収まった。

 もうすぐ中学生になるらしいのに、低学年くらいしかない身長で痩せているだけじゃなくて、冷え性も酷いシトの身体は、ウチが抱いてやるとだんだん暖かくなっていって、それが何故だか嬉しかったんだ。




 年が明けて、ちょっと気がかりな事が出来た。シトの学校の事だ。

 いつから学校に行ってないのか知らないけれど、義務教育でも留年はある。

『学校の事なんか、シトのクズな両親に投げっぱにしておけばいい』

と思ってた。それが後からネックになるのが悔しかった。

「小僧の身体にある痣は立派に児童相談所が乗り出す案件になるはずだが、親がお前の言う通りのクズなら、厳しいだろうな」

って店長が言ってて、どうしよう、どうしようと思いながら、その日もシトを迎えに行って、お弁当屋で買い物を済ませた帰りに、それは起きた。




「このガキ! 何いい服着てんだよ!!

 血色まで良くなりやがって、親を何だと思ってんだゴラァ!」

 誰かの怒鳴る声とキモい感覚にウチが目を醒ますと、どっかの郊外の廃墟みたいな所で、にやけた男達にレイプされてた。で、その男の叫び声は誰のものなのかはウチのやられてる所からは見えなかった。

「歯ぁ立てたらぶっ殺すぞくそアマ」

って、ウチにくわえさせてる別の男が言ったのと、頭からぬるっとしたものが右目に流れてて、口に入った所で血だと分かって、

(拉致られたんだ)

と思ったら、ウチの口に入れてた奴が果てて出した。

「飲め」

 ウチはそいつの顔を睨みつけながら、飲み下してやった。

 でも、心配事を隠せるほどには大人ではなかったみたいだ。

「あの子、あの子……」

「ああ? あのガキか? おら、見せてやるよ」

 後ろから突き立ててる奴がウチの髪を掴んで、何かの音と男の叫び声がする方へ連れて行く。


 シトがいた。

 多分父親だと思うけど、そいつにボコボコにされてた。

 ボコボコなんて言い方は生易しかった。だってそのくそ親父は、素っ裸にされて、すり傷とそこから流れた血だらけのシトに猿轡をして、プロレス技をかけてたんだから。

 女が傍で、煙草を吸ってそれを眺めていた。後で店長から教えてもらったんだけど、これがシトの両親だった。

 女から手渡された煙草を、くそ親父は腕の関節を極められて動けないシトの背中に押し付ける。

「うあ……」

 猿轡のせいでほとんど声を出せないシトに、忌々しげにくそ親父が吐き捨てる。

「逃げてる間に傷が治って来てるじゃねえか。親なめてんなヨシトぉ!」

 ちくしょう、と思った。やっぱりうちより酷かったんだ。

「ヨシトはママの事、どうでも良かったって事だよね。

 大嫌いなんだよね!? そうだよねぇ!?」

 ケバい痩せぎすの女がシトを蹴った。腹の辺りを蹴ったらしく、シトの身体が大きく痙攣した。

 あの引きつった醜い顔を、毒親丸出しの言葉を、ウチは死ぬまで忘れない。

 あんなのがシトの母親だとか名乗るなら、いっそウチが―

「やめてよ!」

 ウチが叫ぶと、くそ両親がこっちを向いた。

「お前、うちの子供を連れ回して、絶対告訴してやっからな。覚悟しとけよ!?」

「あんたの親からもたっぷり搾り取るから!」

 馬鹿共が、こっちだってあんな奴らの事なんか知った事か。

 ウチはレイプ野郎に殴られ、その刺激からか中出しされたけど、それより、そんな事よりシトが。

「よく見とけ! これがお前がたぶらかして連れ回したガキの最期だぁ!!」

 くそ親父はシトを抱え上げると、そのまま頭から地べたに叩き付けた。

 板が割れる様な音がして、シトが転がって。


 そのままシトは二度と動かなかった。




 その後の事はあまり覚えていない。シトの事以外は。

 気付くと車が沢山止まってて、レイプ野郎もいなくなっていて、黒服の男達がシトを殺したくそ両親を取り押さえていた。

「店の大事な従業員を拉致った連中の居場所が分かって、今辿り着いた」

 ウチにそう説明しながら、店長が毛布を掛けてくれる。

「シト……」

 店長はウチの手を引いて、玄関に敷く様なマットでくるまれようとしているシトの所へ連れて行く。

 口から血を垂らして、散々殴られてあちこち腫れ上がったその瞼の下、遠くを眺めているシトがいた。

「シト」

 膝をついて、シトを抱き起こす。

……びくりともしない。やっぱり死んでるんだ。

「ウチがあっためる前みたいに冷たいじゃん。シト……ねえ、シトおおおおおお」

 シトを抱きしめて、そのまま声にならない悲鳴が上がりそうなウチの口を、店長が塞いだ。




 秘密で人を始末出来る人達でも、基本的にはそういうのはヤバいらしくて、手当てとメンタルケアを受ける事で医学的な口封じというのをされたウチは一応、円満退社の形にされた。変な話だけれど、職場での態度と稼ぎという『日頃の行い』っていうのがプラスに反応したらしい。

 ただ、ウチの事情を知っている店長よりも上の人達が手を回してくれたらしく、団地の家に戻ったら、ウチの方の家族もいなくなっていた。

 そして、身元引受人だという、人の好さそうなおじさんとおばさんと会う事になった。

「数年経てば行方不明者なんて警察も調べをやめる。あの二人は今後しばらくのお前の親代わりって訳だ。

 お前はまだ、胸を張って表社会で生きて行ける立場だ。どうにか足掻いてみろ。あのシトって呼んでた小僧の弔いの為にも」

 店長は電話でそう言った。そういう事か。




 夜逃げ扱いにされたシトの部屋を近くに感じながら、学校に通う生活に戻ったウチはそれから普通にそこそこの大学に進学して、社会人として普通の人達に紛れる事になった。

 怪しまれるのを避ける為に、全部が終わってからシトの部屋の場所を知っても一度も足を向ける事はなかった。




 無理して向ける必要もないんだ。

 だって、ウチの横には、首がちょっとまずい角度を向いているけれど、シトがいつも、手を握って、いてくれるんだから。

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