四夜


「ちょっと、もっと反対寄りなさいよ!」

 プリントの山を抱えて視界を遮られていたミドリが、廊下ですれ違いざま右側を歩いていたナナヨを押しのけようとして、結果、紙の雪崩が置き、吹雪が舞い散る。

 その場面に行き会ったのは偶然だった。図書室から帰り道である。シマッタと思う。

「ごめん、ミドリ!」

 咄嗟、〝鳥島〟ではなく幼馴染みの名がこぼれ出た。

「な、なんで戸川君が謝るの」

 自分がいるとは思ってもみなかったのだろう(おそらくはプリントの山に視界を遮られて)。駆け寄ったユウヤにミドリは狼狽えたふうに言う。

 今朝担任教諭から学級委員へ、昼休みに配布用のプリントを取りに来るように申し伝えされていたのをすっかり忘れていた。

 生真面目なミドリは他の誰かに手伝いを求めることなく一人で職員室に向かったに違いない。凡ミスだ、受験勉強と早起きで少し疲労が溜まっていたのかもしれなかった。

 ユウヤ、ミドリ、そしてナナヨの三人で廊下に散らばったプリントを拾い集める。

 拾っているうちにふと笑みが漏れ、なんとはなしにナナヨの方を見た。彼女も同じことを考えたのか、目が合い、ほんの少し口元を緩めた。早朝の公園でナナヨと短冊戻しを始めて今日は三日目の水曜日。この廊下に落ちたプリントを拾うという行為は、誤って散らした短冊を拾い上げることに似ていて、今朝もやらかしたことだったのだ。

 プリントを集め終えると、ナナヨはミドリに謝ることなくさっさとお手洗いの方向へと行ってしまった。ユウヤはその真っ直ぐな背を横目で追いつつも、ミドリから全てのプリントを受け取り、教室へと向かう。ミドリが半分持とうとするのを、

「ここまで運んでくれたんだから、後は僕一人で運ぶよ」

 と、差し止めて。

 優しいね、ユウヤは。ミドリはそんなことを言う。戸川君ではなく、わざわざユウヤ呼びで。

「でも、みんなに優しくすることないと思う」

 ――もう、十二歳なんだから。

 ミドリの言わんとしていることがわからないほど鈍感ではない。だけど。こちらが口を開く前に、別の話題を振ってきた。

「ドラマの録画、いつ取りにくる? 昨日、待ってたんだけど」

「今日も塾なんだ」

 そう、とミドリは頷く。でも、とユウヤは続ける。

「明後日、木曜の夜には行くから。必ず」



 別段、嘘をつくのに罪悪感は無かった。必要悪とうそぶくつもりも。ただ、丸く収まる最善を模索しただけなのだから。

 ピンクの絨毯の上でもくもくと作業を続けるナナヨを眺めながらユウヤは思う。それでもこの空間と時間に、心地良さを感じることへの悪甘さは否定できなかった。

 七夕祭は今週末、日曜。それまでに全ての短冊を笹に戻さねばならない。星は待ってくれない。まだまだ引き千切られたままの短冊があると聞き、放課後、ユウヤはナナヨの自宅を訪れて補修作業を手伝っているのだった。


「ナナヨさん、麦茶とお菓子を取りにきてください」

「はい、センセイ」


 階下から呼ぶ声がすると、ナナヨは手を止め速やかに立ち上がった。それこそ教師に指された生徒のように。 

 雨上がりの夜、ユウヤを招き入れた老女はナナヨの祖母ではないという。

 ではなんなのか、という問いにナナヨは、「色々教えてくれて面倒をみてくれる人」と答えた。まあ、それは確かに〝先生〟であるが、同時に別の謎が浮上してくる気がする。まあ、それはまだ出番ではないと胸に押し沈めた。

 部屋に一人残されてユウヤはナナヨの部屋を無遠慮に眺め回す。勉強机、洋服ダンス、本棚、ぬいぐるみ。多少殺風景で狭くはあるけれど、ごく普通の女の子の部屋で、数年前の姉や幼馴染みであるミドリの部屋とさして印象は変わらない。

 〝意外な〟あるいは〝らしい〟趣味が垣間見れないものか、ユウヤは本棚に並ぶタイトルを見る。むかしばなし、ことば学習、図鑑シリーズ、などなど。幼い頃に買ってもらった本が時を経たまま在籍しているふうであり、面白味は無かった。けれどどの本もまだ美しく、ナナヨは几帳面で綺麗好きなのだろう。姉の本棚と比べると雲泥の差だ。

 そのうちに足音が響き、ナナヨがグラスと水煎餅が載った盆を抱えてやってきた。そして短い休憩を終え、再び作業に戻る。

 全ての短冊を補修し終えたのは、普段塾が終わるのと同じ頃の時刻だった。



 帰り際、門扉の前で老女――ナナヨ曰く、センセイ――が話し掛けてきた。ナナヨがセンセイに命じられて、貰い物の果物をユウヤの土産物として持ってくるよう家の中に戻り、待つ間にできた隙間を埋めるように。あるいは、隙間は意図的に作られたのかもしれなかった。


「あの子と仲良くしてくれてありがとう」

「いえ、好きでやってるんで」


 久しぶりに雲間が切れ、星がのぞく夜だった。明日は晴れるかもしれない。もし晴れたならナナヨに見せたいものがある。


「色々話しをしているそうですね」

「ああ、はい、ぼちぼち」

 話しをしているといっても、日常というか作業のための会話だ。取り立てて親しくなったわけではない。短冊泥棒に関しては、実のところ、動機すら訊けていなかった。なぜ短冊を盗み、さらには戻す気になったのか。

 焦ってはならない。でも、七月七日は目前だ。急いだほうが良いのかもしれなかった。

「あの子は変わっているから、あなた以外の友達はいないでしょう。どうぞ今後ともよろしくお願いします」

 身内である老女が、ナナヨの風変わりな、クラスの女子風に言うなら〝ウチュージン〟的な点を認めていたのは、予想外だった。そんなことないですと一応は反論しておこうか、同意してその上で好きでナナヨに付き合っていると宣言するべきか、一瞬悩んだその間に。

 老女――センセイは、ユウヤに問い掛けた。

 

「あの子とは、もう繋がりましたか?」

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七夕には雨が降る 坂水 @sakamizu

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